第一話 目覚め
ひどく寒々しく、暗くて何も無い所に男は立っていた。
悠久に広がる世界は全て闇に包まれ、悲しいまでの無が眼前に広がっていた。
果たして、ここに何年いるのだろうか。
ともすれば自分の意識すらも消え去ってしまいそうなくらいの長い時間、男はそこにいた。
誰かを羨む気持ちも、誰かを恨む気持ちも、何もかもがなくなってしまいそうだった。
地獄とも知れぬ、天国でも無い、正に無の空間に孤独に1人ただ佇んでいた。
だが、突然その空間に、光が差し込む。
無を切り裂く、圧倒的なまでの光。
ーーーー光を見るのはいつぶりだろうか。
郷愁にも駆られるような光は、やがてその男の体を包み込んでいき、男の意識は、現実へと引き戻されていくーーーー
☆☆☆☆☆
祭壇の中は、随分と簡素な作りだった。
地下の空間を支える為の柱と、所々朽ちた石レンガ。
が、若干魔法がかけられているのか、この空間が崩れ落ちてしまいそうな程に朽ちているわけではなかった。
「ここは………何の施設ですか?」
「施設ではないだろうな。おそらく……」
ローザンが真っ直ぐ歩いていく。
祭壇の空間の奥に辿り着くと、おそらく目的の物と思われる大きな深い石の箱を見つけた。
慌てて後ろからサマディも歩いてくる。
「この箱って………」
「多分これがそうなんだろうね」
棺。そう呼ぶにはどこか無機質すぎる様なただの石の箱。
しかし、ローザンの見立てでは、この異形な石箱の中に、大賢者の骸か、それに準ずる歴史的な何かが眠っているというわけで。
ローザンは学者として、心が昂っていた。
「開けるよ、いいかい?」
「私に聞かなくたって、どうせ開けるんでしょう?」
「まあね」
ローザンは、思わず笑みが溢れた。
石の箱の蓋に手を乗せる。
そして、一気に力を入れる。
最初は重く感じていた蓋も、力をかけていくと、ずずず、と流れる様にズレていった。
そのままズレていき、蓋が地面へ音を立てて落ちる。
「さぁ、ご開帳ーーーー」
我慢できない。そんな気持ちが溢れ出る様なローザンは、期待を胸に、棺を覗き込む。
と、その中には。
「あ、あれ?」
古文書も、大魔法時代の魔術者も、それどころか大賢者の物と思われる骸すらなかった。
「ど、どういう、ことですか?これ?」
しかし、代わりにあったのは。
「お、女の子?」
白銀の髪が長く伸びた、色白の少女だった。
まるで眠っているかの様な綺麗な様相で、美しく長く伸びたまつ毛の生えた瞼は、そっと閉じられていた。
そして、白装束を着せられた芸術的とも言えるほど綺麗な幼体には、少女の髪色の様に美しく光を照り返すような、銀色の剣が突き立ててあった。
「な………ど、ど……」
あまりの驚きと、美しさに、ローザンの口からは、言葉未満のうめき声だけが漏れ出た。
ただ、サマディの方は、少しだけ冷静だった。
「と、とりあえず、この剣抜きましょうよ!」
サマディは、棺の中で突き立てられた銀の剣に飛び付き、棺の縁に立って、剣を引っ張った。
「うぅぅうん!!」
サマディは、顔が真っ赤になる程に力を込める。
女子の力で、それもいつも特段運動もトレーニングもしていないサマディの力で抜けるのか分からなかったが、それでも、棺の中で眠る美しい少女のために全力を込めた。
それが功を奏したのか、段々剣が緩んでいく。
やがて、サマディの体が持ち上がり。
「うぉぉぉ!」
剣が、真上へとすっぽ抜けた。
「うぉ、おっと、っとっと………」
引っ張っていた力が行き場を失い、真上に突き立てた剣の重みも相まって、棺の縁から落ちそうになる。
が、次の瞬間。
紫色の暴風が辺りに巻き起こる。
「うわぁっ!?なんですか、これぇ!?」
耐えきれず、棺の縁から飛び落ちた。
紫色の暴風は、棺の周りで竜巻を巻き起こす。
何かを吸い込む様な、あるいは何かに吸い込まれる様な、圧倒的な力の奔流は、魔法をかけられているはずの祭壇の石レンガを巻き込んで吹き荒れる。
紫の煙の様にも見えるそれの中には、極細かい光の粒子が所々で煌めいていた。
そして力の波は、次第に一点へ集まっていく。
「まさか………この力は……」
サマディよりも長く生きるローザンの脳内には、ある一つの考えが思い浮かんでいた。
その考えとは、今の時代ではあり得ない様な馬鹿馬鹿しい話だがーーーーーー無いとは言い切れない。
いやむしろ、この目の前に起こる超常現象は、その考えによってしか成り立たなかった。
「あれ………棺の中に集まって……」
紫の力の奔流が集まる先は、棺の中。
もっと言えば、棺の中で眠る少女の、剣によって貫かれた胸の中へ向かっていた。
サマディは、風の中で体を堪えることに尽力しながらも、その光景を目にする。
吹き荒れる暴風は、轟轟と唸りを上げて少女の胸元へ吸い込まれていく。
すると、まるで何者かの力が加わったかの様に、少女の体が空中へ打ち上げられ、ゆらりと宙を揺蕩った。
「誰じゃ………我の眠りを妨げる者は……」
荒れ果てた空間に、可愛らしい声が響く。
「まだ………眠いというのに………」
ぽつりと独り言が溢される。
「誰じゃ!!」
くわっ、と宙に浮かぶ少女の瞼が開かれ、その瞳が露わになった。
「赤い、瞳?」
少女の瞳は、暗がりに妖しく赤く光る。
「ぬ………?お主らじゃな?さては………」
少女は、サマディとローザンをその瞳に捉えた。
「貴様らなぞ………我の圧倒的な魔力によって討ち滅ぼしてくれるわぁ!」
こぉぉぉ……と、少女は大きく息を吐き、手は魔力の球をこねる様な動きをした。
「ふん!」
そしてそれを放つ!
「…………あれ?」
咄嗟に腕を前に構えて、防御の姿勢をとっていたサマディからは、腑抜けた様な声が出た。
「……なんじゃ?……力が………」
と、それまで宙を揺蕩っていた少女が、どさっ、と地面に落ちた。
「あ、あれ………?だ、大丈夫ですか?」
サマディは、落ちた少女の方は思わず駆け込んだ。
そして、少女の上半身を起こす。
「あぁ………血が……血が足りない………」
「血……?って、どういうことですか?」
少女は、そう言うと、瞼を閉じた。
「ど、どうしたんですか?」
サマディは、そう言いながら少女の顔を覗き込む。
目を閉じた少女の色白の顔は、間近で見ると、女子のサマディですら見惚れてしまうほどだった。
歳は、10歳くらいだろうか。この綺麗な銀の髪は、生まれつきのものなのだろうか。
少女の顔に見惚れながら、サマディはそんなことを考えていた。
そして、吸い込まれそうなほど、顔を見つめていると………
くわっ、とその長く伸びたしなやかなまつ毛が持ち上がり、赤い瞳が鈍く光った。
そして、少女の力とは思えぬ膂力で、サマディは服を引っ張られ、抱き寄せられる。
「な、ななな、何を……」
「うまそうな血じゃのぉ……」
少女が、サマディの肩を舌で舐める。
サマディは背筋に走る何かに不穏な気配を感じながらも、脳に靄がかかっていくのを感じていた。
そして、次の瞬間。
肩に、ちくりと痛みが走る。
しかしその痛みはすぐにじわりと全身に心地よい刺激へと変わって伝わり、少し眠くなる様な心地さえした。
「んく、んく、ん………」
こくり、こくりと、サマディの横で少女の喉が鳴る。
その音すら心地よく感じ、体から力が抜けていく。
「………ぷはぁ!腹が減った後に飲む血は美味いのぉ!」
と、顔に艶が戻った少女が顔を上げた。
「あなたは、まさか………」
解放されたサマディが、地面を這いつくばりながら、立ち上がった少女を見上げる。
「ん?なんじゃ?美味しかったぞ?」
「………吸血鬼?」
「お?そうじゃ。いかにもワシは吸血鬼じゃ!」
えっへん!と胸を張る。
「しかし、なんじゃ?久しぶりに目覚めてみれば、ワシよりも大きい女子なぞ、珍しいのう」
「大女………それって、私のことですか?」
「そうじゃ。それ以外誰がおろう?」
それを聞いて、サマディは怪訝な顔をする。
なぜなら、サマディの身長は、女子の平均よりも少し低いくらいだからだ。
「…………おそらく、あなたが小さいんだと思いますよ……?」
「何を言っておるんじゃ?ワシは男じゃぞ………」
「へ?」
そう言って、少女は初めて自分に起こった異変に気がついた様だった。
「あ、あれ………?ワシは、男で………あれ?髭も、ない………髪も、伸びて………あれ?」
少女は、自分の身体中まさぐる。
そして、気づく。
「あれ………?おい、女子よ、ワシは、男か女、どちらに見えるかの……?」
「…………女の子にしか、見えないですけど」
「………………へ?」
少女の美しい顔は、驚きで引き攣っていた。