「綺麗ですね」
しばらくして慣れてくると、恐怖は薄れて、風とともに走っている感覚になった。彼に身を任せて、流れてゆく景色をぼんやりと見ながら、バイクが奏でる音楽に耳を傾ける。
「テンテン、起きてるよね?寝てないよね?」
とずーっと静かに乗っていたら、リュウくんに心配された。
「はい、ここで寝るなんて、もったいなくてできませんよ。この贅沢な時間をめいっぱい楽しみたいですから」
「ああ良かった、楽しんでくれてるみたいで」
いつも現実を見ないように、布団にもぐりこんで寝ている奴の台詞とは、思えないような言葉が出たと、言ってから気づいて驚いた。この瞬間瞬間を、五感をフル活用して味わっていたい、それぐらい、自分の人生の歴史の中で、滅多にない、記憶を通り越して、直接脳に刻みたい出来事だ。何故か?何故だろう、とにかく気分が晴れやかなんだ。
あっという間に、海が見えるところまで走ってきた。波の音とバイクの音とのハーモニーが、ロマンの塊で映画のワンシーンに入り込んだ気分だ。けれど、こんなあからさまに胸を躍らせている大根役者では、エキストラにもなれないだろう。
「リュウくん、これまじで最っ高っすね!」
「あははっ、めっちゃテンション上がってるじゃん!」
と返したリュウくんもテンションが高くて、二十五歳になってもなお、青春を感じることができた。俺の人生なんか、もう死んだ、と思っていたので、ラスボスを倒したと思わせてからのラスボス最終形態が来たみたいな、裏切られた衝撃が凄まじかった。
「海、すごっ!」
ってコメントする俺、馬鹿っぽっ!けど、コメントを吟味する前に、口から出てしまったのだからどうしようもない。
「テンテーン、こっち向いて」
ズカズカと砂浜に入って、海にすぐさま近付こうとする俺を、後ろから呼ぶ声。振り返ると、リュウくんが置いてけぼりにされたみたいに少し遠くに立っていて、スマホを構えている。
カシャッ。
海を背景に写真を撮られた。被写体が俺でいいのか、という困惑はあるが、写真が撮れて嬉しそうにしている様子を見ると、これも記念だと思えた。
「夢を見てるみたいです」
とぼんやりと呟くと、リュウくんに頬をつねられた。
「痛い?」
といたずらっ子のような笑顔を見せながら。
「微妙に?」
「ふふっ、現実のが夢よりも何億倍も凄いよ。この感触も、ここの空気感も、身体の全部で感じれば、生きてるって思えるじゃん」
片手で砂を掴んで、サラサラと指から降らせるように落とす。その砂粒一つ一つが太陽の光に照らされて、ダイヤモンドの破片のように輝く。夢と記憶の違いは、その正確さと繊細さ。夢は感情にフォーカスが当たるが、記憶は感情だけじゃなく、体感したすべてがある。
「綺麗ですね」
この景色も、その考え方も、あの痛さから、全部全部、隅々まで記憶して、心の中に宝物として残しておきたい。
「そうだね」
と海を眺めるその横顔を、俺は見つめていた。何とも言えない感動で、胸がいっぱいになって、自分でも気づかないくらい、自然に涙がこぼれた。あの大きくて広い海に、醜い自分を飲み込まれたように、心が洗われて、人生をやり直したくらいの清々しさに包まれた。




