政略結婚したら、王女をやめろと言われました。
「あなたは王女をやめるべきだ」
これがこの男から告げられた、開口一番の言葉でした。
私は、マシロ王国第十一位王位継承者、ルナルス・マシロ・アズディウス、これが私を私たらしめる全てといって差し支えない。
生まれてこの方ずっと王女をやってきたというのに、それをいきなりやめろだなんて。
「お断りします。これから嫁ぐ身とはいえ、私はマシロの王族であり誇り高き王女です。いくらアルルク陛下の命令といえど、承服するわけにはいきません」
私はキッパリと拒絶しました。
これが虚勢だというのは、私が一番よく分かっています。
それでも毅然とした態度を崩さなかったのは、王女としてのプライドと、なけなしの覚悟によるものでした。
「おっと申し訳ない。結論から話し始めるのは自分の悪い癖でして。
改めまして、この度あなたを娶ることになったアルルク・ノト・パタグラムです。気軽にアルとお呼びください」
私の勇気を出した宣言は、涼しい顔で受け流されてしまう。
さも平然です、といった態度に怒りすら覚えてしまうが、この男がアルルク・ノト・パタグラムであるのなら、それでも礼を尽くさなければならない。
この男の言う通り、私は娶られる立場の女なのだから、
「ご丁寧にどうも。私はルナルス・マシロ・アズディウス、どうぞ好きにお呼びになってください」
「それではルナと呼ばせていただこうか。遠路はるばるご苦労だったね。まあ、適当に座ってくれ」
初対面だというのに、なんて馴れ馴れしい男なのだろう。
私を愛称で呼ぶことなど、父や母ですらないというのに………
感じたのは嫌悪と侮蔑、
これからこの男の伴侶になると思うと気が狂いそうになる。
「結構です。それより要件はなんでしょう?マシロからの長旅で疲れているのですけど」
「手間は取らせないよ。ただ、誤解は早く解いた方がいいと思ってね」
「はて、何のことでしょう」
「私達の関係についてだよ」
「何を言い出すのかと思えば、そんなもの初めから決まっているではありませんか。
私はアルルク陛下の所有物ですので、どうぞ煮るなり焼くなり好きに殺してください」
アルルク・ノト・パタグラムはリネヤと呼ばれる小国の王でした。
若干20歳という若さで擁立された彼でしたが、その功績は凄まじく、マシロでは畏怖の対象として恐れられています。
別名、稀代の怪傑、
私はそんな怪物の伴侶に選ばれたのだ。
平和な世の中なんていうモノのために、、、
建国以来、マシロとリネヤの両国は小競り合いが絶えませんでした。
争いの理由を知るものはとっくの昔に死に絶えていて、残された怨恨のみで続く戦い日々、
そんな悠久に続くと思われていた争いの歴史を、この男は一瞬で終わらせました。
どんな魔法を使ったか知らないが、アルルクは単身マシロへと乗り込むと、あっという間に両国の和平を実現したのだ。
とはいえ、
憎み合っていた両国の世論を納得させるには、それなりの体裁を整える必要がある。
早急に求められた平和の象徴、
その白羽の矢が立ったのが、私とアルルクの政略結婚だった。
とどのつまり、私は元敵国に売られた王女というわけだ。
「やっぱり誤解してる。私がルナを害することはないよ。
これから夫婦になるんだから、もっとこう楽しくやろう」
「楽しくですか?私には全く想像できませんが………
もしかして、それが冒頭の話に関わりがあるのでしょうか」
「その通り、だからあえてもう一度言うよ。ルナは王女をやめるべきだ」
「それはどうして?」
「このままではルナは幸せになれない」
「はあ?いま、何とおっしゃいましたか」
「幸せになれないと言ったんだ」
あまりに突拍子のないことを言われるものだから、思わず聞き間違いだと思ってしまった。
よりにもよって「幸せになれない」なんて、
まるで今の私が不幸みたいな言い草ではないか。
側から見れば、元敵国に嫁ぐ姿は不幸に見えるかもしれない。
でも、こちらもそれなりに覚悟を持ってやってきた。
それを同情や哀れみで穢すなんて、
「不愉快です」
「おっと、逆鱗に触れたのであれば謝罪するよ。確かにいきなり伝えることではなかった。
まぁ時間はたっぷりあるんだから、ゆっくりと私のことを知ってもらうとするよ」
こうして、アルルクとのファーストコンタクトは幕を下ろした。
ドッと疲れを感じた私は、あてがわれた自室に帰ると、身体も清めずに眠りについてしまう。
次の日、
清々しい朝の空気で目を覚ます。
寝ぼけ眼で辺りを見回して、いつもと違う景色に少し落胆を感じる。
ああ、知らない場所に来てしまったんだな。
そんな哀愁をそっと胸の奥に仕まう。
そうして一通りの感傷を終えたころ、私はこの部屋の違和感に気がついた。
まずは間取りだ。
一人で使うにはあまりにも広い気がする。
それに厨房の存在、
なんで客間であるはずのこの部屋に、こんなものがあるのか。
そして極め付けは、装飾品や家具のこだわり具合だろう。
どれも一流のモノが使われている。
てっきりこの国では、上等な品は拝めないと思っていた。
なぜなら昨日のアルルクの部屋が、実に質素だったからだ。
王の私室であれだけ見窄らしいのだから、さぞ財政が困窮しているのだろうと踏んでいたのたけど。
「あの人の部屋はあんなにも質素だったのに」
「私は公私はしっかり分ける主義なのだよ」
「ひゃ!!!」
声にならない悲鳴を上げた。
いや、実際は少し声が出ていた気もするけど、
「失礼失礼。そんなに驚かれるとは思いもしなかった」
「アルルク陛下、どうやってここに!?」
「いや、普通にドアから入ろうとしたら従者達に邪魔されてね。仕方なく隠し扉から入ってきたわけだが」
アルルクは悪びれた様子もなく、侵入経路を後ろ手に指差す。
どうやら本棚の一部が反転する仕組みのようだが、そんなことは今はどうだっていい。
「そんなの聞いてない!とにかく出てって下さい」
「何を言ってるんだ?今日からここで私と暮らすというのに」
「は?」
一瞬、自身の耳を疑った。
この男といっしょに暮らす?いやいや、流石にそれはないだろう。
私なんかと暮らして、この男に何のメリットがあるというのか。
「そんなこと勝手に決めないで下さい!」
「だが夫婦は一緒に暮らすものだろ?君の従者もそこを理解してくれなくてね。渋々、第一の隠し通路を使う羽目になってしまったよ」
「第一って、、、まさか他にも隠し通路があるっていうの!?」
「私だって使うのは不本意だ。でも受け入れるとしよう。愛に障害はつきものだからね」
「二度と使うな!!!」
一際大きな声で叫んだその時、お腹がくぅーっと情けない音を発した。
思えば、昨日からほとんど何も口にしていなかったので、腹が鳴るのも当然だろう。
だけど目の前の男に、そんな私の腹事情のことが分かるはずもなく、きっと食い意地の張った女と思われたに違いない。
そう思うとなんだか涙で視界が滲んだ。
もしかしたら、耳元も赤くなっているかもしれない。
悔しいのと恥ずかしいので、感情がぐちゃぐちゃに掻き乱されていくのが分かる。
「えっと、とりあえず朝食にしよう。すぐ準備するから、それまでに着替えを済ませてくるといい」
「………ない」
「え?」
「一人じゃできないっていったのよ!」
まさに泣きっ面に蜂とはこういう事をいうのかもしれない。
アルルクも状況を見兼ねたのだろう。
しぶしぶ、と言った様子だったが私の従者を呼び寄せてくれた。
「お呼びでしょうか………えっ!?」
「アンナ、助けて下さい」
アンナはマシロから連れてきた私の従者です。
幼少期からのとても長い付き合いで、内心では姉のように慕っている。
従者としても大ベテランのアンナだったが、部屋の中にアルルクがいるのは予想外だったのだろう。
目を白黒させて驚いていた。
だけどすぐに表情が引き締まる。
おそらく、私が涙目になっているのを見つけたのだろう。
アルルクと視線が切れるように、自然と身体でバリケードを作ってくれる。
昔から、私が困った時はいつもアンナがら助けてくれた。
アンナのおかげで気持ちもなんとか落ち着けることができました。
そして一通り事情を説明すると、アンナは何も言わずに私の身支度を整え始めます。
途中、「今日は出かけるから動きやすい格好がいい」と、アルルクからお告げがきたので、面倒くさいドレスを着る必要もなくなった。
「どうぞ、簡単だけど朝食を用意したよ」
「………」
「大丈夫、毒なんて入ってないから。なんだったら私から食べようか」
「別にそのような心配はしていません。ただ少しだけ、」
そこで私は口を紡いだ。
だってテーブルに並べられた料理はどれも美味しそうで、思わず感嘆の言葉を口にしてしまうところだった。
それだけは負けた気がするのでしたくない。
「いえ、なんでもありません。これらは全てアルルク陛下がご用意を?」
「もちろん、流石に食材の調達は部下に任せましたけど、調理の工程は全て行いました」
「なぜアルルク陛下が給仕のマネごとなど」
「趣味と実益を兼ねて、といったところかな。料理は昔から嫌いじゃないし、自分で作れば好みの味に調整できる」
「理解できません」
やはりこの男と私は価値観が合わないようです。
王族が食事の用意をするなんて、マシロにいた頃は考えたことすらしなかった。
まさかリネヤではこれが当たり前なのかも、
仮にそうであったのなら、ここでの暮らしに一層の不安を感じてしまう。
私はなんて野蛮な国に娶られてしまったのだろう。と、
「はは、そうだろうね。まあいいさ。今は料理が冷めないうちに食べてしまおう」
「………いただきます」
とはいえ、意地を張るのも限界でした。
いくら現状に不満があろうとも、生きていればお腹が減ってしまう。
毒味もまだの食事であったが、再び腹の鳴く音を聞かれるぐらいなら、死んでしまったほうがマシだ。
そうして意を決して口にしたアルルクの料理は、誠に不本意でしたがとても美味でした。
「ご馳走様でした」
「お粗末さま。私の料理はお気に召したかな?」
「………」
「ふむ、次はもう少し魚介を取り入れてみよう」
「は?私はなにも言ってませんけど!」
「その反応は好物で当たりのようだね。魚介を最後まで残していたから、好きか嫌いかのどっちかだと思ったのさ。大丈夫、代わりに野菜は少なくしてあげるから」
「よ、余計なお世話です!」
この男の言ってることは当たっている。
野菜は嫌いだし魚介は大好物だった。
でもどうしてこの男にそれが分かったの?
「どうしてそんなことが分かるのかって表情だね。結論からいうと、私はそういうことが得意なんだ。所作や言動、はては目線の動きなどでその人が何を考えているのか分かってしまう」
「そんなこと………いえ、実際に当たられていますので、信用しないわけにはいきませんね。ですが、あまり自慢できる特技とは思えませんけど」
「言っただろ。私のことを知ってもらうと」
「まさか本気だったなんて」
「私はいつだって本気だよ。では食事も終わったことだし、ちょっと出かけるとしよう」
全く乗り気ではありませんでしたが、アルルクの提案を断ることもできず、私は渋々と後を着いていくことしかできません。
そして、
馬車に揺られることおよそ1時間、私はとある村に連れてこられた。
海の見えるちっぽけな村、こんな村で私に何をさせようというのか。
「ようこそ、今日はルナに私の故郷を案内するよ」
「何のため?」
「もちろん、私という人間を知ってもらうため」
「別に、私は、」
「まぁまぁ。あ、そこが私の通っていた学校でね。イタズラしてはよく先生に怒られた。そこの駄菓子屋は色飴が美味しくて、ついつい買ってしまうんだよ。それから───」
「………」
興味がない、私はそう言葉を続けようとして止めました。
きっとそれは無駄な行為だから。
昨日今日の付き合いでも分かるのだ。
私がなんと言おうと、アルルクという人間の言葉を遮ることはできないだろうと。
私はアルルクの人生の歩みを、やむをえず聞くことになりました。
でも、そのどれもがあまりに私の人生とかけ離れていて全く共感ができません。
仕舞いにはアルルクが同じ王族なのかと、終始疑問を浮かべていました。
だって、王族とは選ばれた存在のはずでしょう?
故にその生活は優雅で在るべきなのに、アルルクの送ってきた人生はなんというか、、、庶民的すぎる。
「アル兄ちゃんだ!」
アルルクの案内で町を歩いていると、複数の子供から声をかけられました。
身につけてる衣服から、どの子供も貴族ですらない一般の出自だろう。
「よう、今日も元気そうで何より」
「なんだよそれ」
「王さまがこんなところ歩いていいのか?」
「知らない女の人………分かったデートでしょ!」
子供に囲まれるアルルクはどこか嬉しそうで、それが私には分からない。
身分が下の者と、なぜこうも打ち解けられているのか。
「ねーねー、お姉さん」
「な、何!!」
「お姉さんとアル兄ちゃんはどういう関係なの?」
「!?」
アルルクを取り囲んでいた子供の一人。
あどけない女の子からの予期せぬ問いかけに、私はすぐに返答ができなかった。
私とアルルクの関係ですって?
表面上は夫婦になるのでしょうけど、まだ挙式も終えていない。
なら婚約者が一番近いような───
個人的には人質とその身元引受人と、表現したほうがしっくりしますけど、それを口にするのは流石に憚れる。
「いい質問だ。お姉さんは私のお嫁さんなんだよ」
「な!?」
「「「えーーー」」」
アルルクの余計な一言のせいで、子供たちの黄色い声がさらに大きくなる。
皆が思い思いのことを口走り群がってくるので、まともな対応ができるはずもなく、
私は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
「アル兄にお嫁さんとかうっそだ」
「うわーん。わたしと結婚するって言ってたのに」
「あーあ、泣かせた」
「ち、ちょっと、落ち着いて」
どうしようもなくなった私は、アルルクに助けを求めることしかできなかった。
だって仕方がないではないか。
ここにはアルルク以外に頼れる人間がいないのだから、
私の救援信号にに気がついたアルルクは、「はい、静かに!お姉さんが困ってる」と、慣れた感じで子供たちを大人しくさせる。
鶴の一声で静かになった子供たちに私は安堵し胸を撫で下ろす。
そして子供を掻き分け近づいてきたアルルクに「少し場所を変えようか」と、耳元で囁かれたのだった。
そうして、
私はアルルクのなすがまま、村近くの砂浜まで着いて行きました。
さっきまでの喧騒な町中とは打って変わり、この辺りには人影一つありません。
見渡す限りが砂と海で出来ていて、沖の方にポツポツと小島が頭を出している。
ふと、言い知れない不安が過ります。
何となく私がここで死んだらどうなるのだろうか。と、考えてしまったのです。
きっと誰の目にも映らない。
そのまま死体は処理されて、完全に存在が消えてしまうかも。
それとも逆に首を晒される?
元敵国の王女なんていい慰み物だろうから、ありえない話でもない。
そう、私は元とはいえこの国の敵でした。
恨みを持つ者も少なくないはず、今この瞬間にも私は………
いくら悲観的な想像したところで、それが無意味なことだとは分かっています。
でも考えられずにはいられないのだ。
私の素性が知れ渡った時、さっきの子供達は一体どんな反応をするのだろうかと。
「ここなら静かに話ができそうだ」
「こんな人気のないところに連れてきて、なにをするつもりですか?」
「今朝も話したけど、私にルナを害する意思はないよ」
「どうだか、、、さっきも公然で恥をかかされましたし、私を笑い者にして遊ばれているものと思ってました」
「確かにあれは少し面白かった。ルナは子供が苦手のようだ」
「そういうわけでは………付かぬ事をお聞きしますけど、アルルク陛下はあの子供たちと、どういったご関係なのでしょう。本来であれば、言葉を交わせる身分ではないはずですけど」
王族が下賤の民と関わりを持つなんて、マシロでは考えられない。
もしも身分の低い者と言葉を交わしたことが知れ渡れば、数年は貴族達の間で話の種にされてしまう。
とはいえ、ここはマシロではない。
先程までのやりとりで、私の常識がここでは全く当てはまらないというのは、薄々ですけど自覚できています。
ならなんでこんなくだらない質問をしたのか、それは私にもよく分からない。
「それはつまり、私に興味を持ってくれたと解釈してもいいのかな?」
「お好きに捉えて下さい」
「ふむ、では少し慣れない自分語りでもしてみよう。つまらなかったら聞き流してくれて構わない」
そうして短い沈黙が訪れた。
時間にして数秒でしたが、砂浜に押し寄せる波の音で退屈はしません。
しばらくしてアルルクは、重々しく口を開きます。
「私の家はとある軍閥に属してましてね。その影響で若い時から軍人をしていました。まあ、俗にいう親に引かれたレールというやつです。
それから色んな戦場を経験しました。来る日も来る日も切った張ったの殺し合い。そんな日々に私は嫌気が差しましてね。
そしてある時に気づいたんです。このまま軍人を続けても平和は訪れない。と」
リネヤはマシロとのいざこざの他に、度重なる内戦にも苦しんでいたと聞き及んでいる。
経験した戦場も一つや二つではないはず、
アルルクの平和へのこだわりは、本当のことなのだろうと頷ける。
だけど、そんなこと私にはどうでもいいことだ。
争いが続いていれば今頃私は、、、
「そうして私がここにいるわけですね」
「否定はしないよ。私のことを恨んでいるかい?」
ああ、その一言でようやく分かった。
何故こんなにもアルルクに憤りを感じるのか。
私は平和なんてどうだっていいんだ。
ただ、王宮での優雅な暮らしを続けていられればよかったのに、目の前の男が余計なことをするものだから、私の日常は二度と元には戻らなくなってしまった。
きっとこの先、マシロに帰国することは未来永劫叶わない。
いつかくる死の恐怖に怯えながら、ここで生きる他に道はなく。
私の人生は異国の地で果てることが決められた。
ならせめて、王女として高潔無比であろうと覚悟を決めていた。それなのに───
「もちろん恨んでますとも。あなたのせいで国を出ることになりましたから。でも、それだけなら受け入れることもできました。私は誇りある王女ですから………でも」
「ルナの誇りを傷つけたことは重々承知している。けれど私の考えは今も同じ、ルナは王女をやめるべきだ」
「幸せになれないから?」
「ええ、このままだとあなたは、」
「私の幸せは全てマシロにあった!」
「………」
私の一言にアルルクは何か言葉を続けようとして、諦めたように口を噤んだ。
最低な人間だという自覚はある。
だってアルルクは何も悪くない。真っ当な王として、責務を果たしているだけだ。
悪いとすれば、そんなアルルクに当たり散らすことしかできない、私の未熟な心なのだろう。
それから、
私はアルルクと言葉を交わすことを避け続けた。
なんど話を振られようとも、その度に無視を決め込んだ。
そのせいで帰りの馬車は地獄と化していたが、気合いと根性、なけなしの意地と見栄、全てをつぎ込んで乗り切ることに成功した。
そしてついに自室へとたどり着いた私は、昨日と同じでベットに頭から突っ伏してしまう。
ベットのシーツはシワひとつなく綺麗に整えられていたが、そんなもの一瞬で台無しにしてやった。
そのまま部屋の様子をぐるりと見渡す。
朝のごたごたで散らかった部屋は、何事もなかったかのように清掃がされていて、朝食を食べたテーブルには夕食の支度がされていた。
否応なしに今朝の出来事が頭をよぎる。
私はアルルクが侵入してきた隠し扉を睨むと、そこはしっかりと木材で詮がされていました。
行きしなアンナに密告しておいた甲斐があったようだ。
これで今晩は安心してぐっすり寝れそうです。
「お帰りなさいませ、ルナルス様。お食事の用意が出来ております」
「ただいまアンナ。でも食事の前に身体を清めさせて、潮風に当たったせいでベタつくの」
「ではそのように」
昨日入らなかったのと潮風のダブルパンチで、体の不快指数は上限を突破していました。
早く体を清めたい。
その一心で入ったリネヤのお風呂は意外にも快適で、つい時間を忘れて湯船に浸かってしまった。
それが仇になるとも知らずに───
「やあルナ。夜分に失礼するよ」
お風呂から上がると、部屋にはアルルクが我が物顔で椅子に腰掛けていた。
アンナがバツの悪そうな表情を浮かべている。
おそらく、アルルクを制止できなかった己を叱責しているのだろう。
一介の従者でしかないアンナに、曲がりなりにも国王であるアルルクを止めることなどできようはずがない。
だからそんなに自身を責める必要はないのだが、それを口にしたところで、アンナに余計重荷を背負わせるのが関の山だ。
それにしても一体何をしにきたのか。
いい加減、私を解放して欲しいのだけど、それを聞き入れてくれる相手でもないのは、今日一日ですでに思い知らされている。
もしかして夜伽の相手でもさせるつもりなのだろうか?
望まれるのであれば、“ソレ”に応じる覚悟は持ち合わせてはいた。
この政略結婚を上手く機能させるには、既成事実の一つや二つ必要になるのだろう。と、想像はしていからだ。
ともあれ、今日は朝から色々あって疲れている。
早く布団に入りたいので、藪蛇を突くのはやめておくことにした。
「ふむ、」
「アルルク陛下、どうされましたか?」
アルルクは物憂げな表情で机の上を見つめていた。
机の上には、お風呂の間にアンナが用意した夕食が並べられている。
好物の魚介のシチューとパン、それに少々のサラダが備え付け、
実に質素であったが、アンナにマシロ王宮の専属シェフと同レベルの料理を要求するのは酷な話だ。
むしろマシロの料理をここまで再現して見せた腕前を讃えるべきだろう。
「いえ、料理が冷めてしまうと思ってね」
「アンナが毒味の最中です。冷めることはやむを得ません」
「でしたら私が腕を奮いましたのに、」
「はぁ?アルルク陛下はほんと給仕の仕事が好きで、、、」
私が口にするものは、基本的に全て毒味がされている。
食べた毒が症状として現れるまでおよそ半刻、それまで私が料理に手をつけることはない。
冷めるのは当然だったし、きっとこれからも私は毒味で確認したものしか食べられないだろう。
そういえば、朝食で食べた料理は温かかった。
でもあれは特殊なケースだ。
殺せるものなら殺してみろ!
そんな自暴自棄に似た気持ちで食べてやったのに、結局、私が死ぬことはなかった。
普通に暖かくて美味しい料理を口にしただけ、
思い返せばあの時、アルルクは何と言っていたっけ………確か、
「あ、それで趣味と実益なんてことを」
「気がつかれましたか。そう、自身で食事を用意すれば毒など入れようがない。食材や食器に毒が盛られる可能性はありますが、そこは知識と一手間でカバーできますから」
「呆れた。一国の王たるものが、食事のためにそこまでするなんて………でも、理由は分かる気がします」
朝に食べた本当に料理は美味しかった。
温度で食味があれほど変わるなんて、久しく温かい料理を口にしていなかったせいで、余計にその変化が分かってしまう。
あれを毎日食べられるなら、たまには自身で給仕の真似事をするのも、悪くないかもしれない。
「理解してもらったみたいでよかった。では後学のために一つ、マシロ料理の味を確かめてもよろしいかな?」
「っ!?だ、ダメです!」
料理に手を伸ばしかけたアルルクを、血相を変えたアンナが払い除けた。
一瞬、料理に毒が入っていたのかとも考えたが、それなら真っ先に私に知らせているはずだ。
アルルクと雑談しているうちに、毒味の時間はとっくの昔に過ぎ去っていたので、料理を口にしても問題はないはずなのに、
なら何故?
私以外に料理を食べられたくなかったから、なんてちょっと自分を買い被ってみたけど、それでもいつものアンナらしくない。
普段のアンナならもっとこう、要領よくやってのけるはずなのに、
「私が死ぬと困るのかい?」
「さ、さぁ、なんのことでしょう。毒などこの料理に入っていませんけど」
「あくまでシラを切り通すつもりか」
「待ってちょうだい!アルルク陛下はまさか………アンナの料理に毒が入っていると疑っているの?」
「疑いではない。確信しているんだ」
「おかしいわ。だって毒味したアンナは死んでな、」
確かにアンナの様子はさっきから少しおかしい気もする。
瞳の焦点は定まっていないし、呼吸も荒々しい、
まるで嘘を見抜かれた子供のようだ。
でも、アルルクが確信しているとおり、この料理に毒が入っているのなら、毒味をしたアンナはなんで死なないのか。
やはりアルルクが間違っていて、アンナにも何か理由があるのだろう。
そうだ!きっとそうに違いない。
「ルナはある種の毒の効果を、他の毒で相殺できることをご存知かな?」
「いえ、初耳です」
「例えるなら体温を上げる毒と下げる毒、同時に接種すれば相互に作用さて体温に変化はなくなる。実際はもう少し複雑だけどね」
「その理屈が本当なら、2種類の毒を摂取すれば死ぬことはないと仰りたいのですね」
「ご明察。ここからは私の推察なんだが、ルナはこの料理を全て食べるつもりはなかっただろ?」
ドキッ、と心拍数が一段階早くなるのを感じる。
なんでそんなことが分かったのか。
確かに私は、この料理を完食するつもりはなかった。
大好きな魚介だけ食べて、大嫌いな野菜は残す。
それが当たり前だったし、アンナもそれを見越してサラダは小皿に盛られる程度しか、、、
そこで全てが繋がってしまう。
魚介のシチューとサラダでは、私は片方しか食べることがない。
でもアンナはもちろん両方とも毒味をしている。
アルルクの言うとおり、2種類の毒が盛られていた場合、私はそのどちらかしか口にしない。
そしてそれを知っているのは、
「………アンナ?」
「違いますルナルス様!これには訳が!?」
「話はまた聞かせてもらうよ。今は大人しくしてくれ」
鼻からこうなることが分かっていたのか、アルルクが合図を出すと部屋に兵士が入ってくる。
そして有無を言わさずアンナを拘束すると、そのままどこかに連れ去ってしまった。
私は、
アルルクという男の底知れなさに恐怖を感じてしまい、その様子をただ眺めることしかできなかった。
「アンナ………どうして」
「どうか気を落とさないで、彼女にも理由があるのだろうから」
「理由?私を殺す理由が、アンナにあるって言うんですか!幼少の頃から、ずっと面倒を見てきてくれた。本当の姉のような人なのに」
アルルクの一言に、私のせき止められていた感情が爆発した。
喚き散らすように罵詈雑言が溢れ出し、その全てを元凶であるアルルクにぶつける。
自分でも酷いことを言った気がする。
でもアルルクは何も言い返さずに、ただ黙ってそれを聞いてくれて、、、
私にも分かってる。
本気で平和を望んでいるアルルクと比べて、私の願いが実に矮小だということに、
「すまない。ルナの願いは叶えてあげることができない」
「どうして?元の生活に戻りたいって願いが、そんなにいけないことなの」
「ルナがマシロに帰ったら、間違いなく殺されるよ」
「!?」
頭がどうにかなりそうだった。
なんで、どうして私がマシロに殺されなければならないの?
またこの男が嘘をついて、、、
いや、そんなことはないだろう。
出会ってこのかた、アルルクが私の伴侶の器に見合うか見定めてきました。
芯の掴めない人柄ながらも、口にする言葉は常に本物、
見合うかどうかはさておき、少なくとも悪意のある嘘をつくような人ではない。
それが今の私のアルルクへの評価でした。
であれば、私が殺されるというのも真実と思った方がいい。
たとえそれが愛する母国によるものだとしても。
だが当然、疑問が浮かぶ。
なんで私は殺されなければならないのかと、
「なぜ………でしょうか」
「結論から述べると、侵略のための『大義名分』だ。
平和を願った王女が嫁いだ敵国で謀殺される。マシロ国内の厭戦ムードをぶち壊すには、打ってつけのプロパガンダになり得るだろう」
「あ………それで、」
「マシロにいたルナにも思い当たる節があるだろう。過去の怨みだけで続けるには、先の戦争はあまりに時間が立ち過ぎた。民を扇動し徴兵するには新たな理由がいるんだ。
私はそこにつけ込み、ルナをマシロから奪い取った。平和な世を作るために」
「だから私に幸せになれないと言われたのですね。マシロの王女である限り、いつか殺されてしまうから」
「………私の杞憂であればよかった」
これまでのアルルクの言動と行動に、ようやく合点がいった。
ずっと私のことを守ってくれていたのだ。
おそらくこの様子だと、さっきの料理以外にも私は暗殺されそうになったのだろう。
例えば今日の朝食、
あれもアルルクが来なければ、アンナが用意していたはずの代物だ。
「だから信じて欲しい。私が必ずルナのことを守ってみせる」
「平和のため?」
「それとルナの幸せのため」
「そこまで仰るのなら、元々は捨てた命です。アル様のお役に立つのなら喜んで捧げましょう………ですが」
「何か心配ごとが?」
「不安なのです。王女であることが己の全てだと自負していましたから」
「大丈夫だよ。ルナはこれからマシロの王女をやめて、リネヤの王妃になるのだから」
「ふ、ふふ………ようやく真意を理解することができました。でしたらどうか私を幸せにして下さいね。アル様」
こうして、
稀代の賢王であったアルルクの采配により、両国は絶妙なバランスを保ち続け、大きな戦争は二度と発生することはなかった。
その間、私は幸せな人生を十分すぎるほど堪能するのだが、それはまた別のお話。