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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
前編 24才のミツイ
5/23

-04- ミツイと好物の節制における禁断症状について

 ―――三衣氏の好物の節制における禁断症状について




 三衣氏は鎖国をしていた。自らの心と胃袋から、無二の好物であるあんまんを締め出そうとしていたのだ。先日の一件で肝機能の低下を身をもって感じたが故の行動であった。確かに、秋口から冬にかけて、氏の甘味摂取量のおおよそ七割はあんまんで占められていた。


 それだけの好物である。よほど強い気持ちを持たなければ、あんまん依存症から逃れることなど出来はしないだろう。ふかふかつやつやとした姿を思い浮かべるだけでコンビニまで全力疾走できるのが三衣氏である。刻むべき皺もなく、あんまんのようにのっぺりした脳が詰まっているに違いない。

 

 故に、遠ざければ遠ざけるほど強くそして鮮明に浮かぶあんまんの姿に氏は身悶えていた。。


 その姿を思い浮かべてみれば、あんまんに出会ってからの二十余年をついでに思い出し、さらにはそれにくっついてくる余計なアレコレまで思い出してはのたうち回るのだ。


 ───どうしてくれよう。遣りきれないこの気持ち。


 あんまんに焦がれる気持ちがついには焦げつき、じりじりと何処かが微熱にしびれ続ける感じを三衣氏は味わっていた。どこかで感じたことがあると記憶を手繰るとそれは見つかった。


 ―――ああ、いつだったか感じたことがある。


 人恋しさ、だ。秋風吹き抜ける三衣氏の六畳間で氏はひゅうと風に吹かれてその結論に至った。


 そして即座に首を左右に強く振り、今しがた出たばかりの結論を否定する。いや違う、断じて違う!そう、断じて!そんな気持ちではない。あるはずがない。「それ」は俺には必要のないものだといつだったか決めたではないか。

 もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対。なんて言わないよ絶対と回りくどくも部屋の隅に蹴り捨てておいた感情ではなかったか。蹴って、しかも捨てるなどと横暴に振舞い、その感情がどこか恨みがましい目をして氏の前から姿を消したのが、数年前。


 それが今さらになってひょっこり出てくるとは何事か。いくら時間がたとうとも、街角でひょっこり顔を出して「やあ」と気さくに挨拶をされようとも、過去の怨恨は消えぬのだ!そちらが「いいかげんサミシクありませんか?」などと甘言褒舌まくしたてようが懐柔はされてやらん!

 そんな優柔不断な精神では社会を生き抜けるはずが無いではないか。人恋しくなどないぞ!気のせい、間違い、勘違い。そうとも!そうだとも!


 寒さや一時の感情で他人を求めるなど愚かしいでしょうよ。そんなことをするくらいならば、裸一貫、シベリアの大雪原で仁王立ちして人生について小一時間唱和してくれる。

 愛だとか、恋だとか、考えてみれば、くだらない。独り黙して自分を生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。醜い身勝手と言われようが、どうとも勝手にするがよい。やんぬるかな。


 走れメロスの一文を好き勝手に改悪し、自棄になった三衣氏はその軟弱な精神に絶望し、また腹を立てた。俺はこんなにも弱い人間であったのか。情けない。とそう肩を落とし、やり場のない怒りをどうしようかとむっすりして考えた。コタツの天板に顔をどんと乗せ、ふうと一つ息を吐いた。

 氏は先人の言葉を思い出す。人生の岐路に立った時。自らの進むべき道に迷った時。導になるのは先人の言葉である。氏はそのつるつるの脳内にある先人たちの言語碌から、今の現状を打開すべき文言を検索し、ぷつぷつと呟いた。


「イライラには糖分が良いと、そう昔の人は言いました。

 しからば、決まっている。諸君。あんまんに相談だ」


 結局、行き着くところはそこである。あんまん断ちをしている事を都合よくなかったことにしておいて、家から最寄り、駅前のコンビニに駆け込む。何も手にとらずレジに進むと、レジにいた女性が氏に声をかけた。便宜上、彼女を藤井さんと呼称することにする。


「あ、いつもどうも」藤井さんは氏を見るなりそう言ったのだ。これは氏がほぼ毎日コンビニを利用し、常連として顔を覚えられているからに他ならない。何とも無益な名誉である。


「あ、こちらこそ。」


「110円になります」


「へ?」


 氏はその間抜け顔を2割増にして藤井さんを見た。彼女の顔はにこやかであった。確かに氏は110円を支払い、あんまんを購入する予定であった。

 しかし、氏が何も言わぬ内からそう告げてきた藤井さんを見て、もしや彼女は妖怪サトリではあるまいか。いやまて自分が妖怪サトラレなのやも知れぬと考えたが、何も不思議な事はない。日毎に立ち寄り、必ずといっていいほどあんまんを購入してきた三衣氏を、藤井さんは見てきたのだ。一端の仕事をする人間として先見が磨かれることに何の疑問もない。それほどまでに、三衣氏の行動は単調であったのだ。



 ふかふかとあたたかいあんまんの包みが小銭と引き換えに氏の手に渡る。的確な気遣いをくれた藤井さんの笑顔が眩しくてまともに顔が見れなかった氏は「また、来ます」とだけ呟いてコンビニを去った。


 背後からは、「お待ちしてますね」と朗らかな声が聞こえたと言う。



 帰り道。

 白い息を吐きながらつやっつやのあんまんを頬張る氏がそこにはいた。餡の甘さを最大限に引き出す、ほんのり塩のきいた生地。

 独り黙して人生を歩んできた氏が出会った、ささいな親切。それは確かに小さなものであったろう。連日あんまんを買い漁る氏を影で「あんまんの人来たよ」などと思っていたかも知れない。

 

 それでも、人恋しさに責め立てられ、逃げるようにコンビニへと向かった氏にとってその優しさは大変心をうつものであった。

 

 ―――反則ではあるまいかね。もちろん、レジの藤井さんは何も知らぬ清らかな心で、社会人としての仕事を全うしただけであろう。しかしながら、どうにも俺は駄目らしい。あれほど蹴り飛ばしてやりたかった人恋しさがそこの電信柱の影からこっちを見ていやがると言うのに、蹴りたくもならない。それどころか、ぽむんと頭をなでてやりたいくらいの気持ちが今はある。チクショウ。これは敗北だ。俺はまた自分に負けた。人生に敗北した。そして「それでもイイかな」などと思っている自分がいっとう嫌なのだ!


 いつもと変わらぬあんまんが、少しだけしょっぱい帰り道。美味かったから涙が出たのであって、決して他の理由は無いのだ、ということにしておいても宜しいか。と氏は誰にともなく言い訳した。





   ○   ○   ○





 氏はその日の夜、夢を見た。

 自らの六畳間に、あんまんと共に閉じ込められる夢である。


 最初の内、氏は夢だと気付かずにコタツの上に置かれているあんまんを喜色満面頬張った。これぞ甘味の中の甘味。そう絶賛しながら食べていたのだ。あんまんに対する鎖国を行い、戒厳令を敷いていたことなどもキレイさっぱり忘れ去っていた。


 氏が部屋から出ようとすると、ふすまが開かない。押しても、引いても駄目なのである。思いつく限りの方法を試し、思いつく限りの解錠の呪文を唱えたが、そもそもふすまに鍵があるはずがない。

 アバカムからアロホモラ、オープンセサミまで試したところで氏はその事実に気が付き、すごすごとコタツに戻った。

 そこでコタツの上に再び置かれていたあんまんを何の気はなしにぱくつき、食べたはずのあんまんが存在することに驚くと共に、やっとこれが現実ではないことに気がついた。


 夢だと分かれば不可思議な現象が起きても自然と受け流せるものである。どうやらあんまんを求めるあまり、あんまんと共にある夢を見ているようだと結論付け、ならば出られない事はこの際置いておこうと氏はあんまんと共にある状況を目一杯楽しむことにした。

 目の前のあんまんに睦言を並べ立ててこれでもかと夢の中であんまんを食べ続けたのである。


 しかし、4、5個も食べれば当然飽きてくる。そこは夢の中とはいえ現実準拠であった。食べたと思っても、目をはなせばコタツの上には新しいあんまんが置かれている。

 さあ食え、もっと食えと“わんこあんまん”の猛攻を受けながら、氏の胸には何やらムカムカとした気持ちが湧き上がってきた。怒り3割、胸焼け7割である。


 ―――幸福一転、何の苦行か。日頃の行いが悪い所為であんまん地獄にでも落ちてしまったか。


 二度とあんまん以外の物を口に入れることは叶わぬと言うのか。それはそれで嫌だなあと三衣氏はラーメンや焼肉その他の食べ物に想いを馳せた。

 自らがあんまんに囚われすぎているのが問題なのではないか。ならば嫌いになればいいのか。実際、そろそろ食べ飽きてきたのだし。こうもあんまんばかりだと他の食べ物も恋しくなってくるのは当然の摂理ではないか。夢なのだからせめて気を利かせて飲み物くらいは用意してしかるべきであろう。


 外に出て、思う存分他のものを食べたい。

 まずは胸焼け気味の体に胃腸薬を流し込みたい。

 このムカムカは糖分のせいなのか、はたまたあんまんへの憎しみか。


 氏はあんまんをがしりと掴み、ふすまに向かって投げつけた。あんまんは激しくぶつかり、そこから閃光弾のように伸びた光が六畳間を一瞬のうちに包み込んだ。




   ○   ○   ○





 当然、現実にあんまんはこたつの上には無く、ふすまもちゃんとストンと開く。


「…何だ今の夢」


 ようやく現実世界へと帰還できた三衣氏は激しく落ち込んだ。夢とは言え、夢とは言えである。自らの好物を毛嫌いし、あまつさえ投げ捨てたのである。その行動を氏は恥じた。


 俺のあんまん好きなど、所詮そんなものであったのか。そう考え、自らの食へのこだわりの無さに落ち込んだのである。何だかんだ言った所で、あんまん嫌いになれるはずも無いのに無理をするから禁断症状に苛まれるのである。

 越し方20と数年を供にしてきた存在を急に断つことが出来るはずがないではないか。それに気付かぬ氏はやはり阿呆であると言わざるを得ない。


 そんな氏は、あんまんと共に部屋に閉じ込められる変な夢を見たついでに、あんまんについて本気出して考えてみた。いつでも同じ所に行き着くのに、である。

 壊れるほど愛しても1/3も伝わらないのに、である。さして純情でもない感情が空回りする三衣氏は人生の舵取りが恐ろしく下手であるようだ。

 しかし、氏はふんと一つ鼻を鳴らしてコタツに潜ったまま考える。


 ―――伝わらないのが問題なのか?いいや違う。俺があんまんを好んでいるという事実。その事実、その一点のみが大事なのだ。相手に伝わろうが伝わるまいがそれはそれで構わない。

 そもそも、物言わぬあんまんに一体何を求めようというのか。いつでも美味しくいただくだけではないか。どこまで行っても俺はあんまんを好むのだ。諸君、文句はあるか。あればことごとく却下だ。


 小麦粉と卵と砂糖を食べて、『このケーキうまい!』と思うヤツはいない。あんまんも、突き詰めてしまえば薄力粉と小豆と砂糖と黒胡麻。しかしそれらを別々に腹に入れてあんまんを体内錬成できるほど俺は器用な人間ではない。

 真理の扉を開けていないのだから。


 あんまんがあの姿をしているが故に俺はあんまんを好むのだ。

 あのつやつやふかふかの生地。ほかほかのつぶ餡。滑らかな舌触りを楽しみたいならこし餡でもいい。


 俺はあんまんの魅力を余す所なく楽しむ術を知っている。そう思えばこそ、殊更美味しくあんまんを食べられるのだ。俺ほどあんまんを愛しているやつはいない。そうとも。そうだとも!




 そう、考えてみれば土台無理な話だったのだ。三衣氏が好物を抑えられるはずが無い。氏の変な部分への拘りは、もはや病的である。よく氏はそれを信念という言葉で片付けるが、もはやそれは固執、執着、妄執の域にまで達しているといって良い。

 「我慢は体と心に悪い」と変わらず氏はあんまんを買いに駅前のコンビニに出向くのである。氏の甘味を断つ事は誰にもかなわぬらしい。まさに阿呆の一念。この一点においてのみ、筆者は氏に生暖かい目で尊敬の念を送るものである。



もちろん、藤井さんは偽名ですよ。

『トリセツ』内にまだ出てくるので名前が必要だなと思った次第です。

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