邂逅【後編】
会った。
「……!」
再び歩き出した少女は咄嗟に足を止める。
「結界に……誰か」
館の周りに張った結界に、何者かが触れたことを感じ取る。
――大丈夫、突破はされてない
「では、急ぎましょう。」
「うん。」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
男は何かを感知したようにはっと顔を上げる。
「……近づいてくるな。」
「もしここの主なら……思ったより早かったですね。」
その言葉に頷く。
「上手く運べば今日中に戻れるかもしれませんね。」
「そうなるといいのだがな。」
机に山積みになっているであろう書類を思い浮かべて苦笑する。
感じる魔力の量はこの域で暮らすのには丁度といったくらい。中級魔族だ。
最たる目的は幹部クラスを引き込むこと。そのためにはさらに強い者を探しに行く必要はある。
しかし、人員はいくらあっても足りないくらいだ。現在国では大量募集をかけているところである。
中級であろうと、勧誘が成功すればそれでも十分すぎるくらいの成果である。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
少女が根城にしている館の前に、二つの影を確認する。
幸い結界は超えられていないようだった。
『明らかに出待ちしてない……?』
『……そのように見受けられますね。』
思念を直接送って会話をする。そうすることで、指定した相手のみに言葉を届けられる。
『こっち見てるじゃん……気づいてるよねあれ。』
『……おそらく魔力を感知しているのでしょう。』
魔力感知。魔力を持つものは少なからず外部の魔力を感じる。
範囲や精度には個人差が大きく、意識していない場合は自分の周囲数メートルといったところが大抵だ。
スルーして結界内に入ってしまうことも考えたのだが、もし張り込まれたりでもしたら今後の生活に支障が出る上に、自分以外にも危害が加わるかもしれない。
ふと保護下に置いた少年の顔が思い浮かぶ。
気が進まないが仕方がない。
木を陰にしながら恐る恐る近づいていく。
スケルトンが自分の前に出ようとしたのに気づいた少女は、『エリック、大丈夫。』と思念を送りつつ手で制す。
『……そうでしたね。失礼致しました。』
心持ちからすると全く大丈夫ではないが、相手の得体が知れない以上、後ろにいてくれた方が対処しやすい。
結界の前に立つ二人の男。どちらも黒い軍服を身に纏っている。
その生地や装飾は素人目に見ても良い素材を使っている。どこかのお偉いさんだろうかと少女は検討をつけた。
一方は、栗色の髪に紫色の瞳。腰に銀の剣を携えているが、手はかけていない。ほのかに笑みを浮かべていて、今のところ敵対の意思は見受けられない。
もう一方の男は、黒い軍服と対照的な銀色の髪が目を引きつける。
そして、闇を閉じ込めたかのような漆黒の双眸。少女は、心臓が跳ねるのを感じた。
――同じ、瞳
ほんの数秒の間、少女らと男たちは互いに探るような視線を全身に泳がせ合った。
そして示し合わせたかのように――
深淵と深淵が、交わる。
風がさらった少女の前髪の隙間から顕になった黒曜に、男たちの瞳がわずかに見開かれたのように見えた。少女ははっとして、顔の半分を覆う前髪を抑えると意を決して言葉を紡ぐ。
「なに……だれ……」
発せられたのは、ぎりぎり聞き取れるようなとぎれとぎれの言葉。
彼女は知らない相手と話すのは得意ではなかったのだ。
森の中だけで生活してきた少女に、対人能力など備わっているはずもない。
――……もっとはっきり話せないのか私…………
自分にため息が出る。
それでも相手には届いたようで、言葉が投げかけられる。
「ここの者か。」
ここ、というのが館を指しているのだと察し、少女はこくりと頷く。
「名乗るのが遅れてすまない。俺はヴェルト。イリス帝国の皇帝をしている。」
「イリス帝国……」
少女はその名前に聞き覚えがあった。
――ちちが昔話してた……
少女には親代わりのような男がいた。「ちち」と呼んではいたが、父親、というわけではない。
少女は自分の出生を知らない。その男が言うには、この森で拾ったらしい。
そうして少女は館で男と魔獣と暮らしていたのだが、男は十数年前に館を離れた。
少女が森の外にでることはなかったのだが、その男がよく外の話をしていた。
そのときに聞いた名前だ。とりわけ楽しそうに話していたので覚えている。
そのうち連れて行ってやると言われた記憶があるが、それは未だ果たされてはいなかった。
その国の――
――……皇帝って、言った?
ヴェルトと名乗った男の言葉を反芻していると、栗毛の男も恭しく礼を向ける。
「私は側近をしております、ヴィオラと申します。」
――これは、こちらも名乗る流れ……
「…………私は、」
少女は逡巡するように視線を逸らしながら小さく「……ユリア」と呟いた。
後ろでかた、とエリックが首を傾げたのに気づいたものはいなかった。
「こっちが……エリック。」
ユリアに手で示されると、エリックは籠を抱えたまま器用にお辞儀をする。
「あの、で……その、皇帝陛下様が……何の用で……?」