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『半径1メートルの日常』  作者: 八神 真哉
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『この世界の片隅に』  2018.8

『この世界の片隅に』という、テレビドラマをご覧になったことがあるだろうか。母は、その舞台となる呉の近くに住んでいた。母の父が駅前に葡萄畑を持っていたが、兵舎のようなものを建てると言うので接取された、と言う。ただで取り上げられたわけではないが断れるはずもない。


憲兵が、訓練中に脱走したという人間を探しに来たことが一度ならずあったという。もっとも地元の人たちの見解は違っていた。

「殴る蹴るで殺してしまい。脱走したことにしたのだ。敷地を掘り起こしたら人骨がいくつも出てくるに違いない」と噂していたという。

その憲兵が回って来た時に家の裏にいくらか残っていた葡萄を見ていたので「どうぞ」と答えるほかなかったという。以降、立ち寄っては何を聞くわけでもなく、つまんで帰っていったらしい。腹を満たすことさえ容易ではない時代である。


さて、ドラマの中で軍港の様子を絵にかいていた主人公が「お前は工作員か」とばかりに憲兵にひどく責められるシーンがある。山の上から軍港の地形などを書いていれば当然であろうとも思うが、母の思い出話は少々違っている。小学生の頃の話だから、まだ、開戦前だったのか、開戦直後で戦局が良かったこともあるのだろう。


母が先生から小学校の玄関先に飾るための絵を描くようにと指名された。普通は描いた中から選ばれる。これに男子が反発した。指定された絵は港に浮かぶ軍艦だったからだ。女子に描けるわけがない、しかも年下に、と言うわけである。

結局、母は、その絵で男子を黙らせた。それが、大言でないことは、わたしの幼稚園時代の学芸会の写真が証明している。端役のわたしの頭の上に載っていた絵は、その存在感で主役を圧倒していた。


祖母の仏壇の抽斗の中に大東亜戦争の国債(戦時債権)のようなものがあった。軍艦の絵が描いてありなかなか良いデザインだった。どの程度の価値だったのかはわからないが、葡萄畑のお金が入った以上、購入しないというわけにはいかなかったのだろう。


10年ほど前、祖母や母の先祖の墓のあるお寺に立ち寄った。結構な数の石柱が並んでいた。はっきりと文面は覚えていないのだが、「寄贈 零戦」○○と個人名が刻まれていた。近くにはひときわ大きな柱もある。丸ごと一機と言うことはないだろうが、母から聞かされた、「鉄ではなくコンクリートで船を作っていた」(運搬船だろう)と言う話に負けぬインパクトがあった。


軍艦で思い出したことがある。小4の頃、怪我で運動会の練習を休んで一人教室に残っていたわたしのもとに上級生二人がやってきた。相方が「こいつは絵が上手いんだ」と紹介し、その場で描いてくれた絵が軍艦だった。確かに上手かった。それが印象深かったのか、わたしは消しゴムを切り刻み、工作用ボンドを使い軍艦もどきのミニチュアを作った。ちょうど翌日が参観日であり、机の上の目立つ場所に置き、よそのお母さんから「上手いねえ」と言われ自己満足に浸っていたことを。

いまさらながら、幸せな時代に生きているのだなあ、と思う今日この頃である。



※これを書くにあたっては母に確認を取りたかったが、すでにそれは不可能になった。勘違いもあるかもしれないが、ご容赦いただきたい。


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