ハイエルフ
ー目の前がぼんやりとする。
ー体が何か柔らかいものの上に横たえられ、シーツのような薄い布がかけられている感触があった。
んん、と呻き声をあげながら自分がどこにいるのかを確認しようと体を起こす。
頭が徐々に働き始め、視界がクリアになっていく。
「あー、皆いるな・・・」
六人が六人ともこの大部屋に案内されそのまま爆睡してしまったようだ。木で編まれた床が独特な広い部屋には壁沿いにクッションが置かれ、それにもたれるようにして皆が眠っている。体の上に薄いシーツがかけられているのが見えた。
柔らかな緑色をベースにした配色と曲線をふんだんに使った造形の部屋。これがエルフの美的感覚らしいと考えながらクッションの上に座り込む。
どうやら何時間も寝ていたらしい。その証拠に疲労はほとんど取れていた。
ここまで身を守ってきた武器や各装備が床に置かれているのを確認しながら、エルフの住家に案内されてから寝てしまうまでのことを思いだしてみた。
******
あの緑色に光る木々が住家、というかエルフの居住区の境界線にあたっていたようだ。それを越えると一気に風景が変わった。
草が無造作に生えていた地面はきちんと整地されていたし、堅苦しくない程度に計画的な配置で家が並んでいた。
各住居は基本的に細い木の枝をよりあわせた素材で壁を作り、その上に薄い板を張り合わせて屋根がかかるという完全に植物だけで出来ている念の入りようだった。
「うわあ。。」
思わず声が漏れた。今までの狂暴なまでの濃い緑が放つ空気と違い、すっきりした空気が肺を満たす。
「我々エルフは植物を利用してこのように家を作る。もともと生えている木々には土や水に癖があり、それがわずかながら匂いになるので一旦それを取り除く為に手をいれるんだ」
「はあ。具体的には何を?」
歩きながら説明をしてくれたエルフに質問する。
「一度切ってから特殊な薬を混ぜた水につけておく。その水で木に染み付いた癖を取り除き、同時に素材として使いやすくなるよう繊維を柔らかくする。
それから成形して家屋や家具の素材にするんだ」
「手をかけてるんですね」
「木々の中には根本に怪物の死体が転がっていたものもあるからな。
そのまま使うと物によっては有害な成分を含んだ空気を発しかねない」
だから一度浄化してから使うのさ、とそのエルフは付け足した。
へー、と同意するしかないのだが、ある程度素材を均一化しておかないと作る時に使いづらいのだろうなというのは分かる。
ここには当たり前だがエルフしかいない。人間が珍しいのだろうか、小さい子供のエルフはこちらを指さして親にたしなめられている。
指さしがマナーに反するのはこちらでも同じのようだ。
木々の中に無造作に作られているのだろうという予想を裏切り、アーケードを思わせる天井が頭上にかかり、そこからはやはり植物で作られたランプが柔らかい光を放っていた。
明るめの間接照明くらいの明度で目に優しい。
「水はどうしているのですか?」
「この居住区の中心から各街区に水路をひいています。居住区の中心が水源になるわけですが、どうやって水を土中から吸い上げているかは口で説明するより直接ご覧ください。きっと驚かれますよ」
質問に答え終わった後、そのエルフは立ち止まった。僕らの左手に建つ一軒の大きめの建物の方に入るよう案内する。
「こちらに国使にあたるハイエルフの方がいらっしゃるのですか?」
アッシュの問いにエルフは「いえ」と答え、まあ入れと手で僕らに合図した。
「我らを束ねるハイエルフはもっとも奥、"宮"と呼んでいる場所におわします。そこに案内する前に失礼ながら旅の疲れを取られよ。このセントアイラ山脈を怪物の襲撃に耐えながらここまでたどり着いたあなたたちには敬意を表しますが、相当お疲れのご様子」
すぐにハイエルフに挨拶したいという気持ちと休息の誘惑に揺れたアッシュだが決断は早かった。
「それではありがたくご厚意に甘えます」と答えると、無言の安堵がパーティーに広がった。
エルフの手前、オープンには出来なかったが旅の疲労と空腹を癒したいという欲求は限界寸前まできていたのだ。
そして建物に案内された僕らは邪魔な旅装を解き、男女別に分かれた水浴び場で体の汚れを落とした。
その間にエルフが用意してくれた軽食ー夢中でほうばったのでよく覚えていないがタレに漬け込んだ鶏肉のグリルと、キャベツっぽい野菜のスープだったと思うーで空腹を満たした後に二階の大部屋で一同寝てしまったという訳だ。
******
寝てしまう前の状況を思い出しながら、体の調子を確認する。
うん。きちんと回復しているっぽい。疲労していたところにきちんとした食事と睡眠のコンボが効いた。
寝てしまう前は昼前だったが今が昼なのか夜なのかはっきりしない。それはこのエルフの住家全体に張り巡らされたランプの光のせいだと思う。
僕だけ起きていても仕方ない。そのままゆるゆるとクッションに座って時間を潰す。
結局、全員が起きたのはそれから一時間後だった。
「おはようございます」
全員が起きて数分後、どこからか見張っていたのかと思うようなタイミングで大部屋のドアがノックされ、声がした。
「皆様がお休みの間に"宮"の長達に話を通しておきました。早速ですがご同行願えますか」
カチャとドアを薄く開けてエルフの一人がこちらを覗く。僕達が断るはずもなく、最低限の着替えだけしてついていくことにした。
しばらく真っすぐ通りを進むと広場のような場所に出た。その中心に水色の光を放つ大きなボールのようなものが浮かんでいる。
「え、あれって」
「球体型の水なのか」
僕ら全員が息を呑んだ。不思議な光景だった。人間大もありそうな球の形に水が集まり、パチャパチャと音を立てながら回転している。
何の支えもないままそれは浮かび上がり、広場に引かれた四本の水路に空中から水を注いでいるのだ。
「これがこの我らの住家の生活用水を担う水球です。木の葉や幹から空気中に放出されたごくごく小さな水の粒をこうして一箇所に集め、全ての家に行き渡るよう平等に水路に流すことで皆が容易に水を使えるようにしています」
「ー凄いわね。これは魔法で?」
説明に感嘆したシャリーが水路にかかった小さな橋を渡りながら聞く。
目指す"宮"へ通ずる道はこの広場の更に奥だ。
「そうです。空気に働きかける魔法を刻んだ宝石を核にしてあのように浮かせー」
エルフの一人が水球の中心を指し示した。なるほど、水色の拳大の青い石が浮かんでいる。
周囲に綺麗な水流をまとわせながら浮かぶ青い宝石は神秘的というしかない。
「空中の微細な水分を宝石の周りに集中させて制御し、そこから水路へと流しております。この制御を行っているのが"宮"のハイエルフの長です」
少し誇らしげな響きがエルフの声に混じる。確かにこれは凄い。人がたむろする大都市でもこんなシステムは無い。
「完全自動で動いているわけじゃないんだね」
「定期的にあの宝石に術を唱えて魔力を維持する必要があります。全自動だと術が暴走した時にどうなるか分からないという危険もありますしね」
ラークの興味津々といった質問にも丁寧に答えながらエルフも橋を渡った。
このエルフの他に二人、同じように僕達に同行している。案内と見張りを兼ねているのだろうか。
そのまま広場を後にする。道の周りから家が無くなり代わりに太い木々が並ぶようになった。徐々に道は上り坂になり、石段へと変わっていく。
神社や寺へ至る道のりを想像すると近い。違いといえば木の種類と天井からまだぶら下がっているランプだ。
ゆらゆらとしたランプの光が僕らの影を道に落とす。早くおいで、と道に落ちた光の輪が誘うように時折色を変えすらする。
どんな魔法がかけられているのか分からないが、赤、青、黄色、緑、紫などカラフルに変化する光が道を染め上げるので巨大なステンドグラスの上を歩いているような錯覚を覚えた。
広場から15分ほど歩いただろうか。
石段となった道が終わった。振り返ると結構な高さにまで登ってきたことに気づいて少し驚いた。
「ここが"宮"の敷地です。私達が案内できるのはここまで。あの正面の建物の扉を叩きなさい」
そう言ってエルフ達は道の脇にどいた。
石段を登りきった僕らの前には色とりどりの花が咲く庭園が広がり、その向こうに蔦が絡む緑色の壁面の屋敷があった。
そこまで馬鹿でかいわけでは無いが、今が冬だというのに季節を無視して咲き誇る花の艶やかさと屋敷全体が放出する命の気配が他とは一線を画する雰囲気を醸し出す。
「これが"宮"・・・ハイエルフの住む場所ですか」
「さようです。我らエルフにとっての聖域、城のようなもの。ではこちらでお待ちしております」
僕の言葉にエルフ達が反応し、庭園の端に寄った。どうやらハイエルフとの会見が終わるまで待っていてくれるらしい。
******
「へえ、、ご丁寧に」
庭を突っ切り屋敷の真正面にたどり着いた時だ。
ノッカーのついた大きな扉が誰も触れていないのにひとりでに屋敷の内側に向かって開いたのを見て先頭のアッシュがぽつりと呟く。
(僕らを招き入れようとしている)
話は通しているといっていたから不自然ではないが、やはり普通に自動扉などを見せられると驚く。
意を決して全員で踏み込む。
唐草模様が美しい絨毯が敷かれた木製の廊下が伸びた屋敷の内部。
ガラスのような透明な花弁のバラが壁際を飾る不思議な空間だった。
真っ正面しか道がないので突き当たりまで進んだが、扉が無い。
「ちょっ、行き止まり?」
トマスが不満そうに声をあげたが、それはどこからともなく聞こえてきた笑い声に掻き消された。
"フフフ、焦るでない、人の子よ。よくぞ来た、今こちらに招き入れる"
サラサラと木の葉を揺らす風のようにも聞こえ、反面、どっしりと根を下ろした大木を思わせる不思議な声だ。
僕らがビクッとする中、姿を見せないままその声の主がもう一度笑った。
"来よ、我らハイエルフの膝元へ"
声と共に目の前の壁がいきなり真っ白に発光した。網膜が焼けそうな強烈な光に全身を包まれたと思った瞬間、体が浮くような感覚がありいきなり景色が変わった。
そこは丸い部屋だった。
白い円筒形の部屋、青い絨毯が敷き詰められ部屋の中央にぽつりと置かれた方形の机と六つの椅子だけが唯一の家具だった。
だが何より僕らの注意をひいたのはそんなことよりも。
"お初にお目にかかる、人の子。ラトビアからの使者ということはあのウィルヘルムの小伜の遣わせた者と見た。楽にしてそこに座るがいい"
またあの不思議な声がした。だが今度は目の前でだ。
部屋の一方に太い歳月を重ねた木が生えていた。いや、むしろその木が部屋を侵食しているかのような堂々とした存在感でそこにある。
その木を守護するように立つ四名の人影はそれぞれ赤、青、白、黒のローブをまとい顔はフードの奥に隠したまま、無言で立ちつくしている。
自然とその四名の中央ー大木に目がいく。
自動車並の太い幹とねじくれた根がとてつもない樹齢を感じさせた。
その木にまるで抱かれるように座るこちらに視線を投げる人影。
それが透き通るような銀髪と尖った耳を持っているのだけは見えた。
あれがハイエルフなのだろうか?
次の瞬間、度肝を抜かれた。
その人影がいきなり浮いたのだ。自力で飛んだのでもなく、魔法で浮いたのでもなく。
木の幹からそのまま伸びた枝に体を絡めとられて・・・いや、枝と体を一体化させたまま僕らの頭の高さくらいまで浮かび上がったと気づいた時にはその人物の全体像が見えた。
細い長身を覆う白いローブ。
こちらを見下ろす目は血のような深紅色だ。そこにこめられているのはおよそ生き物とは思えない計り知れない深淵。赤い果てしない底無しの色が僕達六人を睥睨する。
"ようこそ。全てのエルフを統べるハイエルフの長、ローランメルツ・イル・エルブントゥレスの部屋へ"
固まったまま動けない僕らにローランメルツと名乗ったハイエルフは声をかけた。およそ生物とは思えない無機質な響きがその端麗な唇から室内を震わせた。
声が口から発せられているはずなのにまるでさざ波のように聞こえる違和感に微妙に顔をしかめた。
枝に包まるようにしながらテーブルの向こう側に移動したローランメルツが椅子を指さす。
"驚かせてしまったようだ。だが木々と共に生きるエルフの頂点に立つならばむしろ自然と思っていただきたいな。改めて言うが、座って話そうではないか"
「っ、失礼いたしました」
慌ててアッシュが一礼し座ると、僕らもそれに倣った。
テーブルを挟んでハイエルフと向き合う形となった。四名のローブ姿は俯いたまま動きもしない。
だが黙っていても分かる。ローランメルツは当たり前だがこの四人も桁外れの魔力を保有していることが。
"フードを被ったままでは挨拶もできぬな。紹介しよう、こちらの四人もハイエルフだ。
おい、客人だ。挨拶を"
目の前のハイエルフの言葉に無言の四人が動いた。
向かって左から並んだ赤、青、白、黒のローブ姿がフードをぱらりと落とした。
「赤のナウファ」
「青のボローディア」
「白のペイローズ」
「黒のグラウディアル」
淡々とした声音と共に現れたのはそれぞれのローブの色と同じ長い髪と端正なエルフ特有の顔。
皆似たような顔付きに見えるのは表情の無い無個性さが強い為か。
"ハイエルフは私と彼ら四名で全て。この"宮"を司りセントアイラのエルフを導くのが我らの責"
言いながらローランメルツの赤い目がつ、と動いた。僕と目が合うとそれがすぅと細まった。
"面白い物を飼っているな、人の子。この世界とは異なる理に律せられる世界からの迷い子なればそれも道理か"
(何も言ってないのにコバルトの存在を見抜かれた?)
(マスター。こやつ、我に気づいているぞ)
僕がびくりとするのとコバルトが反応したのは同時。滅多なことでは動揺しない相棒の声が多少なりとも乱れていた。
「何のことでしょう、ハイエルフの長」
"隠さずともよいが、まあシラを切るならそれもよいわ。後で話す機会もあろう"
銀髪のハイエルフが静かに僕の返事をいなす。彼(彼女?)の体から生えた巨木の枝がまるで笑ったように震えた。
もっのすごいハイエルフが悪役っぽい気がします。
怖いわ、こんなんいたら。




