2話
女はフン、と鼻を鳴らすと、腰に差していた小型のナイフを男の足元に投げ捨てた。
「そいつで刺すなり引き裂くなり好きにしろ。私は気が短いのでな、あまり待つことは好きではないんだよ」
男はそれでも動かなかった。自分の命と少女の命を天秤にかけた訳ではない。死ぬ恐怖以上に、人を殺す恐怖の方が男には大きかったのだ。
少女はじっ、と男の目を見つめている。その瞳からは強い生への執着心が感じ取れた気がした。男は決心した。例え男がこの少女を殺めなかったとしても少女が生き続けられる保証はないのだが、それでも男は自分がその少女を贄として生存することを認めたくなかったのである。
「俺はこの子を殺さない。……お前が何をしたいのかは知らないが、こんな馬鹿な真似はやめてくれ」
男もまた、じっ、と女を見つめた。女は心底つまらなさそうな顔をして、おもむろに古びた丸椅子から立ち上がった。
「はぁ……? お前、自分の立場を分かっているのか?」
女はゆっくりと男に近づき、男の顔を睨んだ。
「……その少女を解放しろ。俺の体なんてぶっ壊してくれても構わない。だから、今すぐに____」
「はぁ……」
女の溜息が、男の言葉を遮った。
「片腕くらいなら、大した問題はないか……」
女は吐き出すように呟くと、男の鳩尾に目掛けて膝を入れた。
男は余りの痛感に悶え、その場に倒れ込む。相手が女だということもあり、男は完全に買い被っていた。しかし、女は異常なまでに屈強であった。隙をついて抑え込もうとも思っていたのだが、そんな考えも敢え無く潰えてしまった。
男は脂汗をかきながら、焦る。さっきまで今すぐにでも死ぬつもりでいたのに、強い痛みという感覚がトリガーとなり、巨大な死の恐怖が男を覆い尽くしていた。
「……流石にここまでしたら殺してくれるよなぁ?」
女は煽るように小さな声で囁いた。男は動かない。それでも男の眼には拘束された少女が写っていた。男が倒れ込んだ先から5cmも無い場所にいる少女は、男に一層自分への使命感を駆らせた。
「……、やめろ、こんなことは……、」
男は息を切らしながら抵抗する。どうしても、自分の身を呈してでも少女を守りたかった。