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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
後編 26才のミツイ
20/23

-19- 追憶、ミツイと聖夜の出来事について①

―――三衣氏と聖夜の出来事について。



 これから記されるのは年の暮れ、12月下旬の出来事である。春になろうとする世間を尻目に見ながらぽつぽつと氏が語りだしたのは、氏が勝ち組に限りなく近づいたと自分の中でだけ思っている出来事である。

 氏がこの時まで語ろうとしなかった理由は筆者には不明である。氏の人生の中でも指折りの出来事だったのだから、大手を振って自慢しそうなものであるが、氏の複雑怪奇な心境は理解し難いもののようだ。

 ともあれ、世間では桜が咲きそうな時季ではあったが、三衣氏の春はまだまだ遠いようである。

 好物のあんまんをもぐもぐやりながら、氏は部屋の隅で三角座りをして当時のクリスマスについて語り始めた。




   ○   ○   ○




 三衣氏は三重県の「なばなの里」にいた。

 氏の脳内データベース「三辞苑(さんじえん)」によれば、そこは以下のような所である。


「なばなの里」【なばな-の-さと】(固・名)

 ①桑名の辺りの輪中にある植物園。長島スパーランドの近くにあり、他の長島リゾート施設からシャトルバスが出ているが、混雑する時期には臨時のシャトルバスがあっても常に乗り場は長蛇の列を成す。数年前から冬季のイルミネーションが話題を呼んでおり、年々電飾数と来場数が増加している。

 ②クリティカルシーズンに赴けば、美しいイルミネーションの他、押しくら饅頭大会に強制参加となる。家族連れ、カップルなど、幅広い客層を誇る。

  

 ③戦場である。赴くものは相応の覚悟を以てこれに臨むべし。



 よもや自分がクリスマスシーズンにこのような“いかにも”な場所にいることが半ば信じられなかったが、事実は事実として認識しなければいけない。それと同時に、はぐれた藤井女史を見つけ出さなければならなかった。

 つい先ほど、一緒に園内に入って少し早めの夕ご飯を食べてイルミネーションの点灯に備えようかと話していたはずである。どこへ行ってしまったのだろうか。まさか置き去りにされたのではあるまいな。いや、流石にそれはないだろう。


 そう考えた三衣氏が、か弱い小動物のような、今にも不安に押しつぶされそうな気配を惜しみなく周りに撒き散らして辺りを見回していると、女史が正面から平然と歩いてきた。敷地内のレストランの混雑具合を覗きに行ってきたのだと言う。


「いーちゃん、ダメだ。どのお店もいっぱい」


「藤井さん、行くなら一声かけてから行って下さい。

 寂しいと泣いちゃいますよ俺は」 


「はいそれダウト」藤井女史が氏を指差して言った。


「いーちゃんはもしも今ここで置き去りにされても、

 平然と一人で見て回るタイプでしょ」


 普段の三衣氏ならばそうであろう。しかし、場が悪い上に日が悪い。周りにはカップルや家族連ればかりである。完全にアウェー。ここで置き去りにされたならば「ああ、寒いほど独りぼっちだ」と嘆く用意が氏にはあった。

 氏のホームである六畳間に籠ってコタツでぬくぬくとあんまんを食べる至福の時を妄想しながら、置き去りにされかけた事を恨みがましく藤井女史に伝えたところ、


「そんなこと言ってもこの人だかりだもんねえ。はぐれても仕方ない」


 と女史が悪びれもせずに笑った。三衣氏はやれやれと一つ息を吐いた。


「じゃ、こうしましょう」氏が軽やかに女史の右手をとって歩き出す。


「あら、積極的なのね」


 口の端を引き上げて笑みを浮かべる三衣氏。「離しましょうか?」


「んー、朱に交わっときましょう。

 周りもカップルだらけだし」女史も同じように笑みを返した。


 端から見れば完全にこの場に馴染んだ一組のカップルがそこにいるように見えたことだろう。しかしながら忘れるなかれ、これは過ぎ去りし日の出来事なのである。これより数ヶ月後、藤井女史がとある会社勤めの男性とお付き合いを始めることを、私達は知っている。(前話「ミツイと極上の甘味について」参照)

 残念ながら氏は未来を予見する能力を持たないただ一介の男である。出来ることと言えば雨を降らせることくらい。いつまでたってもうだつの上がらぬ男である。

 当時の氏にはその未来を知ることなど出来るはずがなく、それ故に氏の姿がひどく滑稽に見えることもあるだろうが、それもまた仕方のないことである。

 氏が滑稽な姿を晒すのは何も今に始まった事ではない。これまでの生活の中で、決めなければいけない場面であればあるほど持ち前の間の悪さで人生の勝利をことごとく自らの手で路傍に投げ捨ててきた男、それが三衣氏である。




   ○   ○   ○




 二人は比較的空いていた芭蕉庵という和食の店で早めの夕食をとった。暖かいうどんに体と心を温められた三衣氏はほくほくと食後のほうじ茶を飲んでいた。いやもう満足、わざわざ寒いところに出て行かなくてもいいのではなかろうか、などと軟弱な事を考えたりもした。


「聞いてるの?いーちゃん」喜色満面の氏を睨み付けて女史が言う。


「聞いてなかったことにします」氏は平然と答えた。


 女史は己の性格分析と生活における優先順位の重要性を三衣氏に説いていた。

 ほうじ茶片手に氏が聞いた内容を簡潔に記せば、転職準備期間と称して悠々と羽根を伸ばしている女史の所へ、元同僚や今のバイト先の仲間達が「恋せよ乙女」とばかりに合コンの誘いをかけ、恋愛を押し付けてくるとのことだった。

 そのような恋愛仲人的な親切の押し売りには飽き飽きだ。どうにも周りは私で遊んでいる節がある。と女史は憤慨していた。


「私に必要なのは仕事とゆとりと美味しいご飯なの。あとちょっとしたスパイス」


「スパイスねぇ。例えばこういうデートとか?」


「そう、せっかくのクリスマスに何にも無いってのも()だし」


「分からなくもないですが、巻き込まれた俺はカワイソウですね?」


「とにかく、彼氏を作ろうとかは思ってないわけよ」


「無視ですか。ま、お陰でこっちも気が楽ですよ」


 人の事を香辛料扱いとは随分である。しかし、イベントは楽しみたいが特定の付き合いは面倒だという心理も分からないでもない。

 そこへくると、三衣氏はそういった事はお構い無しにイベントを一人で楽しんでいるので、独り上手だと言わざるを得ない。


「それに、いーちゃんは恋愛させてくれないからね。楽でいいの」


「良く言われます。が、そうそう人は変わらんのです」


 三衣氏はどこまでも自分を見つめて飄々と人生の泥沼に足を踏み入れて行くので、人生の伴侶、いわゆる生涯のパートナーなど望むべくも無い。氏と共に泥沼に嵌まった所で、相手の為にならぬのである。

 端から眺める分には三衣氏の無益な行動は愉快に見えるが、決して共に歩もうとは思ってはいけない。氏は隣人に無益を背負わせることが怖くてたまらないのである。

 三衣氏が孤独街道を突き進む理由には、そういった側面もあるのだ。



   

   ○   ○   ○



 

 そこから二人はほうじ茶片手にお互いの学生時代のことについて話をした。

 藤井女史は理系の人であったので、同じく理系であった自分と話が合うのではないかと氏は期待したものの、二人の専門があまりにも違いすぎたため、お互いにまるで異言語で交流しているかのような錯覚に陥ったという。

 彼女はシステム工学科で、三衣氏は物質工学科であった。


「ロボトニクス専攻で静電アクチュエータいじってたよー。パワーハンドとか」


「アシストスーツとかですか?」「そうそう、いーちゃんは?」


 三衣氏は無機アモルファス工学専攻でセラミクスドーパントを研究対象にしていたと言ったが、藤井女史はぽかんと口を開けていた。


「平たく言えば、ガラス割って遊んでた感じですね」


「ごめん、逆に良く分からない」


 このように、専門性の違いによってコミュニケーションが取れなくなる事を旧約聖書の物語にちなんで「バベルの塔現象」と呼ぶ。一般に、「バベる」と省略し、活用して用いられる。


 バベられた二人の結論は「うん、勉強の話はやめよう」というものだった。

 折りよく、園内の照明の点灯の時間が目前であったので外で待つことに決めて店を出ると、園内ではイルミネーション待ちの人波が辺りを見事に覆いつくしており、いとも簡単に二人は群集に飲み込まれてしまった。


「これじゃ身動き取れないねー」


「予想外ですよ。こんなに混むなんて」


 なばなの里のウインターイルミネーションには、混雑を回避する為に順路が設けられている。順路の最後には、今回の目玉である特別豪華なイルミネーションが設置されており、そこを先頭にして園内ほぼ全域が人で埋まっている状態であった。


「止まってると寒い。カイロ、持ってくればよかったかな」女史が言う。


「暖かいお茶で良ければ、カイロ代わりにどうぞ」


「え、いつの間にお茶なんか買ったの?」


「店出た時に横の自販機で。デキる男・ミツイと呼んで下さい」


 そう言って氏はイイ顔で親指をビシッと立てたが、冬のしかも日没後である。ペットボトルのお茶が冷えるのには10分もあれば充分だった。その上、「冷えちゃった」と返却されたボトルを三衣氏が持て余していると、高まったムードを静めるかのようにさらさらと音もなく霧雨が園内を舞い始めた。

 三衣氏はどこまで行っても三衣氏である。せめて降らせるならば雪にして、ホワイトクリスマスでも演出してみせれば良かったのだが、氏は雪男ではなく雨男であるのでそれは叶わなかった。


「誰か雨男か雨女がいるね、こりゃあ」


「困ったもんですね。ま、これだけ人がいれば無理はないでしょう」


 三衣氏が雨雲と懇意にしていることを藤井女史は知らなかった。そして氏はそれを話すつもりもなかったので、女史はその事実を生涯知り得ることは無い。氏はズルイ男である。


 寒さに耐えながら、このままでは体も雰囲気も冷え切ってしまう。エンターテイナー・三衣ともあろうものが、退屈などと言う空間を作り出してなるものかと氏が考えたまさにその時、なばなの里のイルミネーションは点灯の時間を迎えた。



 空気が変わる瞬間というものを、三衣氏は初めて感じたと言う。



 ――なばなの里にどよめきが起きる。

 


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