-13- ミツイの突発的行動について
―――三衣氏の突発的行動について
先日、三衣氏は非礼をはたらいた。誰にであるか。いわんや弘法大師にである。あれだけ好き勝手に大師のあれこれを捏造したのであるから、大師に、果ては真言宗の教徒に恨まれるやも知れぬ。
氏は肝の小さい男であるので、恨まれてはたまらんと真言宗発祥の地である和歌山の高野山へ謝罪に赴くことにした。そろそろ紅葉が見頃になってくる時期であるので、謝罪ではなくそちらが目的だったのではないかと周りに囁かれているが、氏はこれを否定している。
折りよく友人にドライブに行こうと誘われていたので、渡りに船とばかりに三衣氏は高野山の観光プランを推した。高野山は平地よりも紅葉が一足早いのでそろそろ見頃であろうという事や、奈良から行くのであれば京奈和自動車道が高野口まで繋がっているので渋滞ともほぼ無縁であることなど、観光に役立つ知識をあれこれ述べたのである。やはり謝罪に行くなどと言う動機は嘘であった。氏は嘘吐きである。
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とある日曜の午前9時、三衣氏は生駒市在住の友人と合流し(今後、この友人の事を生駒氏と呼称することにする)、国道24号線、および京奈和道を通って南を目指した。この日は好天に恵まれ、絶好の行楽日和であった。事前に三衣氏と生駒氏が打ち合わせておいたのは以下の2点である。
・高野山で観光がてら紅葉を見る。
・和歌山ラーメンを食べる。
この2つだけを決めて、後はなんとかなるだろうと気軽に景色や会話を楽しみながら進んでいった。ちなみに、生駒氏の車のナビは古く、何年か前に出来た高速道路、京奈和道は表示されていなかった。ずっと何もない所を突っ切る生駒氏の運転に、ついにナビが困惑してその職務を放棄してしまったことは止むを得ないことである。にこやかに生駒氏は言った。
「橿原から南は行ったことないから、みっ君ヨロシク」
「俺のデータもそんなに新しくはないんやけどもな」ちなみに、みっ君とは三衣氏のことである。
京奈和道とは文字通り、京都、奈良、和歌山をつなぐ道路のことである。だがまだ全線開通には至っておらず、ところどころ工事中である。故に、開通区間以外は一般道を走ることとなる。橿原で道路が一旦終わるので、五条北から始まる和歌山方面への京奈和道までは三衣氏のナビだけが頼りとされていた。
とはいえ、ほとんど一本道である。さして迷うこともなく車は高野山への入り口である橋本市へと到着し、高野山に向けて山道を運転していく前に少し休んだほうが良いと、三衣氏は運転手である生駒氏を気遣った。コンビニで休憩を取り、いざ出発という時になって、生駒氏が提案を持ち出した。
「みっ君。先に和歌山にラーメン食いにいかんか?」
確かに時刻は午前11時と昼前であったので、食べて戻ってくるだけの余裕はあると三衣氏も考えた。橋本市から和歌山市街までの距離はおおよそ50キロである。3、4時間程度で戻って来られるだろうと概算し、二人は和歌山市中心部へと向かった。
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三衣氏と友生駒氏は和歌山ラーメンを食すにあたり、どこへ行こうかとある程度店を調べてあった。せっかくなので食べ歩こうと複数の候補を用意しており、二人はさっそく一件目へと向かった。しかし、定休日であった。どうしてちゃんと調べておかなかったのかとの三衣氏の問責に、「まさか日曜定休やとは思っとらんかった」と生駒氏は答えた。
二件目は臨時休業であった。「みっ君、お前もやないか」と生駒氏は三衣氏を責めたが、氏は「や、これは俺のせいやあらへん」と非を認めなかった。
三件目は駐車場無しと前情報を得ていたので、近くのコインパーキングに車を止めて歩いて向かった。それなのに、店の裏手に5台ほどが停められる駐車場があり、店の壁にも手書きの「駐車場コチラ」の案内看板が張られていた。無駄遣いの上に無駄に歩かされたことに対して生駒氏が三衣氏を責めた。
「みっ君、なんか俺に恨みでもある?」
「情報は生き物。そんなこともあるわい」
「また悪びれもせんと……」
「まあ、美味い中華そば食って機嫌なおそうや」
この3件目(実質1件目)、名を「まるやま中華そば」と言った。店は昔ながらの昭和の雰囲気が漂う佇まいであり、地元の人がよく訪れる店なのだそうだ。この日は数組の客が入っていたが、いずれも地元の方であったようだ。
三衣氏と生駒氏は腹が減っていたこともあり、出てきた中華そばを滝が逆流するかの如くすすり上げた。
「あ、寿司取って」
「はいよ。タマゴいるか?」
「食べる食べる。さんきゅ」
二人がすっかり食べ終わるのに十分もかかっていなかった。スープまで残さずに空である。もっとこう、醤油の効いたスープを味わうであるなり、チャーシューやカマボコの味を楽しむなりあるのではないかと思うが、お構いなしに食べきったのである。
三衣氏は、自分はグルメ通ではないのだから、食べて一言「うまい」と思えればそれで良いではないかと語っている。そしてここの中華そばはうまかったと言う。
店を出て4件目へ向かおうかと話していると、生駒氏が「和歌山ラーメンってあんなに醤油っぽかったっけ?」と口にした。三衣氏はラーメンが好きである。故に、ある程度の予備知識や歴史はしっかりと頭に入っているのだ。
―――和歌山ラーメンとは、そもそもこの地方の中華そばの総称であり、その味は2つに大別される。「とんこつメインのとんこつ醤油」スープと、「醤油メインの醤油とんこつ」スープである。そしてサイドメニューに押寿司(地域では早寿司と呼ばれる)とゆでタマゴがあるのが特徴であり、サイドメニューは脇に置いてあるものを取って食べるのである。会計時に食べた分だけ申告して料金を払うスタイルの店が多い。また、メニューは通じて「中華そば」と書かれており、ラーメンと呼称されるのを快く思わない者もあるらしいので、注意が必要である。
これらを三衣氏は一気に語り上げた。
「と、言う訳で、まるやまは醤油メインの店。想像してたんはとんこつメインのスープやろ?」
「そうそう。みっ君、どっか知ってる?」
「次に行こう言うてた所がまさにそうやわ。知識は力なり。
尊敬しても、いいんでやすぜ?」氏は良い顔で親指を立てた。
「臨時休業やったり、駐車場詐欺されたりしたけどな」
「それはしゃあない。諦めてくれい」
三衣氏との外出でハプニングに見舞われないことは無い。必ず、一つや二つの想定外が付いて回るものである。もしも氏と出かけたにもかかわらず順当に計画を達成できたならば、その人はよほどの強運の持ち主である。
次の店へと向かう前に、生駒氏が職場の同僚へ土産を買うと言うので、和歌山駅前の近鉄百貨店へと向かった。生駒氏は物を食べると眠たくなる人のようで、注意力を失い曲がるべき交差点を直進したり、青の信号で止まってみたりと非常に迷惑な運転をしていた。
「あれ!?今のトコ右か!?」
「さっきから言うてたやないか!次の交差点でターンしよか」
「あかんあかん、車が多いから無理や怖い怖い怖い」
「目的地に向かわずにどこ行くつもりや?」
「どこまでも!!」
乗っていた三衣氏は寿命が3年は縮んだという。
百貨店で土産を買い、このまま運転されてはかなわんと三衣氏は喫茶店での休憩を提案した。生駒氏はカフェラテを、三衣氏は名物グリーンソフトを注文した。成人紳士が注文するようなものでは無いかも知れないが、前に並んだ客がグリーンソフトを頼むのを見て、うまそうだと思ったのだ。氏は影響を受けやすいのである。
しばし休憩し、次の店に向かおうかという時には時刻は夕刻4時前であった。これはマズイのではないかと三衣氏は言った。生駒氏も、確かにマズイなと言った。言った後で、二人とも「まあ、ええか」と呟いた。悩んでも時間は戻らぬからである。
―――世の中において、悩みは大きく二つに分ける事ができる。一つはどうでもよい事、もう一つはどうにもならぬ事である。そして両者はどちらも苦しむだけ損である。努力で解決するならば悩むより努力する方が得策であり、努力しても解決しない事であれば努力するだけ無駄なのだ。
これは三衣氏の好きな小説の一文である。予定以上に費やした時間が戻ってくることはないのだから、とりあえず目の前の事柄を全力で楽しむべきである。つまり、しっかりと美味い中華そばを食べるべきなのだと氏は言った。
市街地より少しはなれた「正善」という店に二人は立ち寄った。カウンターに二人並んで座り、「すんません、中華2つ」と通ぶった頼み方をした。通という訳ではないが、郷に入れば郷に従えであると氏は述べている。
ここの中華そばは生駒氏のイメージに沿うものだったようで、二人とも早寿司をつまみながらスープまでしっかりと飲み干した。三衣氏は途中から胡椒を入れて食べていた。
三衣氏は個人的に醤油メインのスープの方が好みであったという。生駒氏はとんこつメインを推していた。それでいいのである。好みは人それぞれであるのだから、あっちが美味いだのこっちが美味いだの論争するのはあまり益の無いことだ。今回のように連れ立って行くのであれば、それは互いの好みを知る良い機会なのである。
ことさら、ラーメンに於いて万人に共通するうまさと言うものは無いと三衣氏は思っている。創業何年、秘伝云々と言ったものは、目安にこそなれど、味を決定付けるものではない。己にとって美味いかどうか。それがラーメンの真価であると氏は生駒氏に熱く語った。
「そやね。で、次どっち曲がったらええの?」生駒氏は振り向きもせずに軽く流した。三衣氏の扱いをよく心得ている行動である。
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国道24号線を東へ走り、高野口から山道を走っていこうとする頃にはすでに辺りは薄闇の中であった。
地元で祭りでもやっていたのであろう。玄関先の御神灯や街中に張られた万国旗などをせっせと片付けていく住人の姿が見られた。
「祭りと万国旗って変な組み合わせやな」生駒氏が横目に見ながら言う。
「ふむ。町内で運動会でもやってたんちゃうか」
「でも、皆はっぴ着て片付けしてるしなぁ」
地域の風習や慣わしなどは様々である。万国旗を飾って祭りをしようが、褌を締めた男衆が魅惑のダンスを踊りながら町内を練り歩こうが不思議ではない。(これは実在する尻振り祭りという九州の祭りである)
さて、生駒氏は橿原から南へ行ったことが無いと既に述べた。いわゆるシティドライバーなのである。蛇のように曲がりくねった山道を運転した経験など皆無なのである。そんな人間が山道を運転すればどうなるか。
極めて簡単な答えが出る。三衣氏が叫ぶのだ。
「死ぬ!死ぬからほんまに!」
「生きろ!」
「似てないモノマネうぜぇ!!
アシタカのつもりかソレ!」
そりゃあ、三衣氏も口が悪くなるというものである。しまいに氏は謝罪を始めた。
「ごめんって!謝るから安全運転してくれ!」
「曲がる!曲がってくれ!俺のハチロク!!」
「日産のマーチが何言うてんの!?」
生駒氏はどうやら走り屋属性があったようである。嬉々として峠を攻める生駒氏に対して、本来ならば弘法大師に行うべき謝罪を惜しげもなく浴びせたと三衣氏は語るが、大半は罵声であったのではないか。
高野山に到着した時には、すでに辺りは真っ暗であり、数件の寺やお堂がライトアップされているだけであった。そして、まださほど紅葉が綺麗な段階でもなかった。青いのである。青々としているのである。高野山に「まだまだ青いな、お前様はよう」と言われている気がした。
そうまで言われるいわれも無いが、ここ高野山は真言宗発祥の地であり、一大宗教都市である。聞こえずともそう感じたならば、仏の声として受け入れるべきであるが、三衣氏は頑として受け入れなかった。
「青いものか。青い春なぞとうに過ぎている。俺の青春は解脱してしまったのだ」
とライトアップされた根本大塔に向かって呟いた。生駒氏は一言「盛者必衰」と氏に向かって合掌した。
一の橋から奥の院へと参拝しようかと思ったが、暗かったのでやめておいた。街灯の数も少なく、日が落ちれば観光とはまったく縁のない土地になってしまうことを両氏は体験で以って知った。
見れるものだけ見て帰るかといくつかの立て看板を読むにつけ、三衣氏はその内容に怒りを抑えることが出来なかったという。特に次のものである。
「飛行三鈷杵」(ひこうさんこしょう)
唐より大師が帰還する際、自らが修めた教義を広める地を選ぶのにふさわしい場所を示さんと港で仏具を投げた。その仏具は高野山の松の木に引っかかっていた。これが高野山が選ばれた所以である。
―――何だコレは!俺の妄想に負けず劣らずの伝説ではないか!大陸からここまで何百キロあると思っているのだ!比類なき強肩!最早、人ではない!
ここまで破天荒なことが伝承されているならば、少しくらい妄想してもきっと事実と相違ない。あっても微細な違いであろうと己の妄想を自己肯定しておいたのである。三衣氏の妄想など実に人間味のある可愛らしいものだったので、氏は負けた気分になった。
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帰路も再び三衣氏は叫んだ。無事に帰ってこれたのは大師のおかげではないかと氏は思っている。これからは仏教を毛嫌いするのはやめておこうとこっそり誓ったが、結局のところ大師に謝罪をしていない三衣氏に降りる加護はおそらくない。
餃子の王将でラーメンを食べながらこの日のあれこれを二人で語っていると、生駒氏が言った。
「今度は名古屋にでも行かんか?天むす食いたい」
「高速使えば意外と近いからなあ。ええかもな」
「高速は怖いから下道で山越えて行こう」
「自分で死地に飛び込まんでもええと思うねん」
高速よりも山道の方が数倍怖い。特に生駒氏の運転においては。生駒氏にはそれを理解してもらわねばならんと三衣氏は強く思った。
こういった思いつきで行動できる自由を三衣氏は非常に好ましいと思っている。実質、今回の行動で達成できたのは中華そばを食すという事だけであるが、それはそれでいいと氏は満足げである。何もかも予定通りの人生などつまらんと氏は言う。
おそらく、負け惜しみである。氏はこれを否定していない。「予定通りに行けばそれはそれで楽しいが、そうでなくとも人生は楽しいのだ。理屈など無い」そう能天気に言い放って阿呆の道を突き進む三衣氏に仏の加護はおりるのであろうか。それは筆者にも分からない事である。