偽装結婚作戦 4
この屋敷に来て最初の三日間、俺はひたすらエルンストの真似をするために練習した。
時間が取れる限りガタニアさん、オズワルドさんにも協力してもらいその甲斐あって三日目の夜にはどうにか大丈夫と呼べるレベルにまでふりをすることが出来るようになった。
「ほお、一年前のエルンストの姿を思い出すなあ」
ガタニアさんが目を細める。
俺は少々恥ずかしい。
「ありがとうございます、父さん。明日はおばあさんにご挨拶してきます」
なりきりだ。とにかく羞恥心を捨てて、この作戦を完遂させることだけ考えよう。
「・・・ああ、行っておいで。母もきっと喜んでくれる」
うんうんと満足そうにガタニアさんは頷く。そこまで言ってくれるなら大丈夫だろう、多分。
俺は祖母の顔を知らない。
父方の祖母も母方の祖母も俺が物心つく前に亡くなった。普通に老衰で亡くなったから大往生と言っていいが、もう少しうちの実家が裕福なら長生きできたかもしれない。
俺が実家を出て軍に入った理由の一つはそれと関係する。
立身出世とまでいかなくても、もう少しましな生活を家族に与えてやりたかった。いや、もっと生々しい話、田舎に埋もれるように生きていくよりは戦いに身を投じる生き方に賭けてみたかったんだ。
だから明日、エルンストの振りをしてとはいえ生まれて初めて祖母という人に会う。
・・・祖母というものを知らない人間が、孫のふりをして演技をするなんて人生は分からない。
******
翌日。
朝食を済ませた俺はオズワルドさんと顔を見合わせた。
お互いに頷き合う。
「じゃ、オズワルド。おばあさんのところまで案内を」
「畏まりました、エルンスト様」
緊張感が走る。この三日間はいわばこの日の為の準備期間に過ぎない。言うまでもなく最大のイベントは偽装結婚式だがそれを大成功に導く為にも今日、明日の面会でモーリンさんが俺をエルンストと完全に信じ込むように演技をこなす必要がある。
二階の少し離れた一部屋。屋敷の他の部屋の音が届かないように配慮されての位置なのだろうが、俺には隔離されているようにも思えた。
廊下に敷かれた分厚い絨毯が俺、オズワルドさん、エマの足音を吸い込む。
「お話した通り、モーリン様はこの三ヶ月ほど日の半分は寝床に臥せっているような状況です。病は気からと言いますが、エルンスト様がいなくなったのがこたえているご様子」
オズワルドさんが俺に目配せする。
期待してるぞ、てことか。
無言で俺は頷いた。大丈夫だ、この三日間で準備は万端。
部屋に着く。エマに目で合図すると、彼女は部屋の扉を開けた。
ギィと軋みながら扉が開く。部屋の中が見てとれた。
第一印象として広い。だがその割には家具が少なく殺風景な印象がある。
窓際に白い大きな花が花瓶に据えられているが、それが部屋の唯一のアクセントに見えた。
だだっ広い部屋の中央のベッドに埋もれるように眠っているのがエルンストの祖母、モーリンだろう。
半分寝たきりというのは嘘じゃないらしい、枕の上に見える顔には生気が薄くゆるりと結んだ髪は灰色だ。
ガタニアさんとどこか似たような顔つきだが、紙をくしゃりと丸めたような皺が目立つ。
寝ているのを起こすのも悪いと思い、静かに傍らに立つ。エマが気をきかせて俺用の椅子を持ってきてくれた。
「しばらくすれば起きられます。こちらでお待ちください」
オズワルドさんはそう言って入り口付近にまで下がった。
15分ほど経過しただろうか。ゆっくりとモーリンさんが目を開けた。
その緩慢な動きは溌剌さを全く感じさせず、俺は内心で(相当やばいんじゃないか)と思った程だ。
老女の目があたりを見回す。傍らでじっと座っていた俺に焦点が合った。
「た、ただいま。おばあさん」
緊張が一気に膨れ上がり俺の声を圧迫した。エルンスト、天国か地獄かどこにいるが知らないが頼むから俺をお前に似させてくれ。
お前だって自分のばあさんに喜んでほしいだろ。
「・・・エルンストかい?あんた、戻ってきたのかね?」
モーリンさんの唇から漏れた言葉が耳に突き刺さり、そして俺のおずおずとさしのべた手は彼女の両手で包まれた。
とりあえず黙って相槌を打って無難にやり過ごそうと決めていたので、「はい。ただ今」とだけこの老女にも聞こえるよう、はっきりと優しく言う。
パチパチと瞬きを数度繰り返してから「おや、まあ」とモーリンは呟いた。
「ずいぶん長い間いなかったんだね。おかえり、私のかわいい孫」
「ごめん、ちょっといろいろあって」
普通一年も音沙汰なかった孫がいきなり帰ってきたら取り乱したり、混乱したりすると思う。
だけどモーリンさんはそんな様子はちらとも見せず、ただただ単純にエルンストの帰還を喜んでくれていた。
顔を見ていれば分かる。生気が欠けた表情に動きが出て生き生きとしたものになっている。半分寝たきりの老人のそれとはとても思えない。
ところどころつっかえながら俺はこの日の為に頭を捻って作り出したストーリーをモーリンさんに話した。
山で事故にあったことから始まり、土砂崩れに流され気がつけば街道から遥か遠くの地域にいた。
幸い身につけていた路銀で当座の生活費は何とかなったが、事故の際におった怪我が治るまで相当時間がかかったので帰ってくるまで一年もかかった・・・
はなからでっちあげのストーリーだが諦めていた孫の帰還を喜ぶモーリンさんは疑うことを知らないようだ。ベッドに差し出した俺の手をしっかりとその痩せた両手で包みながら嬉しそうに俺の話に頷いている。
(何とかごまかし通せるか)
手応えありだ。この時ばかりは老人を騙す後ろめたさは無かった。これ程喜んでくれているなら、嘘をついた甲斐があるというもの。
30分ほどつらつらと話してからモーリンさんが何かを思い出したように額に手を当てた。
急にオズワルドさんとエマの二人に席を外してくれ、と頼んだので内心慌てそうになる。
いや、これも想定内だ。
エルンストとモーリンさんの関係は悪くなかったらしい。しばらくぶりに帰ってきた孫相手に水いらずで話したいと言い出してもおかしくはない。
「オズワルド、エマ。悪いが少し外してくれるか」
俺は二人に声をかけ、モーリンと二人きりになる。相手が老人なら女性と二人でも別にどうということはない。
「大変だったねえ、エルンスト。私のかわいい孫」
にこやかに笑みを浮かべるモーリンさん。この台詞はさっきから何回も聞いた。わざわざ二人を部屋から出した以上、もっと話したいことがあるはずだ。
「ええ、でもこうして無事に戻ることができましたから」
「そうねえ。それが一番よ。あとはあんたが身を固めることさえ見届けられたら何も思い残すことはないわ」
ああ、そういえば二日後に結婚式を挙げることはまだ言ってなかったな。急な話だけど一年前からずっと延期されていたわけだし、寒くなる前に式を挙げた方がいいと思ってとでも言おう。
「一年前にあんたが見合いじゃなくてほんとに好きな人と一緒になるつもりだ、と言い出した時はびっくりしたけれどねえ」
まあ、人の心は分からないからねえ、と続けるモーリンさん。
俺の心臓がビクンと跳ねる。
なんだ?一体何を言ってるんだ?
エルンストは見合いでクレアと知り合って両想いになったはずだ。
実はそうじゃないのか?
駄目だ、黙っていたら怪しまれる。何とかモーリンさんから言葉を引き出せ。
一体誰のことを言っている?
「そんなこと言ったかな?」
「言ってたよ。事故で頭でも打ったかい?やっぱりね、ほんとに好きな者同士が一緒になるのが一番だよ。身分の差なんて蹴飛ばしておしまい」
テンションが高くなる老女の目には俺の冷や汗など映っていない。
"身分の差"て今言ったのか。じゃあ、エルンストが一緒になるって言い出した相手ってのはまさか、いや、恐らくーーー
「エマと幸せにおなり。私はあんた達二人を応援するよ」
ああ、やっぱりそうか。エルンストは、俺が成り済ましている男は、表向き婚約を発表しつつも秘めた恋心を親しかった祖母にだけ打ち明けていたんだ、と俺は動揺する頭で必死に何があったか理解しようとする。
親同士が決めたお見合い。美しい婚約者。しかも相手は町の役人の娘。ディロス家がカラーディの街で商売を続けていくなら申し分ない相手だ。だからエルンストも親の跡を継ぐ以上、見合い相手ークレアにその気になり両想いになった。
なったはずだったんだ。
だがここからは俺の想像だが、恐らく自分の行く末が決まってから自分の本当に好きな相手を意識しだしたのだろう。
幼い頃からずっと傍にいた女の子。好意を抱いても不思議じゃない。立場が主人とメイドになってから環境の変化もあって一時それは鳴りを潜めていたが、それは消えてしまったわけじゃなかった。
(どういう形でエマに言い出すつもりだったかまではわからねえが。。)
エマの様子から考えるとエルンストは自分の気持ちをエマに打ち明けてはいない。両親やオズワルドさんにもだ。恐らく駆け落ちでもしようと企んでいて、ただ老い先短い祖母をびっくりさせたくなかったからモーリンさんにだけは自分の偽らざる気持ちを打ち明けていたというところか。
どうする。もしこのまま計画通りに偽装結婚式をクレアさんと挙げてもモーリンさんは納得しないだろう。仮にやはり家のことを考えてクレアさんと一緒になることにした、とモーリンさんに伝えても納得してくれそうもない。
だが今から実は本当に好きな相手はエマだったと馬鹿正直に打ち明けるとどうなるか。
ディロス家の立場はかなり危うい。
花嫁に確たる過失がない一方的な婚約破棄のダメージは深いだろう。最悪もう商売を続けられなくなる可能性すらある。
ガタニアさん、奥さん、オズワルドさんらは真実を知れば失神しかねず、クレアさんは激怒するはずだ。
(ヤバいな、どうする?)
俺はエルンストを呪った。ややこしいことにしてくれたもんだ。
******
こちらを立てればあちらが立たず。
俺は追い込まれていた。いや、単に全てを関係者全員に打ち明けてしまい報酬を返しさえすれば俺個人は何ともないが、そのあとに予想される事態が放っておくにはまずすぎる。
せっかくの計画が台なしだ。しかし、偽装結婚式を二日後に控えているとあってはその相手の名前をモーリンさんに言わないわけにはいかない。こうしている間にも偽の式の準備は着々と進んでいるのだ。
実のところ、取りうる選択肢さえ俺には与えられなかった。
このあとどうすればいいかも思いつかないまま、実は自分の不在の間にエマとは仲がこじれこの一年の間、待っていてくれたクレアさんと結婚式を挙げるよと告げたところ、モーリンさんの表情が微妙なものになった。
「そうだったのかい。はあ、人の気持ちなんて分からないもんだね。しかしあんなに好き合っていたように見えたのにねえ・・・」
「ああ、僕も長い間留守にしていたから何にも云えないけど、やっぱり離れていると人の気持ちは変わるから」
言っていて胸が痛い。
ここにいないエルンストとエマの気持ちを裏切って俺はもう止められない事態に合わせようとしているんだ。
強いていえばエマはエルンストの気持ちを知らないのが救いだが、この一年の不在を理由に俺はエマの心変わりをモーリンさんにほのめかしたんだ。
エルンストの気持ちが表に出ることはないだろうから、彼女が直接悪く言われることはないはずだが罪のないメイドに全てを押し付けて切り抜けざるを得なかった自分の行動に嫌悪感を抱く。
・・・結局、モーリンさんは俺をエルンストの偽物と見破ることもなく、少々心変わりをいぶかしみながらも急遽二日後に予定される偽装結婚式(モーリンさんにとっては本物だ)への参列を快く承諾してくれた。相手がエマからクレアさんに変わっても正直、エルンストが幸せになればどちらでもいいようだ。
しかし、俺はこのあと自分がどうすればいいのか迷っていた。もとは土壇場で自分の気持ちに気付き、それを打ち明けぬまま事故に巻き込まれたエルンストが悪いとはいえ、後でそれを知った人間に何かしらの責任が生じないわけじゃない。
則ち、俺がエマにだけはエルンストの気持ちを言うのか。
それとも言わない方が幸せなのか、だ。
もう会えないであろう相手の好意など伝えられたところでどうしようもないかもしれない。
だが、好きだった相手も自分に好意を抱いていたことも知らないままでいいのか、と思わずにいられない。
(今更知ったところでなあ、、いや、知らないままじゃエルンストがほんとはエマを好きだったことは闇に葬られたままになるのか)
その日の晩、二日後に控えた結婚式の段取りを復習しながら俺は悶々としていた。
クレアさんはまあいい。実は婚約者は別の人が好きだったなんて知らないままでいい。
でもエマは?吹っ切れたなんて言ってはいるけど、未だにエルンストを思い続けているらしい雰囲気があるあの子は知る権利があるんじゃないか?
しかし知ったとしても自分の気持ちをぶつける対象がどこにもない。
知らない方がよかったと思うのではないかと俺は内心恐れていた。
見なかった聞かなかったふりをするのが一番楽だ、という方に傾きかけながら、花婿のふりをどう演じきるかと考えそれに集中しよう、とそれだけを念じ、行動するうちに時間は過ぎてゆく。
だが俺の見て見ぬふりを神様は許さなかったらしい。
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明日はいよいよ偽装結婚式の日という晩のことだ。
とにかくふりだけでいいということなので式の参列者は両家の両親と兄弟姉妹のみ。挙式場所もディロス家の屋敷の庭とアットホーム極まりない条件で行う。
本来は教会に予約してそういった場所を借りるのが正式だが、こうしたガーデンパーティー風のやり方もないわけじゃない。
正直言うと、こういう最低限の列席者と簡素な場所だからこそたった数日で挙式の準備が出来る。
俺としては早く明日が終われと願うばかり。
頭の中は式の最後に行われる誓いのキスのことでいっぱいだった。
「だ、大丈夫?顔色悪いわよ」
「ああ・・・倒れないようにするさ」
エマに生返事するが、自分の声が震えているのが分かる。今からこんなので明日平然と出来るだろうか。
エルンスト本人は全く普通に振る舞うだろうと考え、これは単なる仕事だと己に喝を入れる。しばらくたつとまた恐くなる。
この情けない繰り返しが一時間以上続いていた。
「純情、というのともちょっと違うわね」
「悪かったな」少々いらっとする。
「ねえ、トマス。余計なお節介かもしれないけど、あなたこれからもそれでいいの?」
「考えたこともない」
憮然とする俺。正直、将来のことなんかより明日のことが大事だ。
別に恋愛しなくても生きてはいける。
「俺を好きになるような女がいたとしてもだ、別に俺じゃない誰かを好きになるよう変わればいいのさ。特定の誰かしか好きになれないってほど人間頭固くないだろ」
「そんな言い方しないでっ!!」
聞いたこともないような鋭い声がエマの口からほとばしる。反射的に振り向いた俺の目にはしまったというように口に手を当てたメイドの顔が映る。
「あ・・・ごめんなさい」
慌ててエマが謝る。普段は元気のいいその顔がしょげたようになっていた。
しまった。
心の中で舌打ちした。俺とエルンストを重ね合わせて見ているエマにとって、今の一言はきつい。
そんなことにも気づいてやれないほど、余裕を無くしてしまっていた。
「いや、俺こそ、ゴメン」
チリ、と後悔が心の中で疼く。この依頼を通して以外に、何かこの女が救われるようなことをしなくてはならなければという思いがそれに続いた。
気まずい思いで別れた後、俺は紙とペンを手に取った。不器用は不器用なりのやり方で伝えよう、と思ったんだ。手遅れかもしれないが。




