☆11 今度こそ守りたい
気絶している間、走馬灯のように思考がぐるぐる回った。酩酊する世界、甘く痺れた香りが頭の奥を鈍らせる。
白昼夢の世界。
ずっと怖かったことがある。
もしも今の現実が、過去に還ったこと事態が幻だったらどうしよう。
そうだ。考えてみれば後悔のやり直しができるだなんて都合のいいこと、そんな甘えたことが許されるはずがないのだ。
俺の罪は、今更許されていいはずがない。そんなことがまかり通ったら、彼女の死はその程度の覚悟だったということになる。
こんな馬鹿な人間は許されちゃいけない。
許されては……。
何度も反芻するのは、愚かな悲嘆だ。
ああ、神よ。
何故、俺だったのですか。
幾度彼女を傷つけて、生まれ変わった今だって無様にしか愛せない。こんなことなら、いっそ死んでしまえば良かった。
彼女は救いだ。救世主だ。嘘つきな俺の、希望であり絶望だ。
そう、絶望でもあるのだ。リリー。君は地獄からの使者だ。
君と話す度、俺は自暴自棄をも感じるんだ。
思考の中、うずくまった俺の手を何かが触れる。その温かさ。まばゆく白い手の指がためらいながらも握りしめてくる。
視線を上げると、そこには震える彼女がいた。
一気に血が逆流する思いになった。俺は、こうやって見ている彼女の姿が己の幻覚に過ぎないと気づいている。
「……俺はっ お前なんか見たくない!」
違う。
彼女が哀しそうに笑う。
「お前といると……おかしくなるんだ。こんな自分、嫌なんだ」
違うんだろう。本当は。
「何もかも上手くいかないことばかりで……、本当は、お前なんかに二度と会うつもりなんて」
リリー。
君と離れないのは、ただの俺のエゴだと気づいていたんだ。
本来なら、この婚約自体を解消するべきだ。傷つけることしかできない俺なんかとは離れて、彼女は彼女の幸福な人生を歩むべきだ。
それなのに、俺は。
手放したくない。
許されるなら、許されたい。
愛したい。君を愛したいんだよ、だって。
初めてだったんだ。唯一、人を好きになった。
君がいない世界になんの価値がある?
他の男がその柔らかな頬にキスするだなんて、耐えられるはずがない。俺の自尊心が、恋心が引き裂かれた思いになる。
もしも叶うなら。
今度こそ彼女を守りたいーーーー。
そこで、俺はハッと意識を取り戻した。
薄暗い倉庫。隣には、服に泥をつけて気を失っているリリュカがいた。
ここは……どこだ。
自分の頭が鈍く痛む。両手は後ろで縛られ、動けないように固定されていた。
「……とんだ失態だ」
どうやら、俺たちは何者かに拉致されたらしい。
嫌な夢を見た。
眉間にシワを寄せ、溜息をつく。どうやら肩のりリスは俺を見限って逃げ出したようだ。すると、気配を察したのかもぞもぞとリリーが動いた。
「…………」
「起きろ、寝坊助」
乱暴だが他に手だてがない。俺が足で軽く蹴とばすと、しばらくして彼女の瞼が上がった。ぼうっとした表情で辺りを見回していたが、ようやくこの状況を理解した。
「ジークシオン様、ここはどこでしょう」
「さあな。恐らくは貧民街のどこかの倉庫だ。どうも二人で攫われたんだろう」
何故なら、スラムに立ち込める独特の臭気と夜の気配を感じるからだ。顔をしかめ、隠し持っていたナイフで両手の縄を切ろうとしている俺を見て、倉庫を見回した後に彼女は無表情となった。
「貧民街……」
その両目は鷹のように鋭くなり、冷静に状況を把握しようとしているのが見て取れる。その横顔は凛として美しい。
「それは大変なことになりましたね。身代金目当てでしょうか」
「単純にそれだけならいいんだがな」
街中で身目のいい育ちの良さそうな子どもを捕まえる場合、貴族や隣国に人身売買で売り飛ばされる可能性もある。
大抵は男は奴隷用。少女は娼館行きというパターンも……。
嫌な想像をしてしまい、思わず黙り込む。
「ジークシオン様、安心してください」
リリュカはにっこり笑って言った。
「私はあなたを守ります」
「冗談じゃない」
頼むから危険な真似はしないでくれ。
本音で返すと、彼女は危険を察知した小動物のように動いた。
「誰か来ます」
乱暴に扉が開く。
外から男の声がした。
「はん、起きてたのか」
身なりの汚い卑しそうな男だった。年齢は分からない。ギラギラとした目が印象的で、甘い水たばこの匂いをくっつけていた。
「……お前が俺たちを攫ったのか」
「くく、そうだ。俺は見張りで、他の仲間は今ごろ売買ルートをあたっているところだと思うぜ」
いかにも悪役然とした返事だ。分かりやすくていい。
男はぷかぷかタバコを吸いながら、白い煙を部屋中に巻き散らかせる。
「坊ちゃんお父ちゃんに教わらなかったかい? この国には、目には見えない闇が蔓延ってるんだ。気軽に裏路地に入り込むもんじゃねえ、こうやって浚われちまうぜ」
「勉強になったよ」
にちゃあと男が愉快そうに笑った。
「金なら父上が溢れるほど持ってる。だから早く俺と彼女を解放してくれないか」
「ほう、自信があるんだな。もしや貴族の子かい」
「そうだ……」
「それは素晴らしい」
「じゃ、じゃあ解放してくれるのか!」
男は喉ぼとけを鳴らした。
「いいや、いけねえ。貴族はいけねえ。青き血のものと関わると破滅しか呼び込まねえ。みすみす身代金要求をして捕まるくらいなら、ここで闇ルートで売っちまった方がよっぽど頭がいいやり方だ」
俺は息を呑んだ。
もしも今の自分が大人の体だったら、取っ組み合いを仕掛けてリリーを逃がすこともできただろう。大立ち回りでヒーローになれたかもしれない。
しかしながら、過去に戻った俺の今現在の姿は非力な子どもだ。
もしも行動を誤ってリリーに傷でもついたりしたら……たらりと背筋に冷や汗が流れる。
対峙したその時。
「ーー動かないでください!」
両手の縄をいつの間にか切ったリリュカが、俺のポケットナイフを握って立ち上がった。身軽に鍛えられた肉体を持つ彼女は、一瞬のうちに間合いを詰めると……男を殴り倒しその喉に刃を当てて組み伏せる。
何やってるんだ!?
驚く俺の目の前で彼女は言う。
「死にたくなかったら言うことを聞きなさい! 僕とジークシオン様を自由にするんだっ」
「リリュカ! 馬鹿なことはよせ!」
「いいえジーク様! こいつらは断然とした悪です!」
「そういうことじゃないっ」
「僕が引き付けている間に逃げてください……」
「そんなことができるわけがないだろう! 俺がどれだけお前のことを大事だと思ってるか知らないのか!」
彼女がひゅっと息を呑む。こんな時だというのに頬から耳まで赤く染まった。
そこで、床に転がっていた男の唇がニヤリと上がった。
「嬢ちゃん、死は怖いかい」
「は……?」
「それとも、怖くはないというのか。勇敢さと無謀は分けて考えるべきだと思うが……まるで今の身のこなしは自棄になった自殺未遂のようだ」
「戯言を!」
俺の全身が凍り付いたようだった。
心臓が冷える。
「リリュカ、離れろ!」
彼女の持っていたナイフが奪い取られた。
俺は全力で駆け出してリリーを突き飛ばす。振るわれたナイフの切っ先が腕の肉へ突き刺さる嫌な感触がした。
「あ……」
彼女が悲痛な声を漏らした。
血が溢れる。赤。そのまま男と組み合いになる。
バタバタと音がして、外では悲鳴が聞こえた。「逃げろ」そう言いたいのに口が動かない。
心臓がビートを刻む。
痛みは感じない。流れる血さえも、ひどくゆっくりだ。
痛覚がなくなった後、何者かに引き離される。
「坊ちゃま!」
入口から誰かが飛び込んでくる。そこにいたのはーー黄金リスを乗せながら、血相を変えたアランだった。
助けに来てくれたのか。
「アラ……ン。頼む」
リリーを、頼む。
それだけ言い残して、俺は意識を手放した。




