-16- ミツイの言い訳と開き直りについて
―――三衣氏の言い訳と開き直りについて
三衣氏は糾弾されていた。
とあるチェーン居酒屋での出来事であった。
「ミツイ君は意気地がないよ」
そう言って頬杖をついてカシスオレンジを飲むのは氏の友人である。彼は書物を愛する本の虫であるので、本読み氏と呼称する。
「ヘ・タ・レ。みっ君はヘタレやからなぁ」相槌を打つのは、生駒市在住の生駒氏である。
「待て待て。あれ以上の紳士的な対応はなかったんやて」
烏龍茶片手に自己を正当化するのが我らが三衣氏だ。
○ ○ ○
似非京都人の八つ橋案内ツアーの後、三衣氏は寺町通りでたこ焼きを食べていた。氏のお気に入りの店である。当てもなくぶらぶらするには少し寒いかも知れんなぁと考えていると、生駒氏から電話があった。
「みっ君、まだ京都におるか?」
「おうよ。たこ焼き食うとる」
「こっちも今清水出たとこなんよ。飯食って帰ろうや」
三衣氏は特に用事もなかったので二つ返事で承諾した。京都駅八条口で合流し、奈良へと向かう。
「美味かったか?紅茶」
「……おうよ」
少し返答まで間が空いたが、事実は事実である。自販機の紅茶であったとしても、美味かったことに変わりはない。
生駒氏が言うには、嵐山のみならず清水の込み具合も相当のものだったようで、「来週は清水除外で」とまで言っていた。清水の舞台を埋め尽くす人の波であったと言う。
「紅葉がライトアップされとるんか、人がライトアップされとるんか分からん」
「そんなに酷かったか」
「芋の子を洗うっちゅうのはまさにアレやね。みっ君と紅茶の方がまだマシやったわ」
「や、俺も店には行っとらん。道案内してたら時間なくなった」
「は?道案内?」
三衣氏は観光に来ていた岐阜子さんとのアレコレを簡潔に、自分に不都合な所は省いて説明した。赤面していた事や、“眼鏡でクセ毛”に反応していたこと等を除いて、である。
「なんで呼んでくれへんかったんや!」生駒氏は叫んだ。
「生駒よ。逆の立場なら呼んだか?」
「絶対呼ばへん」
生駒氏は正直である。主に自分に。
夕食をどこで食おうか話をしていると、生駒氏の携帯が鳴った。電話の着信であるらしかった。もちろん、彼は運転中であるので携帯を操作出来るはずがない。ディスプレイをちらりと見た生駒氏は、携帯を三衣氏に投げてよこした。流れるような動作で三衣氏が電話に出る。
「やっほー。本読み君。ミツイですー」
『え?あれ?ミツイ君?生駒君と一緒?』
「うい。彼は運転中ですよ。どないしたん?」
話の内容は本読み氏からの夕飯の誘いであった。三衣氏、生駒氏、本読み氏はかつての仕事仲間である。たまに集まっては何でもないような話を延々しゃべり倒すのだ。
奈良、新大宮にて本読み氏と合流し、岐阜子さんとのアレコレを生駒氏が本読み氏にオーバーアクションで語って聞かせ、本読み氏が大きく溜息を吐いた後、冒頭の会話に戻る。
二人の言い分はこうである。何故、メールアドレスの一つも聞いていないのか。名前すら聞いていないとはどういうことか。数少ない出会いを大切に云々。
このヘタレ。
意気地なし。
三枚目。
雨男。
などなどである。
場の勢いにまかせた罵倒が大半を占めているではないか!と三衣氏は抗議したが、「そんなことはない。君の将来を憂えた末の言葉だ。重く受け止めてくれたまえよ」と二人は強く頷いた。
―――ふとした繋がりも縁ならば、あえて繋がらぬのもまた縁である。第一、京都人でないことがバレてしまう。知らぬが仏に言わぬが華。双方にとってコレで良かったのだ。そうとも、そうに決まっている。異論は認めるが文句は認めんぞ。
そう言って、三衣氏は飲み干した烏龍茶のジョッキを力強く置いた。
しかしそれでも本読み氏と生駒氏の糾弾は続く。
「普段のミツイ君なら、目的のティーハウスに誘うくらいしていたのでは?」
「せやな。誘って断られでもしたか?言うてみ?ほれ。笑わんから」
三衣氏はฺ言葉に詰まった。確かに、誘ってみようかとも思っていたのである。結果的に誘ってはいないが、「お茶くらいはいいかな」程度の下心は持ち合わせていた。いくら気取ってみたところで、氏も世にある一般男性であるので、それについては仕方のない事だと言えるだろう。
氏はししゃもを頭からかじりながら呟いた。「それがなあ……」
○ ○ ○
話は夕方のことに遡る。
三衣氏とて、無言で岐阜子さんといた訳ではないし、観光案内以外にも世間話はしたのである。わざわざ八つ橋の本店を選んだのは、近くにたまたま来ていたからと彼女は言っていたので、有名な観光どころに当たりをつけて道中それとなく聞いてみたのだ。
「今日は哲学の道でも歩いてたんですか?」
「はい。銀閣寺からぶらぶらと」
「銀閣から!それは混雑してたでしょう」
「すごかったです。皆で遠足してるような気分でした」彼女は溜息をついた。「あ、でも」
「お団子と紅茶はおいしかったです」
「それは良いことです。この辺りには良い店が多い」
自分も今からその中の一つに向かうのだとは言えなかった。この時の三衣氏は、ただ当てもなくぶらぶら散歩している一京都人だったのだから。
「お洒落だなと思って何となく入った所が、すごく本格的で」
「へえ、当たりでしたか」
「それが、本格的すぎてメニューが分からなくて」恥ずかしそうに彼女は言った。
「だから店の人におススメをお願いしますって頼んじゃいました」
三衣氏は笑った。岐阜子さんも微笑んだ。
○ ○ ○
三衣氏がその一連の出来事を語った後、生駒氏が不思議そうに言った。
「逆にみっ君の行きたい所に誘うええ機会やったんちゃうの?みっ君、紅茶詳しいやん」
「生駒よ。そこにこの情報を追加してくれ。“平安神宮周辺に紅茶の専門店は一つしかない”」
「つまり、その子はミツイ君が行こうとしていた店に既に行っていた、と」本読み氏がグラスを傾ける。
「確証はないけど、多分、そうなんやと思ってな」空いたジョッキを見つめ、三衣氏がこたえた。
もちろん、氏が知らぬだけで他にも紅茶を主として出す店があるかも知れぬ。しかし、誘って連れていってみれば「あ、さっきのお店」などという状況になれば最悪である。
三衣氏は石橋を叩いて渡る主義の男である。叩きすぎて壊れることもあるが、それをまったく厭わない男でもある。
「信じるかどうかは任せる。適当に誘えんかった理由を偽造したと思ってくれてもええ」
「いやあ、みっ君ならあり得る」即答である。
「否定はできないね。ミツイ君は間が悪いから」
三衣氏の間の悪さはプロ級である。もはや名人芸、職人技の高みにまで上っていると言ってよい。普段から常にという訳ではなく、ここ一番でキレのある間の悪さを発揮するのだ。身近にいる者はたまったものではないが、誰よりも三衣氏自身が一番たまったものではないことは自らが一番よく分かっている。
「間が悪いというのはミツイ君のためにある言葉ではないかな」
「失敬な。俺ほどTPOをわきまえた紳士はおらんぞ」
「みっ君、自分で言うててサミシくならんか?」
軽口で返してはみたものの、確かに三衣氏も自分で良く分かっているのである。おおよそ人智を越えた所で氏の間の悪さというものは管理されているのだろう。
「そもそも、間が悪いの“間”ってなんや?」
「拍子とか、リズムとか、そんな意味やったと思うけど、本読み君の方が詳しいぞ。こういうのは」
「そうそう。元は舞台用語だよ。間がおかしいと全体がダメになるからね。間抜けって言葉もここからきてる」
「つまり、みっ君は間を使いこなさなあかん訳や。間男になるんや、みっ君」
「生駒よ。ワザと言うてないか?」
「ひひひ、これがホンマの“間”違いやな」生駒氏は食べ終えた焼き鳥の串をゆらゆら振った。
別段、たいした話もせずダラダラと過ごす。これが彼らのスタンダードである。話のネタが尽きることは不思議とない。大体が彼らの日常であるが、最近は本読み氏の家族の話が多いのではないかと思う。
三人の中で唯一、自分の家庭を持っているのが本読み氏であるからだ。前の年に結婚し、子供も生まれ、その時には生駒氏と三衣氏は揃って恨みの言葉を口にした。「裏切り者」「軟弱者」「それでも本読みか」などなど。然る後にこうも言った。「おめでとう」と。
素直に友人に祝辞を述べる俺は賞賛されるべきであろう、と氏は得意顔であった。
○ ○ ○
三衣氏は帰宅して着替えもせずに布団に倒れこんだ。朝から嵐山、昼に平安神宮、夜に居酒屋。一日フルスケジュールで動いたこの日は、思っていたよりも体力の限界が近かったようである。
せめて着替えねばと転がったままもそもそと動き回るうち、氏は鞄の中に本読み氏からプレゼントされた文庫本が入っていたのを思い出した。「古本で買ったものだからあげる。ミツイ君の感想が聞きたい」と言って渡されたものである。しかし、それを今から読む体力は残っていなかった。
―――本読み君め。読み終えた本をこっちに流して処分しようとは何と効率的な男か。そして自宅の棚にはまた新しい本が並ぶのだな。いつか、こっそりと彼の本棚に戻しておいて彼を混乱させてやろう。
そう、三衣氏は眠りに落ちながら決意した。
本読み氏が本を勧める時には、必ず何か理由がある。何故、その本を寄越すのか。これを暴き出すのが本読み氏と三衣氏の間で時折行われる遊びである。素直に本を読めばよいのに。
妙なところで阿呆な遊びを繰り返す三衣氏であった。