起動札の変化
「ルシャさん、このバラ売りの天と闇の起動札売ってもらえませんか?」
ナナギにしては珍しくネイヴァンとファクトからの可否も確かめずに、受付の女性に声をかけた。
頭からそれが抜け落ちるほど、絶好の機会に喜びで舞い上がっていたのだ。
いつになく性急なナナギに、ネイヴァンは目を丸めている。
建物自体は大きいものの、田舎なため職員が多くないギルドは、売店はカウンターに座った受付が兼ねている。
呼ばれた受付のルシャは、受付としての真面目な顔から、面白そうなものを見る顔になる。
「天と闇の起動札が欲しい? 魔法に興味があるのはお年頃かしら。それとも、闇の神起動札が欲しいってことは、ナナギ君は将来は役人希望なの?」
どことなく含みというか、微笑ましいものを見つめるような生ぬるい質感を覚える声音だった。
(なんか、こう、この世界にも厨二病的な概念はありそうな感じだな)
日本と同じように、闇属性というのは少年の心をくすぐる何かがあるのは、世界が変わっても存在する共通事項なのだろうか。彼女の勘違いに言葉にできない緩い羞恥心が湧く。
「そういうわけじゃありません。ただ、魔法に興味があるんです。これの使い方を教えてもらえませんか?」
ナナギが真剣に言葉を重ねると、彼女は興味本位での冗談や冷やかしではないことを察して、やや思案顔になった。
子供の戯言として受け止めず、受付嬢の仕事として、真面目に対応してくる。
「別に、いいけれど。あと、知っていると思うけれど、闇の神の魔法と他の神の魔法は相性が悪いわよ」
「あ、それはお構いなく。闇の神の札は俺が使いますけど、天の神の札はファクト様に使ってほしいんです」
「んー、使い方を教えてから売るのは構わないけれど、それで本当に使えるかどうかは才能次第なのよねえ。購入前に魔法が向いているかどうか、確かめてみる? 向いてないのに買ったら、お金の無駄だもの」
受付嬢の親切な申し出に、一連の流れを見守っていたネイヴァンは真剣な表情でこくこくと頷いた。
《鑑定》も持たないネイヴァンは、この買い物が無駄にならない自信がないのだから仕方あるまい。
ネイヴァンに安心してもらうためにもナナギはその申し出を素直に受け入れ、ファクトは起動札にさわれるだけでも嬉しそうで、それだけのことにわあっとよろこんだ。
闇の神の起動札をナナギが受け取り、雷の神の起動札をファクトがはしゃいだ様子で受け取った。
「多分だけど、はじめて起動札を持つのよね? 魔力を軽く込めてみてっていってもわからないだろうし、心の中で、札に対応する属性神に真剣に語りかけてみて。ぎゅっと、力をいれて札を持って、力を貸してほしいと祈るのよ。才能があると、起動札の彫られている模様の部分が魔力で彩色されるのよ。闇の神なら黒、天の神なら黄色よ」
受付嬢はふたりに教えると、ナナギよりも小さなファクトの様子が気になるようで、そちらを微笑ましく見守る姿勢にはいった。
ネイヴァンも、はしゃいでいる弟のほうに注視している。
ファクトは初めて手にした起動札に夢中だ。
三人とも、ナナギから注意がそれていた。
言われたとおり、ナナギは闇の神に力を貸してくださいと祈る。
手のひらで包み込むようにもった木製の起動札には、闇の神のモチーフとなる模様と、それを囲ってなんらかの規則をもった模様が彫られている。
きっと魔法陣的な力を持っている模様で、魔法の知識でも身につければ理解できるのだろうが、今のナナギにはよくわからないただの模様だ。
その、彫られた模様の端のほうから、絵の具で彩色されているかのように光沢のある黒がじわじわと侵食していき中央のモチーフまで染まり切った。
(お、わかってはいたけど、ちゃんと結果が形として目に見えると安心するな)
それに、実在していも絵空事のよう遠い存在だった魔法が、使えるようになるのは嬉しい。
この世界の魔法の知識はまだ乏しく詳しくない。
どんなことができるのか、まだわからない。
万能の力だと過度な期待はしないが、魔法とは無縁だった日本では考えられないような不思議な力を扱えるようになるというのは、自身の年も忘れてそれこそ幼いファクトのようにわくわくしてしまう。
しかし、起動札の札の変化にナナギが呑気によろこんでいられたのは束の間のことだった。
模様とモチーフが黒にそまるだけに止まらず、黒い艶はじわじわと彫刻から侵食して札全体が真っ黒に染まったかと思うと、木材の材質からまるでアルミニウムのような質感のものへと変化したのである。
(は?)
声をあげずに必死で動揺を喉の奥に飲み込んだ。
ナナギはそれを見て、咄嗟に起動札をぎゅっと握った。
「わ! 黄色になったぞ!」
動揺しながらも木札”であったもの”を隠すように握ったまま、盛り上がるファクトを見やる。
彼の手にはモチーフを囲む模様が黄色に染まった小さな木札があった。
「あら、よかったわね。天の神の魔法と相性がけっこういいわね。モチーフまで色がつくと最高レベルの才能を秘めているといわれているの。ファクトくらいの染まり具合だと、天の神の魔法レベルが10か11くらいまであがりそうね」
「ルシャ姉、それってすごいことなの?」
ファクトが息を弾ませて問う。
受付はにっこりと笑う。
その表情だけ見れば、裏を読まない相手ならば肯定と受け止めかねない満面の笑みだ。
「これからたくさん頑張れば、一角のすごい雷魔法の使い手になれるわよ」
うんともいいえとも言わず、幼い子供の夢を壊さずかつ嘘もない答えを返した。
せっかくここまで楽しそうにしているのだ。
特別な自分を夢想しがちな子供に、魔法を使うことに向いているが突出した奇異の才能ではないことをこの場で告げて、ファクトを萎ませるものでもないと考えたのだろう。
(あのくらいの変化が、一般的なら俺の手の中にあるこれってなんだ?)
これが、魔法を司る神の加護の一端というやつなのだろうか。
この変わり果てた姿を見せるのは、ネイヴァンやファクトならともかく受付嬢に見せるのはよくない。
非常に良くない気がする。
絶対に、変に悪目立ちをする案件だ。
ナナギの頭の中には異世界転移もののお約束が頭をよぎった。
「ナナギ、これを見て! ちゃんと黄色に染まったぞ。おれ、魔法が使えるんだ。前にいってたみたいに、これから雷魔法を使えるんだぞ」
そして、ファクトがナナギに札を見せつけるように高く掲げる。
しかしその時には起動札の模様はなんら変哲のない木の彫刻のままだった。
「あれ、もとに戻っているね」
ファクトがすぐに気づく。
「魔力の供給が途切れたら、すぐにもとに戻るのよ。そして、魔法の媒体にしたら、起動札の模様が消えてただの木片になるの。そうなったらすててちょうだい」
「そういえば、ナナギはどうだったんだい?」
「そうだ、ナナギは? ちゃんと黒い色になったのか!?」
こちらの結果を気にしてくる兄弟に、ナナギは努めて平静を装って頷いた。
ちらりと、手のひらの中の起動札を確認し、握り直した。
「はい、俺の持っている起動札も元にもどりましたが、ちゃんと黒くなりましたよ。ファクト様よりも黒くなったので、魔法の才能があるのかもしれません」
ナナギの手の中の板は、黒いアルミニウムのような物体のままだった。




