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『半径1メートルの日常』  作者: 八神 真哉
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『編集長』

昔話をしよう。マンガの話である。

素晴らしい編集長と馬鹿な男の話である。するつもりの無かった話である。

懺悔録と言うべきかもしれない。


その昔、わたしはマンガを描いていた。

マンガ家になりたいと強く願っていたわけではない。


才能はもとより、覚悟というものがなかった。

アニメの道も考えてスタジオを回ったものの、収入は月3万で、3年は仕送りが必要だという。

祖母と母を安心させようと、まっとうな給料が出るところに勤めた。


だが、まわりの何人かがデビューすると、せめて雑誌に1作、あわよくば単行本1冊ぐらいは出してみたいものだと色気が出た。

将来、子供がマンガ好きだったら自慢できるだろう、ぐらいのノリである。


傾向を変えた原稿をでっちあげて『LaLa』編集部に電話した。

「K編集長はいらっしゃいますか?」と。


常識はずれである。

一応、自分の名は名乗ったが、電話に出てもらえる可能性は限りなく低い。

「誰だ、それ?」である。


なにしろ、実績が無いのである。

学生時代に応募した『アテナ大賞』は、かすりもしなかった。


にもかかわらず、無謀ともいえる行動に出たのにはわけがある。

「投稿から始めたのでは時間がかかる。担当がついても相性という問題もある。編集長であれば、自分に向いた担当を紹介してくれるかもしれない」

と都合のよいことを考えたのだ。


というのも、かつて、高校時代に初めて描いたマンガで『花とゆめ』まんが家コースの努力賞をもらったが、この作品は持ち込みである。


最初に見た編集者は全く興味を持たなかった。

隣にいた入社したばかりの若い編集者が「僕も見てもいいですか?」と声をかけてくれなかったら、マンガを描くことに見切りをつけていただろう。


その後、その若い編集者と『アテナ大賞』の投稿作の打ち合わせをしていると、K編集長から声がかかった。


「君が〇〇君か。『ふしぎなえんぴつ』の原稿には連絡先が書いてなかったので、会議中に、すぐに探せ、編集長命令だ、と大号令をかけたんだよ」と言われただけである。


厚顔無恥である。

先日の「ホップ・ステップ・ジャンプ」ではないが、いつ化けるともしれないのだ。とりあえず誉めておくのが常套手段だったに違いない。


だが、編集長は電話に出てくれた。

さらに部下に回すでもなく、わたしの原稿を見てくれたのである。


もっとも、持ち込んだ「学園コメディ」はあっさりと一蹴され、

「『ふしぎなえんぴつ』のようなファンタジー(?)もので」と注文が出た。


「君は男だから、食べられないと続けないだろう。連載が出来る設定を考えてきなさい」とも。


いきなり連載である。

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの高橋留美子、鳥山明両先生でさえデビューは読みきりである。「手塚治虫先生以来の快挙」……と、マンガ仲間に自慢できるのである。


とは言え、長編を描く力はない。編集長も、そのあたりは抜かりが無い。

打ち切りも容易い、読み切り連載という形である。

ピンとこない人は『うる星やつら』を思い浮かべていただければよい。


「無理やり突っ込むんだから、第1話は短いほうがいい。できれば16。24ページまでで」と言われたが、何しろ「ファンタジー」である。「行って還る」話である。


結局、32ページで了解がでた。

2話は24ぺージでネーム(絵コンテ)、3、4話はシナリオまで進んだ。

「1話は、ペンを入れてくれば載せる」と言われた。

打ち合わせはずっと編集長であった。


のちに『バクマン』を読んで、それが破格の扱いだったことを知った。

わたしの仕事上の都合もあり、いつも夜になった。ビールと寿司が出た。


ある日、打ち合わせ後、編集長から、「君はキワモノだから」と言われた。

連載にするのに?と耳を疑ったが、そのあと「美内すずえ・和田慎二と同じで」と続いた。


『ガラスの仮面』『スケバン刑事』である。

正統派の少女漫画ではないという意味だったのだろう。

とは言え、移籍(?)前、別冊マーガレットでのアンケートで1位争いをしていたマンガ史に名を残すお二人である。


もっとも、「匹敵する才能がある」と言われたわけではない。

上手い褒め方である。

何でもあり、の『LaLa』だからこそ、キワモノでOK(編集長判断)であった、ともいえる。


だが、その作品が掲載されることはなかった。

わたしが体調を崩したのである。

残業が常態化しており、基本給より残業手当のほうが高い月もあった。


睡眠時間など取れなかった。思考能力が低下していた。

辞めればよかったのだが、辞められなかった。

トラウマを抱えていたと言うべきか。


貯金通帳をコピーして毎月のように母と祖母に送っていた。

わたしは、ろくでなしの父とは違うのだと。


住んでいたのは月16,000円の下宿で、電話などない。

編集長には公衆電話から一方的に連絡するのみで住所も知らせていない。

理由を告げることもなく、広島の実家に帰ったのである。


さて、「どのような話か」である。

マンガ仲間には掲載号が決まったら、受け狙いで『ナルニア国物語』のような話、と伝えるつもりでいた。

一致しているのは「行って還ってくる」ことぐらいだが。


掲載されていれば、評判になった自信がある。

にもかかわらず、いまだに誰にも見せず、あらすじも口にしなかったのにはわけがある。人間性を疑われるからである。


発表していれば、近所で「変態」が出るたびに警察が調べに来ただろう。

簡単に書くと、「ロリコン気味の大学生が6歳の王女のいる異世界に行って還る」話である。


第1話は、やきもち焼きの押しかけ彼女とともに……これ以上は書くまい。深みにはまること確実である。今であれば「あり」だと思うが、時代を考えると問題だったように思う。


当時、東京の駅前には「悪書追放」のボックスがあった。

さらに環境も悪い。


学生時代『アテナ大賞』用に6歳の女の子のキャラクター表を描いていた時の話である。

それを覗きこんだ男が「〇〇ちゃんの描く女の子はかわいいなあ」と言った。

彼はのちに、ロリコンマンガで一世を風靡した。家も建てたと聞いた。


何年か後、広島のマンガ・アニメ専門店の店長で、のちに『コロコロコミック』から単行本も出したA氏が、白泉社招待の書店勉強会(懇親会)で、K編集長と話をした。


マンガ家志望だったA氏から、「連載の話があったなんて嘘だと思っていた。おまえは馬鹿か。なぜ、仕事を辞めなかった」と言われることになる。


A氏の話から、編集長が、わたしに肩入れしてくれた理由もわかった。

編集長は大学時代「児童文学研究会」に所属し、そこからはプロの作家も出たという。編集長も書いていた(ようだ)と。


言われてみれば思い当たる節がある。

「うちから絵本や童話も出したいんだよ」という夢を語られていた。


和田慎二先生が童話のようなケース入りの本を出したのも、その後、絵本を何点か出版したのも、『MOE』が白泉社からの発売になったのも、編集長の意向が働いていたのだろう。


「当時とは『LaLa』も変わっている。〇〇君は、かわいい絵を描くので、『小学○年生』の編集長を知っているので紹介しよう」という話になったので、わたしの実家の電話番号を教えたという。


「話があったら断るなよ」とも言われた。

だが、あれほどの不義理をしたのだ。

お得意先の書店への社交辞令だろう、と思った。


そもそも『小学○年生』と言えば『ドラえもん』である。

あとは女の子向きが一つ。

男の子向きはラジコンロボット大戦のようなものであった。それは描けない。

かといって『ドラえもん』を超えるものなど誰も望んではいない。


連絡はなかった。

あったとしても親とは別居していたので、電話には出ることはできない。

失礼を重ねなくて済む、と逃げた。

とは言え、さすがに、かつての不義理に対するお詫びの手紙を書いた。


――以降マンガは描かなかった。

年賀状をくれる相手の多くがマンガやアニメ仲間だったにもかかわらず、昔の絵を使い回した。


十年以上経ち、実家に寄ったある日、ふと、母が口にした。

「そういえば、〇〇は、昔、マンガを描いていたよね」と。

「あの頃。誰か知らないけど、『息子さんには才能があるので、マンガを続けさせなさい』という、偉そうな電話があった」と。


A氏から電話があり、「いいか、ショックを受けるなよ。落ち着いて聞け……Kさんが癌で亡くなった」と聞いた後のことであった。





【付記】


「封印」と言いながら、自分にとって都合の悪くないエピソードは、これまでにポロポロと使ってきました。ゆえに、多々ダブりがありましたこと。ご容赦ください。


編集長にアイデアファイルを見てもらったことがあります。

「使えるものありますか?」と。

「全部使える」ここまでは確か。

そのあとが、あやふや。構成やキャラも含めての話をしてくださったと思うのですが。


ひとつ、ふたつ……いや、本音を言えば、ふたつ、みっつ「これなんか、いいね」を期待していたものの、まさかそんな答えが返ってこようとは……SFやミステリをはじめ、雑多なアイデアの殴り書き……当時の少女マンガからは程遠いものも多かったので。


考えてみれば、当時の連載は『日出処の天子』『綿の国星』『エイリアン通り』『摩利と新吾』等。

聖徳太子、人の姿をした子猫、アメリカの大富豪、旧制高等学校……まさに何でもありではあったのですが。


「うちはファンレターも重視する。ファンレターをくれる読者は単行本を買ってくれるから」

事実、数年後に講談社の「書店コミック勉強会」で「今、少女マンガで一番単行本が売れているのは白泉社」と。


A氏は「編集者は皆、癖があるが、Kさんは静かな語り口で紳士的だった」と語っていました。わたしの印象も同様です。


わたしの描いてきたネーム(コマ割り、セリフに簡単な絵を入れたもの)に対し、アイデアをいくつも出された時、不遜にも「このキャラクターには合わないと思うんですが」と伝えても、「そのまま使おうとしなくていいんだよ。自分だったらこうする、こうした方が面白い、というきっかけにでもなれば」と穏やかに答えてくださいました。


若い担当者が、あらすじを一本作ってきて「これを描いてもらえるなら、編集会議で押しますよ」というのとは対照的。


作品世界は作家のもの、そうでなければ個性的で面白い作品は出来ない、そう思っておられたのではないかと思います。


これを書くにあたって、A氏に「編集長はプロの作家になりたかった。あるいは、なりたかったのではないか。と言っていましたよね」と尋ねましたが「覚えていない」との回答。


少なくとも……編集長は編集長でいるより、創り手により近い「編集者」でいたかったのではないか、と思います。


また、連載OKは出たものの、編集長が、わたしに期待していたファンタジーは、そこはかとなく温か味のある話、設定ではなかったか、とも。

例えるなら、『夏目友人帳』のような。


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