712:ファローモからの依頼、妖怪変化と樹界虫
「妙に静かですが、どうかされましたか?」
屏風の向こうから顔を出す、蜂の魔神。
静かだとっ? リオは何を、言ってるんだ?
ふぉん♪
『>>〝非線形防音壁〟により、100Hz〜5000Hzの周波数帯域において、最大40dBの騒音を低減しています』
あ、防音壁か――ごつん!
『ヒント>1メートル以内の距離での通常の会話を、ほぼ聞こえないレベルまで低減する性能に相当します。※ISO10140ー2およびISO16283ー16に基づく評価。【地球大百科事典】より』
叩いてみたが音がしねぇ……からつい、力を込めちまった。
「おっと、それがなっ!? 森の主さまがっ……ひそひそ……ご立腹らしいっ!」
うねうねと勢いよく蠢く――人の形。
縁取られた輪郭は、天を衝いていた。
ニゲルが見たら顔をしかめ、王女殿下が見たら――
「何という機能美ららぁん♪」と喜びそうな、攻撃的な形。
「わっとっ、そうは見えませんが?」
倒れそうになる屏風を、両手で押さえつつ――
防音壁の上から、こちらを覗き込む、猪蟹屋の紅一点。
「その眼鏡、壊れてるんじゃねーのか? 良く見……ろやぁ!?」
人の形に景色を、うねらせる――
それはそれは怒り心頭の、森の主魔神を振り返ったら。
そこには『@』入りの着流しを着た、珍妙な女が座っていて――
「では、もう一つ同じ物を」
と、空になった器を、ひょいと持ち上げた。
「「「「あれっ!? 元に戻ってる?」」――やがる?」――わよ?」
ふぉん♪
『イオノ>>ちょっとシガミー、どーなってんの!?』
ふぉん♪
『シガミー>>おれに聞いてどーする!? 現世は、お前らの管轄だろぉーがぁ!?』
「もー、何なのですか?」
屏風を退かしてしまう、蜂顔のメイド。
部屋の中を見れば、小柄な男たちが、隣の部屋の襖を外し――
手狭だった宴会場を、勝手に広げてた。
飯を食うための大部屋は、1階に作ってあるんだが――
「ぴゃっ、出遅れた!?」
ヴッ――ヴォヴォヴォォォゥンッ!
飛び出していく、飯神。
おれたち以外は、持ち込んだ飲み物を、かっ喰らったりしてて――
もう此処で飲み食いを、始めちまうつもりのようだぜ。
ふぉん♪
『ホシガミー>>クスクス、プー♪ 龍脈の底で初めてシガミーさんと、お会いしたときのことを覚えていますか?』
星神は客間中央で、飯の配膳を始めている。
何だぜ、どいつもこいつも藪から棒に!
初めて会った星神てのは――
花畑の中央に佇む、白髪の老人のようでもあり――
眉目麗しい若い女のようでもあり――
槍や刀や酒瓶のようでもあった姿のことだろ?
おれの頭の中で、目まぐるしく姿を変えていく、惑星ヒース神。
ふぉん♪
『>>はい、そうです。何にでも姿を変えられるというのは、何者でもないと言うことですわ』
何にでも変わり移ろいゆく、色これ即ち空だが。
ふぉん♪
『シガミー>>つまり、化けられる姿が多すぎて、姿を止められないと?』
「ならぁ、こいつぁ単に、化けるのが下手なだけ……じゃぁねぇのかぁ?」
口をついて出た、そんな言葉は――
「ねぇ、今誰かぁ、化け狸ってぇ言ったぁぁあぁあああぁぁっ――――!?」
雑然と混迷する場を更に、別の様相へと切り替えた。
鼻先を少し伸ばし、双眸をギラつかせた――
五穀豊穣の眷属にして、齢200を越える化け狐。
四つ足になった奥方さまから、蒼白い炎が吹き出し――
今まさに宴会を始めんとしていた全員が――
自分の冷たい菓子の器を持って――
廊下へ逃げ出した。
パキパキメキキキッ――――!
コントゥル辺境伯名代の変化に、驚いたのか。
森の主さまが頭から、鹿の大角を生やしていく。
「ぎゃっ、ま゛だ新だな゛樹界虫が――!?」
男の姿になった森の主が念話で、がなり立てた!
「うるっせぇぇぇぇぇっ!」
おれは平机に頭を打ちつけ、もんどり打った!
§
「ではまずは、このややこしい状況を――」
「はい、整理致しましょう。クスクスプーッ♪」
すっかり人払いが出来た、客間。
強者揃いの面々だったが、相手が辺境伯家の者となれば――
退却も止む無しだ。
残ったのは――おれと迅雷に、蜂の魔神と星神。
「ほんまに狸や、あらへんのやな? 嘘ついたら狐火、千本喰らわしますぇ――――コココォォォンッ!」
そして件の――コントゥル辺境伯名代。
「そ゛ぢらごそ゛、悪い゛樹界虫なら゛払わなければ――!」
悪い樹界虫だぁ!? 良いとか悪いとか有るのかよっ!?
未だ四つん這いの化け狐に、向き合うのは――男の姿の森の主。
「ああもう、レーニアー! シールド張ってちょうだい!」
普段は傍若無人で好戦的。悪漢紛いのご令嬢も、名代の娘として――
必死に場を納めようとしているが、この状況が5分も続いたら――
手に抱えた、血色の柄巻の脇差しを――喜々として抜くだろうよ。
「痛でだぁだだっだっ!?」
森の主の強力な念話を喰らってるのは、今のところおれ一人だ。
狐耳族のコントゥル母娘たちは、念話を扱う発掘魔法具である――
迅雷や五百乃大角御神体を、狙撃の道具と感じ取る。
念話を感じた瞬間、殺気とともに〝何でもぶった切れる、細い狐火〟を撃ち返してくるのだ。
そしておれの様に生身の体で使った念話には、やり返しては来ない。
ただ、これだけ強力な森の主の念話には、感じ入るくらいしそうなもんだが――
まるで平気らしいぜ。
「ぐぎぎぎっ、痛ぅっ!」
両耳の辺り、小枝が生えたおれの頭が、はち切れそうに脈打つ。
「「「シガミー、大丈夫ー?」」」
屏風の影に隠れた生意気な子供と、動じない子供と、大食らいの子供たち。
彼奴らは、逃げ遅れた訳じゃない。
事の次第……面白い見世物を見逃すまいと、わざと止まったのだ。
その証拠に、三人とも猪蟹屋制服である給仕服に着替えている。
着替えは腕時計を介せば、一瞬で済む。
「お、奥方さまよぉ、も、森の主さ、さまわぁ――ぐぎゃっひぃっ!? どっ、何方かっていやぁ、鹿だ鹿ぁ――――!」
虎型を着れば、この頭痛が収まるかもしれん。
おれは必死に腕を伸ばし――腕時計を外したままだったことを、思い出した。
「ごの中で、本物の゛樹界虫は――――この樹界虫だけの、ようですね」
おれの頭をわさわさと撫でる、珍妙な女。
ふぅ、漸く元の姿に戻ってくれたか。
「また、シガミーが――」
「「シガミーちゃんが――」」
突っ伏し息を整えるおれに、投げかけられるのは――
「「「木の実に……食べられてる」」」
無遠慮な――子供らの声。
「ふひぃぃ……か、勘弁してくれぇやぁー」
頭が重いのは、念話を喰らったからってだけじゃなくて――
例の果物が又、頭に生ったかららしかった。




