婚約者不在の晩餐会
まるで昼食後のデザートを選ぶような気安さで、父は婚約者を決めてしまった。
いきなりの婚約者決定に呆然とする私。
「あ、あなた、それはいくらなんでも急すぎないかしら?」
母が必死に制しようとする声で我に返った。そうですよね母上、普通はそうですよね。この親父おかしいですよね!
「ん?エリーゼ。何か不満でもあるのかい?」
「い。いえ、不満というのではなくて、まだ二言三言言葉を交わしただけの子を相手に、いきなり婚約者というのも」
「まあ、そうだけど」
「でしょう!?」
頑張れ母上。息子は全面的に母を応援します。
「でもエリーゼ、俺と初めて出会ったのは?」
その言葉に母ははっ、となり、その後、顔をまっ赤にし、俯いて答える。
「…あなたの、7歳の祝賀会です」
え。
「で、俺が君を見初めた」
「…はい、私が5歳の時でした」
「じゃあ今回も変わらないわけだ」
「いえいえ、お待ち下さい。あの時はあなたが私をいきなり口説かれて」
…待ってくれ。色んなことが一気に雪崩れ込んで理解が追いつかない。
7歳の父が、5歳の母を口説いた?初対面で?
御先祖様、やはり王家には特殊な趣味の血があるようです。
「うん、だって一目で惚れたから」
「…もう」
いやいや母上、甘い言葉で籠絡されないで下さい。いま私の味方はあなただけなのです。二人で甘い空気を出さないで下さい。ここにいるのは私達だけではないのですよ。
実際、父の言葉に周囲の警護騎士や幾人かの重臣が反応している。…これは、かなり良くない状況だ。
「それにね」
父が私に向き直る。
「アンドルーも実は気になっているんだろう?彼女のこと」
「…気にならない、と言えば嘘になりますが」
「いやそんなもんじゃないだろう。お前気付いてるか?あの子がここにいる間、お前はずーっとあの子のことを見てたんだぞ」
「そのようなことはない、と思いますよ。普段通りです」
そんなに見惚れていたと?ちょっと信じ難い。
「あとな」
「はい」
「一応、もうすぐこの謁見も終わるが、この後も婚約者選びで悩みたいか?」
そうだった。今回は御目見えだけで、婚約者選びはここから始まるのだったな。
最少で200人、最大で1600人か。
はあ。気が重い。気が重いが、
「将来の王配を選ぶのですから、慎重に慎重を重ねるのが努めかと」
「お前、真面目だね」
「母に似ましたから」
「俺にも似てるよ」
「そう、ですか」
それは、いやだなあ。
その後も謁見は続いたが、それはもう悲惨なものだった。
父の言葉はあっというまに広がり、後に控えていた祝賀客達ははあからさまな態度で娘を薦めてきた。子女も強引といっていい程に自己主張してくる。いずれも何とか父の言葉を覆そうと必死になり、それでも父は全くと言っていい程動じない。母もことあるごとに翻意を促そうとするが、父に甘い言葉を囁かれては返り討ちに遭っている。となれば、残された方法は、本人への直接的なアピールしかない。
…私は、女性とは怖い生き物だということを、7歳にして心底思い知らされた。
悪夢のような昼の謁見が終わり、ようやく最後の務め、夜の祝賀晩餐会がきた。
父と、警備を担当する騎士団長が話をしている。
「予定以外の来客が押し寄せています」
「どの位だ?」
「2千は超えていると思います。あとは数えるのを諦めました」
ははは。もう笑うしかない。
「昨日までの祝賀会に参加した者には、丁重にお帰り願え。言葉で納得しないのは…分かるな?」
物騒なことを言うのはやめて欲しい。そういうのはなし、と最初に言っていたでしょう。
「宜しいのですか?中にはグリフィス公やハイランド公も居られるのですが」
…グリフィス公、まだ諦めてなかったのか。
「構わん。幸い、他国の王家はほとんどが今日の祝賀に参列を予定している。何をとち狂ったかは知らんが、予定を狂わせて王に恥をかかせるなと伝えろ」
とち狂わせたのは父上でしょうに。
「それでも食い下がる連中には話は後日聞く、と伝えておけ。時間は取る」
「畏まりました」
紆余曲折はあったが、不意の来客はすべて追い返し、予定通りに晩餐会は始まった。
謁見と異なり、晩餐会では私たちの負担は幾分かやわらぐ。こういった場での不文律として、目下から目上への挨拶は憚られるため、声を掛ける相手と人数をある程度こちらで選べるからだ。でなければ、私たちは昼の数に倍する客を相手にしなければならなくなる。
主賓の挨拶を述べ、杯を掲げて開会の宣言をする。その後は、謁見に参加できなかった者を主に、順次声を掛けていくのは前の2夜と同じだ。このとき、数組の不埒者が直接の目通りを試みては警護に制され、あるいは静かにつまみ出される、というのもその度に繰り返された光景だが、今日その数がかなり多いことについては何も言うまい。警護の騎士たちを後で労ってやらねば。
ここで私はあることに気が付いた。
…嘘だ。実は、最初から気が付いていた。
彼女が、いない。
公爵夫妻がいたことは確認している。今日起きた出来事により周囲の注目を大きく集めていたので、探すのはさほど難しいことではなかった。会が進み、ある程度の時間が経つと、大小それなりのグループが形成されるのはよくあることで、今、夫妻はそれぞれ大きな輪を作っている。
公爵は先に話した通りの人物なので、酒席であってもあまり饒舌なほうではない。それなりの会話を交わす相手は父だけだと知っているので、彼が、彼を囲む貴人たちから矢継ぎ早に飛ぶ質問に苦慮する姿を見ていささか気の毒になった。少しばかり顔色も悪いような気がする。
その点、夫人は慣れているようで、遠目に見ても同じような状況をそつなくこなしているように見える。
もちろん彼らの味方ばかりがいる訳ではないので、夫妻を中心に、近しい人物が司会の真似事のようなことを行って、それを大半の無関係あるいは利害のない聴衆が聴き、そうでない者達は夫妻と距離を置いて遠巻きに様子を伺っている、といった多重円を描いていた。
だが、その中に彼女がいない。
こういう時、子女には子女のコミュニティが作られる。年齢の上下に関わらず、というより貴族の関係性というものは幼少の頃から形成されるのが普通のことなので、特段珍しいことではないのだが、どこをどう探しても彼女の姿は見えない。父母ですらああなのだ。当人がいて、囲まれていないはずがない。
ということは、この場にいない?
どうして?