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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
中編 25才のミツイ
16/23

-15- ミツイとおいしい紅茶について

―――三衣氏とおいしい紅茶について


 ティーハウス・アッサム。

 生駒氏と別れた後、三衣氏が目指していた店の名である。時刻は午後4時、店の閉店は午後7時である。ゆったりとくつろぐためにも、5時半には店に辿りつきたいと考えていた。




   ○   ○   ○




 雨はすでにあがっており、少し肌寒い風が吹いてはいたが気持ちのよい夕方であった。勝手知ったるとまではいかないが、この辺りの地理に疎い訳でもない。氏はかつて京都(ねぐら)にしていた似非(えせ)京都人である。多少の懐かしさと共に、悠々と水路にかかる橋を渡り神宮通りを歩いた。


 そしておそらくではあるが、この似非京都人っぷりが全ての元凶だったのではないだろうか。氏は観光客であろう女性に捕まった。その女性は眼鏡をかけており、クセ毛であった。


「すみません、熊野(くまの)神社ってドコでしょうか?」女性は問う。


「えっとね、あの交差点見えます?あれを左に曲がって、次の信号を右に……」


 そう説明しながら氏がちらりと相手を見ると、彼女はメモに氏の台詞を「左、次右」と書き留めていた。氏は直感した。「これは迷う」と。


「案内しますよ」反射的にそう声をかけた。

 

 メモから顔を上げた彼女と目が合う。「いいんですか?」


「ええ、十分もかかりませんから」


 迷子を見捨てて飲む紅茶が美味しいはずもない。それに、眼鏡でクセ毛の女性が困っていると、三衣氏は無条件で助けてしまうのである。なぜそうなってしまうのか明確な説明がなされるべきだと思うが、氏は「自分でも分からん。と、いうコトにしておく」と責務を放棄している。


 彼女は岐阜から観光にきており、前日には天橋立(あまのはしだて)に行ってきたと教えてくれた。女性が一人で観光とは珍しいと氏は考えたが、とりあえず彼女のことを心の内で岐阜子さんと呼ぶことにした。正しい名前は聞いていないので分かるはずもない。


「近くにお住まいなんですか?」


「ええ。少し向こうに歩いた所に」


「良かったぁ。地元の方だと思ったんですよ」


 間違っているぞ岐阜子さん。そして三衣氏も大いに間違っている。しかし、正しいことが全て正解だとは限らないものである。自分が上手く京都人を演じれば、岐阜子さんも妙に混乱することはないであろう。そう思ったのだ。岐阜から京都に来て、奈良の人間に道を尋ねる。これはどう考えてもちぐはぐである。混乱の元である。


 たかだか十分程度の道案内であるので、三衣氏に出来ることと言えば、桜が咲けば神宮近くの水路には花見の為に舟が浮かぶとか、京都の冬は尻が冷えるだとか、至極どうでも良い観光案内をすることだけであった。


 岐阜子さんの目的地、熊野神社は東大路(おおじ)に面しており、有り体に言ってしまえば小さい神社である。近くに平安神宮、少し南へいけば祇園祭の総元締めである八坂(やさか)神社に臨済(りんざい)宗の総本山である東福寺(とうふくじ)。観光客ひしめく清水寺、さらにいけば千本鳥居で有名な伏見稲荷(ふしみいなり)大社もある。

 なぜわざわざ熊野神社を選んだのだろうか。三衣氏は岐阜子さんの選択に興味を持った。なので、目的地が見えてきた辺りで、


「熊野神社には、お参りですか?」と聞いてみた。


「あ、違うんです。えっと」そう言って彼女は鞄から二枚の地図を取り出した。


「ここへ行きたくて」


 最初からそちらの地図を見せてくれてもよかったのではないだろうか岐阜子さん。地図を受け取ると、それはホームページをプリントアウトした略地図であった。なるほど確かに二枚の地図にはどちらも熊野神社が目印と言わんばかりに記されている。


「ああ、八つ橋ですか」


「はい、友達へのお土産に」


 聖護院(しょうごいん)八つ橋と西尾(にしお)八つ橋の本店へのアクセスが記されたその地図は、確かに土地鑑の無い者からすれば近くまで行かなければ分からないものだった。

 正直な所、三衣氏は「わざわざ本店まで行かずとも良いのではなかろうか」と考えた。八つ橋は押しも押されぬ京都の銘菓。駅でも新幹線内でも買えるのである。岐阜子さんのように迷ってまで行くとなると、何か相当の理由があるのではないかと思ってしまうのも当然だろう。


 その疑問、不審が顔に出ていたのだろう。岐阜子さんは慌てて「近くに来とって、せっかくやらぁて」と早口で喋った。

 後に、三衣氏はこう語っている。「軟弱者だの、助兵衛だのアレコレ言われるのを承知で述べる。いや、述べざるを得ない。彼女が咄嗟に言った素の一言はタイヘン可愛かった」と。


 彼女に地図を返し、依頼の目的地である熊野神社にたどり着いた所で、氏の案内は終了である。岐阜子さんは地図を構えて道を確認し、「よし」と呟いてから氏に礼を述べ、氏もそれに応える。


 「あのっ」立ち去ろうとする岐阜子さんを氏が呼び止めた。普段であればあっさりと見送る三衣氏であるが、声をかけずにはいられなかった。呼び止めるべきだと、そう思ったのである。

 不思議そうな顔をして振り返る彼女に、氏は言葉を続けた。


「そっち、やないです……よ?」


 想像していただきたい。地図をくるくる回しながら道を眺め、目印である神社を指差し確認し、そのままあらぬ方向へ歩き出す眼鏡でクセ毛の女性の姿を。

 愕然とするものがある。何事にも平常心であるべしとの考えを貫く三衣氏も、思わず驚きの声を上げそうになった。おそるべし岐阜子さん。氏があと十歳ほど若く、学生の頃であったならば、その天然っぷりにコロッと惚れていたであろう。


 熊野神社まで案内したのだから役目は果たしたと思われるのだが、惚れた腫れたは別として氏は眼鏡でクセ毛の女性を無条件に助ける性質を持っている。故に、「こっちですよ」と道を指差してそのまま店の前まで案内をした。

 岐阜子さんは「すみません」と顔を赤くして小さくなっていた。“頼れる京都の案内人”を演じきったと三衣氏は言うが、氏の顔も心なしか赤くなっていたように思う。「それは秋風が冷たかったためであるぞ!断じて、断じて!!」と氏は述べている。




   ○   ○   ○




 岐阜子さんは三衣氏に質問をした。

 西尾八つ橋本店で出してもらった温かい茶を啜りながらの出来事である。


「たくさんあります。どれがいいと思います?」


 氏は昼過ぎに嵐山の土産物屋でお姉さんに聞いたことを、さも自分の知識であるとばかりにかいつまんで話した。岐阜子さんはころころ笑った。「さすがですねえ」


「よく聞かれますからね」氏はどこまでも嘘吐きである。


 いくつか試食もしながら、岐阜子さんは二箱、八つ橋を買っていた。氏もなんとなくばら売りされているものを数個買った。


 次に訪れた聖護院八つ橋の本店は、いつ見ても重厚な感じがする店であった。老舗の雰囲気というか、京都の歴史をずっしりと背負っているような、実に京都らしい店構えである。

 ここでも岐阜子さんは二箱、八つ橋を買った。計四箱。土産にしては多くないだろうかと思ったが、家族や身近な人へと考えれば案外そんなものかも知れない。


 店を出ると、辺りは暗さを増していた。街灯の明かりがやけにきらきらしている。さて、何と声をかけたものか。

 これにて完全に似非京都人(ミツイ)の八つ橋案内ツアーは終了である。行き先を聞いて、そこまでの行き方を示して別れるのが妥当であろうと氏は考えた。岐阜子さんはどこか納得がいかないような顔をしていた。案内の仕方が不味かったかとも思えたが、


「舞妓さんの絵が入ったん、限定品とかですかね?」と岐阜子さんが呟いた。


「舞妓さん?あー……、夕子(ゆうこ)ってやつですか?」


「ああ!それです!どっちの店にも無かったから」


 それは当然無いだろうと三衣氏は納得する。“夕子”は井筒(いづつ)八つ橋本舗のパッケージキャラクターなのだから。聖護院と西尾にある方が問題である。だがして、「そんなの知らない」と世間で言われるのもまた仕方のないことなのだ。


 一口に八つ橋と言っても、それを取り扱うブランドはいくつかある。特に有名なものが、聖護院、西尾、井筒の三つのブランドなのである。


「少し歩きますけど、案内しましょう」


 三衣氏はそう提案するしか道はなかったと言う。目の前で眼鏡でクセ毛の女性が困っている。それを解決する方法を、自分は知っている。

 井筒八つ橋の本店は川端(かわばた)通り京阪祇園(けいはんぎおん)四条の駅近くにあるのだ。聖護院から歩くとなれば、およそ二十分程度である。

 ちらりと時計を見れば既に六時前であったので、どのみちティーハウスは間に合わない。「京都人たるもの、気さくに案内すべし」と心で呟き、八つ橋案内ツアーを再開したのである。


「本当によかったんですか?」歩きながら岐阜子さんが問う。


「ええ、散歩してただけですからね」氏の似非京都人っぷりも堂に入ったものになってきた。


 ちなみに、岐阜子さんが“夕子”を求めるのは、友人への土産にする為であった。その友人の名が夕子と言うらしい。洒落っ気と行動力が同居した岐阜子さんはなかなかに面白い人であるなと氏は感じた。


 川端丸田町(かわばたまるたまち)の交差点を左へ曲がり、二人は鴨川(かもがわ)東岸の遊歩道を歩いた。歩みを進めるほどに町の中心地である四条へ近づくので、対岸は徐々に賑やかに、煌びやかになってゆく。

 もちろん、氏は観光案内をすることを忘れなかった。夕暮れの川沿いを女性と二人、無言でまったり歩くなど、そんな空気に三衣氏が耐えられる訳がないのである。

 三条大橋の辺りで岐阜子さんが「わあっ」と弾んだ声をあげた。鴨川対岸を指差して氏に言う。


「本当に並んで座るんですね」


「鴨川等間隔の法則と言うのです。京都七不思議の一つですよ」


 京都・鴨川の川原は、仲睦まじい男女が並んで座ることで有名である。測ったように等間隔に並ぶ所から、古くより上記のように名付けられ、京都に住まう学生たち(主に独り身の者)を中心にその法則の証明が試みられてきたが、未だ成功した者はいない。

 ちなみに、あとの六つの不思議を氏は知らない。要するに出任せである。岐阜子さんは興味深そうに河川敷に座る男女を眺め、その横顔を氏は眺めていた。


 井筒八つ橋祇園本店。岐阜子さんはここに来てようやく目当ての八つ橋を手に入れた。ここに着くまでの道中、聖護院、西尾、井筒と、八つ橋のブランドの違いを説明すると、彼女は


「不親切ですよう」とぷつぷつ文句を言っていた。


「ごもっともです」氏は答えた。


 駅などにある土産物のコーナーにはまとめて並んでいるので余計にそう思うのだろう。氏もそう思っている。しかし、本店でしか購入できぬ商品もあるので、これがまた小憎いのである。


 岐阜子さんは京阪電車で大阪まで行き、翌日は兵庫をぶらぶらすると言った。最終的には山口まで行くのだと言う。飽きたら途中で引き返すとも言っていた。その言葉に「それは良い旅です」と氏は笑った。旅の作法をよく知っているなあと感心したのである。


 京阪祇園四条の駅で岐阜子さんと三衣氏は別れの挨拶をした。自販機で温かい紅茶を二本買い、片方を彼女に渡す。


「いい人に会えて良かったです」


「おおきに。けど京都(ここ)がええ街なんよ。またおいでや」


 意識してそう言葉を発する。それと共に氏は先ほど買ったばら売りの八つ橋を「餞別に」と添えて渡した。満面の笑みで手を振って改札の向こうへ歩いていく岐阜子さんを見送り、姿が見えなくなったところで氏は軽くガッツポーズをした。


 終わりよければ全て良し。三衣氏は自らの京都っぷりを激しく自画自賛した。「我ながら上手いこと運べたのではないか。いやあ、楽しかった」古都・京都を演じきった氏はご満悦であった。

 氏と岐阜子さんは旅の捉え方、旅の楽しみ方が似ていたのであろう。旅という非日常の中で、人に出会い、街に出会う。そんな豊かな旅の一助になれたのならば、幸いである。三衣氏もたまには人の役に立つらしい。


 唯一の問題点は、氏が本物の京都人ではなかったという点である。

 もし、どこかのブログや紀行文で「京都で地元の人が八つ橋案内してくれた!」等の文を見たならば、それは三衣氏の事であるかも知れない。


 流石に今回ばかりは阿呆になり損ねたと氏は考えた。

 いや、心配はいらない。心ゆくまで京都人を装ったその事実だけでも充分、阿呆っぷりは磨かれているのだから。


 自販機で買ったストレートティーを一口飲み「うむ。美味い」と呟く。愉快な気分で鴨川を渡り、氏は煌びやかな街中へと足を向けた。


 三衣氏は京都で美味しい紅茶を味わうことが出来た。つまり、そんな話である。



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