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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
中編 25才のミツイ
13/23

-12- ミツイと炬燵について

―――三衣氏と炬燵(こたつ)について


 三衣氏は秋が好きである。

 四季の中でもとりわけ秋の雰囲気が好きなのである。


 氏が特に好んでいるのは金木犀である。あの、甘ったるいようで凛とした香りが好きなのだと言う。ほぼ一週間とわずかな期間に咲き誇るのも好ましいと氏は述べている。

 いつから好んでいるとか、どうして好むようになったのかはあまり覚えておらず、小学校時分の三衣坊やは「うわ、変なニオイ」程度にしか思っていなかったようであるが。

 おおかた、何かの本に影響されたのであろうとか、氏がかつて仲睦まじくしていた女性の好きな花であったのだろうとか、様々な憶測が飛び交っているが、ともかく氏は金木犀が好きなのである。


 どのくらい好きかと問われれば、「町内金木犀MAP」をノートの見開き1ページに作ってしまう程である。数年前に近所の金木犀の植え込みが取り払われ、駐車場になってしまった時はさめざめと泣きながらその手書きの地図に×印をつけていた。


 その年も三衣氏は金木犀のキンと透き通った香りを心ゆくまで楽んだ。金木犀が散ると、氏は秋が深くなってきたと考える。

 そろそろ紅葉の時期であるので、氏は綺麗な紅葉を見たいものだと考えている。観光名所にわざわざ出掛けていくのも面倒だと、近場で綺麗な所を探すようである。

 人混みを避けようという意識がありありと見て取れるあたり、氏は横着者であると言わざるを得ない。




   ○   ○   ○




 秋と言えば他にも様々な楽しみがあると三衣氏は語る。

 彩豊かな山中に分け入り、山の幸を楽しむも良し、戻り鰹、秋鮭、秋刀魚の海の幸を楽しむも良し。夜長にしんみりと書に耽るも良し。世間一般に秋は楽しみが多い。

 しかし、氏はこれらの楽しみに勝るものがあると言う。胸を張って氏は宣言する。「その名はコタツであるぞ!」と。


 特に、この時期に押入れから出すコタツの事を氏は「初コタツ」と呼んでいる。その年一番に出すコタツにそう名づけているのだ。阿呆である。大真面目に阿呆である。


「初物を食えば寿命が延びると言うように、

 これは大変縁起の良いものであるからして、

 初コタツを疎かにしてはならない。決して。決してだ。

 然るべき所作で感謝を示してもぐり込むべきものなり!」


 氏は力説する。

 初コタツに対する所作には詳しく記せば非常に大仰なものになってしまうが、大まかに要点のみを挙げるならば次の3点である。


・コタツ布団はよく干しておくこと

 これは当然のことである。カビ臭いコタツ布団は、そこに入る人間に快適さを全くもたらさぬものである上に、下手をすればこ炬燵神(こたつがみ)の怒りを招く原因になるからである。炬燵神の怒りはもぐり込んだ者に災いを与えるので、コタツへの感謝は欠かしてはならない。


・素足で入ること

 初コタツに限っては、しっかりと身を清めた後、必ず素足でもぐり込まなければならない。その年最初のぬくもりを得られるのは足先だからである。間違っても手や頭からもぐり込んではいけない。犬猫などを室内で飼っている家庭は先を越されぬよう注意が必要である。


・半纏を羽織り、供物 (ミカンが望ましい)を用意すること

 祭りに半被と神輿が欠かせぬように、「初コタツ」はもはや一つの神事であるとさえ言えるので、コタツに対する正装である半纏を着るのが礼儀である。供物も忘れてはならない。菓子皿に乗せて中央に据えたのち、二礼二拍手一礼してから入るのが正しい所作である。



 他にも、礼は伊勢神宮の方角に向けることやこたつの四辺の方角の決め方、こたつ布団の掛け方などその所作は多岐に渡る。しかし元来、炬燵神はぬくぬくぽかぽかした神であるので、上記の3つのうち一つでも守っていれば炬燵神の怒りを買うことはないのである。

 炬燵神の怒りは災いをもたらすと述べたが、具体的にどのような災いであるのか。これはかつて、三衣氏が直接体験したことである。初コタツにて礼を欠かした氏は散々な目にあったと言う。

 何があったのかと言えば、コタツに長時間居られない祟りを受けたのである。タイミング悪く訪問販売が来たり、トイレが妙に近くなったり、とても落ち着いてミカンを食える状況ではなかった。

 ようやっと落ち着いた頃に氏はウトウトしはじめ、寝冷えによる風邪をもたらされたりもした。


 このことから氏は学んだ。清く、礼節で以て「初コタツ」に臨め、と。これが秋の最大のイベントであり、楽しみであると言う。

 もう少し他に楽しみがあるのではないかと思うのだが、なにぶん、三衣氏は阿呆である。これはもう、しょうがない。




   ○   ○   ○





 三衣氏のコタツについて、少々述べる。氏はコタツをこよなく愛しているが、コタツ自体は何の変哲も無い、正方形の電熱線タイプのコタツである。高級品でもなんでもない。どちらかと言えば年代品である。

 八畳の部屋の中央には常にコタツが据えられており、暖かい時期は布団を外して文机として使っている。


 コタツは長く氏の一部分であった。それは幼き頃より氏の実家にあったコタツである。氏は家を移る度にコタツを持って運び、寝食をコタツと共にしていた。京都学生時代を終えて住処を引き払う際に、「荷物になるから捨てていけば良いのに」と引越しを手伝ってくれた友に言われたりもしたが、「お前は自らの魂を捨てられるのか。武士に刀、商人に算盤、三衣に炬燵は世の真理だろうが」と何の裏づけもない格言めいたものを述べた。


 コタツは氏を暖め、またコタツは氏に寝冷えによる風邪をもたらしたりもした。その度に氏は忌々しげにコタツを睨んだものである。

 しかし当然コタツは何も言わず、そのコタツのふてぶてしさにコタツのヒーター部分を「こんちくしょう」とごつんと蹴ることで報いた。

 時に邂逅し、時に敵対し、とても一言では言い表すことの出来ない複雑怪奇な関係性を作り上げてきたのだ。その歴史は、ぐるぐると絡まった電源コードに良く現れている。


 氏のコタツにはミカンが置かれることが多かった。

これはまったくもって氏の先入観によってのことで、氏はコタツとミカンは切っても切り離せぬものだと考えている。




   ○   ○   ○




 秋が深まり、初コタツの季節である。三衣氏は押し入れにしまっていたコタツ布団一式を取り出した。氏はコタツと共に冬を越すことを至上の喜びだと考えている。

 今年も例外なくコタツに埋もれてやろうと用意をしているとコタツのコードが見あたらない。長年の使用による結果として、コードカバーはぼろぼろに破れ、いつ漏電騒ぎが起こるかも知れない状況にあった。故に捨てていたのである。

 それを思い出した氏は「むう」と唸り、近所のホームセンターまで仕方なくコードを買いに出た。初コタツの出来ぬ秋など、ひいては、コタツのない冬など、到底考えられなかったからである。


 冬が近いこともあり、店には暖房器具コーナーが設置されていた。目当ての品物、コタツコードをすぐに見つけ、ふと横を見ると「遠赤外線・速攻暖房!」の宣伝文句とともにコタツが置かれている。

 その値段、一万円弱。いっそこちらを買う方が良いのではないか。


 氏の家にあるのは、コードが擦り切れるくらい時代を渡ってきたコタツである。確かにここ数年、ヒーターの効きが悪くなっており、ごつんと渇を入れながら使っていたなと、氏はそう考えた。昔ながらの電熱線タイプのコタツなので、電気代も馬鹿にならない。

 時折、コタツの上に置いたものまで満遍なく暖めてしまい、知らずの内に菓子皿の底で干からびたミカンのミイラを作ってしまったこともあった。


 しかもよくよく見ればこの新型コタツ、家にあるコタツよりも一回り大きい。これならば、コタツに潜り込んだ時に向かい側から足の先が出てひんやりと世の寒さ辛さを感じてしんみりしてしまう事も無いのではないか。


 三衣氏の新コタツへの愛はむくむくと膨れ上がった。

 不自由の無いコタツ生活に思いを馳せてみれば、それは幸福と呼んで差し支えなく、ここでこの新しいコタツに出会えたのは天命であるとさえ氏は信じた。

 日頃からコタツへの感謝を忘れぬ敬虔な自分への加護である。とそう感じたという。


 ―――嗚呼、素晴らしきかな。これぞ炬燵神の思し召し。極楽浄土はここにありき。


 だがまて、しかし。

 伸びかけた手をはたと止め、現コタツと過ごしてきたアレコレの日々を思い出して、三衣氏は考える。


 亀のようにコタツから頭だけを出して「モモ」を読み耽った少年時代。

 半纏を羽織って、参考書など華麗に無視してゲームに没頭した学生時代。

 鬼も裸足で逃げ出すような底冷えの寒さの中で尻を温めた京都時代。


 コタツは暖かかった。

 コタツは今年もきっと暖かい。


 ―――そうとも。古びていると言えども、まだ家にあるコタツは現役ではないか。少の不自由など、むしろ愛嬌ではないか!

 神の思し召し一転、これは試練に違いない。新旧、どちらのコタツを選び取るのかを試されているのではなかろうか。

 いや、コタツを愛するコタツ人を惑わせるなど、炬燵神がそのようなことをするはずがない。

 炬燵神はぬくぬくぽかぽかとした、世にあまねく温もりを与えてくれる神である。


「なるほどこれは、妖怪・炬燵噛み(こたつが)の仕業に違いあるまいぞ!」


 氏は暖房器具売場で叫び、買い物に来ていた男性客がびくりとして氏を見た。

 炬燵噛みは、こたつに潜み、入った者の足を甘噛みしてその場から動けなくしてしまう妖怪である。まんじゅうに口がついたような姿をしており、ぱくりとやられるとこれが存外に心地良い。

 コタツには魔物が棲むと世は言うが、その正体はコイツである。一度入ったこたつから抜け出しにくいのは半分が炬燵噛みの仕業である。もう半分が入った者の精神力の弱さである。


 炬燵噛みは、炬燵神と読みが同じであるので、自分が崇められているものと勘違いして嬉々としてコタツを根城にする。


 さらに、己が住みよいコタツを求めて人を惑わせることもあるのである。


 これは危なかった。ここで炬燵噛みの誘惑に負けて新コタツを買って帰ろうものならば、どんな非難を現コタツから浴びせられたであろうか。


「アタシの温もりはもう必要ないのネ」

「アナタはそうやって新しい子とねんごろになっていればいいワ」などなど等々。


 胸をえぐり取るような辛辣な言葉が投げかけられたに違いない。その言葉に耳を塞ぎながら現コタツを粗大ゴミ置き場まで持っていけと言うのか。

 いいや、そんなことは不可能だ。氏は力強く頭を横に振った。颯爽とコードだけ買って帰路に着いたのである。




   ○   ○   ○




 皆様には、誘惑に打ち勝った氏を「情け深い男であるな」と賞賛していただきたいばかりである。


 だが一方で、氏は単に物が捨てられぬだけなのだ。愛着が湧いたが最後、どこまでも使い続ける。世間ではそれを貧乏性と言うが「貧乏が貧乏性を患って何が悪い!」と氏は開き直っている。


 逆である。

 重度の貧乏性であるが故に、貧乏が付いて回るのである。


 それに気づかぬ三衣氏はまだまだ阿呆の盛りであると言わざるを得ない。




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