☆2 出逢い
俺はようやく思い出した。
今日は、君と初めて出会った日であったということを。
昼食を終え、ティータイムの刻限になった頃合いで父から呼び出された。
心臓が軋む。竦んで悲鳴をあげそうだ。……この後何が起こるのかを、俺はすでに知っていた。
「来たか、ジークシオン」
「父上」
「紹介しよう、彼はローズレッド伯爵だ。私の古くからの友人で、お前も赤子の頃に出会ったことがある」
帽子をかぶり若々しく溌溂とした男性がいたずらっぽく笑って見せる。そんな伯爵の後ろに隠れるようにして俯いている子どもがいることに俺は気付いた。
「リリー、もう少し前へおいで」
父親であるローズレッド伯爵の優しい声掛けに、その存在はゆっくり顔を覗かせる。
長い睫毛にハシバミ色の瞳。亜麻色の長い髪さえなければ、一見すると少年と勘違いをしたかもしれない。咲く前の花のつぼみを思わせるような男装の少女がそこで遠慮がちに立っていた。
彼女は小さな剣を腰に下げ、貴族女性らしくない細身の白いズボンを履いている。
一度目の人生では俺はそのことがとても癇に障り、周囲の目を気にしてむしろ憎たらしく思っていたほどだった。
……会いたかった。
あれほど切望していた君が、目の前で息をしている。
もしも俺が素直な性格をしていたのなら、涙を零していたかもしれない。現に今、潤んだ瞳を隠すので精一杯だ。
「……そ、の」
ダメだ、舌がもつれて言葉が出てこない。
「リリー、ご挨拶をしなさい」
侯爵に促され、ようやく彼女は微笑みを形だけ作った。優雅に会釈までしてみせる。
「リリュカ・ローズレッドと申します。お見知りおきをおねがいします」
「ジークシオン・ノクターンだ。……よろしく」
……なんて声をかけたらいいだろう。
そもそも、あれだけの過ちを犯した俺などが話しかけていいものだろうか。
前回の人生では死別してから長いこと会っていなかったものだから、最早リリーは俺にとって神聖視された対象になってしまっている。そんな天使のような彼女に俺なんかが話しかけたら穢してしまうのでは?
「この度、二人は婚約を結ぶことになった」
「今日から両家はより一層の結びつきを強くすることになる」
そうなんですか、と何も知らない風を装って俺は頷いた。心の中では拍手喝采の雄たけびを上げたいくらいだったが、本心を隠して承諾をする。
リリーが考えていることは分からない。彼女は確か伯爵家の子どもの中でも妾腹の出のはずだったから嫌がることもできないのだろう。
……まずは親交を深めるために二人でティータイムを楽しむように。
そんなお決まりの言葉で俺たちは二人、別室に取り残される。
尊い君は、緊張しているようだ。その愛おしい顔を見ていたら、思わず甘い言葉でもかけたいと思う。
思ったのだ。が、
「こんなに男みたいで不細工な女は初めて見た」と口が、滑った。
驚愕に俺は自身を疑う。
まさか。こんな酷い言葉を吐いたのは己の舌か。
「まさか十にもなって騎士ごっこでもしているつもりではないだろうな、そうだとしたら俺は淑女という言葉を疑わざるを得ない。いいや、もしかしたらお前が淑女らしくないだけなのかもしれないな」
暴言は止まらない。
謝罪の台詞は彼女を否定する台詞へと置き換わり、ペラペラと相手の心を切り刻もうとする。
リリーは、呆気に取られてその言葉を聞いていた。つまんでいた砂糖菓子がテーブルクロスの上に落っこちたのにも気付かないほどだった。
「なんだ? 何か文句でもあるのか」
「あの。いいえ……、いや、はい」
戸惑いながらもリリーはこちらの様子を伺う素振りを見せる。
「言ってみろ」
「本当にいいのですか?」
困惑したリリーは口を開く。
「ずいぶん正直な方だなあ、と思いました」
「正直?」
「ほら、我が家って武門の家系なのにしばらく男の子が生まれなかったんです。だから代わりに僕が男装しているんだけど、最近ようやく弟が産まれて」
天使のような声。
ふわっとした笑顔で彼女は話した。
「僕は跡継ぎとして用済みになったっていうか、それで今度は公爵家の方との婚約って聞いて不安だったんだけど……いっそ正直に言ってくれて清々しました」
「褒められているようには思えない」
「褒めてませんもん。でも、男らしいですよ?」
一度目の人生の自分の態度を思い出して少し傷つく。
「うるさい」
「でも、不細工と云われたのはショックです」
落ち込んだのを隠すように笑って見せたリリーに、俺は視線を逸らした。ようやく落ちた砂糖菓子の割れた破片が拾われ、皿の上に戻される。
「……だったら、女らしくすればいいだろう」
言いたかったのはこれじゃない。
「今更、です。多分僕には似合いません」
記憶に焼き付くように俺は知っていた。
数回だけ見かけた彼女のドレス姿。彼女が何を思ってそれを着ていたのか分からないが、少なくとも他の蝶に見劣りをするようなものではなかったはずだ。
そのことを伝えようとして、また変な罵倒が出てきたらどうしようと躊躇う。
「……分からないだろう」
「え?」
「案外、男の服より似合いかもしれない。お前のことだから、馬子にも衣装だろうけどな」
泣きたくなる。
勝手に口は動いた。こんな呪いのような言葉しか話せない。今度こそは失敗しないように優しい言葉で話しかけたいのに、やり直すことがまるで許されていないかのようだ。
俺はもう君を傷つけたくなんかないのに。
「そうですか」
柔らかな笑顔で彼女は笑った。
それはどこか切なそうで安心したようなそんな笑顔だった。
「あなたは意外と優しいんですね」
「…………」
「いいんです、疎まれたり嫌われることには慣れているから」
「ちがっ」
「ジークシオン様は、きっともっとお似合いの女の子がいらっしゃると思います。ですが、少しの間だけ我慢して私にお付き合いしてくれますか」
――束の間、私にあなたの時間をください。
君は澄んだ声でそう云って、呪われた俺に微笑みかけた。