不沈の巨獣
「規模が大きすぎてどこを歩いているのか分からなくなりそうだ」
「地図が参考程度にしか使えなさそうだな」
ラークのぼやきにアッシュが応じた。傾斜のきつい山道を行く僕らの眼前に広がるのは斜めに落ちていく山裾とその向こうに見える大きな谷だ。
どれくらいの規模があるのか計り知れない。スケールが違う。
「これがセントアイラ山脈ー」
今日がセントアイラ山脈に取り付いて初日だが既に僕は圧倒されていた。まずは見晴らしを確保しようと朝から登り始めて今は昼過ぎ。だがこの最初の山の頂きさえまだ見えてこなかった。
「下手したら一ヶ月くらいは探索にかかるかもしれないわね」
シャリーの声に全員がうっと息を詰まらせた。それが大袈裟ではないことをこの景色が示している。
大自然の作り出した雄大な山脈。それが幾つも重なり奥行きを作り、そこに森や湖や谷が生まれているのだ。広大で一筋縄でいかない予感がひしひしと押し寄せてきた。
(食糧は直前の村で補給できたけど、いつまでもつか)
背中の万能収納鞄である鯨の胃袋には保存期間の長い固パン、チーズを中心に買えるだけ保存食を詰めた。だが一ヶ月それだけで過ごすのはきつい。
「途中で獣を狩ったり果実を取るなどして現地調達」は今回のミッションの全員の共通認識になっていた。
(これだけ木々が濃くて地形が複雑だとコバルトに乗って空から探すのも難しそうだし)
もう一度、斜面を眺めた。場所によっては霧が溜まり視界を遮るところもある。空からの探索は期待薄と考えたほうが良さそうだった。
「長丁場は覚悟の上さ」
自分に喝を入れて足を前に運ぶ。ここからが本番なのだ。
******
幸いなことに懸念事項の一つである怪物との遭遇はそこまでハードでは無かった。物陰からの奇襲を防ぐ為に二人一組になり三点からの視界を確保して索敵に気を配ったのが効を奏し、積極的に襲ってくる怪物には先手を取られることなく退治することが出来た。
怖いのは音もなく頭上からにじり寄る蛇や蜘蛛の類だが、これも二人のうち一人は視線を上げて進むことでカバーする。
怪物の強さはまちまちだったが、まだそこまで強力な奴は出てきていない。あの因縁あるドゥドアが一度襲ってきたが、それほど苦戦せずに倒した。こっちが実戦経験を積んできた成果を実感する。
「俺らめっちゃ強くなってるかも!?」とトマスが興奮気味に言えば普段はあまりはしゃがないパネッタまで「断言してもいい」と同意した。
無理もない。トマス、ラーク、パネッタの三人がかりでとはいえあの怪力を誇るドゥドアを見事に一匹倒したのだ。しかも損傷もそこまで酷くなく。
僕が彼らと会った時にはまるで相手にならなかったのを思えば天と地の差がある。
こうして時に戦い、時には足元を泥に取られて往生し、時には霧の中で迷いかける恐怖を味わいながら何とか僕達は進んでいった。下手をすると一日に10キロ程度しか進めない日もあったが、少しずつ目的地目指して進むこと山脈に取り付き六日が経過し七日目の夕方となった。
「この辺りで今日はストップ、野宿の準備だ」
「ふー、今日も疲れたね」
「連日歩き詰めだし・・・」
アッシュの声が響くと同時にラークとシャリーが手近な岩に腰を下ろす。体力が劣る後衛職の魔術師の二人は相当疲れているようだった。
ここは山道がカーブして天然の広場になっているような場所だった。覆いかぶさる木々を支えにして持ってきた布を張れば簡易テントも作れそうだ。というよりそういう場所が見つかるまで進むわけだが。
「あっちから川の音がするから水汲んでくる。パネッタ一緒に行こう」
「うん、じゃ行ってきます」
「んじゃ、俺は火起こすわ。水は頼んだ、カイト、パネッタ」
トマスに見送られて僕とパネッタの二人でその場を離れ、川の方へ歩いていく。ざくざくと枯れ枝を踏み折りながら緩い斜面を下った。
「さっき仕留めたあの鹿みたいな動物、美味しいといいね」
「見た目普通だから焼けば大丈夫じゃないか?しかし、たまには煮込むとか香草焼きのような手の込んだ料理が食べたいな」
僕のぼやきにはパネッタも同意らしい。真剣な顔でうん、と頷く。
細身の彼女だが食欲は人並み以上にあるのだ。ある程度食べないと歩くか戦うかしかしていないハードな日々を耐えきれない。
実家が貴族だから保存食の固いパンなんて無理ではと危惧していた頃もあったが、「軍に入ったら自然と慣れた」と笑われた。
「エルフの里だか隠れ家だか分からないけど、まともな食事を出してくれればいいね」
「私達が招かれざる客にならなければ大丈夫だと思いたい」
僕とパネッタの会話もいきおい色気の無いものになった。
衣食住の内、もっとも命に関する食に興味が行くのはこの変わりばえしない旅の最中仕方ないことだと思う。
二人でこのミッションが終わったら食べたい物を話しながら歩く内に川へとたどり着いた。
割と大きな川だ。向こう岸は石が転がる河原になっていた。
「じゃ、水汲んで帰るか」
言いながら背中から折りたたみ式のバケツを取り出す。一人二つ、合計四つのバケツ全てに水を汲み、顔を上げた時だった。
グルルルル・・・
幅広い川を越えて届く唸り声。ザーッという川音にそいつの唸り声が被り聴覚を刺激する。
「敵か!」
視界の中で巨大な岩としか見えない物が身じろぎした。
むっくりと向こう岸で身を起こしたその怪物の大きさがまず異常だった。
全長10メートルは優に越えている。太い四本足で大地を踏み締めこちらを睨むその顔は熊に近いが、二本の太い曲がりくねった角は牛のそれに近い。
岩にしか見えないゴツゴツした暗灰色の皮膚で擬態していたらしい。とはいえ相手に気づかなかった自分の迂闊さを呪う。
すぐに襲いかかってはこないが、その目がこちらを睨んでいるのが分かる。
「カイト」
パネッタが声を押し殺しながら僕の服の裾を握ったのが分かる。冷や汗がこめかみを伝った。
無言でその手を握る。その間も巨体の怪物から目は離さない。
ズン!と重々しい音を立て怪物が前進してきた。川の水が派手に飛び散り、奴から放たれる殺気がビリビリとこちらに伝わった。
もう待ったなしのようだ。
「コバルト!」
呼びかけに応えて現れたコバルトがきっと眼前の敵を見据えた。いきなり現れた青竜にびっくりしたように動きを止めている。
一声だけ吠え、身をぎりりとたまわせたのが見えた瞬間、コバルトが先制攻撃を放った。
伝家の宝刀であるブレス、その白熱の輝きが怪物に炸裂する。
爆発音と閃光が耳と目に突き刺さった。久しぶりに見たブレス攻撃だ。正面からまともに浴びせられたなら大ダメージは避けられない。
「やったー!?」
「いや、まだだ!」
パネッタの声を遮る。岩のような体を固めて防御に回ったのか、白いブレスの奔流が食い止められているのが見えた。
ウオオオオオン、と叫び声をあげた怪物が急に背を向けた。戸惑うコバルトには目もくれずに川岸を一目散にその巨体に似合わぬ速度で駆け上がり、途中でこちらに振り向いた。
そのギラギラした目が僕とコバルトに注がれ、悪寒が背をはい上がる。
(こいつ、大してダメージを食らってないのにこっちが手強いと判断して逃げたんだ)
直感的に判断した。追撃しようと二発目のブレスを見舞いかけたコバルトを止めている間に怪物は木々を薙ぎ倒しながら林の中へと消えていった。
******
野営地に戻る。さっきの怪物の叫び声とブレスの炸裂音に警戒していたアッシュ達にとりあえず無事だったことを伝えながら何があったのか説明する。
怪物の見た目と文字通りの岩のような防御力を聞くと、全員の顔色が悪くなった。
「コバルトのブレスに耐え切る防御力に、巨岩のような巨体に角の四足獣・・・」
「ベヒモス、ですかね。。シャリーさん」
呟くシャリーにラークが話しかける。心当たりがあるようだ。
「ベヒモスってあの"不沈"の巨獣か。確かに特徴は当てはまるが」
アッシュも知っているようだ。声が戦慄に強張っていた。
怪物の種類について一番詳しいシャリーの説明によると、ベヒモスは現在確認されている怪物の中でも上位に位置する巨獣らしい。
見た目通りのパワーと石に近い皮膚で生半可な攻撃は一切通さない。
普段は深い森や山奥の穴に住み、滅多に人の生息圏に現れることはないそうだ。
大地の気を吸い込み、自分を強化する技も使えるらしい。
「セントアイラ山脈でベヒモスを見たという話は聞いていないわけじゃないけど、もっと奥地で出るはずよ。間違ってもまだこんな浅い地域で出てくる怪物じゃないわ」
「迷子かもしれないね」
シャリーに答えながら、改めて身震いする。今までまともにブレスが当たってあれだけ耐えた怪物などいなかった。
とんでもなく強いとしか言えない。
「もっと奥地で異変でも起きていて、それで出てきたとか?」
「分からんけどさあ、コバルトのブレスも効かない相手って戦って勝てるか?俺自信ねえな」
「足止めして急所に集中攻撃するしかないかもね」
パネッタとトマスの会話にラークが割り込む。伝説一歩手前の巨獣の出現に平然とはしていられないのだろう。
そんな事態を見かねてリーダーのアッシュが浮足立ちそうな僕らを静めにかかった。
「出てきたらなるべく逃げるぞ。コバルトのブレスを警戒して逃げた相手だ、無理には襲ってこないだろう。
奥地にはこれから踏み込む、ベヒモスが現れた原因は今後分かるだろうから今は落ち着け」
「アッシュ、一応いつでも闘気武装を使う覚悟をしておいてくれ。あの防御を破る手はあまりなさそうだ」
僕のアドバイスにアッシュが了解と頷く。直に見たから分かるが普通の刃ではあの鉄壁の防御は破れない。
何かがおかしいーーー
滅多に姿を見せないと言われるベヒモスとの遭遇が警戒心を煽っていく。ハイエルフに会うことに加えて、新たな脅威に対処する必要が出てきたようだ。
******
ベヒモスとの予期せぬ遭遇の後、警戒しながらもセントアイラ山脈の探索を僕らは続行した。
標高4,000メートルはありそうな高山を必死に越え、毒草が茂る盆地を切り抜けた次はぼろぼろの吊橋がかかった谷を渡るなど、起伏に溢れすぎた道のりを何とか克服していく。
「死ぬー!普通に死ぬー!手が痺れるー!」
「シャリー、頑張れ!」
ロープ一本で絶壁からぶら下がるシャリーをこっちも必死で支えて難所を越えたり。
「エクスプロージョン!」
ラークが放った爆発呪文でがけ崩れを起こして、追撃してくるゴブリンの大群を足止めしたり。
・・・体力的にも精神的にもぼろぼろになりながらも僕らはじりじりと目的のエルフが住むとされる樹林帯に近づいていた。
幸いあの日以来ベヒモスには遭遇していなかったが仮に遭遇して戦えば、コンディションの問題から蹴散らされていただろう。そういう意味ではラッキーだった。
(今日で何日目だ?)
草の上を歩きながら自問する。山脈に入り込んで確か20日目のはずだ。
カラーディの街を出てから9+14+20の43日目と計算しながら、ぼーっとしてくる頭をぶるぶると振った。
何回か道に迷ったので余計な日数をくってしまったが、そろそろ目的地のはずだった。とにかくそこにたどり着かないとこのままこの山脈に命を削られて死ぬーーーそんな恐怖が沸き上がってくる。
「おい、あれじゃないか」
先頭を歩くアッシュが不意に足を止めた。全員で駆け寄り彼が指差す先を見る。木立が密集し見づらいがどうも林の一部がきらきらと光っているように見えた。
薄い緑色の光の集積。それが疲れた身に沁みる。
地図の位置も合っている。明らかに他の木々と様子が異なることを考えるとあれがエルフの住家なはず、いや、そうであってほしい。
「やった、やっと着いた・・・」
誰ともなしに喜びの声が喉から漏れる。
その光の方向に一歩踏みだした時、頭上から降り注いだ声が僕らの動きを止めた。
「止まれ!下手に動くな、人間!」
高い澄んだ声だ。更に足元目掛けて頭上から撃ち込まれた数本の矢が地面に突き刺さった。
反射的に両手を上げて反抗の意が無いことを示す。相手がいきなり当ててこなかったところを見ると、問答無用という訳ではない。
他の皆も僕にならってホールドアップだ。
ゆっくりと視線だけ上げると頭上にかかる木の枝に幾つか人影が見えた。長い金髪とそこから覗く尖った耳が木漏れ日に浮かび上がる。
「セントアイラ山脈に居住するエルフの方々とお見受けする。俺達は敵じゃない、ラトビア王国から正式な依頼文書を運んできた使者だ!」
弓で狙われながらもアッシュが人影に向かって呼びかけた。
疲労と喉の乾きのせいで声が枯れていたが、どうやら相手に聞こえたらしい。
それに反応して向こうの声音が柔らかくなる。
「それは本当か?証拠を見せて頂きたい」
「これだ。印章とサインがされた文書だ」
懐から出した書類をぽん、と草の上に投げ出すアッシュ。人影のうち一つが木から滑りおり落ちた書類を回収した。
近くにきた為、相手の姿がより鮮明になる。男か女か分からないがやや切れ長の吊り上がった目に腰まで届くストレートの金髪と予想通りの容姿だ。
服装は草色の動きやすそうな丈の短い上着に同系色のパンツをブーツに押し込んでいた。
どうやらこれがエルフらしい。初めて見る森の民に僕の目は釘付けだ。
「ー分かりました、どうやら本物のようです。先の非礼をお許しください」
書類は本物と確認したらしい。地面に降りたエルフが頭上の仲間に合図すると、彼らも地上に降りてきた。
もう手を下ろしていいという許可が出たので、ほっとしながらそれに従う。
「ずいぶん物々しい出迎えなんですね」
「申し訳ない。最近この辺りが物騒になってきて我らもぴりぴりしている」
僕の皮肉混じりの言葉にエルフの一人が答える。耳先が済まなそうにひょこんと垂れたのが可愛らしいと言えば可愛らしい。
何が物騒なのか聞いてみたかったが、「とりあえずは自分達の住まいに案内します」というエルフに黙って従うことにした。
こちらに危害を加えることはなさそうだし、妙にぴりぴりしている事情も後で教えてくれるだろう。
ーこうして僕達六人は疲れ果てながらもセントアイラ山脈のエルフの住居までたどり着いたのだった。




