メイドとしての日常
赤い高級そうな絨毯が視界いっぱいに広がる。そこには茶色いしみが広がっていく。部屋は紅茶のいい香りが漂っていた。
「こんなもの飲めないわ。いつまでたっても学習しないのね。」
甲高い声が耳に入る。この声の主はベラが勤めているメフシィ家の一人娘であるスリーズだ。わがままでメイドに対してあたりが強い。だが誰も咎めることはしない。できないのだ。
「申し訳ございません。すぐに入れなおしてきます。」
ベラは頭を深く下げ、謝った。スリーズはベラに対して特に厳しい。ベラの家は男爵家であるミィシェーレ家であり、この屋敷に来て2年目である。目を引くのはベラの容姿だこの国では珍しい琥珀色の瞳に加え銀色のキレイな長髪でその顔は儚げで端整である。思わず見入ってしまう美しさである。スリーズが会話している男性がスリーズではなくベラのほうばかりを見ていることがよくあるのだ。そういったところがスリーズは気に入らないのだろう。
「早くして頂戴。」
スリーズはきつく言った。ベラはもう一度深く頭を下げ、部屋から出て行った。
スリーズに紅茶を出し終え、ホールの掃除に取り掛かる。この仕事を終えれば昼食を食べ、庭の掃除をする。
空が赤く染まってきたころに最後の仕事に取り掛かる。広い庭を抜け屋敷の裏手に出るとそこには小さな小屋が立っている。小屋といっても人が一人入れるかどうか位の大きさだ。ベラ近づくと小屋からベージュ色の犬が出てきた。ベラが手をのばすとその犬はすり寄ってくる。
「くぅーん」
甘えたような声を出し指をなめてくる。この犬はスリーズが小さいとき、どうしても欲しいと親にねだって飼ってもらったラブラドールレトリバーである。数か月は自分で世話をしていたが、今では存在すら覚えているかわからない。だから、こうして毎日餌をやるのがベラの日課だ。名前はフェリックスという。元の名前があったがベラが新しく付け直した。フランス語で「幸せ」という意味がある。ベラは少なからずフェリックスに幸せをもらっていた。毎日スリーズの嫌がらせに耐えれているのもフェリックスが癒してくれる彼であり、自分がいなくなったらフェリックスがどうなってしまうのかと考えたら頑張らなくてはという意欲がわいてくるのだ。
フェリックスにご飯をやり自分の部屋に戻った。
次の日屋敷はざわついていた。その理由はすぐに分かった。昼が過ぎたころ来客が来たのだ。その来客はこの家の一人息子であるエンゾの婚約者になる人らしい。
ベラは婚約者の案内役に仰せつかった。ベラは婚約者に概ねの自己紹介をした。婚約者はクレメンスと名乗った。地味で弱気な雰囲気だ。見るからに顔色が悪い。
足元もふらふらしている。思わずベラは声をかけた。
「クレメンス様、体調がすぐれませんか?」
だがクレメンスは首を横に振った。大丈夫だと断られてしまう。ベラはどうしたものかと思案する。
「少々お待ちいただけますか。」
ベラは失礼だと思いながらもクレメンスにそこにいてくれと頼みお通しできる部屋を確認に行った。本当ならそのまま来賓室に通すのだが、そこには大勢のメイドがいるためゆっくり休めないのではと思ったのだ。そして綺麗に整備された部屋にクレメンスを通した。
「エンゾ様がいらっしゃるまで時間がありますのでこちらでお過ごしください。」
エンゾが来るまで少し時間があるのだ。ここならゆっくりとすることができる。
「あのここは、いいのですか?」
クレメンスは申し訳なさそうな顔をしながらベラに声をかける。それにベラはもちろんです。ゆっくりしてください。と返す。
「紅茶をお持ちいたします。」
ベラは紅茶の用意のため部屋を出た。
紅茶の準備をクレメンスがいる部屋のドアをノックする。中からは控えめな声が聞こえてきた。ドアを開けるとした向きに顔を伏せているのが目に入る。
「紅茶をお持ちいたしました。この紅茶はリラックス効果があります。どうぞお試しください。」
ベラは精一杯のほほえみで落ち着かせるように優しく言った。部屋は紅茶のいいにおいが漂う。クレメンスは弱々しくもこちらを見て微笑みを見せた。気を使わせてしまったみたいで申し訳ない、ありがとう、という旨をベラに言った。クレメンスは令嬢らしく優雅に紅茶に口を付けた。
「お名前はベラさんでしたよね。とてもおいしいです。お気遣いありがとうございます。」
クレメンスはメイドのベラに敬語で話す。ベラは敬称はいらない、敬語も必要ないとクレメンスに言った。だがクレメンスは首を縦に振らない。
「実は私昔ベラさんに会ったことがあるの。」
ベラは思ってもないことだった。侯爵家のエンゾの婚約者に選ばれたクレメンスはベラより身分がだいぶ上だと思ったからだ。
「昔このメフシィ家で行われたパーティーに参加したことがありませんか?」
クレメンスは確信を持った声で言った。確かにベラはここのメイドになる前はミィシェーレ家の一人娘としてパーティーにお呼ばれすることがあった。その時にここのメイドになることが決まったのだが。貴族の娘が身分の高い家にメイドとして使えることは珍しいことではない。男爵家のベラが侯爵家のこの家でメイドとして働くことも変わったことではなかった。両親はベラをどこに送ろうかと悩んでいるところだったのでちょうどいいということで決まったのだ。そこでクレメンスと会ったのだろうか。ベラはクレメンスの質問に肯定する。
「確かにあります。その時お会いしましたでしょうか?」
すみません記憶になくて、とベラは謝る。クレメンスは謝らないでくださいと慌てた様子で言った。
「昔もベラさんは今みたいに助けてくれて、優しかった。ずっとお礼が言いたかったんです。」
クレメンスは先ほどの弱々しさも見せずにはっきりといった。ベラは助けたなんて大げさだと言い、為になったのならよかったと微笑んだ。クレメンスが少し微笑んでから顔色を曇らせた。
「話を聞いてもらってもいいですか?」
クレメンスは顔を少しこわばらせながらベラに問う。ベラは私にできることなら、と落ち着かせるように優しく言う。
クレメンスのいうことはこうだった。家の経済状況が悪く、没落しそうだったところにこのメフシィ家から婚約の申し込みがあったという。なぜ侯爵家から伯爵家であるクレメンスの家に婚約の申し込みがあったのかわからないが、これは没落回避の大きな光だ。メフシィ家は侯爵家の中でも裕福な家だった。結婚すれば少なくない援助金がもらえるだろう。クレメンスの家はこの婚約に反対だった。でも爵位が低い家から高い家への婚約の断りは納得させられるような理由がいる。それにクレメンスは家の窮地を救えるならと承諾したそうだ。でもここまで来て怖気づいてしまったという。
ベラはクレメンスの話を静かに聞いていた。ベラにとってこの話は他人ごとではない。ベラだってもう少しすれば家から縁談の話が来る。昔からわかっていたことだが、見ず知らずの男の人と結婚して子供を産まなければならない。ベラには思い人などはいない為まだいいのかもしれない。
ベラはクレメンスの傍らに膝をつき下から顔を見て、両手でクレメンスの手を包み込んだ。正直ベラは何を結うべきか迷っていた。ベラ自身誰かもわからない人と結婚するのは嫌だったが、正直諦めていたのだ。
「クレメンス様。一緒に解決策を見つけましょう!結婚しなくても済むように!」
クレメンスは驚愕の表情を浮かべた。そしてありがとう、とほほ笑んだ。ベラはメフシィ家に努めている身であるためこんなこと本当は言っていい立場ではない。でもベラはどうにかしてあげたいという気持ちになったのだ。
「それにまだ婚約ですよ。結婚まではまだ時間があります。」