プロローグ:のこされたもの
主人公のいない回。
とある小さな館の一室。
窓の外はすっかり日が落ちてしまっているため、無造作に吊るされた淡い光のみが室内を照らしている。
ほのかに薄暗くはあるが、ガラス玉に光を閉じ込めたようなそれらは、心地よく幻想的な空間を作り出していた。
広間の中央に陣取った木製の机の半分は乾燥した多種の薬草に覆われている。
空いた半分の場所に、ゆったりとした動作で食事を整えている者がいた。
落ち着いた長丈の黒いワンピースに、白いフリルのエプロンを身に着け白く細長い指を優雅に振るう。
その指先に導かれるように、食器が舞う。二人分の用意がなされたところで、彼女は手を止めた。
「あら、いけません。」
自分の間違いに気づいた彼女は、大げさに肩をすくめる。
「ついつい、いつものように用意してしまったわ。二人分くらい、食べてくれるかしらね。私たちは食べられませんもの。」
彼女がくすりと笑うと、かたかたという音が小さく響いた。
彼女はスケルトンである。食事を運んだ先にあるのは空洞だけだ。
「おはよ……思ったより寝ちゃったみたい。……ってあれ?姉さんはまだ帰ってないの?」
目をこすりながらふらふらと階段を下ってきた少年は、目当ての人物を見つけられずに動きを止める。
柔いはちみつ色の髪はあらぬ方向へと芸術的なうねりを見せていた。
彼の疑問には、するりと机の上に飛び乗った黒猫が答える。
「あの子ならちょっとあけるってさ。あんたが爆睡してる間に出発したわよ。」
「……は?」
「今ごろはとっくに森の外でしょうね。」
少年は大粒の翡翠を顕にして驚愕の表情を浮かべる。
先刻まで引き合っていた上下の瞼が、引き裂かれんばかりに反発しあっていた。
「……なにそれ、聞いてない」
整った造形を歪め、正に鬼の形相でわなわなと震える少年を見つめ、黒猫は「まぁ、こうなるわよね。」とつぶやくが顔色は変えない。
「あの子としては疲れて寝てるあんたを邪魔するのは忍びないと思ったのよ。」
「……わかってる。姉さんはそういうひとだ……でも、」
理解はしている。しかし納得ができるかといったらそれは別の話だ。
「お嬢様、そういうところ疎いですからね。」
黙っていたスケルトンメイドも口を開く。
数年間見てきたことを思い返して思わず憐憫の目を向けたが、そこにあるのは二つの穴だ。
「……今まで森の外に出るなんてなかったじゃないか!ちょっとってどれくらいだよ!」
「さぁ、数日から数年?」
少年の顔がひく、と目に見えて引き攣る。
「お前らの感覚でちょっとでも僕にとっては全然ちょっとじゃないんだよ!……1日でも堪え難いのに。」
頭を押さえてふらふらと壁にもたれかかった。
「……行先、知ってるんでしょ。」
「そういうと思ったけど、だめよ。だから私を置いていったの。わかるでしょ?」
「……っ!」
全て自分を思っての行動だということは痛いほどわかる。だからこそ、彼は余計に――悔しいのだ。
――僕がもっと、強ければ。
今の自分ではきっと連れていくなどという選択肢が端からなかったことなど考えるまでもない。
彼女のためならば、自身の命などどうでもよかった。しかし、それは彼女を傷つける。
彼女を護りたいとか心配だとか、そういうことではないのだ。もちろんそういった気持ちはあるが、抱くこと自体がお門違いなのである。彼には、そのことがよくわかっていた。
彼にとって、彼女はただ”全て”である。それだけのことなのだ。
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