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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
前編 24才のミツイ
8/23

-07- ミツイ、過去を想う ~日曜ミツイ劇場②~

―――三衣氏、過去を想う ~日曜ミツイ劇場②~



 第一理科室連合は奇跡の再会を果たした。



 4人でカワさんの愛車に乗り込み、ゆるやかに、そして唐突にプチ同窓会は開始された。三衣氏はまず新しい夫婦に祝いの言葉を述べてから思い出したように高橋に恨み事をぶつけた。


「せや。まだ時効ちゃうぞアレ。何年か前に花見ドタキャンしたの」


「部長、暗いぜ。そんなキャラだったっけ?」


 三衣氏は数年前に高橋と共に花見をする予定であった。彼が団子を作れと言うので蒸し器まで用意して三色団子をこしらえて持っていったのである。

 しかしなんと彼はこともあろうに当日になって、それも氏が滋賀に着いた時間を見計らったようにキャンセルの連絡を寄こしたのである。

 黙々と一人瀬田川沿いを歩く三衣氏の背中はずいぶんとしょぼくれて見えたものである。


「ね。それって4年前じゃない?」ミヤさんが問う。


「どやったけな。詳しくは覚えてないけど。なして?」


「私のせいじゃないかな、ソレ。と思いまして」そう、遠慮がちに言った。


「ほう?」


 聞けば高橋は当時、運命の岐路に立たされていたらしかった。

 仕事に思い悩み相談を持ちかける現在の伴侶ことミヤさんと、能天気に団子をこさえる元・化学部長ミツイの二人が同日、同時刻に高橋を待っていた。

 どちらが優先されるかと問われれば、これはもう勝負にならない。万人が「お前は一人で団子食いながら桜眺めてろ」と氏を非難するであろう。

 高橋は正しい選択をした。氏は事情を聴いてしぶしぶながらそう称賛したのである。それをきっかけに二人は付き合うようになり、この度めでたく結婚の運びとなったのだと言う。


「二人の馴れ初めって初めて聞いたなぁ。そうだったんだ」カワさんが言う。


「結果、今が幸せならまぁ許さん訳にはいかんわなぁ」氏もふてぶてしくそう言った。


「おぉ、すっげぇ幸せ」


「……やっぱムカつく。謝罪を要求する」


「確かに高橋君も酷いよね」


「え、カワさんまで!?」




   ○   ○   ○




 気が付けば、車は琵琶湖東岸を走るさざなみ街道へと入っていた。


「ところでカワちゃん、どこ行くの?」


 そのミヤさんの問いに三衣氏は何かしら言い知れぬ不安を覚えた。てっきり、目的地は事前に決まっているものと思っていたからである。

 現状でイニシアチブを持っているのは、間違いなくカワさんである。助手席に三衣氏が座っているが、今日の氏は予期せぬ来客のようなものである。段取りなどを知っているはずもない。


 しかし、光射す琵琶湖の景色は美しく、開け放した車窓から吹き込む秋風は心地良かった。


「気持ちいいなー」「この道は信号もあんまりあらへんからのう」


「え?だからどこ行くのってば」


 カーステレオのスイッチを押してマイペース運転手が声高に宣言した。


「琵琶湖一周しよう!!」




 どこの青春映画の主役になったつもりだと氏は問いたかったが、なんとなく今はそんな気分に浸っても良い気がしたので流れてくる音楽を会話に支障ない音量まで下げながら同意を示した。


「ほな、安全運転で頼むわ」


 それと共にもう一つ付け加える。「ドライブに山崎まさよしは無いやろ」

 後ろの新婚二人は反対するかと思ったが、すんなりと同意を得られた。むしろ高橋に至ってはノリノリである。「B'zかけようぜB'z」などとリクエストまで出している始末だ。連合の良心・ミヤさんは「仕方ないなぁ」とあきらめ顔ながらもどこか嬉しそうだった。


「思いついたら、やらなきゃね」カワさんが笑顔でハンドルを握り直した。


 類は友を呼ぶと言うが、友は得てして類になりやすいものでもある。

 三衣氏は忘れていた。彼らは、氏の友人なのである。無茶を押し通すのは氏だけの特権ではなかったのだ。阿呆集まる所に物語あり。唐突に始まったように見える青春譚ではあるが、これがかつての彼らの日常であったのだ。




 ―――そしてこの時、彼らの脳裏には彼らを同類たらしめたある人物が浮かんでいたはずである。


 長めの黒髪を「ばっさり切るから」と言って一向に切らない彼女。


 少し調子をはずして、理科室でゆずを熱唱する彼女。


 猫のように気ままに居眠りする彼女。


 甘味実験の日にマイフォークを持参した彼女。


 よく気に入ったお菓子を買ってきては皆に振舞った彼女。


 「思いついたら、やらないと」とあれこれ考えついては「ガマンは心に良くない」と人生を謳歌していた彼女。


 まるで小さな陽だまりの中にいて、いつでもゆるゆる微笑んでいた、そんな存在。連合の面々に深く影響を与えた“陽だまりの君”は、かつての彼らの中心であった。




 この日、彼らは奇跡的な再会を果たした。その確率は確かにゼロに近かったであろう。

 しかし「ゼロに近い」と「ゼロ」の間には、計り知れぬほどの開きがある。


 彼ら第一理科室連合が陽だまりの君と再会する可能性は、「ゼロ」なのである。


 かつて、陽だまりの君は連合への最後のメッセージを手紙に書いて寄越した。そこには、数多の感謝がこれでもかというほど詰め込まれていたが、手紙の最後に「みんながまた会っても、私の思い出話だけはしないでください。」と結ばれていた。


 その意図は当時の彼らには分からなかったし、今でも明確な答えは出せないままである。二度と答えあわせをする機会も巡ってこない。

 ただ、陽だまりの君との最後の約束が彼らの中で破られたことは未だ、無い。




   ○   ○   ○




 琵琶湖沿岸を走るカワさんの愛車は雄大な湖の横を滑るように走っていた。いくら思いつきで始めたプランとはいえ、始めたからにはやり通さねばならぬ。

 その為には相応の準備が必要である。彼らは道中、コンビニに立ち寄り、飲み物やらを買い込んだ。


 三衣氏はそこでふと目についた菓子もついでにレジへと運んだ。

 車に戻った氏は、まずカワさんに、次いで後部座席の新婚さんに対して「食うか?」とさきほど買ったコアラのマーチを差し出した。

 「ありがと」「食べる」「私も」とやり取りが挟まれた後、ミヤさんが遠慮がちにイチゴ味のコアラのマーチを差し出して「えっと…食べる?」と言った。


「あら。ミヤさんも買うてたんか。いただくぜー」


 右手にチョコのコアラ。左手にイチゴのコアラ。両手をコアラのマーチでふさがれた三衣氏はかつて陽だまりの君が似たような状況で放った迷言を思い出した。

 「じゃーん!右手にコアラ。左手にマーチ。…どうしよう、食べたらなくなっちゃう」そう呟いていた陽だまりの君に対して、かつての氏は開けた口をふさぐ事が出来なかったという。

 そういえば、コアラのマーチは彼女が好んで買い込んできた菓子であった。どんな所にも、思い出の影というものは潜んでいるものである。人は、過去ときれいさっぱりオサラバすることなど出来はしないのだ。


 横を見れば、カワさんがくっくっと喉の奥で笑っていた。どうやら同じものを思い出しているらしい。話題にしなかったのは、きっと約束のためであろう。


 あまり陽だまりの君のことを思い出していると、うっかり思い出を口にしてしまいそうになる。

 三衣氏は話題を逸らすことにした。


 車は彦根に差し掛かろうとする辺りを走っており、氏は今年結婚した後輩がここに住んでいることを思い出し、話題に挙げた。


「結婚ねぇ」とカワさんが呟いた。「二人は結婚するまでに、喧嘩とかした?」


「式を挙げる挙げない、でちょっとな」


「私は別にいいよって言ったんだけどね」


「我慢は心に悪いぜ。なぁ、部長」


「ごもっともやな」ここでも、高橋は正しい選択をしたのであった。



 さらに長浜の辺りで、氏は来年結婚する予定の後輩がここに住んでいることを思い出し、話題に挙げた。氏の周りは結婚ラッシュである。あくまでも、周りは。


「結婚ねぇ」とカワさんが呟いた。

「フリーターにゃ厳しいよねえ。ミツイ?」氏は全面的に同意した。


 三十路の世界に片足突っ込んだような彼らの年代になると、周りの友人達が次々と新しい家庭を築いていくのが日常の風景と化してくる。

 ここで焦りだすものもいれば、頑として動かぬものもいる。氏は後者である。



 ―――結婚は勝ち組、独身は負け組であると世間は説いている。横暴である。結婚ファシズムである。()い人生とは何か。人生に勝つとは如何なることか。明確な正解などどこにも落ちていないではないか。


 それを日々暗中模索し己をしっかと見据えるのが人としてあるべき姿ではあるまいか!


 結婚するから勝ちなのではない。二人で良き人生を歩めば勝ちなのである。独身だから負けなのではない。己を見捨てて歩むことを()めた時が人として負けた時なのである。


 そして好い人生を歩もうとするものにだけ、幸せは訪れるのだ。

 俺は徹頭徹尾真剣に人生を歩んでいるとも。だからさ、そろそろこねぇかなぁ。幸せ。



 三衣氏はそう熱弁した。

 カワさんには笑い飛ばされ、高橋には「俺は幸せだからなぁ」と傷口に塩を塗りこまれた。


「だ、大丈夫だよ。三衣君の幸せはすぐそこだよきっと」ミヤさんは言う。


 この世には、根拠のない慰めほど鋭く心を切りつけるものはない。それをミヤさんは知らない。




   ○   ○   ○




 日も暮れようかという夕刻になって、連合の面々は琵琶湖北端、塩津に到着した。

本来であれば、三衣氏は今頃京都の街中を当てもなくなくぶらぶらしているはずであった。人生、何が起こるか分からないとは言え琵琶湖の気がつけばてっぺんである。予測もできなかったこの事態に対して氏が「どうしてこうなった……」と呟くのもまあ無理はない。


 風は爽やかに涼しく、茜色に染まる琵琶湖はやはり雄大でどこか恐ろしいような気もしたが、美しいと思え、思わず言葉を飲み込ませるものがあった。彼らはしばらくそうしていた。


 やがてカワさんが「寒い」と言い出したので彼らは琵琶湖西岸を南下し始めた。

 いや、始めたはずだった。


 少し、カワさんの愛車について補足しておかなければならない。

 車種は何の変哲も無い白のワゴンRで、カーステレオ標準装備、ナビ無しと、最新式とは一線を画した装備なのである。

 「ナビなんぞに私の行く末を決められてたまるか」これはカワさんの名言である。今回のナビ役を任されたのはもちろん我らが三衣氏である。


 しかし、三衣氏とて間違いはある。その上、やってはいけないところで盛大にかますのが三衣氏だ。氏の間の悪さは一級品である。

 南下すべき所を北上していく車に違和感を覚えるまでしばらくかかったのは、既に日が沈んで方角が分かりにくくなっていたからだと氏は弁解している。


 彼らは危うく日本海を眺める羽目になるところであった。

 形ある責任を取れと詰め寄られ、氏は晩飯を皆に奢ることとなった。


 さらに、不運とアクシデントは望まぬ時ほど嬉々としてやってくるものである。

 次に見つけたレストランにでも入ろうかと話をすれば飲食店の姿は消えのどかな風景が広がり、近江今津からはひどい渋滞に巻き込まれた。琵琶湖は既に闇に沈んでおり、眺めても引きずり込まれそうな黒が広がるだけであった。


 だが、ここでふて腐れるような第一理科室連合ではない。三衣氏はご存知の通り基本的にポジティブである。

 ならば、友である連合の面々もまたポジティブであるのだ。これは自明の理である。


 腹が減れば、その分後に食う飯は美味いと笑いとばし、渋滞の中でゆずのCDをかけて高らかに歌った。

 ようやく琵琶湖大橋の辺りまで下りてきた彼らは、途端に賑やかになってきた街並みの中待ち焦がれた夕食をとることにした。


 レストランの駐車場からふと琵琶湖の方を見れば、夜空に一輪、明々と花火が上がり数瞬後に大気が遠慮がちに震えた。

 ぽん、ぽんと数発の花火があがり、琵琶湖は再び黒に沈んだ。控えめな花火であったが、どこかでイベントでも開いていたのだろうか。そこに偶然居合わせるのも小さな奇跡だといえよう。


「なんか、得した気分だね」嬉しそうにミヤさんが言う。


「渋滞も、道に迷ったことも、レストランがなかったのも。これのためだったんじゃない?」カワさんも頬を少しばかり上気させて答える。


「つまり、俺のおかげやな」氏は言った。


「それは違う」総突っ込みである。


 少しくらいは功績を認めてくれても良いではないか。三衣氏はむくれた。




   ○   ○   ○




 長い琵琶湖一周の旅はついに浜大津駅で終点を迎えた。カワさんが高らかに終了宣言をし、拍手の嵐が巻き起こる。

 連合の面々は打ち上げと称して、そのまま高橋とミヤさんの新居へと転がり込んだ。高校時代の文化祭の終わりに三衣氏の根城である理科室へとなだれ込んだ時の雰囲気とまったく同じであった。


「部長、何飲む?ビール?」


「お茶で。ここんとこ、肝臓がストライキおこして働きよらん」


「いつまでも若くないんだから。ほい」


高橋(おまえ)は幸せ太りした上でその幸せをいつまでも腹に溜め込んでおくがええ」


「微妙に優しい恨みの台詞どうも」


「ねー、カワちゃん彼氏は?」


「彼氏より仕事欲しい、私」


「そりゃ切実だなー。部長は聞くまでもないし」


「ちょちょい。まて高橋。俺にも輝かしい過去の一つや二つ……」


「じゃあやっぱり今はいないんだ」


「ミヤさん、やっぱりってどういうことや!?」



 他愛も無い会話をしながら、突然始まった同窓会の夜は更けていった。懐かしい空気の中で、氏がぐだぐだといつまでも騒いでいたいと思ったのも当然であろう。


 とはいえ、時間は有限である。氏は終電の時間を調べておく事を忘れなかった。現在時刻は十時前。まだしばらく時間はある。そう思って三衣氏はのんびりとかつてのある一部だけを除いた思い出話に浸るのであった。





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