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『ミツイのトリセツ』  作者: 三衣 千月
前編 24才のミツイ
10/23

-09- ミツイ、炬燵に潜る ~日曜ミツイ劇場 アンコール~

―――三衣氏、炬燵に潜る ~日曜ミツイ劇場 アンコール~



 三衣氏の携帯がメールの着信を知らせて鳴り響いた。

 時刻はすでに深夜。にもかかわらず氏が起きていたのはさほど珍しいことでもない。この日は「宵山万華鏡」という本を読んでいた。


 氏の愛する森見登美彦を著者に持つ小説で、京都祇園祭の一部、宵山を題材に書かれた話であるが実際の宵山の描写はあまりない小説である。しかし妖しい京都の雰囲気が実に良く描かれている。氏は何度も繰り返し読んでおり、京都ほど、妖しい話が似合う舞台もないだろうと思っている。


 ひとしきり区切りの良いところまで読んでから思い出したように携帯電話を見た。





“特定した”





 メールの本文にはそれだけが書かれており、ちょうど妖しい物語で精神をぞわぞわとさせていた三衣氏は背筋にぞくりと何かが這い回った気配を感じて思わず携帯を落とした。そしてコタツに深く入りなおし、体を温めた。

 これが噂に聞くストーカーというものであろうか。それともただの迷惑メールか。迷惑メールの方がいいなあと思いながらアドレスを見ると見知った文字列が含まれていることに気が付いた。

 気に入った文字列をアドレスに入れる。そういった行為は日常的によくあることだろうし、氏のアドレスも様々なアドレスを経て尚、変わらない部分というものはある。


 氏はメールの相手に目星をつけ、違っていたら謝ればよいと返信をした。


“こちらも特定した。

 日曜は送ってくれてありがとう。”


“もう分かったの?こっちこそありがと。

 アドレスは高橋君に聞いた。”


 すぐさま返信が帰ってきた。読み通り、メールの相手はカワさんであった。昔からカワさんはメールの返信が早かった。そのメール奉行っぷりは今でもご健在のようである。何か用事でもあっただろうか。

 送ってもらった時に車内に忘れ物でもしていたかと思いその旨を彼女に伝えてみたが、どうやらそうではないらしい。


 いくつか話題を投げかけてみたが、どれも彼女の本題ではなかったようであった。

何気ない話でもしたかったのであろうと高を括り、その日のメールはうやむやのうちに終わった。





   ○   ○   ○




“話がある”


 そう書かれたメールを三衣氏が受け取ったのは翌日の昼であった。昼夜問わずにメールを送れるとはフリーターといえどカワさんもなかなかのんびりした職種のようであるなと氏はコンビニのパンを頬に詰めながら返信した。


“部長は夜まで仕事だぜー”


“分かった。夜に電話する”


 この時のメールはやけに業務連絡めいていた。

 そしてカワさん。電話番号まで知っているならばこちらにも番号を教えてくれたら良いではないか。



 夜、電話の前にと氏は話題を想定しておくことにした。

 日曜日に想定外を突きつけられて醜態をさらしたのだ。同じ轍を踏むわけには行かぬ。一般的に、一番可能性が高いのは世間話であるが、昼の業務連絡めいたメールからはしっかりとした用件があるように見受けられた。そして、そこそこに重要な案件であろうとも思えたのである。


 ならば世間話というのはおかしいだろう。次にありがちなのは、愚痴やその解消のための話、及びその類だろう。大都市大阪の一角で働く彼女である。湧き出る問題や抱える悩みなどは、三衣氏とは比べものにならないはずである。もしそういった話ならば、黙って聞くべきである。


 あとは何かしらの伝達、意思表示なども考えられるだろう。第一理科室連合でまた集まることが決まったのかも知れぬ。彼らはアクティブであるからして、部長不在でもきっと難なく決まったことだろう。


 はたまた、陽だまりの君の話題かも知れぬ。既に日曜のドライブの中で遠い彼女との“思い出話はしない”との約束は違えてしまったが、それでカワさんが少しでも楽になると言うならばこちらとしても記憶の糸を手繰り寄せて思い出を語る用意がある。少々苦い思い出も混ざってくるが、この際自分へのダメージは論外に置いておこうと考えた。


 普段であればここで三衣氏は思考を止める。しかしこの日は違っていた。

 不本意ながら、氏とカワさんの間における男女間の恋愛の可能性も考えておく必要があると思われたのである。普段ならば自意識過剰ともとれるその行為を氏は嫌っている。毛嫌いしている。しかしそれよりも、カワさんに二度と不覚をとるものかという思いの方が強かった。

 氏は負けず嫌いなのである。


 まさか告白などされようはずもないだろう。生涯を添い遂げてくれと言われるのもありえない。氏はカワさんから直々に「非モテ」の烙印を押されているのである。だが、氏の心に傷をつけんが為にそれを話題に出してくる可能性はある。どこか変な思考の袋小路に嵌まり込んで、自分の事を慕うような発言が飛び出して来るやも知れぬ。氏は「飛び出し注意!」の標識をイメージしながら、そんな時は気を確かにもって冷静に対処すべしと決意を固めた。


 ここまで用意すれば平常心の砦を破られることもないだろう。来るとわかっている攻撃ならば捌くことができる。三衣氏の精神の砦は難攻不落の要塞へとその姿を変えていた。




   ○   ○   ○




 夜。

 さながら決闘にむかう武士のように心を静め、鳴り響いた携帯電話を優雅に耳元にあてて平然と氏は電話に出た。


「あ、ミツイ?」


「おう。カワさん、仕事お疲れ」


「ありがと、えっとね、昼の話なんだけど」


「はいはい」


 ―――勝負は一瞬で決まるといっても過言ではない。さあ、来るがいい!

 氏は身構えた。


「私、結婚することにしたよ」


 一瞬、彼女が何を言っているのか分からず、三衣氏は沈黙した。堅牢と思われていた守りは何の役にも立たず、カワさんの言葉は一撃で氏の本丸へとたどり着き、思考及び言語中枢の機能をあっさりと停止させることに成功した。

 人間、真に驚いた時には言葉も出ないものだ。勝負は確かに一瞬で決した。あらゆる剣戟に備えていたところへ大砲で打ち抜かれたようなものである。


「やっぱり驚かないね」


 彼女は沈黙を平静と捉えたようだった。これは、勝負には負けたが試合には勝っているパターンである。一番格好が悪い。


「うむ。想定範囲内、やな」


 そしてそれに間髪入れず乗じる氏は何かを通り越して見事とすら言える。男としての矜持は無いのだろうか。読者諸君には念押しの為に伝えておくが、三衣氏は嘘吐きである。それも、筋金入りの。


 しかしそれにしても、手持ちの情報から予測出来る範疇を越えてはいまいか。氏の情報ではカワさんは独り者同盟に属していたはずである。前提からして違っているではないか。


「おめでとう」何はともあれ、まずは祝辞である。


「ありがとう」


「でも、彼氏よりも仕事ほしいって言うてなかった?」


「言ったけど、彼氏がいないとは言ってないよ」


 氏は心の中で日曜日の記憶を手繰り寄せた。確かにカワさんは彼氏、恋人、婚約者その他の存在を明確に否定はしていなかったのである。肯定もしていなかったが。


「てっきり独り者同盟の仲間やと思てたわ」


「……言うつもりなかったんだ。ほんとは」


 カワさんには現在同棲中の彼氏がおり、先日結婚を申し込まれていたという。新たな家庭を築くとは、新しい人生を歩みだすようなものではないかと氏は思っている。故に、彼女は自らを過去に縛りつけているものを忘れようとしていたのではないだろうか。


「ミツイと偶然会った時に、あの子に“忘れるな”って言われたような気がして、

 少し……怖かった」


「あー、そら確かに非日常的な何かを感じるな」


「でも、ミツイは忘れていいって言うし、もう分からなくなっちゃって……」


 その後も、電話口からは彼女の感情のあれこれが溢れてきた。嗚咽混じりの話題もあったが、後半の方は彼氏の愚痴と今後の不安が大半であったように思う。

 女性の愚痴は黙って聴くものである。下手にアドバイスや意見などを述べてはいけない。これは氏の過去の教訓である。


 ひとしきり話を聞き終わった後、ふと時計を見ればすでに丑三つ時であった。普段から夜更かしをしている三衣氏は平気であったが、きっとカワさんはそうはいくまい。氏は仕事人であろう彼女の健康を気遣った。


「あ、私、働いてないよ」


「うえい?」氏の口から言葉とも音ともとれぬものがこぼれる。


 確かカワさんは自由人だと言っていなかっただろうか。


 ―――いや、確かに、自由人がフリーターを指すとは決まっていない。働いていない方が自由かも知れぬ。そして本人の口からフリーターだとは明確に聞いていないぞ。


 その可能性に行き当たったところで、息を吐いて氏は呟いた。


「ナチュラルに嘘つくんやもんなー。見抜けん」


「ミツイだって高橋君に嘘ついてたじゃないの」


 結局、どこまでいっても似た者同士なのである。

 しかしこれからは少しずつ変わっていくのかもしれない。彼女は結婚によって自分の道を歩く決心をしたのだから。


「それじゃあ、またね」


「ん。ほなね」


 かつて、三衣氏とカワさんは浅からぬ仲であったが、もつれ絡まりかけた二人の糸が結び目をつくることは無かった。自然と解けて離れていった。

 今回は離れていた糸が不意に絡まったが、同じようにまた解けて離れていくことであろう。




   ○   ○   ○




 孤独は優れた精神の傍らに訪れる。これはどこかの名言集で見た言葉である。

 氏は思う。これだけ孤独に過ごす俺の精神はさぞ優れているだろうと。


 想定外の出来事に面食らい、第一理科室連合唯一の独り者となった三衣氏はそう思い込んで静かに茶を飲み、コタツに潜った。そうやって、何やらよく分からない傷つき方をした心を慰めるのである。


 ―――どうか、連合の面々に幸あらんことを。あと出来れば俺にもそれなりの幸福を。


 コタツの天板に頭を乗せ、氏は「はっはっは。めでたいのう。良き事なり、良き事なり」と呟いた。





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