『マンガ少年』
われわれの子供時代は、今に比べ、はるかに貧しかった。
数少ない楽しみの一つがマンガ雑誌だったが、複数購入など、夢の夢であった。
うちの親は1誌も買ってくれなかった。だが、わたしは主力雑誌に目を通していた。
小学校4年の頃、隣の田んぼがつぶされ、家が建った。散髪屋である。
待合室には当然のようにマンガ雑誌があった。
当時は今のようにマンガ雑誌の種類は多くない。
当初、置いてあった週刊誌はサンデー・マガジン。マーガレット・フレンドぐらいだったろう。
ジャンプやチャンピオンの創刊はまだ先、小コミの創刊、週刊誌化はわたしが中学になってからである。スターやファッション記事の載っていた別冊少女フレンド。のちに他を圧するセールスを誇った別冊マーガレットが置かれたのは、もう少し後だったように記憶している。りぼんも置いてなかった。後に少女マンガ単行本売上ナンバー1になる白泉社は影も形もない。
その散髪屋のご主人と奥さんが「遠慮せず、家に持って帰って読みなさい」と何度も何度も言ってくれたのである。
男子が「星飛馬の大リーグボール2号は、なぜ消えるのか?」と盛り上がっていた頃、わたしは女子の「木の葉落とし」や、ジュン・サンダースの骨肉腫の話題にもついて行けたのである。
むろん、少女漫画を「読んでいる」などとは決して口にしなかったが。
高校時代は先輩に教えてもらった広島駅近くの貸本屋で、貸本落ちの、処分価格で販売している雑誌を買った。あの名作『キャプテン』が載っている『月間少年ジャンプ』がメインである。半年もたてば20円になった。高くても40円で買っていたが、他の客に買われた場合は想像で補うしかなかった。
雑誌は、あっという間に部屋を占拠する。
邪魔になると言って親が無断で捨てるので、気に入ったマンガは雑誌を分解して保管する。
相変わらず散髪屋でも借りていたが、『別冊マーガレット』は昼飯を抜いてでも毎号買っていた。
美内すずえ先生の『地底帝国』(代表作『ガラスの仮面』)ものだとか、和田慎二先生の『銀色の髪の亜里沙』(代表作『スケバン刑事』など、少女マンガとしては主流とは言えないであろうものが好きだったのである。(とは言え、当時、お二人は人気投票で1位争いをしていた)
のちに『LaLa』のK編集長編集長(『小学○年生』⇒『別マ』⇒『花とゆめ』編集長)から連載の打ち合わせの後、「君はキワモノだから」との衝撃発言の後、「美内すずえ、和田慎二と同じで」と言われた際は、嬉しかったものである。
もっとも「……同様の才能がある」と言われたわけではなかったが。
マンガを描くきっかけは、中3の3学期、教科書に落書きをしていたわたしに隣に座っていたやつが、声をかけてきたことである。
「4月になったら高1の先輩と漫画同好会を作るから、お前も入らないか?」と。
そこで初めて、マンガが専用のペンを使っていることを知ったのである。
高校時代、わたしの描いた作品は1作のみである。
現実世界を舞台にしたファンタジー(童話)であった。
担当者と打ち合わせていたところ、当時『花とゆめ』の編集長だったKさんが、「君が〇〇君か。原稿の裏に連絡先が書いてなかったから、すぐに探せ、編集長命令だ、と大号令をかけたんだよ」と、おだててくれた。しかし、若い担当者と挑んだ『アテナ大賞』は、掠りもしなかった。
「やはり才能がないのだ」と、マンガとは縁を切るつもりでいた。
が、周りが次々とデビューを果たすと「1作ぐらい載せたいものだ。あわよくば単行本の1冊でも上梓できれば将来子供に自慢できる」という欲が出た。何とも軽い男である。
『LaLa』に移動していた編集長に、何の実績もない男が無謀にもコンタクトをとったのである。
親しくしていたマンガとアニメの専門店の店長で漫画家志望の先輩であり友人であるA氏(のちに『コロコロコミック』でデビュー)から「編集長が担当について、連載……そんなうまい話があるはずがない。しかも、その話を棒に振るなど……」と信用してもらえなかったほどの幸運であった。
もっとも自覚は薄かった。それが、とんでもない特別扱いだったと判明するのは、20年以上のち、『少年ジャンプ』の『バクマン』を見てからである。
実は以前、会報用にと編集長についての話を書いてみたのだが、諸事情(わが身かわいさ)から公表は控えた。かといって今回の話の締めも思いつかない。
ならばと、「墓場まで持っていく」と決め、これまで誰にも見せたことのないマンガを、これを区切りに、少しだけ公開することにした。
「古い!」などという批判に耳を貸す気はない。今は昔、○十年以上前の絵と話である。
話題になった自信はある。「何でもあり」の『LaLa』とはいえ、編集長が担当でなかったら企画の段階でボツであろう。当時としては過激であった。
さらに、その内容ゆえ別の問題も抱えていた。
イメージをふくらまそうと1歳の女の子のワンピースをパネルに入れて部屋に飾っていたのである。
1階に住む大家さんの奥さんは大変親切であった。急な雨の日には、わたしの部屋の鍵を開け、窓の柵に干していた布団を毎回取り込んでくれていたのである。
ゆえに、近所に変態が出れば間違いなく通報されていたであろう。大家さんには6歳と3歳の女の子がいたのである。
――持ち込んだ学園ラブコメを即座に却下。
「ファンタジーを描きなさい」「君は男だから、食べられないとやらないだろう。連載できる企画で」
「強引にねじ込むから1話と2話は短めに」「OK。ペンを入れてくれば載せるから」
――肩入れしてくれた理由を知るのは数年後。その優しさを知るのは亡くなってからのことである。
【お詫び】 マンガサークルの会員は、お姉さま方ばかり。「当時であれば、まあ、こんなもの」と、優しいまなざしで見ていただけるであろうと、甘い考えで絵を公開しました。しかし、今風の絵に慣れた皆さまへの公開は差し控えさせていただきました。
「またか」という声が聞こえてきそうですが、本来は絵封筒用として描いたものです。




