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☆10 誘拐



「あっ 坊ちゃま!」

護衛の一人が大声を上げた。

人の波を抜けて、前へ疾駆する。

群衆、群衆、隣のリリーの呼吸と歌姫の音楽が耳に届く。

二人で息を切らして、追手を撒いたことを確認しながら俺たちはどちらともなく笑い出した。



「……最っ高!」

リリーは頬を赤く染めながら笑っている。



「さて、どこに向かおうか?」

「どこへでもいいよ、相手がジークシオン様なんだもの」


「それは恐悦至極だな」

その日、俺は柄にもなくはしゃいでいた。そうでなければ、このような無謀な真似を考えることはなかったろう。


彼女は宝石よりも透き通ったように綺麗だった。日の光を浴びて、そのまま虹となって消えてしまってもおかしくないほどに、純真だった。


俺たちは、屋台で売っている林檎を屋台で買って、貴族らしからぬ大口を開けてかじりつく。

固い皮とシャクシャクの実。瑞々しい香気。甘酸っぱい味がのどを潤す。

街角ではピエロがジャグリングで小銭を稼ぎ、神殿の関係者が寄付を募っている。

その側には路面電車が走り、大勢の労働者を乗せて走っていて。

灰色の蒸気機関の煙は風と共に流れる。リリュカは目を見開いてその光景を眺めていた。

あてどもなく、二人で散歩をして歩いた。いくつもの屋台をめぐって、冷やかしもした。小川の上の橋を渡るときには、彼女をエスコートした。ああ、このまま二人でどこまでも行けたなら、どんなに素敵なことだったろう。


「あっ」

リリーが声を上げる。

行き止まりの路地裏で、小さな噴水を見つけた。それは人々に忘れ去られたかのようにボロボロで、沢山の猫たちが集まって水を飲んでいる。


「ふふ、かわいいですね」


そう言いながら、火照った頬のリリーは自分の履いていた靴をおもむろに脱ぎ捨てた。ズボンの下に履いていた靴下も捨て去ると、その美しい素足を水に浸して見せたのだ。

大胆な遊びに俺は真っ赤となる。必死に冷静さを取り繕うとしているところに、リリュカはいたずらっぽく笑って見せたのだ。


「ジークシオン様、どうしたんですか」

「……貴族の子女たるもの、気軽に肌を見せるんじゃない」


「でも、とっても気持ちいいですよ、ほら、こんなところに神様の像がある」


そこに彫られていたのは、この国に伝わる時の女神エネディカーナの像だった。

確か、エネディカーナは大地の神と結ばれている、夫婦神だったはずだ。


「……朽ちかけてはいるが、物としてはよくできている」

「どんな人が作ったんでしょうか」


「恐らくは、神殿が作った広場なんだろう。こういった建築物は、神殿が貧民に対して施しをする為の公共事業であることが多い」

「へえ……」


リリュカは、複雑そうな横顔でそれを見た。そのまま細い指で野良猫の一匹を撫でる。獣は気持ちよさそうに目を閉じた。

婚約者の隣を独占している、茶とオレンジの毛玉にヤキモチを焼いてしまいそうだ。


「どうしてこんなに寂れているんでしょうか」

「噴水自体の需要がないんだろ」


「そういうものですか」

「世間とはそういうものだ」

そんなささやかな話をした後、リリュカはようやく水から裸足を抜いた。夕暮れが近づき、少しづつ風も冷たくなっているのだ。


小さくくしゃみをしている姿に、思わず笑ってしまう。


最高級のハンカチを水を拭うために贅沢に貸してやろうと思い、少女に向かって振り返った時のことだった。





「――みぃーつけた」





それが俺たちを襲ったのは、不意打ちだった。

大きな人影が、俺の口を乱暴に塞いで引き寄せた。

「ぐ…………っ!?」


「ジーク様!」

甲高い声でリリュカが悲鳴を洩らす。


この期に及んでその可憐な声に聞き惚れることは許されない。愛称で呼んでくれたことの喜びを感じている暇もない。二名の誘拐犯の目的は明瞭だ。このジークシオン・ノクターン公爵子息の身を狙った悪人がリリュカをも巻き込んだのだ。


その時、ようやく自分の犯した浅慮な真似を悔やんだ。

俺の精神年齢は一体いくつだというのだ。街を連れまわしたリリュカの驚く顔が見たさに、新参者のアランのすまし顔に苛立った末の護衛を撒くという馬鹿すぎる行動。


そう、そうだ。全てはアランが悪い。

あいつが使用人の癖にリリュカに流し目を送ろうとするから、他人の婚約者に気安く近づいたりするから。だから俺は、自分だけをリリーに見てほしくて。あいつを少しでも遠ざけたくて……。


……いや、違う。

悪いのは、――――俺自身だ。

いつだって、この世界で一番悪いのは誰だ。

側にいるだけでリリーを不幸にする。

自分の感情ばかり優先している。あの子の優しさを食い物にして、綺麗な魂を台無しにする。


「くそ、リりぃ…………」


そこで、視界が酩酊した。

口に当てられた麻布からは甘くて痺れる香りがする。だんだん意識が薄らいでいき、がくりと気絶した少年の身体から力が抜けた。






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