-08- ミツイ、現状に焦る ~日曜ミツイ劇場③~
―――三衣氏、現状に焦る ~日曜ミツイ劇場③~
三衣氏は迷っていた。
葛藤していたと言ってもいい。
高校時代の仲間達と唐突に開催されたこの宴を抜け出す機会が見つけられず、また半ば見つける気も無くただ終電の時間が迫っていた。
『第一理科室連合』のメンバーで成り行きとはいえ同窓会が出来たのは奇跡であると氏は思っていた。
同じ奇跡は二度起こらぬものである。その奇跡の前に終電など些細な問題である。ならば何を迷っていたのかと言えば宴の後に何をするかである。
奇跡の余韻を抱えたまま滋賀で始発を待って帰路につくか、夜の京都を巡るか、の二択。カワさんは時間を見て大阪に帰ると公言していたので京都まで便乗できるならば、そこで古巣・京都の久方ぶりの夜の顔を見てみたいと考えたのだ。
○ ○ ○
「もうこんな時間か」カワさんがちらりと時計を見た。
「カワちゃん、ほんとに泊まっていかないの?」
「ん、新婚さんにあんまり迷惑もかけられないしね」
「俺も帰るわ。カワさん、京都まで乗っけてくれん?」
「構わないよー」
「部長、奈良まではどうやって帰るんだ?」
「京都に足が置いてある」
いい年して街を深夜徘徊するとは言いづらいものがあったのだろう。三衣氏はとっさに嘘をついた。電車で京都まで赴いた氏が京都に何かしらの足を用意してある訳がない。
また集まろうと笑顔で言葉を交わし、この日の同窓会はお開きとなった。三衣氏は高橋に向かって携帯のアドレスを書いた紙を渡し、「次はデータとばさんように」と言った。高橋は右手でOKサインを作ってみせた。
氏がカワさんの車に乗り込み見送りの夫婦が見えなくなると、運転手であるカワさんがちらりと氏を見てから口を開いた。
「で?どうするの?京都で降りても帰れないでしょ?」
「あら、バレたか。終電もとっくに無いしなあ。
ま、別にええんやけどな」
お互い、大学は京都であった。実家から通いのカワさんには分からないかも知れないが、京都の夜はどこか妖しい魅力があるのである。
妖しさが手ぐすね引いて絡みつくような、それでいて静かな気配。何が起こってもおかしくないが、何も起こらなくてもおかしくない。そんな不思議が京都市内の夜にはある。
京都を離れて久しい三衣氏は、当然その京都の夜の雰囲気とも離れて久しかった。たまにはその気配と戯れてみたいと思ってもバチは当たらないのではないだろうか。
そんな話をカワさんにしながら、車は清水五条へと差し掛かる。彼女は桂川を越えて大阪の地へと戻るのだろう。名神高速を使うのかも知れないと氏はのんびり考えた。
京都駅あたりで降ろしてもらおうかと考えていた三衣氏であったが、彼女の台詞はそれを許さぬものであった。
「家まで送っていってあげる。京都はまた今度にしなさい」
「ふへ?」
三衣氏は随分と間抜けな声を出した。今日は随分と予想外の出来事が起こるなどと考えながらカワさんを見た。彼女の横顔には、京都の夜に勝るとも劣らぬ妖しい気配が見てとれた。奇跡の余熱がまだ冷めやらぬのだろうか。しばらく考えた後、氏は答えた。
「なんかワケアリっぽいのう。ええやろ。承認や」
「分からない。ただの気まぐれかもよ」
「ま、奈良までなら道中長いし、色々話も出来るやろ」
「あんまり驚かないね」
「人生、何があるか分からんからな。……自分にも、他人にもや。
カワさんやったら、実感できるんちゃうか?」
「……思い出させないでよ。性格悪いなぁ」
「10年も前のことでしょうよ」
「関係ない。……ミツイだって忘れてないくせに」
「忘れる気がそもそもあらへんからな」
二人とも、陽だまりの君のことを意図して明確に言葉にすることはしなかった。してはいけなかった。三衣氏は不器用である。前向きに歩いているつもりでもいつのまにか後ろを向いていることがままある。
しかし氏は考える。
―――未来と過去が前と後ろにあるのなら。過去を振り返っていても未来は背中にあって見えないゼと世間が言うのなら。
過去を見据えたまま、後ろ歩きすれば何も見えぬままではあるがそれとなく未来へと進んでいるのではないだろうか。
思えば三衣氏はずっとそうやって歩いているのかも知れない。
そして、氏が不器用ならば、友である彼女もまた不器用なのだ。彼女も変わらぬ過去を睨み付け、ナビに頼らずふらふらと危うい後ろ歩きをしているのではないか。
こうしてポジティブに後ろ向きな二人が静かにドライブをする様はまさしく京都の夜と呼んで差し支えないものであった。
○ ○ ○
カリギュラ効果というものをご存知だろうか。心理学の世界で用いられる用語であり、禁止されるとかえって関心を向けてしまうあの心理のことである。
三衣氏は知らなかった。故に、カワさんがぽつりと「カリギュラ効果だよね」と呟いた時にもどこかのゲームのモンスターかと思ったのである。頭の中には氏の愛するゲームのモンスター、ラギュ・オ・ラギュラが浮かんでいた。興味のある方は調べてみても良いかもしれない。非常に愛くるしい姿をしているから。
氏は説明を受けてようやく、彼女の言わんとするところが理解できた。「勉強不足よ、塾の先生なのに」と皮肉を言われたが、うちの塾に心理学講座はないのだから構わないと氏は屁理屈を述べた。
つまり、思い出話をするなと言われればしたくなるのが人情というものだとカワさんは言いたかったのである。それについて氏は何も反論する気はなかった。
「二人、幸せそうだったね」
「呪ったろかいな」
「やめときなよ。あーあ。私も、幸せになりたい」
「結婚オーラにあてられたヤツはみんなそう言う。戻っといで」
「ちょっと。独り身仲間に引きずり込まないでよ」
「昔もしたなあ。同じような話」
「……“あの子”に彼氏ができた時でしょ?」
沈黙。エンジン音だけを響かせて車は国道24号線を南下していく。京都と奈良をつなぐこの道路はのどかな風景が広がる区間が多く、夜には当たり一面が闇に沈み、ただただ長いレールの上をぽつんと走っている気分になる。
ちょうど前後に車もなく、本当に静かなドライブだなと氏は窓の外を眺めた。
「もういいかなあ、悩まなくても」前を向いたまま、カワさんが言う。
「悩ませるためにあんなこと書いた訳ちゃうと思うけどのう」
“思い出話はしないで欲しい”陽だまりの君のその言葉はおそらく過去に囚われることを良しとしない彼女なりの気遣いだったのではないかと氏は考えている。平たく言えば、忘れて欲しいということだろう。
忘れてくれと言われたところで誰が素直に忘れてなどやるものか。捻くれ者の三衣氏はそう開き直っている。
しかしカワさんは、彼女は忘れたいのに忘れられない、忘れようとすればするほど記憶にとどまり続けるのだと言う。これは厄介である。きっと陽だまりの君の本意とするところではないだろうと氏は思った。
それが正解かどうかは分からないが、分からないならば行動あるのみである。氏は妙なところで積極的である。
「話をしよか」氏は切り出した。「カワさんは間違っとる」
彼女は何も答えない。
「そして友人が間違いを犯したとき、殴ってでも止める友情と、共に間違いを犯す友情がある」
一つ相槌を打ち、運転を続けるカワさんに、氏は言葉を続けた。
「が、俺がカワさんに出来ることを挙げるならば、第三の選択肢もある」
「どうするの?」
「見といたる」
「それはただの無関心じゃないの」
カワさんが不満そうに三衣氏を見た。
「俺の友人が間違いや悩みから自力で這い上がってこれんハズあるかい」氏は付け足した。
取り返しのつかない間違いではないのならば、自力で解決するのが最も良いと氏は思っている。
それが例え10年越しの根の深い間違いであっても、である。
「それが出来ないからこうして悩んで」「できる。やれる。大丈夫」
氏はこういったところに関して非常に暑苦しい男になる。出来なかったときにどうするかなど考えもしないのである。
「暑苦しいなあもう。エアコンかけようか?」
「寒いよりええやろ。関西人として。あ、エアコンはいらん」
「冗談よ。夜風が寒いくらいだからちょうどいいかもね」
そういってカワさんは窓を少し開けた。秋の澄んだ夜風がひゅるりと車内に滑り込んでくる。
いくら友とはいえ、魔法の一言で悩み解決、万事任せて安心のメンタルセラピーなどは出来ないのである。自分で切り開いた道を自分で往くのが人生である。応援はしよう。全力で。
少し、カワさんの表情が軽くなったような気がしたが、それは三衣氏の希望の表れであったかも知れない。
○ ○ ○
「そーれ」華麗にハンドルを切り、車が左折する。
「ちょっと待て!!本気で言うてる!?」
三衣氏は叫んだ。慌てふためいた。これは非常に珍しいことである。
現在、氏は車の助手席に乗っており、運転のイニシアチブは昼間から変わらず彼女にある。これは明白である。
では、何故氏は本気で焦ったのか。急にハンドルが切られ、道路横の建物へと車が進入していったからである。
そこは、暗い夜道にあって無駄に明るく、恋人達が桃色の甘言を紡いだり、仲睦まじい男女が互いの気持ちを確かめ合う外観的にも雰囲気的にも桃色の建物であった。氏とは無縁と言って差し支えないような場所である。
氏は人生何があってもおかしくないと言い、常人よりも深いところまで常に起こりうる状況を先読みしようとするが、想定していない事態に対してはとことん弱いのだ。
薄暗い駐車場の中でカワさんが静かに前を向いていた。部屋への案内灯が点滅している。対して、三衣氏は混乱していた。表面上平静を装ってはいたが内心おっかなびっくりであったのだ。
イタズラにしては性質が悪い。ここで氏がその気になって悠々とエスコートを始める段になって「やーい、だまされた」などと言われては最早立ち直れない。
―――慎重に慎重を期すべきである。これは青春小説ではなかったか。しかし共に間違いを犯すのも友情であると先人は言った。いやまて、今その言葉は違うだろう。俺は間違っているのか。そうだな、間違っているだろうとも。しからば誰か俺を殴ってくれ。
三衣氏の、自称鋼鉄の平常心はあっさりと崩れた。あとは理性という名のか弱い鎧を身にまとうばかりである。
正直なところ、据え膳食わねば何とやらかも知れぬと氏は思った。何か言わねばならぬとも思った。
「男の恥だよ、ミツイ」
思ったところに思想の後を継ぐような彼女のこの台詞である。氏はびくりと震えて心の内が漏れているのではあるまいかと自分の胸に手を当てた。
驚いたあまりに氏は少し冷静さを取り戻した。
―――おそらくカワさんは奇跡の熱に浮かされているだけである。恋愛の始まりなど、大抵がそうかも知れないがこれはきっと一過性の、いわゆる衝動的なあれこれではなかろうかしら。
後悔はしないかも知れないが総合的に見て冷静になった方がお互いに良いのではないか。特に俺の心臓に。えい、静まらんか心臓よ。お前が早鐘を打てば打つほど何やら思考が麻痺してくるのだ。
同じ過去に囚われた二人がもつれ絡み落ちたとしても、待っているのは二人だけしか存在しえぬ孤独な世界である。幸せになれようはずもない。
うむ。一時の感情に身を任せてはいけない。そうとも。そういうコトにしておこう。
「……人恋しさに他人を求めるなど、愚かしいでしょうよ」
「サミシイって素直に言えるのも大事だもん」即答である。
三衣氏はしばらく駐車場で彼女と言葉を交わした。
氏は冷静に、且つエレガントに、且つ知的に彼女を諭したと主張する。しかし、実際の氏はしどろもどろであった。
やがて彼女がクスリと笑った。
「ミツイ、モテないでしょ」
「みなまで言うな」
「いいんじゃない。昔と変わってないね」
「安心したかね」
「とっても」
カワさんは大きく伸びをして、三衣氏はやれやれといったように息を吐いた。
「なんや小腹が減ったな」
「そだね。マクドでいいや」
そそくさと駐車場を後にして、マクドナルドにて夜食。新大宮のラウンドワンにてカワさんのモヤモヤを晴らすためにしばらく遊び、三衣氏もすっかり平常心を取り戻した。
家に帰りついたのは完全に深夜であった。礼を言って車から降りる際に、氏は言った。
「何かあったら言うて。この部長に」
「また甘いもの作ってくれるのね」
「うむ。ご希望とあらば」
今更クールに決めようとしたところで先ほど平常心を失った醜態は消えないのだが、氏は見事に無かった事にしておいた。彼女も暗に同意してくれたようだ。
終わりよければ全てよし。ワゴンRが去った後もしばらく氏は車の行く先を見つめていた。今日は随分と密度の濃い一日であったと思っていたのである。
そして、氏は古びた青春ノートに新しく書き込まれた今日の出来事を思い返して呟いた。
「あ……連絡先、交換しとらんなぁ」
その状態でどうやって話を聞けるというのだろうか。
詰めの甘い三衣氏は、やはり阿呆である。氏は「それでもイイかな」と思い始めていた。
そして、この夜のドライブには後日談がある。氏の精神に何とも言い難いダメージを与えた出来事であるが、それはまた別の話なのである。




