☆6 赤く燃え広がった空が
溢れそうなくらい花で飾られた母の墓の前で、彼女は新しい花束を捧げて目を伏せた。
故人が生きていたらさぞ喜んだろう、水を弾くほどのピンクの花びら。
俺のことを気遣うように、リリーは鼻声でこちらに訊ねた。
「お母様は……いつ、お亡くなりに?」
「二週間前の、明け方に」
いくら元気に思えても母上の命日は記憶に残っていた。ふと胸騒ぎがして、自分は前日の晩に母に一つの質問を聞いてみた。
その時のことを思い返しながら、俺は僅かに空気を震わせる。
「死ぬ前の夜に、家族のことを愛しているか訊ねることができた。本人は、死期を悟っていたみたいだった」
『……え? 家族を愛しているか、ですって?』
俺と似た横顔。
少しだけ考えた後に、母はくしゃり笑う。
『そんなこと決まっているじゃない。世界で一番の宝物よ』
掠れた声で、ひしゃげそうになった細い喉で。
俺は知っていた。これから一夜が明けた時、あなたがもう二度と目覚めないであろうことを。
その瞼を閉じて、優しい瞳は無垢なガラスへとなり果ててしまうことを。
願っていても、運命は変わらない。
『この先、何があっても。誰を敵に回しても。
……お母さんはあなたの味方であること、忘れないでね。ジークシオン』
冷たい温度の手で、愛息子の頬にそっと触れながら。
母はそう言った。俺はいつまでもすすり泣いた。
「そう言い残して、明け方に息を引き取った」
覚悟はしていても、喪失感は大きかった。人の死というものは、いつだって魂の一部を失ってしまうような感覚がするものだ。
自分達は一体、死の順番が訪れるまでに幾つの喪失を重ねていけばいいのだろう。
早く旅立っても、最後に取り残されてもどちらにせよ辛いことには変わりない。
……なあ、そうだろ。リリー。
にわかに強い風が吹いた。
生まれ変わった俺の金髪を、今は幼い少女の亜麻色の長い髪を巻き込んで。
外した帽子を胸に当てて、彼女は呟く。
「不思議だ、二人ともまるで分かっていたみたい」
「分かっていたさ。親はいつか死ぬものだ。俺はそれが早めに来ただけで……」
いや、格好を付けたことを云っている。そんなの、本当は嘘だ。
俺は、かつていつまでも両親は生きていると信じていた。どんな乱暴な態度をとっても、暴言を吐いても必ず許されるのだと。
だからそれが永遠でないと知った時。
愛には終わりがあると分かったのは、死神が去った後。
八つ当たりのように世界を恨んで。過去の己の過ちを誤魔化して。
そうして、生きて。心底の絶望で、無様なくらいの自分で。
「お可哀そう、ジークシオン様」
「本当にそう見えるか?」
まだ自分は運がいいと、そう思う。
無自覚に忘れかけていた過去の後悔を、こうしてやり直すことができたのだから。
束の間の切なさと裂けるような心の痛みと共に、嬉し泣きすら覚えるのだ。
「自分は、どんな形でもまだ母が生きていますから」
「こういうのは、長さじゃないんだよ。短いからこそ本物になることもあるんだ」
追放されたリリーの儚く短かった人生が、俺にとっての全てとなったように。
「……そう、そうですね」
少女は泣きたいのを堪えているようだ。
リリュカとは母は、かなり仲が良かった。彼女の男装を責めることは一度もなかったし、俺との婚約を反対したこともない。
もしかしたら、二人の間には俺が知らないだけで物語があったのかもしれない。
それを母の口から聞くことはもうできない、が……。
「私達は倖せだ。どんなに俺にとって憎たらしい婚約者でも、こうして泣いてくれる小さな友人がいたことは母上にとっても幸福なことだ」
「…………っ」
リリーは、我慢していた涙を溢れさせた。
泣きじゃくっている肩を抱いて、無言で二人喪に服し瞳を閉じた。
どうして、君はこんなに美しく泣くのだろう。
俺は何度君を泣かせてしまうのだろう。
数えられないほどの過去への溜息は喉の奥で飲み込んで。もう少しだけ、醜い自分は見なかったフリをしたい。
あと少し。
もうちょっとだけ……。
抱きしめた彼女の髪からは、微かな花の香りがした。
愛おしくキスを落とすことはできなかった。
そんな資格、リリーを糾弾して殺した俺のどこにもなかった。
誰か、言葉を教えて欲しい。
彼女を傷つけるだけでない。心の底から笑ってくれる魔法を……。
時刻はいつの間にか夕暮れとなって。石の前の二人は、赤く燃え広がった空が静かな藍色になるまでずっと寄り添っていた。