第六話 焦土と化す
辺りに暗闇が立ち込め、街の中に光る街灯と、空に輝く月の光が、あまねく街を照らしている。
サマディが横たわっているベッドがある宿屋の窓からも、その月明かりが差し込んでいた。
淡いスポットライトのように月明かりはサマディの顔を照らす。
と、それによってか、サマディは目を覚ました。
「………あれ?ここ……どこ?」
まだ重い瞼を擦って、ベッドから降りる。
そして立ち上がって周りを見ると、木造の綺麗に整頓された部屋で、自分のいる場所がどこか街の一室であることが想像できた。
欠伸をしながら少し歩くと、窓の外にバルコニーがある。
そしてそこに、人影が1つ。
サマディはそれに近づいていき、窓を開けると。
「……おお、起きたか」
「…………あれ?ルーシィちゃん?」
バルコニーの椅子に座って空の月を見上げていたのはルーシィだった。
片膝を抱えて、黄昏ている。
「体に不調はないか?」
「おかげさまで、元気バッチリです」
「それは良かった。この体は驚くほど燃費が悪いからの。少しばかり血を吸い過ぎてしまった」
「……あれ?燃費が悪いって、普通魔力が尽きちゃうんじゃないんですか?なんで血が足りなくなるんですか?」
「原理を説明すると難しいのじゃが、簡単に言えば、ワシは魔力は潤沢にあるが、それを操るための身体の方が弱すぎる。じゃから、すぐに腹が減ってしまうんじゃよ」
「そういうものなんですね」
サマディはそう言って、ルーシィの座る椅子と向かい合わせに設置してある椅子に腰掛けた。
「………ルーシィちゃんは、寝ないんですか?」
サマディが聞くと、ルーシィは目だけサマディの方を向いた。
「まぁ、そうじゃな………色々考えておってな」
「色々、ですか?」
「ああ。このモサカの街の住民に親切にしてもらった事とか、お主抜きでの宴の事とかのぅ」
「う、宴!?そんなのしたんですか!?わ、私、眠ってて………あー、もう!なんで起こしてくれなかったんですか!?」
「ふふ、良い顔をして眠っておったからな」
空を見上げるルーシィの顔は、心なしか楽しそうに見えた。
「もぅ………こんな事なら、血なんて吸わせてあげるんじゃなかったです」
「なんじゃ、いいのか?そんな事を言って。あの時お主の血を吸っておらんかったら、今頃ワシらはみなドラゴンの腹の中じゃったろうに」
「う………確かに、それはそうですね」
サマディは唇を尖らせる。
「アリガトウゴザイマシタ」
「ま、今日はその言葉くらいで許しておいてやろう」
ふふ、とルーシィの口元がゆるんだ。
そしてその口から、また新たに少しだけ言葉が紡がれる。
「………後は、昔の事を、少々考えておったな」
「昔の事?………それって、伝承の時代の頃の話ですか?」
「そうなるのかのぅ」
ルーシィはそう言うと、先ほどとは全く違う、悲しそうな顔でサマディと向き合う。
「ワシがまだ大賢者と言われておった頃じゃ。ワシにも家族というものがあってな」
「あれ、意外ですね?もっと孤高のそんざいなのかと」
「いやいや。ワシにも妻が1人だけおったんじゃ。それも、人間の」
「人間!?きゅ、吸血鬼って、人間とは比べものにならないくらい寿命が長いんじゃないんですか?」
「そうじゃ。じゃが、ワシも相当老けてあったし、とある方法でその妻も生きながらえておったんじゃよ」
「とある方法って、魔法とかって事ですか?」
「そんなところじゃ」
ルーシィはそう言うと、悲しそうな顔のままもう一度空を見上げて月を見つめるのだったーーーーー
「ーーーーなんか、焦げ臭くないですか?」
と、不意にサマディが言う。
言われて、ルーシィも匂いを嗅ぐと、何やら木が燃えるような匂いが鼻の中に入ってきた。
「なんじゃ?こんな時間に、焚き火か?」
ルーシィは言いながら外を見るが、焚き火をしている人など見当たらない。
「焚き火をしてる人なんて、いないですけど………」
サマディも、外の景色を見る。
確かに、火を使っている者など、いなかった。
ーーーーー否。その刹那、サマディは気づく。
この匂いは、焚き火だとか、ボヤだとか、そんなのじゃない。
もっと凶悪で獰猛な炎。
「は、はは………な、なんですか、あれ………」
サマディの口から、乾いた笑いが溢れる。
ルーシィも、サマディの指さした方向を見る。
「………あれは」
森が、燃えている。
あまりにも、あり得ないような光景。
幾千年前、大魔法時代が終わってから各地で小さな紛争はあれど、国と国同士などの戦争は無く、大規模な軍隊の投資はなかった。
だが。
この光景はまるで、戦争だ。
「一、十、百………兵隊が一万はいるぞ………?」
「い、一万!?そんな、まさか………」
あまりの数に、サマディは尻餅をつく。
おかしい。そんな数の軍隊が出動するなど、大魔法時代が終わってから数千年でおそらく初めてだ。
「も、目的って……」
「おそらく、ワシじゃろうな」
「…………勝機はあるんですか?」
「…………………この体では、難しいじゃろうな」
「はは……」
(今回ばかりは、もう終わりだ)
サマディは、そう思った。
ルーシィが復活してから、2回危機を乗り越えたが、今回ばかりは乗り越えられそうにない。
記述では、大賢者は十万の兵を相手に互角以上に戦ったとあるが、こうも力が失われてしまったのかと、戦慄した。
「ど、どこか逃げ道は………」
「おそらく、ないじゃろう。森を燃やされ火で囲まれた上に、一万の兵隊がこの街を包囲しておる」
「あぁ………もう、終わりだ………!」
サマディは、その場で頭を抱えてうずくまる。
落ち着いた状況に陥ると、自分が置かれている状況がどれだけ絶望的かが身にしみる。
2人の空間には、燃える木の匂いと、サマディの嗚咽だけが満ちていたーーーーー
「ルーシィ様!サマディ君!!」
「………ローザン?」
ルーシィが振り向くと、部屋の扉を開けたローザンが見えた。
そして、ローザンの横には、もう1人。
「こちらへ!早く!抜け道があるんです!」
数刻前、世話になった男だった。
その上、迷う時間など無かった。
「サマディ!立て!行くぞ!」
「………ふぇ?………どこへ?」
「聞いておらんかったのか!?逃げるぞ!」
「………どうやって………」
「あーもう!良いから来い!」
ルーシィは、サマディを片手で持ち上げ、担ぎ上げた。
そして、全速力で走る。
「どこじゃ、どこへ行けば良い!?」
「こちらへ、さあ!」
男とローザンは、一目散に宿屋の裏口の方へ走り出した。
ルーシィも、サマディを担ぎながらそれに続く。
☆☆☆☆☆
裏口を出ると、眼前に広がるのは焼けた森だった。
しかし、躊躇する時間などない。
「………この中を進みます!」
「待て!なら、防火の魔術をお主らにかけてやる」
ルーシィがぶつぶつと何かを念じると、皆の体から、炎の熱がふっと消えていった。
「すごい………いきましょう!」
男は一瞬魔法に感心したかと思うと、またすぐに炎の森へ立ち入って行った。
ローザンも、サマディを担ぐルーシィも、それに続いた。
つい先刻前までは緑豊かだった森も、いまでは炎の海である。
葉が生えていた場所は悉く燃え、焼けた木の幹はぱちぱちと音を立てて焦げていく。
地獄とはこんな場所なのかと、ただ慄くのみだった。
そして、走り走り、進んで行くと。
「………お主らは………」
王都の兵士らしき者どもが、数人立ちはだかった。
鎧の様式や、武器の形態などはルーシィの生きてきた時代とは全く別物だが、胸元に光る王都の紋章は、数千年前から全く変わらないものだった。
そしてその兵士達は、ルーシィ達を見るや、
「いたぞー!こっちだー!」
と、叫ぶのだった。
「くっ……まずいな………」
ルーシィは1人呟く。
ここにいるルーシィ以外の誰にも、戦闘を当てにすることなどできない事は自明の理だった。
「……サマディ、とりあえず降りてくれ」
「え……?はい、もう、大丈夫です」
ルーシィは、背負っていたサマディを下ろす。
「ワシの力が持つ限り、この兵士どもを叩きのめしてやる……!」
ルーシィはそう呟くと、両手を胸の前に突き出し、凄まじい眼光で何かを唱える。
と、ルーシィの両手の前に、風の渦が出来上がった。
「吹き荒べ!」
ルーシィが、それを正面へぶん投げる。
すると、あろう事か、ルーシィを中心として辺りに竜巻とも言える程の暴風が巻き起こり、炎が烈火となって兵士を襲う。
「うわぁぁぁあッ!!?」
炎の嵐によって、兵士は焼け焦げ、見るに耐えない焼死体となった。
「さあ、いくぞ!」
そう言ったルーシィは、明らかに疲れていた。
サマディ達も、焼死体を見ないようにしながら、走り出したルーシィについて走る。
また、走り、炎をかき分け、走り、焼けて倒れた木をおしのけ、走り、時に兵士から隠れながら、走り走り、走りーーーー
ついに、少しだけ開けた場所に出た。
そして、地面には魔法の紋様らしき物が書かれたハッチの様なものがあった。
「ここです、着きました!」
「これは………一度開いて閉じたら二度と目に見えなくなる術式が書いてあるぞ」
「一回きりの非常口ってことですね………」
「さあ、早く入ってください!」
男に催促され、サマディはハッチの蓋を開けた。
「中は少し深めになってますが、飛び込めば池があるので多分大丈夫です。さあ!」
「い、生きて帰れますよね………?」
不安そうにサマディは言う。
「サマディ君。もし入らなければ、生きて帰れる可能性は0%だろう。怖くても飛び込めば、生きて帰れる可能性はある!」
「先生………分かりました!先に下で待ってます!」
サマディは、決意したような表情をする。
そして、暗がりで見えなくなっている内部に、勢いよく飛び込む!
「ルーシィ様。私もお先に行かせていただきます!」
「………分かった」
ルーシィは、粛々と返事をする。
と、ローザンは暗がりに飛び込んだ。
そして、男とルーシィが、2人取り残される。
途端に、ルーシィは重々しく口を開いた。
「………さて。お主は、本当にいいのか?」
ルーシィが言うと、男は目を見開き、驚いた表情する。
「………なんと、気づいていらしたたんですね」
「ワシを誰じゃと思っとるんじゃ?」
少しだけ、ルーシィの口元がゆるんだ。
「ハッチが内側から閉められないのは、見ればわかる。ワシはそこまで慌てふためいてはおらんよ」
「………流石、大賢者様と言った所でしょうか」
「なんじゃ?気づいておったのか?」
「ええ。状況から判断して、そうとしか思えないでしょう。もっとも、英雄譚の裏に潜む大賢者の伝承を知っている者など、相当な物好きだけですがね?」
男はそう言ってふっと笑った。
その表情は自嘲に見える。
「…………私の事はお気になさらず。これも、貴女に助けられた御恩を返さなくてはいけません」
「………そうか。分かった」
ルーシィは、粛々と受け入れた。
そして、暗がりを覗き込む。
「じゃあの。お主も強く生きるんーーー」
その瞬間。
ぴゅぅっ!
風を切る音だけが鮮明に聞こえる。
ルーシィも、気づく。
だが、防ぐ事はできない。
眼前に矢が迫る。
咄嗟に、目を塞ぐ。
「危ない!!」
鮮紅の飛沫が舞う。
「ーーーーーおい!大丈夫か!!!?」
「早く、早く言ってください!」
「じゃ、じゃが………」
「大賢者様が、狼狽えないでください!」
「……!!」
「少女1人のために、ここまでの軍隊を派遣するなんて、王国は腐ってます!だから……だから、きっと貴女が……」
「こっちだ!早く来い!!」
「不味い!兵士がこっちに来ます!蓋は僕が閉めますから!早く!」
「…………分かった。必ず生きて会おう!」
ルーシィは、闇に飛び込む。
天をを見上げると、真四角の人工的な光だけが見える。
そしてその光はまもなく閉ざされ、世界は真っ暗闇となった。




