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☆5 空に還る




リリーの育てた花は、いつもそれは美しく咲いた。

時折、彼女は育てた花を鉢植えにしてノクターン邸に贈り物としてよこしてくる。いつしか我が家の庭にも花が増えて、不思議なことにいつまで経っても散る様子がなかった。


マティルダはメイドとして働き始めた。俺がどこからか連れ帰った不思議な少女を使用人たちは遠巻きにしていたものの、持ち前の明るさに心が響くものがあったのだろう。

リスにはフレディという名前をつけた。つけたのは、母だ。


新しく始まった生活に心が安らかになっていく。

願わくば、このままでいたい。

誰も失わないままに、時間が止まって欲しい。そう心から思っても、残酷な運命はやってくる。

晴れの日があれは、雨の日もある。

土砂降りの日だって来るし、どうしようもない災いだって――。





俺が十二歳になって、母は心臓の病で亡くなった。


その日はいつになく陰鬱とした雨が降っていて。春の花々がその中で一際美しく咲いていた。心の準備をしていても、できればこの死は回避したい出来事だった。生まれ持った命の短さまではマティルダにもどうしようもなく、春の終わりに飛び立つ燕のように空へと魂は旅立った。


母は亡くなることによって不自由な肉体から大気になって自由になったのかもしれない。そう分かっていても、俺は痛恨の想いとなった。

凍えるような雨の日の春の寒さ。

心は悲しみで一杯になり、しばらく誰とも会わないつもりだった。

塞ぎこんだ俺に、リリーは手紙をくれたけれど。開封できずに引き出しにしまったままで、メイドとして働いていた魔女はしばらく何も云わなかった。どうしようもなく大事なものが欠けた俺は、誰ともその悲しみを分かち合おうと思わなかったのだ。

ひと月が経って、マティルダは俺の呪いの治療をしながら一言呟いた。



「……あたしを恨もうとは思わないの?」

「恨む?」


「こういう時、人間は真っ先に魔女を責めるものなんだ。魔女ならどうにかできたかもしれないのに、わざとそうしなかったように誤解するの」


「でも、そうじゃないんだろ?」

「…………」

沈黙は肯定の証だった。


「あたし、アンタのお母さんは嫌いじゃなかった。身寄りがないって嘘をついたあたしを黙って受け入れてくれて……優しい人だった」

「うん」


「あの人の分まで、アンタのことはあたしが守らなくちゃいけないって……そう思う」

マティルダの言葉に、俺は息を呑んだ。

少女は強い感情のこもった瞳で、前を睨んでいた。それはまるで、運命を掌る神々全てを敵に回すような、そんな意思があった。


「……マティルダ」

思わず俺は声を洩らした。


「勘違いしないで。……あたし、アンタのことはそれほど好きじゃない」

「分かってる」


「アンタは、あの男の子みたいなお嬢様と末永く仲良くやってればいいんだ。きっと空に還った奥様だってそれを望んでるんだ」


「うん」


「だからあたしは……多分、アンタのことを好きになっちゃいけない」

ぶすっとした顔つきで、どことなく恨めしそうな態度をしている魔女に、俺は呟いた。

いつもなら口にしない言葉。こんな時でなければ、一生言うこともなかっただろう。



「……ありがとう、マティルダ」


「ひゃえ!?」


俺の感謝の言葉に、魔女は頬を真っ赤にした。

林檎のようになったその顔に、俺は苦笑する。どこか家族のように感じられる少女に、いつしか勇気づけられていた。


「一緒に暮らしてみて分かった。俺は魔女であってもお前のことそれほど悪い奴だとは思わないぞ」

「はあ!?」


「その無駄に偉そうな態度も、他愛のない妹のようなものだと割り切れば仕方ないと思える」


「だーれーが! 年下じゃこらァ!?」


何故か怒り出したマティルダは、契約者である俺の襟首を掴んで叫ぶ。いつしか俺たちが笑いだすと、木陰の向こうから何者かの気配がした。

こちらの視界には入らなかったものの、フレディが小さく鳴いた。

ここから遠ざかるような足音。ぼんやりとしていると、俺の足を思い切り魔女が踏んだ。


「イタッ」


「アンタ何やってんのよ! 早く追いかけなさいよ!」


「……よくも俺様の足を踏んでくれたな……一体どうして?」


「見えなかったの!? 多分、今あそこにいたのはリリュカお嬢様だわ! ……きっと、何か誤解をされているのよ」


……何を?

俺と、マティルダを?

どうして?

良からぬ状況に気が付き、ジークシオンは顔色を悪くした。

恐らくリリュカは一向に返事のない手紙に心を痛め、俺の様子を見にわざわざ訪問してくれたのだろう。……それなのに、当の本人ときたら、メイドを相手にへらへら呑気に笑っていたというわけだ。

「最悪だ」

このまま帰すわけにはいかない!

俺は慌てて、魔法のリスが指し示す方角へと足を向けた。





小走りに探してみると、彼女は今にも馬車に乗って逃げ帰る寸前だった。目尻に涙を浮かべ、口をへの字に曲げている。

俺の姿を見つけると、リリュカの顔はソッポを向く。

「……なんですか、わざわざ」

気のせいか、聖女のようであるはずの彼女の言葉には棘があった。


「なんだもこうだもない。どうしてわざわざこのノクターン家にやって来ておきながら、会わずに帰ろうというんだ」


「よ、用はもう済んだからです」


「……ほう?」

短気な俺は、些かカチンとくる。

思わず手が出た。といっても殴ったわけではない。馬車に乗り込もうとした彼女の、リリーの手首を思い切り掴んだのだ。

「な…………っ」

少女の髪は、一陣の風によって舞い上がる。


「それはそれは、婚約者に会うこと以外にどんな御大層な用事があったか教えてもらいたいものだな?」


みるみるうちにリリュカの顔は青ざめる。

泣きそうになっている小さな男装少女に気が付き、俺は感情に任せて何やら選択を誤ったらしいことに気が付く。それと同時に初めて触れた彼女のきめ細やかな素肌の柔らかさや、華奢な手首に心臓がホップステップジャンプと踊りだしそうになった。


「お、奥様に会いに来たんです」

「ついこの間死んだばかりだが」


「お墓参りに」

「この屋敷に先ぶれも出さずに、か。では、母上の眠る処へは俺も同行しよう」


その時だった。

はらはら、彼女が悔しそうに涙を零して泣き出したのは。


「どうして、婚約者なのに頼ってくれなかったんですか……」

「何を?」

くしゃくしゃになった涙声で、少女は恨み言を零した。


「私は、御母上が亡くなられたと聞いて、ずっとジーク様から連絡が来るのを待っていたんです。きっと、塞ぎ込まれていると朝も夜も心配してたんですよ」


幾つもの夜を、星の瞬きと共に自分のことを想っていてくれたと知る。

……ああ、俺はなんて贅沢な人間なのだろう。

遠くにいたはずの彼女が少しでも己のことを気にかけてくれたと知っただけで、世界がこんなに違って見えるのだから。


亜麻色の髪に、美しい真珠のような涙が滴って落ちていく。

美しく泣く君。その光景はまるで巨匠の描いた一枚の絵画のようだった。


その時、泣いている少女の姿に一瞬だけ誰かのシルエットが重なって見えた。その瞳を閉じても焼き付いている姿は、成長して俺が断罪した瞬間の、憔悴しきって大人になった彼女そのものだった。

抑えきれないくらい、心臓が跳ねる。



『ローズレッド伯爵令嬢。君にはついぞ失望した。ここに、悪徳を重ねた君との婚約破棄を宣言する――、』



「――――ぁ…………っ」


反射的に、冷や汗が滲む。

魂が悲鳴を上げた。恐れていた揺り返しが、来る。


「違う、らなかったんじゃない」


……違う、今ここに居るのは、あの時俺が殺した女性ではない。

どうして気付かなかったんだ。彼女は等しき人物でありながら、全てが同じではない。

もう一度やり直したとしても、俺があの日殺した彼女を、あの次元の非業の死を遂げて風に溶けた彼女を救えるわけではないのだ。


「俺はお前を……」


心臓から痛い。

こんなにも、運命は辛くて痛い。

俺はどうしたいんだ?

もう一度この生をやり直して、リリーを……彼女をどうしたい?


「知ってます。僕は、貴方の不出来な婚約者です。本当だったら、もっとずっと秀麗なご令嬢方が貴方の側に居るべきだった」


違う。違う!

今更ながらに知る。

だからお前は、時の彼方に消えた貴女はいつもそんなことを想っていたのか。


「だから、いつか貴方に相応しい誰かが現れるまで。別れの来るその日まで、仮初の婚約者である私は、貴方の隣で居続ける。そういう役回りだと分かっていたはずだったのに」


俯いたリリーは、どことなく寂しそうに笑った。不格好で儚く美しいその笑みに、俺は唇を噛んだ。

足元に落ちた眼差し。朝露のように消えてしまいそうな華奢な姿に、このままではいけないと知った。


「俺に今以上に相応しい相手なんて誰もいない。メイドのことは……その、マティルダはお前とは全然関係ない。いや、あるといえばあるけど……」


なんて云えばいい。まさか、本当のことなんてとても言えない。


「そうだ、アイツは、相談役だ」

「相談役?」


「婚約者のことを……その」


自分はこんなに口下手だったろうか。

しかし、窮して困り果てている俺の様子を伺い、リリーはようやく仄かに笑ってくれた。


「そうですか!」

「だから、その……」


「いえ。いいです、それ以上は云わなくて」

いつの間にか涙は止まって、リリュカは穏やかに凪いだ瞳で世界を映す。


「もう泣きませんから。なんとなく分かりましたから。ね、フレディ」


肩乗りリスは走り回ってくすくす笑う。

口ごもって、俺は視線を落とす。ようやく掴んでいた彼女の手首を離すと、その肌は少し赤くなっていた。


「もう、無垢な乙女にこういうことはしちゃいけません」

「お前は全然無垢じゃない」


悪態が口から出た。そんな俺を、彼女はニコニコ笑って見ていた。





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