-05- ミツイの休日の過ごし方について
―――三衣氏の休日の過ごし方について。
三衣氏の休日の過ごし方は様々である。
日がな一日、書を読んで過ごすこともあれば、料理をしながら鼻歌を口ずさむこともある。主戦場を布団の上と定め、眠りの行軍を徹底することもある。氏は大抵こうして過ごしている。寝て過ごした時は決まって「堕休日になってしまった」と呟くのだが、もちろん自業自得である。
ところがである。
今回の休日では、三衣氏は起きるなり「飛鳥人に俺はなる」と訳の分からぬことを言って駆けだしたのだ。傍から見れば恐怖すら覚える意味不明瞭さである。
氏は「ふと亀石が見たくなった。思いついたらやらねばならぬ」と供述し奈良の都を出発点として南下した。 何故亀石であるのかは分からぬとも言う。分からぬのに何故行動に移せるのか。理路整然とした釈明があってしかるべきではないのか。
「言葉に出来ぬこともこの世にはあるのだぜ」と親指を立て、格好良く決めたつもりの氏に向ける言葉が一つある。やはり貴君は阿呆である。
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道中、唐古鍵遺跡にふらりと立ち寄り「何もない!!」と言ってまた南下する。飛鳥の地に着くなり、三衣氏は太子の湯という銭湯に浸かり、【体も心も飛鳥人】とセルフキャッチコピーを掲げ、乗ってきた自転車に“俺の飛鳥号”と当日限りの名を付けて明日香村を駆けまわった。
飛鳥の地、明日香村について、簡単に述べておくことにする。
明日香村は奈良県の中部に位置する場所で、歴史の教科書でお馴染みの飛鳥時代の中心地である。歴史の教科書における飛鳥時代の記述と言えば、中大兄皇子、中臣鎌足、蘇我入鹿などが真っ先に挙げられるだろう。彼らの偉業の詳細は本エッセイにおいて何ら関係がないので、その説明は省くものとする。
氏が見たがっていた亀石とは、愛嬌のある顔をした亀を模した大きな石であり、謎多き飛鳥の遺物である。亀石の顔が西を向けば、奈良盆地が水に沈むなどというファンタジーな逸話もあり、幼い時分の三衣坊やは「確かめてやるゼ」と遠足の際に友人と力を合わせて亀石を動かそうとした。もちろん怒られた。
さて、この時の三衣氏が不調であることは既にご存知の事だろう。そんな状態で明日香村を駆け回れば、当然の帰結が待っている。それに気づかない三衣氏はやはり阿呆である。
具体的にどうなったかと言えば、氏は甘樫の丘でへたりこんだのだ。「二日酔いには迎え酒を、不調には無茶を」と肩で息をしていた。どうやら不調であることを承知しての断行であったらしい。どうにも理解しかねる。
持ってきた握り飯と茶で昼食とし、丘から見える景色を眺めながら文化人らしく万葉集の一句でも詠んで悦に入ってやろうとしたが不可能であった。
覚えていなかったからである。氏は無知である。無知無知野郎である。色んな意味で。
目当ての亀石を見たが、やはりのっぺりとした顔をしており、氏は非常に満足であった。
「いつか家に飾りたいものだ。この愛嬌のある顔はタイヘン素晴らしい」
そう頷いていたが、玄関を開けて亀石に出迎えられる生活は筆者には耐えられない。そもそも、おおよそ2メートル四方の巨石である。居住空間のほとんどを亀石に占拠されても良いというのだろうか。おそらく氏はその辺りをまったく考えていないに違いない。
こうして自称・飛鳥人となった三衣氏は休日を満喫し、奈良人に戻るべく北上を始めた。かつての都であった平城京跡まで行って奈良人に戻るつもりであったが、氏の疲れた体から休息命令が下ったので諦めた。
氏は正直である。主に自分に。
ついでにショッピングモールで秋物をぶらぶらと見て回り、結局何も買わなかった。
三衣氏は慎重に服の買い物をする男である。必要かどうかを考えに考え、吟味に吟味を重ね、結果季節が合わなくなって御破算となることが多い。
一期一会を大切にせよと友はよく氏に言うが、袖触れ合うも他生の縁である。縁があるならば再び会うこともあるだろうとそっと商品棚に服を戻す三衣氏はきっと買物下手であるに違いない。
来週はどこへ行こうかと三衣氏は考えた。氏は学生時代、京都に住んでいたのでその雰囲気を懐かしく思い返し、「京都もええなあ」と呟く。
古都、京都を自らの第二の故郷とまで公言しているのである。三衣氏のような阿呆の権化が、格調高い京都の町を歩くことに読者諸君は違和感を覚えるかもしれないが、京都は学生の町でもある。そして、男子学生というものは大概が阿呆の病を患っており、つまるところ京都の半分は阿呆学生で出来ているといっても過言ではない。事実、三衣氏の阿呆の病も京都学生時代に発症したのだ。その時のアレコレに関しては、三衣氏との約束により筆者は語る術をもたない。残念なことである。
しかし、未だ飛鳥人から奈良人に戻れていないことを氏は失念していた。 幸い、氏は奈良の都に近いところに住んでいるので放っておいてもじきに奈良人に戻るのだ。
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三衣氏は休日の締めくくりにと、スーパーの食料品売場で茄子を買ってきた。色の濃い3個140円のものである。氏はこれを焼き茄子にして食おうと考えていた。
鼻唄交じりにアルミをトースターに敷いて茄子を三本とも乗せ、15分ほどこんがりと、時折茄子の向きを変えながら焼いた。
焼き上がりは皮が黒焦げになっていたが、何も心配ないとばかりに氏はしゅうしゅうと湯気をあげる茄子を、ボウルに入れておいた水にさっとくぐらせていそいそと皮を剥きにかかった。
しかし、氏は一つ大きな失態を犯していた。茄子に切れ込みを入れておかなかったのだ。これではすんなり皮が剥けるはずもない。じわじわ熱くなってくる茄子をお手玉しながらもたもたと氏は皮を剥いた。
この時期の茄子はみずみずしく、そして甘い。三衣氏が作業の途中で焼き茄子をついつい一口つまんでしまうのも無理からぬ話である。
その茄子のあまりの美味さに落涙しかけた氏は無言で食器棚の戸を開けて徳利を取り出した。てきぱきと鍋に水を入れ、徳利には酒を注ぐ。燗酒の準備である。氏は普段おっとりしているが、こういう時の動きはめっぽう速い。
生姜を摩り下ろし、醤油を少しかけた焼き茄子とふわりと香り漂う熱燗を食卓に運ぶ。
「いただきます」
程よく温まった酒が腹からじわりと五臓を巡る。茄子の美味さと相まって氏は非常に満足いく気分であったと言う。
気がつけば朝であった。
熱燗一本でこの始末である。氏は酒に弱い体になったという事実をすっかり失念していた。いや、承知の上で飲酒を断行したのかも知れない。
「思いついたら、やらねばならぬ」そう呟きながらのそりと起き上がったあたり、どうやら先刻ご承知の上での所業であったらしい。
焼き茄子は非常に美味かったと言うが、それだけで腹がふくれるはずもなく、起抜けの三衣氏は腹ペコであった。台所に立ち、チーズトーストを水で流し込みながら氏は考える。人生の舵取りを。自らが向かうべき、目指すべき場所を。
グラスの水を飲み干し一言、「決まっている。スーパーの鮮魚コーナーである」と命題の結論を呟いた。
―――ものを食わねば生きては行けぬ。つまり、ものを食えば生きて行けるのであり、さらに言うなれば、良きものを食えば良く生きて行けるのだ。
これは当然の真理であり、ゆえに今日は秋刀魚を買って焼いて食うのだ。明日は風呂吹き大根だ。明後日はひょっくり芋だ。
力強く拳を握り、氏は数日分の献立を唱えた。どこまでが冗談なのかは知りようも無い。氏は「全て本気の本音だ」と言うが全て出任せ出鱈目にも聞こえてくるのである。
とりあえず、美味いものを食べたいと考えていることだけは事実のようだ。夕食の献立にいちいち理屈を持ってくるあたり、やはり三衣氏は阿呆である。
ホワイトデーに何やってんでしょうね。三衣は。
いやまあ、バレンタインに何もなかったのだから、ホワイトデーに何も無いのは自明の理ですけどね!