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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
後編 26才のミツイ
21/23

-20- 追憶、ミツイと聖夜の出来事について②

 なばなの里にどよめきが起きる――。


 点灯時間を迎えた園内の中央に位置するチャペルがクリスマスカラーのLEDで彩られた。チャペルの前の池には輝く橋が架かり、立ち並ぶ木々や植え込みにも光の実がさわさわと揺れている。

 光に照らされ、静かに降っていた霧雨も控えめに輝くドレスを身にまとって園内を舞う。一つの完成された世界がそこにはあった。例えそれの正体が何の変哲も無い電球の集まりだったとしても、三衣氏の前には確かに一瞬、世界が輝き、そしてそれは氏の心に焼き付いた。


 美は沈黙を強いる。三衣氏は「どこかでそんな文を読んだ気がする」とゆっくりとしか回らない頭で考えていた。時間にしてみればものの数秒。そしてこの数秒の間、氏は完全に藤井女史の事を失念していたのである。

 繋いだ右手から伝わる柔らかい暖かさでようやく我に返った三衣氏は、隣の藤井女史もまた光の世界に見入っていることに気が付いた。


「恵子さん?」彼女は氏からの呼びかけの声にはっとして、


「きれいだね」と氏に笑いかけた。


 細めた目尻から流れ落ちたのは、彼女の髪に舞い降りた雨の雫であったのか、それとも涙であったのか。それを判別する方法を氏は持たなかったが、また判別する必要のないものである事もどこかで理解していた。


「ええ、きれいです」


 ――繋いでいた右手は、彼女の笑顔は、とても温かいものだった。


 二人は人の波に乗って歩き、「光のトンネル」と題されていたイルミネーションに足を踏み入れた。自分達を含め多くの見物客達は自らの意思とは関係なく、輝くトンネルの中をゆるゆる流されて歩いて行く。流れる人の波に阻まれて出口は見えず、ただただ光の中を歩いているような感覚だった。そのことが余計に現実味を薄れさせた。


「どこか知らない場所へ向かってるみたいですね」


「あら、いーちゃんってば詩人ね」彼女も、どこかふわふわした足取りであった。


 光のトンネルを抜けると、雨はあがっていた。目の前には光の果樹園のような植え込みが続き、少し拓けた広場には大パノラマの海。広場一面にLEDで描かれた色鮮やかな青い海である。その圧倒的な大きさは見るものを釘付けにした。


「恵子さん、海ですよ海」氏が指さして言う。


「わ、すごいすごい。クジラが泳いでる」


 テーマを「大自然」と名付けられたこの大型LEDパノラマは、時間とともに夕焼け、月夜の星空、夜明けを次々と映し出し、さらには大空や花畑にかかる虹など、実に色彩豊かに自然の景色を表現した。


「うーん、スクリプトが見たい」と呟く彼女に対して


「もっと素直に楽しめんのですか」と氏は笑って突っ込んだ。


 それからも、三衣氏と藤井女史はライトアップされた園内を楽しく巡った。

 売店でコロッケを食べ、冷えた体におしるこを流し込めば、あつあつの白玉団子が心身を共に暖めてくれた。程よく賑わう園内の活気も手伝って、三衣氏の心持ちは非常に軽くなった。


「ゴキゲンだね」彼女が笑顔で氏に話しかける。


「そりゃあもう。楽しいですから。恵子さんは楽しくないですか?」


「分かってて聞いてるでしょ。こんなに楽しいの久しぶりだー」


 ――ああ、たまにはこんな雰囲気も悪くない。

 徹頭徹尾、己ばかりを見つめ続けている三衣氏であるが、この時ばかりは隣でおしるこを冷ます藤井女史を見つめ、とても穏やかな気分になったと言う。




   ○   ○   ○




 三衣氏が上機嫌になると、雨雲がどこからともなくやってくる。科学的根拠はなく、誰も解明しようとすらしていないメカニズムがそこにはある。理由は無くとも、統計がそれを物語る。

 つまり、雨が本降りになったのである。予報では曇りとなっていたので、傘は持ち合わせていなかった。園内から慌てて駐車場まで戻ってきた二人はタオルで水滴を拭いながら帰り支度を始めた。


「やっぱアテにならないね、天気予報なんて」


「そんなもんでしょう。傘持ってたら、逆に降りませんでしたよ」


「あ、なんか分かる。それ」


 からがら車に戻ってきた二人を待ち受けていたものは、なばなの里からの脱出を試みる車の大軍であった。せっせと積み上げたムードを一瞬で破壊しかねない大行列。広大な駐車場に連なる赤い光のイルミネーション。


「♪どこまでも続く赤い テールランプが……

 ちっとも綺麗に見えませんがどうしましょうかね」


「何でもないような事とは思えないねー」


 氏の経験上、あまり日を重ねていない恋人と共に行ってはいけない場所として、PLの花火大会、京都の祇園祭がある。氏は心の内でなばなの里のウインターイルミネーションを加え、「三大・恋愛初心者殺しイベント」と名付けた。

 氏の恋愛遍歴はこれを語ることを氏が許容しない為、筆者は記す術を持たない。しかしこの時の藤井女史からの追及に対して、氏は抵抗することなく今までの過去をさらけ出した。それを聞いて、藤井女史は愉快そうに笑った。それだけ記せば、聡明な読者諸君にはおおよその見当がつくのではないだろうか。


 藤井女史も自らの恋愛遍歴をゆるゆると語りだしたが、歴戦の猛者たる藤井女史に対して三衣氏は未だ初心者マークを胸に張り付けた唾棄すべき恋愛ビギナーである。

 繊細微妙な男女の機微など分からぬ氏は、ただただそれらしい相槌を打って場をしのぐ以外になかった。


「で、こんな時に、もし隣が彼氏だったら、何を話していいか分からなくなる訳よ」


「変に会話が止まると気まずいですからね。

 藤井さんの好きな話でいいんじゃないですか、今は」


「ん?」女史が氏の横顔を見る。


「なんです?」


「呼び方が苗字に戻ったなー、と思って」


「恥ずかしいじゃないですか、名前で呼ぶのって」


「乙女か!」


 イベント効果に乗せられやすい三衣氏は、逆にイベントの効果が切れたら何も出来なくなってしまうのである。これを「灰かぶり姫の十二時(シンデレラ・リミット)現象」と呼ぶ。

 この世の中は、ありとあらゆる法則、現象に従って存在しているので、むやみにこれらを捻じ曲げてはいけない。世界の成り立ちが崩れる恐れがある。そう訳の分からぬ理屈を述べ、


「ゆえに、名前で呼ぶのはご遠慮させて下さいな」と氏が話を締めくくると、女史は言った。


「ここまで納得出来ない理由も珍しいわー」


 ごもっともである。




   ○   ○   ○




 気が付けば時計は十一時。駐車場で帰り支度を始めたのが八時であったので、おおよそ三時間ほど駐車場で他の車達と共に列をなしていたことになる。もはや話題も尽き果てた。三文字しりとり、四文字しりとり、果ては五文字、六文字、七文字と、今後の半生分のしりとりをここでやり尽くしたと言っても過言ではなかった。

 カタツムリのように遅々と進んでいた渋滞からようやく抜けて、とりもあえずは休憩にとコンビニへ立ち寄り、氏は少し買い物もした。


「買ってきましたよ。コーヒー、どうぞ」


「コーヒーどうも。やっと抜けたねー」


「長い戦いでした。休み休み帰りましょう」


「あれ、他にも何か買ったんだ」


 三衣氏はコーヒーと共にあんまんを購入していた。氏はあんまん好きである事で勇名を馳せているので、これは当然の行動である。肉体疲労時の栄養補給、滋養強壮にあんまんは欠かせないと氏は主張する。特に寒い冬のあんまんは至高であるらしい。


「いーちゃんって、ほんと好きだよね、あんまん」


「甘くて、しかも美味い。これ以上の正義がありますか?」


「お店に来るたび買ってたもんね」


「藤井さん、しまいにゃ言う前に用意してたでしょ」


「だって買うんだもん。来たら」


 三衣氏と藤井女史との出会いは某コンビニエンスストアであった。「あんまんの人」としてマークされていた三衣氏と、三衣氏のあんまん購入時に高確率でレジにいた藤井女史。そこに、「偶然」と言う要素が加われば、結果はご覧の通りである。

 偶然のドラマに関しては本稿の趣旨とは離れてしまうが、簡単に記してしまえば氏が行きつけにしている喫茶店に藤井女史がたまたま来店し、氏を見て「あ、あんまんの人だ」と呟いたことがきっかけである。慌てて手を口に当てた女史を見て、氏は「え、知れ渡ってますのん!?」と思わず席を立ってしまったと言う。



 帰宅途中に日付が変わり、クリスマスを形だけでも祝おうとファミレスでケーキを食べる二人であったが、今一度、声を大にして主張しておかなければならないことがある。

 これは、過去の出来事なのだという点をどうか思い出していただきたい。もちろん、現在も三衣氏と藤井女史は交流を続けているが、この日の雰囲気から派生するような、いわゆる桃色で、薔薇色な関係にならなかった事は先日述べた通りである。それを思うと、この日の三衣氏が不憫でならない。




   ○   ○   ○




 三衣氏の帰る場所はいつでも孤独街道であり、氏はそれを半ば自棄になって楽しんでいる。

 いつでも抜け出す準備はあると豪語する傍ら、意地でもこの道を歩き通すと頑固な態度も見せる。どちらが本当の三衣氏なのだろうか。

 おそらく本人も分かっていないことだろう。阿呆にまみれた三衣氏が阿呆の底なし沼から浮かび上がるのに、最早自分の力だけではどうしようも出来ないことは明白である。


 三衣氏はこたつのある自らの六畳間に籠もって呟く。


「ああ、寒いほど独りぼっちだ。というか寒い」冬であれば、そりゃあ寒いだろう。


 世間は春を迎えようとしているのに、未だ三衣氏の心には隙間風がぴゅうぴゅうと吹いている。ここまで気落ちしている氏が見られるのは非常に珍しいことであるので、もしも氏を街中で見かけたならば、取るべき行動は二種類に分かれる。

 優しくあんまんを与えるか、力の限りに笑い飛ばすかである。どちらの行動も、氏は喜んで受け入れるに違いない。




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