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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

こわい夢を見ました。

第十二世界


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前五時五十八分


 今日も雨田は快晴のようだ。


 寝室のカーテンをしゃっと閉めて、(たちばな)水城(みずき)はベッドの上から化粧着を拾い上げ、羽織った。天気はいいが、空気は冷えている。娘を産んだ時はもっと寒かった、と思い出した。裏庭の川が一部、凍りついていたのだ。

 水城は一回、舌をちっと鳴らして、アーチを潜った。隣のバスルームへはいる。あしおとは立てない。「もう出発するの?」

「起こして悪いね。でも、研究が佳境なんだ」

 夫のテオは水城へ背を向け、鏡へ鼻をくっつけんばかりにしてひげをあたっていた。洗面台は彼には低すぎて、顔を洗う時もはみがきの時もつらそうだから、改装しようとこの間相談した。

「成功すれば、第一世界からお呼びがかかるかも」

「また、夢みたいなことを云ってる」


 水城は体に化粧着をまきつけるみたいにして、寒さを消すことはできない。少なくとも、夫の前であからさまにそんなことをするのは、礼を失している気がする。

 テオの隣へ並ぶ。片手で夫の寝癖を直した。夫は剃刀を置いて、手をすすぐ。

「いつもご苦労さま」

「どうも。前から思ってたけど、あなたのこれって寝癖じゃなくて、切りかたが悪いのじゃない?」もう一ヶ所の寝癖も手でなんとかしようとするが、強情でどうしようもなかった。「美容室をかえたら」

「この辺で僕の髪を切ってくれるのは、田端さんとこだけだよ。君も知ってるだろう?」

 夫の言葉に、水城は小さく溜め息を吐いた。


「テオ」

 鏡越しに夫と目を合わせる。水城の目は濃い茶色で、夫の目は湖面の水色だ。「ほんとにごめんなさい、わたしのわがままの所為で」

「それは聴き飽きた。君も準備してくれないかな? 夫を送り出すだけだから、寝間着のまま来てくれてもいいよ」

 テオは顔をお湯でざっと洗い、ろくにタオルで拭きもせず、バスルームを出ていった。水城は鏡のなかの自分を睨みつけ、ふんと鼻を鳴らして、それを追う。今日は「堅牢日」、魔法力はいつもよりずっと安定している。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前六時十二分


「今日はなんの日?」

「君の娘さんの誕生日だ」

()()()()娘でもあるんだけど」

 彼は小首を傾げる。

 橘邸の庭だ。おもやの勝手口から出て、砂利の敷かれた小径を、ふたりは並んで歩いている。左右には森があり、ひとの気配はなかった。

 ふたりが歩く速度はゆるい。なんでもない話をしながら、夫と肩を並べて歩くのは、水城は好きだ。冷えて澄んだ空気を胸いっぱいに吸いこんで、小鳥のさえずるのを聴いて、出てきたばかりの太陽の光を浴びる。夫とこうして歩いている時、自分は恵まれていると思う。好きなひとと一緒になって、大切な娘を授かった。

 水城はわっと声をあげて、石刀国製の靴を片方蹴って脱ぐ。


 夫が笑い、屈んで靴を拾おうとした。水城は反射的に叫ぶ。「やめて!」

「どうしたの?」

「ちょっと……虫がはいってる気がしたの。毒虫だったら危ないから、触らないで」

 テオは片眉を吊り上げ、それからゆっくりと立ち上がった。面白そうに微笑んで、小さく二回、頷く。

「君の靴は相当危険みたいだな。やめておくよ。でも、どうするんだい? 子どもの遊びみたいに、片足跳びで行く?」

「危険な靴は捨てていく」

 水城はちっちっと舌を鳴らし、もう片方の足も靴から抜いた。素足だが、どちらの足も砂利には触れない。水城はもう一度ちっちっと舌を鳴らして、魔法を固定した。これで、靴がなくても砂利を踏まずに歩ける。


 夫は少しだけ縮んだ身長差を気にせず、水城の腕をとった。ふたりは再び歩き出す。水城はすうっと、宙を滑っていた。水城の感覚だとこれは「歩いている」のだが、夫にとっては違うようだと気付いてから、必要に迫られないとやらない。今だって、本当はやりたくない。

「なんの虫?」

「むかでだと思うけど」

「君はあれが嫌いだ」

「足がうじゃうじゃある長い虫を、好きなひとなんて居る?」

 虫が居るかも、というのは、嘘だ。


 魔法力の豊富な人間にはありがちなことだが、他人のつくったものに通っている微細な魔法力と、自身の魔法力が反発して、小規模な爆発を起こす。

 爆発と云っても魔法力のそれだから、目には見えないし、傍目にはなにが起こっているかさえ解らない。また、どれだけ痛くても、血が流れることはない。皮膚が赤くなることさえないのだ。

 魔法力のない人間にとっての「静電気」というやつのようなものだが、魔法力を失った人間に拠ると、魔法力の爆発のほうが千倍酷いそうだ。魔法力のある人間には、「静電気」は起こらないから、水城には比較のしようがない。

 水城は特に、靴と相性がよくない。石刀国製の靴は、工場で流れ作業でつくられているから、個々の魔法力はうすれている。だから、笄国製の靴よりはましなのだが、それでもたまに魔法力の爆発は起こった。


 ふたりはさざんきょうの間をぬけていく。夫の仕事の為に、五年前につくった道だ。夫と水城しかつかわないし、こちらに近寄るなと家の者には云っているから、さざんきょうは伸び放題に枝が伸びている。今の時期に剪定してもいいものなのかしら、と水城は考える。「枝折(しおり)はなんて?」

「あなたが出席するのは当然だと思ってる。だから、迎えに行く。お昼までに仕事を終わらせて」

「うーん」

「もともと、そういう約束だった筈だけど」

 夫は唸って、答えない。水城はその腕に掴まったまま、夫を決して見ず、低く云う。「テオドルス」

「ああ、解った、うん。そうだね。僕は約束した。誇り高い橘家の人間は、約束を違えない」

「そう」水城は少しの間、目を瞑る。「あなたは橘家の人間」

 それに関しては、夫は否定も肯定もしなかった。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前六時二十八分


「じゃあ、宜しくお願いします、先生」

 テオは冗談めかして云い、こつんと小屋の扉を叩いた。小屋は、テオがはいったら天井に頭が届きそうに背が低く、年季がはいっている。もともと、単に庭仕事の道具を置く倉庫だった。といっても、数百年前のことで、この百年近くは放置されていた建物だ。

 扉は汚れたみたいな茶色の木製で、引いて開ける。濁った、青味の強い紫で、模様が描いてあった。

 水城は肩をすくめ、扉の前に立つ。ちっちっと舌を鳴らし、魔法力の流れを整えた。左手を伸ばして扉に触れると、水城の指先が触れた部分から、紫の模様に波のように光がひろがっていく。

 暫く手をあてていると、模様そのものがぼんやりと光るようになった。水城は手をおろし、夫へくいっと首を傾げる。「どうぞ、お客さん」

「ありがとう」

 夫は水城を軽く抱き寄せ、頬へ唇をおしあてる。ここいらでは好まれない仕種だ。だから、夫は人前でこれをやらない。

 水城も、本当を云うと抵抗がある。が、夫の出自を考えればこれは愛情の表現なのだ、と思って、大人しくしている。


 夫が扉を開けた。小屋には、夫の仕事場へつながる「道」ができている。水城くらいに魔法力を持つ人間なら、ひとりでつかえるものだ。いや、そもそも水城なら、こうやって固定された「道」は必要ない。どこかへ行きたければ、「道」をつくればいい。

 夫は三級民だから、ちょっとした火を点すくらいにしか魔法力がない。だから、ひとりでは「道」はつかえないのだ。

 小屋のなかは、夫のオフィスがあるフロアの一部になっている。「道」とは便利なもので、魔法力を通せばこうやってどんな場所とでもつなげてくれる。

「それじゃあ、昼に」

「はい。迎えに行くまで、待ってて」

「僕は君が居なきゃ研究所から出られないんだよ」

 水城は失言に口を噤んだが、夫は軽く笑った。怒らせてしまった訳ではないみたいだ。

 夫が小屋のなかにはいり、扉が閉まった。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前六時三十五分


 水城は来た道を戻っていた。途中、靴を拾い、ちっちっと舌を鳴らしてそれを消滅させた。靴は跡形もなく消える。夫の前では成る丈、大掛かりな魔法をつかいたくない。彼をこれ以上萎縮させたくない。

 水城は――――というか、橘家は――――、特級民だ。魔法力は「竹柏」全体の人口の、上位2%にはいる。一日に何回「道」をつかっても疲れない。寧ろ、魔法をつかわないと魔法力が溜まっていき、不調が起こる。

 特級民のなかでも、西(にし)(たちばな)とも呼ばれる、七国地方に居をかまえる(たちばな)家は、特に魔法力の優れた者ばかりだ。水城もそれに含まれる。

 翻って、夫のテオ、正式にはテオドルス・カロ、は、石刀国出身の三級民だ。両親ともに三級民で、魔法力は人口全体の下位24%。百年前なら確実に市民にはなれない。


 水城はぱたぱたと手を叩き、ちっちっと舌を鳴らして宙へ浮いた。そのまま、するすると空中を移動する。目指すのは家だ。もう少し寝たい。

 このところ、心が安まらなかった。娘の枝折の魔法力がなかなか発現せず、夫への攻撃が再開している。

 一級民や二級民と結婚したのなら、夫は完全に婿入りし、階級も上がったろう。けれど特級民は、かりに一級民を迎えたとしても、所謂「結婚」にはならない。戸籍は別のままで、相手の階級がかわることはないのだ。「竹柏」では、魔法力の高さにおいてのみ、特級民と認められる。

 枝折も、このまま次の誕生日まで魔法力が発現しなければ、父親であるテオの階級に組み込まれる。即ち、三級民になる、ということだ。そうして、成人までそのままならば、三級民からさえ外されるかもしれない。


 そうなったとしても、水城は夫や娘をどうこうするつもりはない。けれど、夫がどう思うか、解らない。水城が結婚を切り出した時も、故郷へ戻ろうとさえしたひとだ。あの時は三日かけて飛行し、船に追いついたからよかったものの、逃がしていたらどうなっていたか、考えるだけで寒気がする。

 石刀国は、二級民以下しか居ないところだ。そこへ空からのりこめば、要らぬ火種になる。船にのって向かっても、特級民の入国は許可されない可能性が高い。あちらのひと達は、笄国では未だに三級民や二級民を奴隷にしていると思っているらしいから。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前六時四十四分


「奥さま、おはようございます」

「おはよう、エミリア」

 水城がとんと玄関ポーチへ着地すると、エミリアは深く頭を下げた。彼女のワンピースの胸部分は、黒とくすんだ赤の横縞になっている。それ以外は黒い。

 エミリアは顔を上げる。瞳の色はかなり淡い緑で、しかし、肩に掛かるくらいの短さにした髪は、奴隷らしくなく黒に近い。ほかの場所では、黒に近い色の髪は不敬にあたると、剃り上げていたらしい。

 水城も夫も、奴隷をそういうふうに扱うのは苦手だから、髪の色に関しては気にしないようにと云っている。それを命令ととられたのなら、不甲斐ないが。

「もう少し寝るから。枝折には、朝ご飯、食べさせておいて」

「かしこまりました」


 エミリアが扉を開け、水城は室内へ滑りこむ。夫の前ではやらないことだが、魔法力はつかわないと体のなかに溜まっていき、不調をもたらす。「道」に魔法力を注ぐくらいでは、どうしようもない。

 バスルームで足を綺麗にし、寝室へ這入る。カーテンを開けて、エミリアが布団を整えてくれていた。「ありがとう」

 エミリアはお辞儀して、一歩下がる。

「お誕生日会は、一時からです」

「ありがと、エミリア、寝過ごすところだった」

 布団へ潜り込んだ。水城はちっちっと舌を鳴らし、カーテンを閉める。エミリアがもう一度お辞儀してから出ていった。

 水城は魔法力を整えて、ちっちっと舌を鳴らし、室内をくらくする。魔法がつかえて当たり前の水城には、小さな火を出す程度にしか魔法をつかえない夫の気持ちも、それさえできない者達の気持ちも、解らない。エミリアのように奴隷だと、確実に魔法はつかえない。ひとつもだ。それが不便だろうとは思うが、どれくらい不便かは理解の範疇を超える。

 それに、特級民でなくば、魔法以外でも不便だ。国外への移動に手形が要るし、教育も無料にならない。二級民以下は、外見の情報の登録も、必須になるし……。

 うとうとと、水城は眠りに落ちた。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前八時十九分


 水城はぱちっと目を開き、宙を睨んだ。ちちちちちち、と、舌を鳴らす。冷えていた室内の空気があたたまり、布団が宙に浮いて折りたたまれ、ベッドの足許に落ちた。

 頭痛がする。

 こういうことは多くない。水城はばね仕掛けのように起き上がり、しかめ面のままベッドを飛び出した。魔法力が爆発寸前だ。舌を鳴らし、扉を開ける。そのまま廊下へ滑り出る。髪の毛が逆立っている。ちちちっと舌を鳴らすとすとんと落ち着いた。

 水城は廊下の端にある窓を開け、そのまま外へ出た。


 庭木の間へゆっくりと降下する。おそるべき()()達と、読み切れない母と、脳天気な妹が来たようだ。魔法力が漂っていて、肌がぴりぴりする。

 魔法力の小規模な爆発は、特級民が集まると頻繁に起こる。だから、特級民同士は、家族であっても離れて暮らすのが普通だ。橘では魔法力が一番強い人間に家を譲るから、魔法力の発現した水城が家をもらい、当時まだ魔法力が発現していなかった妹を残し、家族を追い出した。でも妹は、母と一緒に居たがって、結局ついていったのだ。雨田を治めるのに必死だった水城は、それを無視した。


 催しがある日は、水城は嫌いだ。特級民が寄り集まると、みんな肌がぴりぴりして、舌がひきつって、たまに大きな痛みが体のどこかに走る。そんなものなのだ。だから、「治世官」達だって、直にあわずに書面かテレパシーで連絡をとりあう。

 七国では紅雲を除いて、分割された区域をそれぞれひとつの家が統治するやりかたが続いているが、年始にはそれぞれの家長と連絡をとる。水城は、相手がたの用意した紙に、魔法力で文字を書き記すのが得意だ。そして、それが楽なので、いつもそうやる。翫のは、毎回自分の姿をあらわしたがるから、面倒だけれど。

 今日だって、枝折が会いたがるから、母と妹を呼んだ。本当は会いたくない。更にいえば、おば達を呼んだ覚えはないのだが、来たのなら仕方がない。あの三姉妹は厄介だから。


「姉さん」

 地面から3mほど浮いている水城は、声のほうを睨んだ。妹ははじさらしにも、髪を染めている。気でも()れたのだろうか。

 水城は言葉を返さなかった。喋りたくない。ちっちっと舌を鳴らし、もっと上昇する。しかし、妹の長夜(ちょうや)は歩いて追ってきた。「どうしたの? 怒ってる?」

 怒っているに決まっている。夫の、三級民らしい金の髪や、ぬけるように白い肌や、湖のようなまっさおの瞳について、あれこれと思いを巡らせているのに、もともとは黒髪の妹が、赤っぽい茶色の髪にしてきたのだ。むかむかする。


 枝折は自分に似ている。笄国民らしい色の肌をしていて、顔立ちは水城に似ていて、でも瞳だけは夫の色だ。

 そのことを娘は気にしている。その所為で魔法力が発現しないのではないか、と。そうではないと信じたい。でも、かつては瞳の色で階級を決めていた。色のうすい瞳は、決して二級以上になれなかったのだ。

 水城自身、魔法力が発現するまではなやんだ。笄国民にしては背が高いのが、なやみの種だったのだ。いやな子達は水城を石刀の血がまざっているとからかった。だから、ほんのわずかだけれど、娘の気持ちは解るつもりだ。

 その娘に、特級民らしい黒髪をわざと染めた長夜を、会わせないといけないらしい。枝折は動揺するだろう。長夜はなにも考えていない。なにも。もう成人したのに、まだ子どものようなつもりでいる。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前八時二十四分


「姉さん」長夜が舌を鳴らし、ふわっと浮き上がる。「なにか気にくわないことでも?」

 水城は妹へ睨みをくれる。妹は恬然としていた。

「また、社のやつらが煩いの? 境界線のことで」

「それはこの間黙らせた」

 水城はつい、返事をしてしまって、悔やむ。が、仕方がないので続けた。「大勢で峠を越えてきて、本当に腹がたつ。押し戻して、山のあちら側を登れないように崩してやったから、特級民でもなければ二度と峠越えはできない」

「わ、思い切ったね。でも、いい気味だわ。あいつら、こっちが豊かだからって、多少くすねてもいいもんだと思ってるからね」

 それには頷けたので、水城は反論しない。社は桑畑が今の家長になってから、土地が痩せた。七国では、家長の魔法力が土地に影響するのだ。だから、一番魔法力を持っている者が家をもらう。即ち、家長になる。


 今、七国で一番土地が豊かなのは、雨田である。つまり、すでに家が絶えた、紅雲の城谷を除いたむっつの家のなかで、橘が一番力を持っているということだ。

 そうやって土地が豊かになると、境界線がどうのと文句を付けられ、土地を掠めとられるのは常だ。土地を奪ってもすぐに魔法力の影響がなくなる訳ではないから、その間に金を掘るなり作物を丹精するなどして、利益を上げられる。

 家長になりたての頃から、水城は決して弱腰にはならなかった。それまで家長だった母は気が弱く、雨田は散々土地を掠めとられていたのだ。水城は二年半でそれをとり戻した。

 やりかたは簡単だ。もともと雨田の土地だったところで大きい顔をしているばか者どもを魔法で黙らせ、もと居た場所へ運んで叩き落とした。何人か殺したかもしれないが、水城に責任はない。現に、社の桑畑も翫の沙貴三屋も、依利の久安寺も、紅雲の「治世者」も、なにも文句を付けては来なかった。皆、水城がおそろしいのだ。


 水城はこれまでも、そしてこれからも、土地を侵犯してくる人間に手加減はしない。

 雨田の民の命を預かっているのは水城なのだ。水城が雨田をまもり、雨田の民の暮らしを支えないといけない。母は気が弱いし、その前の家長は――――母の母は――――逆に欲深く、身の丈に合わぬ野望を抱いて周囲を攻めた。七国統一は、七国の各地域を治めている家にすれば、いつかは成し遂げたいことだと訳知り顔で()()達はいう。水城にはそれは解らない。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前八時三十六分


「枝折は元気?」

 水城は答えない。長夜は微笑んでいる。「誕生祝いは持ってこなかったよ。姉さん、いやがるんだもの」

 当然だ。水城は妹を睨む。長夜の持ってくるものは、水城の気に触る。

 小刀だとか、火打がねだとか、方位磁石だとか、不愉快なのだ。まるで、枝折には魔法力が顕現しないと云われているみたいで。

 魔法があれば、小刀だの火打がねだのは要らない。方位が解るかどうかはひとによるだろうが、単純に宙に浮いてしまえば方位だなんだは関わりない。()()()()()()()()いいのだから、困ることはないのだ。


 長夜は水城に遅れずついてくる。「今年は、可愛いものをあげようと思ってたんだけどな」

 可愛い?

 妹の感覚は理解しがたい。なにか、普通は可愛いと云われないようなものを持ってくるつもりだったのだろう。それが妹だ。

 特別で、変わり者で、自分はひととは違う。そう思っている類の人間。水城が一番、苦手な部類だ。もしかしたら、妹が居るから苦手なのかも知れない。

 長夜は宙で、くるりとまわる。水城は更に上昇する。「扉」が開いてからこちら、七国は徐々にあたたかくなっている。それをありがたいと捉える人間の多いことに、水城は少々呆れている。

 七国では八十年から九十年の周期で、比較的涼しい時期(素須の人間にいわせると、充分暑いらしい)と、あたたかい時期とが、交互に訪れる。だからたまたま、扉が開いた時があたたかい時期に移行する時だった、というだけ。

 それにもし、「扉」の所為であたたかくなっているのなら、このままあたたかくなり続ける可能性もある。そうなったら、狐々の万年雪が溶けて、大事(おおごと)になるかもしれないのに。


「姉さん」

 長夜の声の調子がさがった。水城は妹を見る。こういう喋りかたをする時、妹はふざけない。

 妹は笑顔をひっこめていた。

「わたしを嫌うのは解るけど、ひとつだけいっておきたいの。義兄さんのこと」

「……なに」

「例の研究、危険なんじゃない。そういう話を聴くから。とめたほうがいいよ。姉さんなら、できるでしょ」

 水城は返答に詰まる。何故って、水城は夫の研究について、ほとんどなにも把握していないからだ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前八時五十分


 水城は来た道を戻っていた。正確には、来た空を。

 ご飯もらってくる、と居なくなった長夜の言葉が、脳裏をぐるぐるとまわっている。夫の研究については知らないし、たしかに、なにか危険なことをしているらしいという噂も聴いた。

 工場というか、夫の働いている研究所は、第十世界から来た人間が建てたものだ。第十世界には魔法はあるものの、特級民のような魔法力を持つ者は少なく、運んできた機械をつかって工事していた。


 水城は雨田の長だから、研究所を建てる許可を出したのは水城だ。前時代的だとかホーケンシュギだとか、第十世界の人間はすぐに喚く。だが、第十世界のミンシュシュギというやつは、こちらではひろまっていない。水城にしてみれば、一国を担うのは重責であるから、幼い頃からそれをする訓練をうけた者が長になるべきだと思う。少なくとも、どうやって国を治めるのかを、幼い頃から目の当たりにしてきた人間でなければ、いざという時に責任から逃れようとするのではないだろうか。


 夫は賢い。第十世界の研究をすぐに理解し、議論できるまでになった。その知性を買われて夫は研究員になった。水城の知らないなにかを研究する為に。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前十時三十七分


「水城、いい加減結婚しなさい」

「いいひとを見繕ってあげる」

「橘家には特級民の婿が必要です」

 水城はだまって、()()達の喋るのを聴き流していた。六十代から七十代の三姉妹は、テオを水城の愛人と見なし、正式な婿をとるべきだと喚くのが趣味である。

 水城は脚を組みかえて、書類を仕上げていった。雨田の長として、やることは沢山ある。

 三姉妹のお喋りは停まらないし、水城はそれを決してきちんと聴かない。

「枝折にもちゃんとした父親が必要です」

「三級民を実の父親だと思ったら可哀相よ」

「嘘でもいいから、特級民との子だといっておくの」

 三姉妹は頭が最近ぼんやりしているようで、枝折を二・三歳の子どもだと思っている。それでも魔法力は大きいから、厄介だ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前十一時十四分


 夫を迎えに行こうと邸を出た。ついでに、三姉妹から逃れた。三姉妹は長夜を気にいっている。妹はこういう時、役に立つ。

「水城」

 いやなひとと顔を合わせたと思った。母だ。


 水城が、夫を迎えに行く、と逃げようとすると、母はついてきた。あの三姉妹を追いやって、一時当主の座にあっただけあり、母は水城の飛行に軽々ついてくる。

 これだけの力があるのなら、どうして土地を掠めとられてもなにもしなかったのだろう。それが不思議でならない。

「枝折は元気?」

「今から会うでしょう」

 魔法力が発現したら、枝折を家から出さなくてはならないと、唐突に気付く。母は自分を置いて出ていく時に、どんな気分だったろう。

 そうだ。わたしが出ていく可能性だってある。


 母は水城と話そうとしたけれど、水城にはその気がなかった。生返事を繰り返していると、母は疲れたのか、後で、と居なくなる。

 水城はただ、飛行を続けた。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午前十一時五十三分


「君は時間に正確だ」

 テオは鍵につながったわっかを指にひっかけて、くるくるまわす。「ごめん、これを返してこなきゃならない」

「ついていっても?」

「勿論」

 水城は床の上に拳ひとつ分程すきまをあけて、浮いている。ここの床はどうしてだか、魔法力が滞っている。だから水城は床を踏めない。

 物置の「道」を通って、研究所にはいった。どこでも簡単に「道」をひらけるが、研究所の人間がいやがる。夫の仕事の邪魔になるかもしれないことは避けたい。


 研究所がなにを研究しているのかも、それがどう役に立つのかも、水城はなにも知らない。ただ夫の口振りからすると、とにかく凄いことではあるようだ。実体の解らない第一世界から注目されるかもと夢想するくらいには。

 研究所の内部は、殺風景だ。水城が夫を迎えに来て目にする景色は、白い壁と灰色の床、高くて何色か解らない天井、がらす張りの研究室に、がらす窓の向こうに雑草が生え放題の中庭。夫のように白衣を羽織って歩きまわる研究員達。それだけだ。


 今日は違った。夫が鍵を返しに行くのは、地下にある部屋らしい。だから「エレヴェーター」へ向かっていたのだが、向こうから夫の上司が歩いてきたのだ。

 夫の上司は女性で、魔法力はほとんどない。信じがたいが、それでもこの研究所では高い地位にあるそうだ。魔法をまともにつかえなくても、信用を得られるのが、なんだか妙だと感じる。

「ああ、奥さん。お久し振りです」

 水城は軽く会釈する。水城は別の世界の出身者を信用しきれていない。魔法力がなければなおのことである。

 夫の上司はにっこりした。雨田の女の二倍は口紅を塗っている。

「カロ研究員、奥さんを案内してあげたら? 一応、この辺りの、ああ。知事なんでしょう?」

 知事というのは、治世官ようなものだ。それは水城も知っている。だが、訂正はしない。

 夫は軽く肩をすくめた。「妻はこういったことに興味がないんです」

「そうお? 女であっても、カガクが解らないことはないわ。ここにも女性は多いでしょう」

「彼女は忙しい身ですし」

「でも、こういったことを学ぶのは、知事には必要ではなくて」

「副所長」

 夫が強くいった。夫のそういった喋りかたを、水城は初めて聴いた。だから、一瞬ぎょっとする。

 夫は眼鏡を押しあげる。

「とにかく、彼女はこういう……些事につかう時間はないんです。勘弁してください」

「……そう。ひきとめてごめんなさいね。それじゃあ奥さん、またいらして」

 夫の上司はにこっとして、歩いていった。まったく不格好な歩きかただ。魔法力がなくても大丈夫な世界では、皆あのようにひょこひょこと歩くのだろうか。


 ごめん、と夫が口にしたのは、「エレヴェーター」にのってからだ。水城は頷いて、なにもいわなかった。

「ついたよ」

 「エレヴェーター」がとまり、扉を開けて夫は出ていく。そこは、くらくて、寒々しい空間だった。床も壁も、目につくところはすべて灰色だ。「エレヴェーター」の光が届かないところは、まっくろに沈んでいる。

 銀色のものが幾つか見えた。荷車かなにかだろうか。そのような感じがする。

「君はここで待っていて」

 夫は水城の返事を聴かず、走っていく。その姿はすぐに見えなくなった。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後0時十二分


 暫く待っても夫は戻らない。水城は胸が騒いで、「エレヴェーター」をおりる。暗闇の向こうになにかがうごめいている気がする。

 水城は床から6Cm程のところへ浮いたまま、くるっと回転して、周囲を見渡した。くらく、金属でできたなにかが置いてあり、水の匂いがする。

 ぬっとひとが出てきた。暗闇のなかから、唐突に。

 水城は上昇する。天井は見えないくらいに高いから、頭をぶつけることもない。自分の身長くらい浮くと、安心できた。

 出てきたのは奴隷だ。研究所では奴隷をつかっていると聴いたことがある。剃り上げた頭と簡素な服の、男だった。


 水城は相手が奴隷だと解ると、安心した。奴隷は魔法力を持たない。相手は水城よりも体格がいいが、不意を打たれたとしてもなんともないだろう。

 下降する。奴隷は水城をみとめ、ぶつぶつとなにかささやいた。その隣に、もうひとり、奴隷があらわれる。

 その手には、棒状のなにかが握られていた。それが木の棒だと気付いた。こちらへ振り下ろされた時に。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後0時二十二分


 水城は2m右へ移動して一撃を避けた。奴隷が特級民を襲うなんて、悪い夢でも見ているのだろうか。

 ふたりの奴隷は水城へ向かって走ってくる。水城は舌を鳴らし、上昇、下降、左右への移動を繰り返し、攻撃を避け続ける。なにが起こっているのかまったく解らない。

「水城」

 テオの声だ。水城はそちらを見る。テオは息を切らして走ってきた。

「こっちだ!」

 夫のすぐ傍へ、瞬間移動した。魔法力を大きく失ったが、奴隷ふたりから相当な距離ができる。夫は水城の手首を掴み、光へ向かって走る。「エレヴェーター」の灯へ向かって。


 飛び込んだ。水城は奥の壁にぶつかりそうになって、魔法で停まる。夫が扉を閉める。魔法をつかっているみたいな速度で追ってきていた奴隷達は、扉が閉まると途端に大人しくなる。

 いや、音がする。扉が閉まったと同時に、なにかの音が鳴り始めていた。奴隷たちはこれで大人しくなったのだ。

「待っていてといったよね」

 夫の声には非難がこもっている。水城は突然起こった出来事に混乱していて、小さく頭を振るだけだ。どうして、奴隷に襲われるなんて思うだろう。

 夫が申し訳なげに目を逸らし、把手を引いた。「エレヴェーター」が動きはじめる。


「本当に、ごめん。驚いただろう」

 水城は頷く。「でも、あの、水城」

「ここのなかは、雨田ではないから」声が震えている。「なにもいわない。ここで処理するべきこと」

「ああ、助かるよ、まったく……僕はどうかしてた。君をひとりにするなんて」

 そんなことはない。逃げまわっていた自分がおかしいのだ。あの程度は叩きのめせばよかった。

 だが、そういった会話をすることが億劫だった。なにが起こったのか、どうして起こったのか、くわしいことは聴きたくない。だから水城は黙っていた。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後0時五十七分


 水城は奴隷のことをいわなかったし、テオも話さない。ふたりは「道」を通って、物置から外へ出た。

 そこから見える位置に、宴席が設けられている。大きな長テーブルに、椅子が人数分。枝折がそうしたいといったからだ。寒いのに、外でお祝いをする、と。

 水城は疲れていた。この数日の疲れが一気に押し寄せたような心地がする。ちっちっと舌を鳴らして、水城はテーブルのほうへと宙を滑る。夫がついてこれるように、ゆっくりと。

 小さな黒いものが動いているのが目にはいった。黒い服を着た子どもだ。水城はすーっと地面におり、這いずっている子どもを抱え上げる。奴隷の子だ。

 軽く体を上下させる。子どもは楽しそうに笑う。「奥さま」

 エミリアが走ってきた。たしか、エミリアには子どもが数人居た。

 水城は、体を縮こめるエミリアに、子どもを渡す。

「申し訳ございません……抜け出してきたようで」

「いえ。妹をあやしたのを、おもいだした」

 水城はぎこちなくいう。エミリアが微笑む。

「長夜さまですか?」

「いいえ。血がつながっていない妹が居たの。養子。魔法力がはやくに発現して、魔法に失敗して死んだそう……」


 くわしい経緯は知らない。魔法力が発現した妹は、母よりも魔法力で劣っていたので、奴隷数人をつれて家を出た。半年くらいして、魔法に失敗して死んだと聴かされた。

 エミリアが頭を下げる。

「申し訳ございません」

「いいの。あなたの所為で死んだのではないのだから」

 魔法をつかうのは危ないことだと、水城はそれで学んだ。だから、自分の魔法力が発現した時に、慎重でいられた。

「誰の所為でもない。誰かが妹に、きちんと教えてあげていたらとは、思うけれど」

 エミリアはなんともいえない表情をうかべていた。哀しむような憐れむようなものだ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後一時十三分


 誕生日会ははじまり、枝折はお菓子やご馳走、贈りものに目をかがやかせる。新しい薄桃色のワンピースを着て、ご機嫌だ。

 一方の水城は不満だらけだった。三姉妹は傍若無人だし、母は困ったように笑っているだけだし、長夜は枝折に下らないことを話している。夫はお茶をすするだけ。わたしはじっとしているだけ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後一時四十六分


 いい加減我慢の限界だった。三姉妹が、テオを眼前にしても、水城の結婚の話をするからだ。

 水城はちちちちちと舌を鳴らし、三姉妹の前に置かれたスープ皿をひっくり返した。三姉妹の悲鳴が上がる。

「水城!」

「なんてことするの」

「お行儀の悪い子ね」

「あなた達を招いた覚えはない」

 指さした。三姉妹はかたまって、こちらを睨んでいる。「結婚の話をやめるか、帰るか、どちらか選んでください。選べないなら、わたしがお家までおくってさしあげます」

 三姉妹は下らない話をやめるのを選択した。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後一時五十八分


 ひと悶着あったが、その後は三姉妹も大人しくなり、枝折はケーキを食べてご満悦だった。石刀国の習慣はよく解らないものが多いが、年に一回でも理由をつけて宴会をするのはいいと思う。特に、子どもを喜ばせるというのは。

 水城は満足していた。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後一時五十九分


「なんなのっあれは!」

「なんてこと!」

「おそろしい!」


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時00分


 三姉妹の叫びに水城は娘から目を逸らす。なにを大騒ぎしているのだろう。

 来年は、来たとしても追い返そう、そう思いながら、三姉妹が見ているほうへ目をやり、水城は息をのんだ。

そこには夜空があった。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時二分


 それは夜空だった。

 よく晴れた青空の一部に、不自然な程に雲がかたまっていて、その間から()()()()()

 そのまわりの空はくらい。濃紺と濃紫をあわせたような色だ。「ああ嘘だろ……」夫がそうもらす。水城はじっと夜空を見ている。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時五分


 母がいった。

「扉だわ」

 そんなばかな話はない。扉はもうある。第十二世界から第十一世界への扉が。第十一世界には、第十二世界への扉と、第十世界への扉がある。

 第十二世界の人間が、第十一世界への扉を視認して、六十三年だ。法則性は皆知っている。それぞれの隣接する世界としかつながれない。世界は十二まで。扉は扉の形をしていない場合もある。扉は壊せる。

 エミリアが泣き喚いて子どもを抱えている。長夜がぶるぶると震えている。三姉妹は黙っている。枝折は怯えている。夫は頭を抱えていた。

 あれが扉?

 第十三世界があったとでもいうのだろうか。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時十分


「水城」水城は立ち上がっていた。椅子の背凭れに手を置いて、舌を鳴らす。夫が水城の手を掴む。「だめだ」

 水城は雨田の長だ。確認する義務がある。

 あれが雨田の敵か味方か。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時十一分


 水城は夫の手を振り払って浮上した。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時二十分


 長夜や母が追ってきたが、水城程の魔法力を持たないふたりは、高く高く空へ向かって飛び続けることは不可能だった。

 水城は飛び続けた。初めの頃よりも速度を上げている。夜空は遠い。月が見える。欠けた月が。



 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時三十六分


 息が苦しい。

 髪が凍っている。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時五十四分


 夜空は目前だ。とてもひろい範囲だった。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後二時五十九分


 そこに誰か居る。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後三時四分


 なにかよく解らない。

 下のほうから音がした。

 狐々岳が噴火していた。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後三時五十分


 水城は狐々岳の上空に居た。雨田をまもるのが仕事だ。どうあっても責務は果たさなければ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後三時五十一分


 研究所が壊れている。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後四時三分


 火砕流はくいとめた。夜空はまだある。研究所からは研究員や、奴隷が出てきていた。助け合っているように見えた。

 魔法力が空中を流れている。

 水城はくびすを返した。家族の許へ戻りたかった。夫と娘の許へ。


 第十二世界「竹柏」 〈視認歴〉六十三年十一月七日 午後四時四分


 水城は魔法力で「道」をつくり、夫と娘の許へ戻った。

 夫は娘を抱きかかえて途方に暮れていた。「ああ、水城、なんてことだろう。やってはいけないことをやった」

「いいの」

 水城は夫がそれ以上喋るのをとめる。

「もういいの。枝折、魔法はつかえる?」

 枝折は泣いている。泣きながら頭を振る。

「枝折、魔法はこわいもので、失敗したら死ぬんだってことを覚えていて」

「お母さん」

「大丈夫。わたしの魔法力は尽きない」

「水城」

 水城は頭を振る。事実をいったまでだ。水城の魔法力は、研究所の予測を超えていた。


 決まりがかわれば水城はそれに則って行動をとる。決まりを破ることはない。

 これからなにがはじまるのか解らないけれど、このふたりを失うつもりはない。



 加筆修正しての再投稿です。




 ©2021 弓良 十矢



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