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*ジョシュアとアリシアが言い争った直後のジョシュアの話です。
「ジョシュア兄さま! 大丈夫?!」
ジョシュアが現れるとレイリが慌てて駆け寄った。彼の顔は真っ蒼というより真っ白だ。目も虚ろで真っ直ぐに歩けないくらいよろめいている。
「あの……さっきはごめんなさい。言い過ぎました。後でアリシア様にも謝罪します」
先ほどの勢いが消えて、レイリは大人しく頭を下げた。
***
「貴女のしでかしたことはサイクス侯爵家の名誉を汚したわ。伯爵令嬢、しかもジョシュアの婚約者に対してどんなに礼を失していたかを反省しなさい! ……それにジョシュアは子供の頃からずっとアリシアのことが好きなのよ」
レイリはサイクス侯爵夫人からコンコンとお説教された。
彼女はまだ十三歳の子供だが、幼い頃からジョシュアのことを慕っている。
兄のように慕っているのだと周囲は思っていたが、彼女の様子だとそれだけではないと夫人は気がついた。
残念だが、ジョシュアには婚約者がいるし、レイリのことは可愛い妹としか思っていないことは明らかだ。
今後のためにもキチンと線引きをしなくてはいけないと、夫人は敢えて厳しくお説教することにした。
レイリは静かに涙を流しながらも夫人の言葉を真摯に受けとめた。
密かに恋心を抱いていた従兄が婚約者と不仲だという噂は彼女にとっては朗報だった。
今は子ども扱いされているけど大人になったら、彼を婚約者から解放してあげられるかもしれない。
勝手な妄想を作り上げて脳内お花畑になっていた彼女にとって、ジョシュアとアリシアが仲睦まじくなったという噂は耐え難いものだった。
しかも、その婚約者が侯爵邸で居候していると聞いて様子を見にきたら、その女は見知らぬ男と楽しそうに談笑している。
つい頭に血が上り怒鳴りつけてしまったが、確かに理不尽な言いがかりだったと思う。
いつも無愛想だが怒った顔を見せたことがなかったジョシュアの刺々しい言葉も胸に刺さった。
ジョシュアと伯母である侯爵夫人に一方的な妄想を打ち砕かれて、レイリは恥ずかしさで地面に穴を掘って埋まりたくなった。
***
レイリは深く反省してジョシュアに謝罪したが、彼の様子は尋常ではない。
真っ白な顔で涙をポロポロと溢しながら嗚咽している。
「……もうダメだ。アリシアに嫌われた……。もう死にたい。俺は、俺は、俺はどうしたらいいんだ……」
独りで呻くジョシュアには自分の姿も目に入っていないようだ。
(ずっと好きだった人のこんな姿を見たくない!)
叱られたばかりだったが、レイリはジョシュアに対するこれまでの想いを吐き出した。
「ジョシュア兄さま。好きです。そんなに傷ついている兄さまを見たくありません。私だったら兄さまを大切にします。泣かせたりなんかしません! 生涯兄さまだけを愛し続けます! だから、私と結婚してください! 私はずっとずっと兄さまのことが好きだったんです!!!」
大声で叫ぶレイリの言葉もジョシュアの耳には届かない。
「…………ああ、レイリ。大きくなったな。子供はあっという間に成長する。アリシアも十歳を過ぎるころには天使のような愛らしさから清廉な艶やかさを纏うようになって……俺は、彼女に見惚れる男たちの目を潰してやりたいと思った。アリシアに捨てられたら、もうここには居られない。彼女が他の男の隣で笑っているのなんて耐えられない。俺はどこか遠いところで、彼女の幸せを願うことにするよ」
渾身の愛の告白がまったく通じないことに衝撃を受けたレイリが絶句していると、サイクス侯爵夫人が深く大きな溜息をついた。
「はぁーーーーーー! あんたねぇ。ここしばらくのアリシアに対する態度は酷かったわ。顔も見ない、近づきもしない、話しかけもしない。それでなくてもゴツイあんたが険しい顔でウロウロしていたら誰だって怖がるでしょう! 愛想も尽かすわよ! ちょっと前まであんなに仲が良かったのに、一体何があったの!?」
呆れた口調の母親にジョシュアは言い返すことができない。
「アリシアが眩し過ぎて……緊張してどう接したらいいのか分からないんだ。あんなに尊い存在が許されていいのか? 光臨した女神に、俺みたいな卑小な存在が直接顔を見るのなんて許されない。彼女が好き過ぎて何をしたら嫌われないのかが分からない。変なことを言って嫌われるよりは何も言わない方がいいだろうと思ったんだ。」
「……ジョシュア兄さま。それは……重症ですわね」
さすがのレイリもドン引いている。
「あんたがそんな風にヘタレてる間にブレイク殿下にアリシアを奪われても仕方ないわよ」
母親の言葉にジョシュアは床に泣き伏した。
「まったくもう……副団長にまでなった癖にまるで子供ね」
嘆く夫人を無視してジョシュアは叫んだ。
「アリシアがっ! アリシアが愛おしすぎるっ! あんな透き通った……清らかな泉のような瞳で見つめられたら言葉が出なくなるっ!!! 彼女の前に出たら、どうしていいのか分からないっ! そして、ブレイク殿下と並んでいるとまさにお似合いの二人なんだっ! 羨ましいっ! 妬ましいっ! 俺の心は醜いんだ。こんな俺ではとてもアリシアの横には並べない……」
苦悩する息子を冷たい目で一瞥すると夫人は再び大きな溜息をつく。
「まっ、仕方ないわ。勝手に悲劇のヒロインにでもなってなさい!」
そう言い捨てると彼女はレイリを連れて部屋から出ていった。




