第七話 あの時の
あの日、あの夜。
大賢者と呼ばれているからには、十万人の人間の気配に気づかずに呑気に眠っていることなど、あり得なかった。
それほどまでに大賢者としての魔力は莫大で、圧倒的だった。
なのに。
気づかなかったのだ。
そのおかしさには、すぐ気づいた。
そして、その原因がなんであるかにも、すぐ気づいた。
国全体に、魔力探知妨害の結界が張ってあったのだ。
普通、魔力探知妨害の結界などというものは、自分1人にだけ張るものなのだが、それが莫大な広さの王都全土に張ってあった。
そんな大魔法、普通の人間に出来るわけがない。
魔力の量も、魔法の技術も、人間達は大賢者たる自分には遠く及ばないのだから。
そんな傲慢が頭に浮かんでから、気づいた。
ーーーー違う。これの大魔法を使った人間は、普通の人間じゃない。
1人いるじゃないか、人間なのに人間とは思えないほどの魔力を持ち、なおかつ自分が独占している魔法の技術も手にすることのできる人間が。
その考えに至ると、たちまち燃え盛るような感情が湧き起こった。
だがそれは怒りじゃない。
好奇と興奮と興味と悲哀と焦燥と、少しの後悔。
人間に牙を向けられた事なんてどうでもよかった。
何よりも1番は、自分の弟子で、自分の子の代わりで、自分の最愛の妻が自分を超えたような気がして、嬉しかったのだ。
☆☆☆☆☆
「………きて………」
ルーシィは体を揺すられる。
「………きて……さい」
さらに強く揺すられる。
「………きて下さい……」
どんどん強さが増していく。
「起きてください!!」
「にゃがぁぁっ!?」
ルーシィは飛び起きた。
「あ、やっと起きた………ここ、暗いし怖いし、でも立ち止まるわけには行かないから、ローザン先生がルーシィちゃんを背負ってここまで来たんですよ」
「あぁ……それはすまん」
ルーシィは頭を押さえながら、頭を振った。
辺りを見ると、暗闇の中にぽつぽつと光が浮いて見えた。
「ワシは、どれくらい寝ていた?」
「数刻程。ですが、ローザン先生も私も疲れていたので、そんなに進んではいませんよ」
「そのローザンはどこへ行ったんじゃ?」
「この辺りを探索して来るって言ってました。私よりも歳いってるはずなんですけど、元気なんですよねーあの人」
サマディはそう言って、ルーシィの横に腰掛ける。
「ルーシィちゃんはうなされてたみたいですけど、どんな夢見てたんですか?」
「あー………よく覚えてないんじゃが………」
ルーシィは少し考える素振りをしながら、ぽつりぽつりと話を始める。
「多分、昔の夢じゃ。それも、ワシが大賢者と呼ばれてあった頃の、数千年前の夢じゃ」
「えっと、それって……」
「そう、ワシが殺される時の夢じゃな」
「あ………ごめんなさい」
「謝るような事じゃない………じゃが、どんな夢じゃったかは思い出せないんじゃよ」
「………自分から聞いといてなんですけど、あんまり思い出さない方がいいんじゃないんですか?うなされてたし」
「いや………じゃが、明確に思い出したことがあるんじゃ」
「思い出した事?」
「それは………」
と、足音が聞こえる。
2人で少し身構えると、暗がりからローザンがやってきた。
「あ………ローザン先生」
「おお、ちょうど戻ってきたか」
「起きていらしてたんですね」
「あぁ、少し前にな………」
「何か見つかりました?」
「いや、特に見つからなかったんだよ」
「てか、大事な話の途中だったんですよ!?タイミングの悪い先生ですね?」
「いいや、丁度お主にも話しておこうと思っておった事なんじゃ。歩きながら話そう」
「あ、もう大丈夫なんですね」
「そうそう長々と休憩してはおれんからな」
ルーシィとサマディは立ち上がった。
そしてルーシィは、手のひらの上に小さな炎を出して、3人を明るく照らした。
「さて、どこまで話したじゃろうか………」
「えっと、昔の夢を見て、そこから何かを思い出したみたいな話でしたよね」
「ああ、そうじゃった。長い眠りから覚めた時から何やら記憶が混濁しておってな。それがなんとなく整理されたんじゃ」
「それって、昔のお話が聞けると言うことでよろしいですか?」
すかさず、ローザンが聞く。
ここまでの混乱のせいで忘れそうになってしまうが、ローザンは考古学の学者であるのだ。
「そんな大層なものではない。ほんの些細な、ワシの昔話じゃよ」
ルーシィはそう言うが、ローザンは少しでも昔の事を知れるのではないかと固唾を飲んで話を聞くのを待った。
「………ワシが封印されたあの日の事は、まだ詳しくは思い出せないんじゃが、唯一、ワシの魔法を悉く知られておった事だけは覚えておるんじゃ」
「ルーシィちゃんの思考に先回りされたって事ですか?」
「まぁ、そうじゃな………それでも、そんなものへでもないくらいの力の差はあったんじゃがな」
ふっ……と、少しカッコつける様に笑った。
「じゃが、結局の所、それがワシが人類に敗北した1番の要因じゃったというわけじゃ」
再び、ルーシィは無表情になる。
そして、少しだけ膨らんでいる胸元を、火を出してない方の手で抑えた。
「ワシが途方もない数の兵士を葬り、まだ終わらぬのかと集中を切らした時。まるでその瞬間を待っていたかの様に、ワシは後ろから、銀の剣で胸元を突き刺された」
ルーシィは、胸を押さえた手を、グッと握る。
「あのワシが、気づけなかった。その悔しさが先に来て、後から来たのは、違和感じゃった。そしてその正体は、すぐに分かったんじゃよ」
「………銀の剣ですね」
ローザンが聞くと、ルーシィは振り向かずに頷いた。
「当時、銀の剣を式典以外で携帯する兵士など、おらんかった。戦いの場で、しかもワシという強大な敵を前に、そんな式典用の剣を持って来るはずがないんじゃよ」
そう言ったルーシィの表情は、明るく照らされていたのによく見えなかった。
が、サマディはその発言を聞いて、ある考えに至った。
「ってことは、ルーシィちゃんに銀の剣を突き刺したあの英雄が、実は元々ルーシィちゃんの知り合いで、その瞬間に裏切ったって事ですか!?」
「………惜しいが、違うな。奴は確かにワシが銀の剣で倒せる事を知っておったが、黒幕は奴ではない」
「それじゃあ、一体………」
サマディが聞く。
すると、前を歩いていたルーシィが、足を止めた。
そして、振り向かずに俯く。
サマディからは、その表情は窺えない。
「ワシの妻じゃった女じゃよ」
ルーシィの手のひらの上の炎が、少し激しくなる。
どうやら、感情が昂っているようだった。
「お、奥さんですか?それって、あの宿屋でルーシィちゃんが言ってた………」
「………そうじゃ。思い出したんじゃよ………あの時感じたあやつの空気を」
ふぅ、とルーシィは深く息を吐いた。
手のひらの上の炎が元に戻る。
と同時に、また歩き出した。
そして3人は、そこから何も発言することはなく、ただひたすらに地面を踏みしめる音だけが響いていた。