現実逃避に現実を持ってきてはいけない
この農民は、俺のことを勇者だと思っているのか?なんて馬鹿な奴なんだろうか。こいつは勇者の皮を借りたクズ人間だ。ああもう、馬鹿なのは俺だって。ゲームの世界では俺のクズ人間っぷりが発揮できない。この農民を剣で斬ることができれば、血相を変えて、俺のことをクズ人間と認めてくれるだろう。基本的に俺はソロプレイでゲームを進めていく。会話するのは、ゲーム内のモブキャラと何かの屍だけだ。現実逃避のゲームの世界でも、嫌いな人間とコミュニケーションをするなんてごめんだ。遠い昔には、旧友達とオンラインで繋いでゲームをやっていたことがあった。戦争のような生き残りゲームだ。あの時の息苦しい思い出が蘇ってくる。実際、ゲーム自体は楽しかった。けれども、俺は下手だった。すぐに死んだ。ただ友達のプレイを見ているだけだ。次第に、彼のテク自慢のように感じられて、つまんなくなった。友達の冗談めかした煽りにも腹が立った。その内に自宅にいるのに、友達なのか分からない奴に、時間を拘束されるのが嫌になった。やはり最高のゲームはソロプレイに限る、と結論付けた。現実逃避に現実を持ってきてはいけないなんて、当たり前のことじゃないか。現実が見えないからこそ、人間はゲーム内で人間を殺しては喜ぶんだ。人間、誰しもサディスティックで残虐的なことを好む性質がある。俺が人間の性悪説を信じているからではない。そうじゃないと、遥か昔の縄文時代とか弥生時代とかに狩りなんてできないだろうから。性善説や性悪説を考えるよりも、そのことに対して善悪を付けることがまずおかしい。生き残りゲームに善悪なんか関係ないだろ。生きるのが善ならば、他人を殺すのは善だ。だが、己にメリットのある他人を殺すのは悪だ。何が言いたいのかというと、この世界の基準はみんな自分で、自己中心的だということ。現実世界に影響が出ないのならば、優越感や加虐心から殺し合いをするのは道理にかなう。ああ、気持ち悪ぃ。人間というだけで気持ち悪い。どうして生きているのかが分からない。




