血路
地響きを上げてベヒモスが倒れたのを見届けながらも休息は許されない。
超重量の体当たりを食らったコバルトを急いで自分の手の中に戻し周囲を見ると、僕らの戦いで薙ぎ倒された木々の合間からちらちらとオーガやオークロードが見える。
ベヒモスが倒しそこねた相手を今がチャンスと言わんばかりに虎視眈々と狙っているかと思うとおぞけが走った。
(まともに戦うにはダメージが大きすぎる)
痛む左足ではまともに歩けもしない。早いところ脱出しないと危なかった。
「カイト!左足!」
「済まない、出来れば早く治してくれ」
駆け寄ってきたパネッタの悲鳴のような声が聞こえる。動かない左足を地面に横たえ彼女を待った。
傷口が熱を持ったように熱い。骨が確実に折れており、このままでは歩くことすらできないだろう。
「・・・手酷くやられてる」
二度目のヒーリングを唱えたパネッタに嘆かれた。ようやく痛みが引いてきたがまだぎこちない感じが残っている。
本当は完全に治癒してほしいところではあったが、その暇が無い。
周囲の木々を縫って怪物達がじりじりと間合いを詰めてきているのが分かるのだ。防戦体制を敷かなければまずかった。
「ありがとう、とりあえず立てる。アッシュ、退くか?」
パネッタに礼を言いながらアッシュに呼びかける。こっちもさっきベヒモスの放った攻撃呪文によるダメージをパネッタのヒーリングで治してもらっているところだった。
直撃ではなかったので僕ほど重傷ではないのが救いだったようだ。
「ああ。正直これ以上連戦はきついからな。俺らだけじゃない、トマスもラークも消耗している」
「なら退却戦だな」
コバルトは戻らざるを得ないほどのダメージをおい、全員が大なり小なり傷を負った今は退くしなかった。正直あとはエルフ達だけでどうにかなるだろうという目算もある。
撤退だ。とにかく安全が確保できる位置まで。
「シャリー、ラークの攻撃呪文で目一杯牽制しながら退くぞ!カイト、呪文が使えるなら二人に続け。その足では接近戦は無理だ」
アッシュの号令が飛ぶ。ベヒモスとの激戦に続き逃げ切る為の戦いが始まった。
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自分の息遣いが荒いのが分かる。
未だに治りきっていない足の傷に加え、全身打撲のダメージもまだあるらしく体がしゃんとしない。
それでもここで足を止めれば追撃してくるオーガ共のいい的になってしまう。生きたければ戦え、逃げろと自分を叱咤した。
「ちょろちょろちょろちょろと・・・エクスプロージョン!」
舌打ちしながらラークが放った爆発系攻撃呪文の光弾が木々を引き裂きながらおいすがるオーガ数体に巻き付くように放たれた。
轟く爆発音と閃光、筋肉で覆われた体とはいえさすがにオーガも無傷ではいられないようだが、苦痛の叫び声をあげながらまだこちらを追ってくる根性と体力が忌ま忌ましい。
「しぶとい!」
「同じ人型でもオークやゴブリンとは雲泥の差だな」
パネッタとトマスが悪態まじりに前線に飛び出す。二人ともパネッタの保護の呪文で防御を固めているからこそこれほど疲労が溜まった状況でも前に出て戦う気力があるのだ。
でなければ怪力を誇るオーガが追撃してくるというやばい事態に向き合う気力自体が削がれるだろう。
だがオーガの団体はトマス、ラーク、パネッタに任せるしかない。
追ってくるのはそれだけじゃない。耐久力に優れたトロールとその周りに衛星のように従うオークロードが別の方角から迫ってきているのが見える。
(こっちはこっちでーーー!)
逃げながら呪文の詠唱を開始する。アッシュがシャリーにトマスらの援護に回るよう頼むのを横目にしながらだ。
シャリーがいないならこちらサイドで攻撃呪文を使えるのは僕一人。
十分な弾幕が張れるかと懸念しながら魔力を上げてくれる守護の青杖を握りしめる。
「ー走れ、我が指先の指す方向へ。火炎の矢、フレイムサジタリウス」
ボッと音を立てて現れた10本の燃え盛る炎が蛇のようにうねった。最初に覚えた頃は鋭い火線が糸を引くように唸りをあげて飛んだが、魔法全体の威力が上がってきたのか今では火炎が太いロープのようによじれながら敵に襲いかかっていく。
「喰らい尽くせ!」
僕の号令に応える忠実な猟犬のようにフレイムサジタリウスがトロールの群れを襲撃した。
でっぷりと太ったトロールだがその体は醜いだけではない。その体格に相応しい耐久力も備えているし、分厚い脂肪の下には相応の筋肉が潜んでいる。
特に呪文に耐性が高いわけではないといえ、その体力だけでも十分脅威だ。
一匹に五発フレイムサジタリウスを集中させ確実に仕留める。
太い火炎の線をめりこまされたトロールが吠え声をあげて倒れ、その屍を乗り越えた敵がさらに間合いを詰めてくるのが見えた。
「二匹倒した!アッシュ、残り頼む!」
「っ、応!きりがないな!」
血まみれの槍を振るいながらアッシュがトロールに白兵戦を挑む。彼も相当疲労が溜まっているのか、いつもほど動けていないがそれでも強い。攻撃呪文に怯んだ隙に踊りかかり、あっという間に一匹をなます切りに刻んで敵を後退させた。
「退けるうちに退け!」
アッシュの声と共にまた少し退却する。こちらの体力と魔力を削るような退却戦をじりじりと続ける。
血が流れる。
魔力が削れる。
汗が泥とまみれ身を汚す。
剣と盾が欠け、鎧がひび割れる。
肉体的にも精神的にも追い詰められながらもひたすら撤退と戦闘を重ねる僕らは森の中に屍を積み上げながら後退していった。
「まだ出てくるのかよ!」
ざっと草を掻き分けてきたオークロードにうんざりしながらファイアボールを叩きつけようとした時だった。
頭上から放たれた矢が数本、オークロードの鎧を貫通した。
たまらずオークロードがギャアギャアと吠えながら剣と盾を振り回すが、矢の攻勢は単発では終わらない。
「早くこちらへ!」
息を切らしながら逃げ込む僕らに声をかけたのはケストナーだ。頭上を見上げると弓兵を指揮しながらウェインが自ら矢を引き絞るのが見えた。
「助かった!」
「射ろ、射ろ!客人達にこれ以上近づけさせるな!」
僕らが歓声を上げるのとウェインが指示を出したのは同時。ビュオ!と空気を切り裂く恐ろしい矢音が唸り、降り注ぐ矢雨がおいすがる敵を打ち倒していく。
オーガもオークロードもトロールも一斉に浴びせられた矢に抵抗できない。何本も刺さればさすがにそのまま抵抗出来ずに倒れ、木々を血に濡らしていく。
そして足が止まった敵は攻撃呪文のいい的だ。
炎が、氷が、電撃が好き放題に敵を討ち滅ぼしていけばそこに残るのはもはや動かぬ骸の群れだ。
どさどさっと最後に残ったトロールの巨体が地に崩れた時には他の僅かな残党は一目散に逃げ出していた。
「遠距離に特化した攻め手ってはまれば強いわねえ」
シャリーの感心したような言葉が僕ら全員の気持ちを代弁していた。
「助かった・・・」
ゼーハーと手を地面につきながら僕は喘いだ。未だ骨折の治りきっていない左足はもとより魔力も枯渇寸前だ。
懐から取り出したポーションの瓶を開けて一息に飲み干す。失った体力を僅かに回復させて顔を上げるとそこにはケストナーの姿があった。
だがその顔が浮かない。
「どうした?俺達がベヒモスを倒している間に片はついたんだろう」
「それどころじゃない事態になりました」
アッシュの問いにケストナーが答える声が鈍い。よく見ればその杖を握る手がわなわなと震え、顔は血色が悪かった。
どう考えても戦勝時の軍の人間の様子じゃない。
「一体どうしたんですか?もう相手の砦は落としたと思っていたんですが違うんですか」
「カイト殿、皆さん。ご助力いただきながら誠に申し訳ない事態にー」
絶句するケストナー。あまりに悲痛な様子に全員ただ事ではないと表情を改める。
まだ勝ちきれていないとかそれだけではなさそうだ、と覚悟した僕らの耳に飛び込んできたのはそれを更に上回る悪いニュースだった。
「黒のグラウディアル様が裏切りました」
「「「何だって???」」」
僕らの声が異口同音にケストナーの語尾にかぶった。
理解不能としか言えない。
この出陣に際してエルフ達を指揮していたのは主将の赤のナウファ。
そして副将の黒のグラウディアル。
このハイエルフ二人が指揮官でありまた魔法の使い手の要である。
その片割れがこんな機会に裏切りなど想像を斜め上に突っ切っていた。
「赤のナウファは!?」
「軍全体はどうなってるんだ?」
こちらの問いにケストナーのみならずウェインや他のエルフ達もだんまりだ。その重い雰囲気にこれは冗談ではないと思い知らされ僕らも口をつぐむ。
「ここでこうしていても仕方ありません。私が知りえる限り話しますので一旦退却しましょう」
ケストナーはローブを翻し背を向けた。重苦しい空気の中、僕らもエルフ達に周囲を保護されながらそれに続くことにする。
エルフの中でも特別な存在のハイエルフの一人が裏切るなんて何がどうなってそうなったのか分からないが、異常事態には違いない。
(この出陣、まだ終わらないな)
不吉な思いが足取りを重くしていった。




