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「以前、井戸から異世界人がこの世界に来ていた話はしただろう?」
「ええ、そしてまた満月の夜に帰っていったと……」
「そうだ。やってきた異世界人は一人ではない。王家の古い記録に残っているのは三人だ。その中に元の世界に戻らず、この世界に残ることを選択した女性がいた」
意外な話にアリシアとジョシュアは目を丸くした。
ブレイクは話を続ける。
「彼女はこの世界に残り『聖女』と呼ばれるようになった。異世界人がこの世界に来ると不思議な能力に目覚めるようだ。だから、彼らは異世界の知識だけでなく、その能力でもこの世界で重宝されるようになった」
「能力……? どんな能力ですか?」
「その聖女の場合は未来視、予知、という能力だった。膨大な魔力を備える者もいた。アイの場合は、精神だけがこの世界に来たので、そういった能力は発現しなかったようだ。興味深いね」
「未来を見通せる能力ということか? 古文書を読んだことがある。大昔に聖女が災害などを予知して、多くの人を救ったと記されていた」
「その通りだよ。ジョシュア。その聖女が異世界からやって来た聖女だ。彼女は教会に保護され、この世界で生きていくことを選んだ。どうしてかは分からないけどね。もう千年も昔の話だ」
「その聖女の方と先祖返りが何か関係があるのですか……?」
「ああ、そうだ。異世界から来た聖女は当時の国王、つまり僕の祖先と恋に落ちたんだ」
「「え!?」」
それにはジョシュアとアリシアも驚いた。
そんな話は聞いたことがない。
「僕の祖先の国王には正妃がいたんだが、関係が上手くいっていなかったようだ。子供もいなかった。国王は聖女と恋に落ちて、彼女を側妃として迎えた。そしてすぐに男児を授かった」
「まぁ……でも、そうしたら正妃の立場が……」
アリシアが不安そうな表情を浮かべて頬に手を当てる。
「そうなんだ。嫉妬に狂った正妃は側妃であった聖女を殺害した。しかも、自らの手で。その現場を見つけた国王は聖女を助けようとして揉み合いになり、国王は誤って正妃を殺してしまった。聖女も助からなかった。正妃と側妃が同時に亡くなってしまったんだ」
「なんてこと……」
アリシアの声が震える。
「これは王家にとって大きな醜聞になる。しかも、その当時は周辺国との戦争が多く、内憂外患の状態で国王は聖女の未来視にも助けられなが ら、国を運営している最中だった。結局、正妃と側妃は事故死と病死という、当たり障りのない死因が発表されることになった」
「昔は戦争が多かったな。この国が平和になったのはこの数十年の間だ。今は友好国のスコット王国だって、親の代では戦争をしていた」
ジョシュアの言葉にブレイクも頷いた。
「ああ、その後、異世界から人間が来た場合は、永住を受け入れず即座に帰すという方針ができた。まぁ、心配しなくても、その後何百年も異世界から来る人間はいなかったから、井戸のことは次第に忘れ去られていった。少なくとも、王家が把握している範囲ではいなかった。井戸はスウィフト伯爵家の屋敷にある訳だから、もしかしたら君の父上は何か知っていたかもしれないが……」
「私は……古い井戸の物語はお母さまから聞かされていましたけど、それ以外は何も知りませんでした」
アリシアは肩を震わせる。
「結局、聖女が産んだ男の子が一人残された。国王はそれ以降正妃も側妃も娶ることなく、聖女の死を悼み続け、息子にすべての愛情を注いだという。その息子が成長して、次の国王となった。だから、僕らの血の中には異世界から来た聖女の血が混じっているんだ。ほんの僅かだろうけどね」
「なるほど……」
ジョシュアは感慨深そうに頷いた。
「ほんの僅かだから、聖女の面影なんてほとんど残っていない。僕の家族はみんな、金髪、茶色の髪、青い瞳、緑の瞳……この世界では珍しい色ではない。僕だけなんだ。黒い髪に黒い瞳。それは聖女の特徴、というより異世界人の特徴だったんだ。異世界から来るものは黒い髪に黒い瞳だと。稀に、そういった先祖の血が子孫の中にいたずらに甦ることがある。僕のように。それを先祖返りと呼ぶんだ。しかし、この世界では禁忌だ、という迷信があってね……。困ったものだ」
「そうだったんですね。本当に迷信ですね。それは遺伝子といって、異世界では科学的に解明されています。そういった過去の先祖の特徴が思いがけなく子孫の世代で発現することはあるそうですよ」
「科学的!? なるほど。面白いね。アリシアは沢山の知識を異世界で吸収してきたんだな」
褒められるとアリシアは恥ずかしくなる。生物の教科書で学んだだけの浅い知識だ。
「そうか……迷信なのか」
ジョシュアが安堵したように息を吐くが、アリシアは敢えて彼には何も聞かないことに決めた。
「君に話を振ってもらえて良かったよ。どうやって切り出そうか悩んでいたんだ。今日わざわざ王宮まで来てもらった理由はそれにも少し関係があることなんだ」
ブレイクの言葉にアリシアとジョシュアは戸惑って顔を見合わせた。




