493:ネネルド村奇譚、蛸壺VS物理法則
「ぷっぎゅぷぎゅ――!」
カッチャッ、ぶぶぶぉぉんゅ――ごろぉおん♪
蓋を持ち上げた腕を振り、勢いを付けて横になる。
とっぷんたっぷん、こぽぽぽんと――水を中に入れていく。
ちなみに顧問技師の発案で、蓋の裏表に取っ手が付けられた。
そしてその取っ手は、なんとオリハルコン製。
「良いのかぁ工房長。随分と気前が良いじゃねぇーかぁ?」
オリハルコンはまともに買うと、結構するだろ。
折れた剣先とかを集めたとしても、延板に打ち直すのにそれこそ――
ノヴァドみたいな一流の職人の手が必要だ。つまり、そうそう安くならない。
ガムラン町の避雷針はオリハルコン製で、その使い古しはジンライ鋼として再利用出来る。
ジンライ鋼の主な使い道としては、小太刀や錫杖や迅雷式隠れ蓑(素材の一部)がある。
「10年くらいまえに盾の持ち手にするために作ったもんだが、とうとう誰も選んでくれなくてなぁ」
ガシガシと頭を掻く、屈強な腕。
「あの持ち手の材質全てがオリハルコン製では、盾を主兵装とする私でも躊躇しますよ」
屈強さでは負けていない、大柄の男性が顔をしかめた。
新婚さんは色々と物入りなのだ。
「魔物境界線で護衛の任につくアナタが買えないのでしたら、他に欲しがる人は居ないでしょうね」
白眼鏡が鼻から息を、ふぅーぃ。
そういやぁリオも、物入りって訳じゃないけど――
大博打に破れ、いまは蓄えがない身だ。
央都でかるく始めた商いで、学院へのなんやかんやは賄えつつあるが。
いろいろ売りに出してる素材が売れれば、まとまった金を渡してやれる。
いましばらく、辛抱してくれ。
「がははははっ、そういうことだ。おれは盾は使わねぇし、折角作ったもんをただ潰しちまうのも――なぁ!」
「気が引けるって訳か。そういうことなら、ありがたく貰っとくぜ♪」
そのうち、目新しい酒でも出来たら、届けてやろう。
ごっぽぽぽぽぽぽぽぽぽぉん――どっぷん♪
水桶に丼でも、沈めたみてぇな音。
どうにかこうにか、ぎりぎり水面下に沈んだようだが――
それ以上は、どうやっても沈まなくて――
「ぷぎゅるりゅり、ぷっぎゅぎゅりっ♪」
蛸之助は、そのまま湖面を徘徊する。
あれはあれで楽しそうだが、蛸壺本来の用途ではない。
「ケェーッタケタケタ、ココォン♪」
少女メイド・タターに団扇で扇がれる奥方さまが――
出し物を楽しんでくれている。
「全てノ空気ヲ排出し、冠水したにモかかわらず――そレ以上、沈まないようデす」
ヴヴッヴヴヴルッ――また、ルガ蜂の動きをする迅雷。
ふぉん♪
『イオノ>さすが異世界わね。蛸之助周辺の湖水比重が類推2・3って、物理法則に喧嘩売ってる?』
ふぉん♪
『シガミー>どうした、さっきまで吐いてた塩が何かまずいのか?』
ちがうか……蛸が吐こうが、塩に変わりはねぇ。
となると誰が何に、喧嘩を売ってやがるんだぜ?
ふぉん♪
『ホシガミー>ここだけのことか惑星ヒース全域でおこりうることか、まだわからないですけど。星の理に異変が生じています、くすくす♪』
すたすたすたすた、とん、とん、とととん!
スサササササササ、カチャン、カチャチャン♪
王族や顧問氏たちだけでなく、学者方や村人たちの分まで――
冷たいもののおかわりを、そつなく給仕する星神。
ふぉふぉん♪
『シガミー>おい、まるでわからんがそれでも、星神のお前さまが星の理を知ってねぇといけねぇてのはわかるからな?』
スッとおれにまで差し出されたのは、果物の汁。
色々と、取りそろえてやがるな。
まるで、おにぎりみたいなこの色は、初めて見たぞ?
ふぉん♪
『ホシガミー>塩分濃度に異常は見られませんので、蛸之助の吐いた塩による溶解質量改竄が深刻と思われます、くすくすす?』
わかるか。
悪ぃ物ならかわいそうだが、やはり退治すっか?
おれたちの命や女神の食事に、代わる物などない。
「ごくり――うめぇ!」
超うめぇ。果物汁はとんでもなく、うまかった。
ふぉん♪
『>学者班が近くに居なければ、対処法もあるのですが』
うーむ?
つまり、轟雷を着ていないおれが考える程度のことで、この場を凌げって言うんだな?
ふぉん♪
『イオノ>坊主、驚異の理解力』
根菜は、今はリオレイニアの頭の上。
メイド装束の髪留めを、しっかりとつかんで――
高みの見物中。
「ったくよぉ。盆ひとつに座ったおれが、軽々と浮くんだぜ? あれだけの大きさの壺じゃ、底まで沈めるのは一苦労なんじゃね?」
振りかえれば巨木をくり抜いたところが、丸く凹んでる。
仕込み錫杖で斬りつけ、大まかな形を切り出し。
絵で板で壺の形を、正確に削り出した。
壺の材料は、いくらでも切り出せる。
もう一個、厚みを減らした壺を作れば済むなら簡単だが。
「重石がわりノ格子で囲めバ、沈められマすが?」
収納魔法の中の、電界鉄(使い古しのオリハルコン)の在庫がチカチカする。
「けどそれじゃ、一時凌ぎだろう?」
「そウですね。でスがレイダ材ノ芯ハ木でスので、湖の一番深イ所なラ約4倍ノ高圧ヲ掛けられマす」
「その……心は?」
もうわからん。
腹いせに五百乃大角を睨みつけたら、諸手を挙げて――すてころろん♪
真後ろへ転げ落ちやがった。
「っきゃ――イオノファラーさまっ!?」
白眼鏡が慌てて、根菜さまを――――ポコーン、スカーン♪
受け止めようとするも、靴先で蹴り飛ばしてしまい。
「きゃぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁっ――!?」
床を跳ね転がるそれを、必死に追いかける。
「レイダ材内部ノ木が含ム空気ヲ押シ出せバ、浮力ヲ永久的ニ調整可能ト思われマす」
わーからーん。
一度作ってしまった物を、絵で板で調整するのにも限度があり――
かといってもう一個、別に作っても、また蛸塩を吐かれて――
元の木阿弥にならないとも限らないらしく――
中々どうして、うまくいきやがらねぇぜ。
§
「よしやるぞ。まずおれが、湖を切り裂くから――」
「ちょっとまって下さいシガミー。出だしからまずおかしいのですが?」
肩で息をする白眼鏡から、物言いが。
その手には根菜が一つ、無造作に握られていた。