71
ジョシュアは湯浴みをして念入りに体を洗い、メアリが用意してくれた服に着替えた。
(本当に俺は酷い恰好だった……アリシアは天使だから嫌な顔一つしなかったが、普通なら嫌われて当然だ。今後は気をつけよう)
心の中で反省しつつ、アリシアとの夕食の場に案内されていった。
小さな応接間には座り心地の良さそうなソファが一つ置いてあって、その前のコーヒーテーブルには手でつまめるような美味しそうな食事が並んでいる。
「久しぶりにお二人で会うのですから、この方がゆっくりできると思いまして……よろしかったでしょうか?」
少し不安そうに言うメアリの手をジョシュアは握りしめた。
「素晴らしいですっ! ありがとうございます!」
(ソファが一つしかないというのもイイ! アリシアと隣同士に座れるからな! うぉぉぉ、至近距離だ!)
内心ドキドキしながらソファに腰かけ、アリシアの到着を待った。
しばらくしてアリシアが登場すると、彼女の背景に大量の花びらがヒラヒラと舞い散っているような錯覚を覚える。
あまりに美し過ぎてジョシュアは言葉を失った。
アリシアはわざわざ服を着替えて化粧をしてきてくれたらしい。
綺麗に髪を結い、薄化粧だが目尻に軽く朱が入っている。その愛らしさに眩暈がした。
「あ、あの、お待たせしました」
「あ、え、いや、ぜんぜん!」
ポカンと口を開けてアリシアに見惚れていたジョシュアは慌てて立ち上がり、彼女を席に案内する。
「えっと、ソファが一つしかないから隣同士でいいかな? 嫌……?」
躊躇いがちに尋ねるとアリシアは真っ赤な顔をして小さく首を振った。
「大丈夫です。ジョシュア様の隣で嬉しいです……」
消え入りそうな声で言うアリシアを、再び思いっ切り抱きしめたい衝動に駆られるジョシュアだった。
食事はサンドイッチやキッシュなど、手軽に食べられるものだが、どれも丁寧に調理されていて美味しい。
ジョシュアはすっかり空腹を忘れていたが、旅の間はほとんど何も食べていなかったことを思い出すとお腹がぐぐぅーっと鳴った。
恥ずかしくてお腹を押さえるが、なかなかおさまらない。
「ジョシュア様。どうかお気になさらないで下さい。戦に勝ったと伺いました。おめでとうございます。大変な状況だったでしょう? 急いで帰ってきてくださって、とても嬉しいです。どうか遠慮なく召し上がって」
アリシアが蕾のほころぶような艶やかな笑顔を見せるので、ジョシュアは胸を押さえて「うっ」と呻いた。
二人で会えなかった時間を埋めるかのようにこれまでのことを話し合ったが、アリシアは何かを言いたそうに口を開いては閉じてを繰り返している。
「……ところで、サイクス領で……レイリ様と、何かありました?」
モジモジしながら尋ねるアリシアが可愛すぎて、思わずポーッと見惚れてしまう。
「は!? えっと、なんの話?」
「通話中にレイリ様がいらして……その、一緒に寝るとか……仰っていた気がします!」
そう尋ねるアリシアの頬がぷぅっと膨らんだ。
こんなに可愛い拗ね方があっていいのか!?とジョシュアは壁に頭を打ちつけたくなった。
なんとか理性を保ちつつアリシアの顔を見ながら冷静に説明する。
「いや、俺にはアリシアしかいないと強調しておいたし、ましてや一緒に寝るなんてあり得っこない。……確かにちょっと泣かしてしまったが、こればかりは仕方がないからな」
ジョシュアは淡々と話すが、アリシアはなんとも言えない複雑そうな面持ちだ。
「……っと、少しはやきもち焼いてくれた……のかな?」
内心で『調子に乗りすぎかな』と思いつつ尋ねるとアリシアは恥ずかしそうにコクリと頷いた。
「お恥ずかしいですが、私は独占欲が強いようです」
「いや、それを言ったら俺の方がっ……、えっと、気になることがある。コリンって誰だい?」
「ああ、彼は獣人の子で……」
アリシアがこれまでの経緯を説明すると、事情は分かったが安心できたわけではない。
「そうか、その子のおかげで戦でも解毒薬を作ることが出来たんだな。感謝しないといけないんだが……彼は君のことを慕っていると? ……俺のライバルになるかもしれない。油断できないな」
八歳の子供をライバル視するジョシュアの発言にアリシアは思わず噴き出した。
「全然なりませんよ! 私はジョシュア様一筋ですし、コリンも私を母親のように見てるのだと思いますよ。なんといってもまだ八歳なのですから」
「俺は八歳の時には既に君への恋愛感情で一杯だった。八歳の子供の恋愛感情を甘くみてはいけない」
「えっ!? そうなんですか? ちょっと嬉しいかも」
照れくさそうに笑うアリシアの頬がピンク色に紅潮した。
「今度俺にも会わせて欲しい。ちゃんと婚約者として挨拶をしなければな」
何故か気合が入るジョシュアであった。
「……コリンのご両親やお兄さまも操られて戦闘に参加していたのでしょうか?」
「分からん。でも、獣人で死者は出なかった。恐らくブレイク殿下や騎士団長が上手くやってくれると思う。大丈夫だ」
ジョシュアの優しい微笑みに見惚れて、アリシアの胸は喜びで一杯になった。
「私、本当にジョシュア様のことが好きです」
「俺もだ」
そう言ってジョシュアはアリシアの手をギュッと握る。
「アリシア、君に告白しなければいけないことがあるんだ」
「なんですか?」
「以前ブレイク殿下が先祖返りの話をしていたろう?」
「はい。覚えております」
「俺も先祖返りなんだが、俺の場合は先祖に獣人の血が混じっているんだ」
「……そうですか」
実はコリンの紅い瞳を見た時からそうかもしれないと予想はしていた。だからと言ってジョシュアへの気持ちが変わることはない。
「驚かないのか?」
「少し……でも、私の気持ちは同じです。ジョシュア様は私にとって世界一素敵な方です。お慕い申し上げています。何も変わりません」
ジョシュアは愛おしくて堪らないというようにアリシアの頬に手を当てて、そっと指で撫でた。
「抱きしめていいか?」
「はい」
アリシアは逞しいジョシュアの腕の中に包まれた。彼の胸に顔を寄せながら、こんなに心地いい居場所はあるだろうか、と考える。
「獣人の血を引いているというだけで差別する貴族がいる。ましてやその先祖返りなんてな……誹謗中傷されることが多かった。忌み子とか、呪いの子とか。アリシアがそんなことを気にする女性ではないのは分かっていたんだが……少し怖かったんだ」
「大丈夫ですっ! 私は全然気にしませんっ!」
声を張りあげて見上げると、蜂蜜のように甘い眼差しで見返される。アリシアは恥ずかしくなってつい目を逸らしてしまった。
ジョシュアはアリシアの顎に指を掛けて彼女の顔を上向きにすると、鼻がぶつからないように頭を傾けて唇をそっと重ねた。
思いがけなく柔らかい唇の感触に、アリシアの心臓が飛び出しそうなくらいドキドキと跳ねる。
「愛してる」
ジョシュアは、ほんの数秒で唇を離すと熱い眼差しでアリシアを見つめ、耳元で囁いた。
「君は……俺がどんな獣人だったとしても愛してくれるだろうか?」
「はい。必ず」
アリシアも熱っぽく彼を見上げた。しかし……
「俺は……ゴリラの獣人だったんだ」
そう告白されて、思わず噴いてしまったアリシアは悪くない……だろう。




