☆14 そして時が巡る
「ジークシオン様」
リリュカは、こちらを見て、ぱっと笑った。
憔悴した俺は、ひと月の間、彼女に会うことができなかった。
ただ、茫洋と窓の外を眺めていた。
光を浴びて小鳥が飛び立つ。木々の梢がざわめく。
そうだ。もうじき季節が変わるのだ。
渡り鳥が国を越える。
こうしているうちにも世界が巡る。
君に会ったらどうしたらいいだろう。なんと声を掛けたらいいのか。
迷っている間に時がたった。久しぶりに会うあなたは、更に綺麗になっていた。
「お久しぶりです。お元気でしたか? 最近、全然僕に会ってくれないから……わっぷ」
反射的に手が動いた。
彼女を抱きしめる。その温もりが、いとしい。
「どうしたんです……」
か、と続く前に、腕の力が強くなる。
奇跡だ。
私の心が、時間を越えて。あなたを愛していることが、ただ。
「リリュカ。言っていなかったことがある」
くしゃりと自分の顔が歪む。
「……すまなかった」
リリーは、泣き出した。
「なんで……」
「嫉妬をしていた。お前が、アランや、あまりにも他の小さなものに心を寄せるから」
「そんなこと……」
「些細なことだった。リリーが笑ってくれているだけで、それで良かったんだ。君が君であるから、俺は幸せだった」
「…………っ」
彼女は、泣いた。
悲しそうに、嬉しそうに、無垢に涙を零した。
「私、本当はジーク様になんてつりあってなくて」
「うん」
「貴方が私なんかを、心に留めていてくれるだなんて思ってなくて。お母さんのこととか、そういうことでいつも、ぐちゃぐちゃになって」
「すまない」
「脅されていました。お金を寄こさないと、実の母が何をするか分からなかった。ジーク様とのつながりも、いつか消えてしまうような気がしていた……」
「俺がお前を幸せにしてやる」
「嘘です。この私なんかが誰かに愛されるはずがない」
亜麻色の髪をした彼女が雫をこぼす。それが美しくて仕方がない。
白い月のようで、野ばらのような人だ。
萎れてしまった小さな花。
「――私が愛そう」
俺は、いや、私は。
「あなたのことを、誰よりも愛そう。そう誓う」
「うそ」
「私が間違っていた。君のことを、取るに足らないことだと思い込んでいた。君との時間が、今度こそ無くなってしまうかもしれない。明日にも、君は消えてしまうかもしれない。不意に強くそう思った」
なんのことを言われているか、彼女はまるで分かっていない。
それで良かった。
幼く淡い恋心。リリーにとってはそれだけだ。
たったそれだけの為に、あなたは何度も命を落とした。私の執着のせいで、犠牲になった。
何度も繰り返した。重ねたこの心は、一生伝わらない。
少しでも君と共有できているのなら、嬉しい。
「君は、私のことが好きか?」
「……ええ、もちろん」
彼女のあどけない姿に、美しく大人になった姿がシンクロする。
二人分の笑顔で、彼女は囁いた。
「あなたが世界で、一番好き」
季節が過ぎ去って、そして私たちは、大人に近づいていく。
彼女との日々は短い。あっという間に時がたつ。怖いくらいに、のめり込んでいく。
リリーはますます綺麗になった。男装を完全にやめて、淑女として社交界に本格的にデビューをした。
俺はドレスを着た彼女のパートナーとして、いつも迎えに行った。
一輪の百合のような貴女。
誇らしく思うと共に、誰にも見せたくなかった。私だけの籠に閉じ込めてしまいたかった。
この時間に囚われている。
きっと、今度の人生が俺たちの最後の生だ。
それが分かっていたから、彼女を愛している。
私の呪いが解けたというのに、ずっと魔女はメイドを続けている。魔女は歳をとらないようだ。いつの間にか背はとうに離れて、マチルダは小さな女の子のままだ。
どうして幻術を使わないのかは分からない。何か、彼女の心を過去に留めているものがあるのだろうか。
掃除をしていた魔女が呟いた。
「最近のアンタって、つまんないわね」
「つまらなくて結構」
今日で16歳になった私は鼻で笑って見せる。
「なんかかしこまって、小さくまとまっちゃったっていうの? そんなにあの子のことがいい?」
「とっても」
私が笑みをこぼすのを、マチルダが不満そうに眺める。
頬をリスのように膨らませて、こちらを睨んでいる。強気にツンとして、素っ気なく言った。
「……あたしがアンタを好きだって言ったら、どうするの」
「は?」
呆気に取られて、私はポカンと口を開ける。
その唇が、小さな女の子によって塞がれた。
歳恰好に似合わない、舌を絡められた情熱的なキスだった。
反射的に真っ赤になったこちらに、マチルダは笑った。
「……忘れないで。あたしは、アンタのことが好きだった」
風が吹く。
魔女の赤い髪がなびく。
その唇が、うごく。
「馬鹿みたいにリリー様を見ているアンタが。あの子を愛しているのに不器用なとことか。嘘ばかり口にして、後から後悔しているところとか。全部、愛していた」
「何を……!」
「もうじき、この屋敷の人間があたしの正体に気が付く。だから、もうこれでアタシとアンタとの関係はおしまい。縁が繋がることもない」
思わず目を見開く。
魔女は、すすり泣いていた。
泣きながら、笑う。
「愛していたのよ、ジークシオン」
強く風が吹いて、あっという間のことだった。
魔女の姿が、かき消すようにいなくなった。乱された心はそのままで、私は呆然と立ち尽くす。
時報の鐘が反響して鳴った。
……そうして、マチルダが私の前から消えた。
誕生日を迎えた朝のことだった。