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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
中編 25才のミツイ
15/23

-14- ミツイと紅葉について

 ―――三衣氏と紅葉について


 三衣氏は京都に赴いた。秋、紅葉が見頃になるシーズンの話である。

 先日、共に和歌山に行った生駒氏と京都を訪れた時の出来事を記しておく。


 今回の三衣氏の目的は美味しい紅茶を飲むことであった。以前から目をつけていた喫茶にいざ行かんと考えていたのだ。三衣氏の紅茶好きには節操がなく、特定の茶葉に限ることなく様々なものを嗜むが、統計的に最もよく飲んでいるのはどうやらアッサムティーであるようだ。家の食器棚にはあらゆる茶葉が取り揃えられている。


 行くことを予定していた日の前日、生駒氏から電話があった。


「みっ君、明日ヒマやろ?」


 断定するとはどういうことか。俺ほど多忙を極めている男はいない。各方面から引っ張りダコだ。と氏は答えようとしたが、特に誰からも休日を共にしようという誘いは受けていなかったので、すんなりと暇であることを認めた。予定の有無と、暇の有無に関しては何ら関連性がないからである。

 しかし、暇ではあるが予定はある。美味い紅茶を飲みたかったのだ。


「生駒よ。人には紅茶を飲まねばならぬ時と言うものがある」


 友の誘いとはいえ、紅茶を飲みに行くと決めてあった予定を崩す訳にはいかない。そして生駒氏と共に行くという選択肢もまたない。彼は以前、「わざわざ、紅茶を飲みに行く為だけに出掛けるのは意味がわからん」と暴言を吐き、その是非について三衣氏と大論争を繰り広げたことがあるからである。


「どこ行くん?一人?」


「京都。一人」


「ほんま!?ほな車に乗っけたるから一緒に行こうや」


「おお、ついに紅茶に目覚めたか生駒よ」


「いや、紅茶は付き合わんけども」


「あ、そう」


 生駒氏の言う所に寄れば、翌週に会社の同僚と京都・嵐山に紅葉を見に行くらしく、下見をしておきたいからと、かつて京都在住であった三衣氏を捕まえて予習用観光ガイド役に連れ出そうとしていたのだった。

 案内はナビと情報誌に頼れと冷たくあしらっていた三衣氏であったが、「京都案内を任せられるのはみっ君だけ!」との生駒氏の露骨な褒め言葉に気を良くし最終的には引き受けた。ミツイおだてりゃ何とやら。氏は実に扱いやすい性格をしているのである。


 ならば喫茶店にも付いてくればいいのにと読者諸賢は思うかも知れないが、生駒氏は「みっ君と喫茶店でわざわざ語る内容はあらへんなぁ」とからから笑った。三衣氏もまた「生駒はそんなに紅茶好きやないしのう」と携帯越しに頷いた。

 したがって、嵐山までのナビおよび案内の後、現地解散という形になった。これが両氏の自然な距離である。お互いに特に気兼ねなどはしていないのだ。




   ○   ○   ○




 そして翌日の日曜日。京都・嵐山(あらしやま)までの旅路は思いの外苦難の道程であった。

 まず生駒氏の寝坊による待ち合わせ時間の変更に始まり、次いで三衣氏が道を間違えるハプニングをやらかして嵐山近辺には予定時間を一時間ほど過ぎてたどり着いた。

 さらに、この時期の嵐山は当然のように混雑するのである。紅葉の名所として知られる嵐山であるので、賢く訪れようとするならば公共機関、特に電車を使うのが望ましい。


 翌週の下見も兼ねている生駒氏はどのくらい混むのか、そしてどこに車を停めるべきかを確認しておきたかったようである。


 しかし両氏の予想を越えて、嵐山は混んでいた。生駒氏は「うへぇ」と嘆き、三衣氏は自らの見通しが甘かったことを詫びた。どこに停める云々どころではなく、嵐山へ向かう車が数キロの列をなしていたのである。亀の歩みの方がまだ速かったのではないか。


「ケンカの元やねぇ。渋滞っちゅうのは」生駒氏が言う。


「いや。逆に考えるんだ。混んじゃってもいいさとそう考えるんだ」

三衣氏が間髪入れず答えた。


「ジョースター卿!?」


 そこからしばらく、両氏は漫画・ジョジョ談義で盛り上がった。ちょうど同名の漫画がアニメ化されており、かねてよりのファンであった三衣氏は毎週放送を楽しみにしていた頃だった。「逆に―――」のくだりは登場人物であるジョージ・ジョースターの名言のパロディである。


 気づけば車は渋滞を抜け、ようやく駐車場に車を置くことが出来た。なるほど確かに渋滞はイライラする事が多いかもしれない。しかし会話の絶好のチャンスでもあるだろう。渋滞そのものは善でも悪でもない。それをどう捉えるかが問題なのであり、三衣氏の言葉通り「混んじゃってもいい」と思えるかどうかが大切なのである。




   ○   ○   ○




 ようやく駐車場に車を停めた両氏は早速観光を始めるかと思いきや、いきなり露店で豆腐肉まんを買って食べた。そして嵯峨野(さがの)コロッケを頬張った。さらには魚介すり身の天ぷら串をぱくつきながら嵐山公園を散策したのである。二人そろって風情の欠片もないが、腹が減っては観光は出来ぬと両氏の意見は一致していた。


 嵐山公園はいくつかの地区に分かれており、川の中州にあたる中之島(なかのしま)地区、小高い丘のようになっている亀山(かめやま)地区、そして川沿いに伸びる臨川寺(りんせんじ)地区がある。

 紅葉を楽しむにあたっては中之島地区を跨ぐ渡月橋(とげつきょう)が有名である。この橋から眺める嵐山の紅葉はこの季節の嵐山周辺の顔と言ってもよい。が、とにかく人が多い。渡月橋が人の重みで落ちてしまわないかが心配になってくる。


 世界遺産である天龍寺(てんりゅうじ)や、小倉百人一首の世界を堪能できる時雨殿(しぐれでん)など、紅葉以外にも様々な魅力ある場所が多い。

 しかし、三衣氏はあえてこれらの場所を案内しなかった。一人静かに平安の世界に没頭するならまだしも、何が楽しくて男二人でしみじみと歴史に感じ入らねばならんのか。そんなしっぽりとした関係はゴメンこうむる、と強い意思を生駒氏に示した。

 生駒氏もまた、「こちらこそ願い下げじゃい」とふん、と一つ鼻を鳴らし、食べ終わった天ぷら串の棒をひょいっとゴミ箱に投げ入れた。


 三衣氏のお勧めは嵐山公園・亀山地区であると言う。渓谷の眺めが楽しめる展望台まで、およそ十分程度の散歩道があり、そこに至るまでにも色鮮やかな紅葉の中を歩くことが出来る。陽に透かした赤や黄の葉はまるでそれ自体が光を放っているかのような輝きを見せ、とても美しい景色だと言う。


 ただし、晴れていれば、である。

 この日は曇りであった。公園内を歩いている内に小雨さえ降り出したほどである。


 ―――だがして、深秋の雨と言うものはしんと冷たく、どこか澄んでいるように感じられるものではないか。ゆえに色調豊かな紅葉の鮮やかさとの、静と動の対比が生まれる。これを見逃す手はあるまいぞ。と三衣氏は言った。


「言い訳はそんだけか、雨男」生駒氏の言葉は秋雨よりも冷たかった。


 三衣氏は雨男である。休日限定でよく雨を降らせるので、妖怪・雨雲招きとまで友人にいわしめたほどである。高校の修学旅行を全日程雨にした際には、仲間内から尻を蹴られたと言う。


「悪いとは思ってないけどスマンな。ほれ、あそこの売店で甘酒でも奢ったる」


 生駒氏は売店を見つめてこう答えた。「横のみたらし団子もついでに頼むわ」


 一通り公園を散策し終えて駐車場まで戻ってきた両氏はなんとなく土産物屋を覗いてみた。八つ橋を試食していると売り子のお姉さんが怒涛の勢いで今の売れ筋や新商品、八つ橋の種類やそれぞれの賞味期限などを語り上げてくれた。その淀みない説明に、三衣氏はプロの姿を見たと言う。その勢いに押されて、つい6個入りの八つ橋を買ってしまった。


「生駒よ。八つ橋食わんか?」


「八つ橋?誰に渡すでも無いのに何で()うたんや?」


「プロへの礼儀ゆえに、とでも言うとくわ」


「ふうん。くれるなら貰うけど」


 紅葉の中を走る嵯峨野トロッコにも乗らず、嵐山の竹林も眺めずではあったが、三衣氏は一通りのガイドを終えた。時刻は午後三時過ぎ。紅茶を飲みにいく余裕は充分にあると氏は考えた。


「みっ君が行く店ってどの辺りや?」


「平安神宮の近く。哲学の道からちょっと外れたとこ」


「ほな途中まで乗っていけぃ。清水(きよみず)寺も下見に行くからついでや」


「そら助かるのう。ってか、清水(きよみず)までの道が分からんだけか」


「ど阿呆!お前さんの為に決まってるやないかッ!さあ、乗れ!さぁ!」


「図星か」


 ぺりぺりと八つ橋の包みを空け、一つ口に放り込みながら、三衣氏は生駒氏の愛車、日産のマーチに乗り込んだ。




   ○   ○   ○




 西大路(おおじ)を北上し、その後北大路を東へ 賀茂(かも)川、高野(たかの)川を越えて東大路を南下する。京都中心地をぐるっと取り囲むように移動したことになるが、あの碁盤の目のような市街地へ車を向かわせるのは自殺行為である。急がば回れとは、このような時にこそぴったりの言葉なのだ。


 その証拠に、京都に修学旅行に来ていたであろうどこかの学校のバスも嵐山からしばらくの内は生駒氏の愛車、日産のマーチと同じ進路を取っていた。

 バス、バス、マーチ、バス、バス、バスと間に挟みこまれてしまった生駒氏は非常に肩身の狭い思いであったという。車間距離も狭く、バスの威圧感も凄まじかったので、三衣氏も隣の生駒氏を真似て肩をすくめていた。



 平安神宮の近くで生駒氏と別れを告げ、三衣氏はひとつ伸びをしてから白川通りに向けて歩き出した。生駒氏はそのまま東大路を南下していった。両氏の休日は終了し、三衣氏の休日と生駒氏の休日がそれぞれ始まったのである。



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