王宮の外へ
初外出から三日が経過した。
少しずつ竜の大地のことやスキルに慣れる為に、僕は学習と基礎訓練に日中を費やすことになった。
好きも嫌いも無い。他にやることも無いし、手持ちぶたさは好きじゃない。
午前中はシャリーが教師役となりこちらの世界の文字や常識を教えてくれる。
魔法は基礎の基礎だけ教えてくれた。
彼女が言うには一度に大量に知識を詰め込んでも消化不良になるだけとのことで、僕に不満は無い。
昼食を挟んで午後はアッシュの出番だ。武器スキル向上の為に剣、盾の持ち方から構え方、足運びの基礎などを吸収する。
一朝一夕で身につくものではないけど、これは仕方が無い。
いくらポテンシャルが高いとはいえラトビア王国の若手エース二人を教師役に配してまで異世界の人間を遇する必要があるのか、と我が事ながら心配になったがこれには歴史的な事情も含むらしい。
数百年以上もの昔のことになるが、僕と同じように地球で不慮の死を遂げた人間がこちらの世界に飛ばされたことがあった。
僕と同じように王宮で発見された彼は類い稀な知謀と武芸を発揮し、当時のラトビア発展に大いに貢献したという。
それ以来、ラトビア王国では「異世界人には親切にするべし」という教訓が叩きこまれている。
と、シャリーは教えてくれた。「 人道的な見地だけじゃなく最初にカイトさんに話したように有能な人材を必要としている事情もあります。だからあまり気兼ね無くしてもらっていいですよ」と付け加えて。
三食付き、部屋あり、やらねばならぬ義務は午前の講義に午後の訓練のみ。
特に異論は無い。。だが、あまりこの状態を長続きさせるつもりは無かったし、少々息苦しいのも事実だった。
二人以外に話す人間はレーブ医師だけ、メイドや使用人はいるにはいるけど不用意に口をきいてはいけないと思っているのか会話が成り立たない。
今使っている部屋もきちんとベッドメイクも掃除もされているけど、ホテルの一室を仮住まいしているような居心地悪さがあった。
「手持ちも無いしなあ。そろそろ軍属か民間か選ばないといけないな」
三日目の夜、ベッドに寝転がりながら僕は呟いた。
午後の訓練で振り回した腕が軽い筋肉痛になっているが、大したことは無い。
夕方からの習慣となりつつあるレーブ医師との雑談を思い出す。
こちらの世界にたまたま持ってきたという古いトランプで遊びながらドイツ人の医師は僕に忠告したのだ。
「カイトくんがどういう人生を送ってきたのかは勿論知らない。だが地球と同じようにこちらの世界の人々もそれぞれの人生がある。
そこに溶け込めるかどうかは意識してやらないと中々難しいものだ」
先達の言葉は推して聞くべし。更にレーブ医師は人生の先輩でもある。
「レーブさんは最初は寂しいと思わなかったんですか?ここでやっていくのは難しいとか」
「全く思わなかったと言えば嘘になる。だが私は家族も失いワーカホリック状態で病死した立場だから、振り返るだけの物は既に持っていなかったからな。だから必死で慣れようとしたよ」
銀縁眼鏡を光らせながらレーブ医師は言葉を続けた。
「いきなり若くして事故で亡くなった君とは、事情が異なるがね。たまに別れた妻や子供に会いたいと思うこともあるが、、自業自得だな」
はは、と乾いた自嘲的な笑いを浮かべた医師は目を伏せた。
「出来ればこちらの世界で何らかの形で充実感を得たい、とは思っています。ただ、戦場に出るしか今は僕には選択肢が無いのが」
「怖いのかな。それは自然だよ。恥じることでは無い」
「怖い、ですね。切ったはったとは縁遠い生活をしてきたので」
この居心地の良い、だがぬるま湯のような生活から脱出したい。
だが同時にそれは剣を手にする日々へ踏み出すことになる。場合によってはドラグーンのスキルの使用も必要かもしれない。
迷いが顔に出ていたのだろう、レーブ医師はトランプを片付けながらぽんと僕の肩を叩いた。
「もし君がこの世界に飛ばされたことに意味があるというのならば、自分の優れたスキルを使って生活していく覚悟が必要なんだよ。皆、形は違えど日々戦ってその日を生きている。自分の能力を信じて踏み出す時かもしれん」
それに怪我をしても私が治せるしな、と最後に元気づけるように笑いレーブ医師は退室していったのだ。
目を閉じる。
交通事故に会った時の様子を思い浮かべる。
目の前で横転するトラック。転がる鉄骨。そして強烈な衝撃を受けて歪む僕の車ー、、
思えばもはや死んだ身だ。これはおまけのようなものだ、と自分に信じ込ませて枕元に立て掛けておいた剣に手を伸ばす。
冷たい鋼製の柄が指先に触れ、僕の神経を鎮まらせた。とくん、とくんとリズムを刻む脈拍も落ち着いてくる。
「やってみるか。第二の人生を」
心は定まった。
明けて翌日。
アッシュとシャリーに僕は自分の決断を伝えた。
軍属として働きたい。訓練以外に任務をこなす機会は無いかと。
僕の決断を聞いて二人とも笑顔を浮かべた。雛鳥を見守る親鳥のようだ、と思ったのは僕のひがみだろうか。
「カイトの決断は嬉しいが本当に構わないか? 民間でスキルを生かす道もあるぞ」
「構わない。覚悟は出来たよ」
アッシュに一つ頷く。
民間に流れることも考えたけど、右も左も分からないままでは僕が一人で生きていくのは難しいだろう。
窮屈な思いもしそうだが軍属なら給与と任務は隣り合わせだ。地球でサラリーマンだった僕には宮仕えの方が溶け込みやすい。
それにこの二人と別れるのは少々寂しい、というのも事実だった。
「ならカイトには新入りと同じようにパーティを組んでもらって、と言いたいのだけどもう新入り同士で固定のパーティが出来てしまってるのよね。今から加わるのは難しいかも」
シャリーの返事は予想していたのでがっかりはしなかった。そもそも僕がこの世界に飛ばされたのはイレギュラーな事だ。
普通に他の新入り達と同じルートは歩めないだろう。
「構わないよ。そもそも異世界人だからすんなりとはいかないと覚悟している。一度限りの構成員という形でいいから任務につかせてくれれば十分だ」
「分かった。そこまで覚悟が出来ているなら俺が上に話をしてみる。他のパーティの新入り向けの任務に紛れ込む形なら可能だと思う」
アッシュの配慮に礼を言い、僕はそのまま正式に軍属になる為の手続きを行うことになった。
何枚か書類にサインし事務官から必要事項を聞くとあっという間だ。
僕のスキルなどは能力検査の時に調べたのでその過程は必要なかった。
どこの隊にも所属していないというのでは軍属になった意味が無いのでさしあたりの上官に挨拶することになった。
その上官の隊に属する訳では無いが、軍全体に出る命令や任務に着く前の具体的な指示や助言を出す存在は必要だからだ。
もっとも僕が異世界人ということで相手はやりづらい面もあるかもしれない。
ここに至ってまだドラグーンのスキルの件は伏せておいてもらっている。剣を取る覚悟は決めたものの、未だに竜を使う覚悟は出来ていないから。
シャリーが「いつか自信を持ってドラグーンと言えるようになりますよ」と励ましてくれたけど、曖昧な笑いでかわした。
四十過ぎのいかにも鬼の下士官といった雰囲気を漂わせた上官はネイスとだけ名乗って僕に片手を差し出した。
「よろしくお願いします」と慌てて僕も右手を差し出し握手をする。
だが僕は軍隊というものを甘く見ていたのだ。
ネイス上官の口元が一瞬緩んだと思うといきなり右手が凄い力で握られた。悲鳴を上げそうになったが歯を食いしばり全力で僕も握り返す。
「ほう、なかなかやるな、カイト君。身体強化のスキルは無かったと聞いているが」
感心したようなネイス上官の声。
ぎりぎりと握り返しながら何とか声を搾り出す。
「これでも異世界人の端くれでしてね、、覚悟が違うんだよ!」
この三日間、魔法と剣の訓練を受けている内に分かったことがある。
あの交通事故で死に、竜の大地に転生した拍子に身体能力全般が引き上げられていることが。
別にスキルで高得点を叩き出さなくてもそこそこ訓練を積んだレベルの体力が第二の人生を歩み始めた僕の人生には宿っていた。
新入りへの手荒い挨拶と言わんばかりに力強過ぎる握手を仕掛けたネイス上官の剛力を何とか堪え凌ぐ。
地球での僕なら抵抗すら出来なかっただろう。
途端に掌への圧力が弱まった。
僕の目の前で髭を震わせてネイス上官が笑っている。
「気に入ったぞ、カイト君。なかなか気骨ある新入りだ。異世界人だからといって手加減せんからそのつもりでな」
どうやら初見は合格したようだ。びりびりと痺れる右手を押さえながら僕は視線をまっすぐ返した。
「お手柔らかに、とは言いませんよ。
今後ともよろしく」
これが僕の軍属生活のスタートだった。
「グゥウルル、、」
目の前に迫る犬の顔をした獣人が唸った。深緑の毛で全身を覆った人よりちょっと小柄な直立歩行の犬。
だがその両手には武器を持ち、後ろ足は大地を踏み締めている。
対峙する僕に焦りは無かった。呼吸こそ少し荒いが押しているのはこちらだ。
両刃の片手剣を閃かせて犬の獣人ーコボルトに切りかかる。
ギシャ!と鳴き声を上げながらコボルトがその一撃を防ぐ。
ぎこちない動きながらこん棒を振り上げて殴りかかってきたが、これは僕の予想範囲だ。
左手の盾で弾き、間髪入れずに繰り出した突きが致命傷になった。胸板を貫かれ吐血した相手に更に一撃入れた。
ずん、とコボルトの体が崩れ落ちる。だらし無く開いた犬の口からピンクの舌が伸び、びくんと一度だけ震えた。
「勝ったか」
大きく一度息を吐き出し、額の汗を拭う。もうこの怪物が動くことは無いのを確信した。
「もうコボルトくらいなら楽勝かな」
背中からかかった渋い声に僕は振り向いた。
「そんなわけないですよ、ぎりぎりです」
僕に声をかけた男ー“大剣“バーナム隊長は片頬だけでニヒルに笑った。
「いや、傍目で見てても危なげ無かったぜ?トマスらも片付けた、ちょいと休んだら次行くぞ」
はい、とだけ答えて僕は自分が倒したコボルトを一度だけ振り返った。
地面に赤い血を流し、虚ろな目を宙に投げ出した獣人の死体。
(成仏しろよ)心の中で一言だけ祈り、僕はバーナム隊長の後に続いた。
ラトビア王国のこの北部地域で戦闘を続けること三日目となる。
この哨戒及び付近の怪物達を退治するのが僕の初任務だ。
アッシュに希望を伝えた通り、僕は他の新入り達の組んだパーティが就く任務に一時的に参加して経験を積むことになった。各パーティが就く任務は軍の上層部で管理され、手頃と思われる任務がネイス上官に伝えられ、彼が僕にその任務の説明を行うという形だ。
ネイス上官に挨拶した二日後にはこの任務への参加を要請され、一日準備と今回組むパーティの面々と挨拶をしてから出立と慌ただしいスケジュールをこなして初任務の途上に就いた、、という訳である。
7体のコボルトの集団を倒した後、僕達は森の中の街道から少し離れた斜面に沿って移動していた。
街道の方が勿論楽なのだが、そこを行き来する旅人や隊商を怪物の襲撃から守るという名目の為にわざと怪物が出やすい人が踏み込まない場所を選んで進む、とはバーナム隊長が初日に説明した通りだ。
「しかしほんとにカイトは筋がいいな。俺もうかうかしてられないぜ」
僕と共にパーティの最後尾を固めるトマスが声をかけてきた。
赤い髪を短く纏めたまだ少年の気配の色濃いその鼻先にはそばかすが散らばっている。
「自分では気がつかないけどね。でも何とかびびらずに剣を抜けるようにはなったよ」
「高スキル認定されてるんだから自信持っていいぜ。もっとも簡単に負ける気も無いけどよ」
にっと笑ったトマスにその前を行く青年が振り返る。
青年の着ている緑色のローブが揺れた。
「あれ、トマス。そんなこと言ってあっさり抜かされてなきべそかいても知らないよ。どう見てもカイトの潜在能力は別格だろ」
大人しい顔つきに似合わぬ皮肉交じりの青年ーラークの言葉に「ふん、負けをあっさり認めちゃ一流の戦士になんかなれねえよ」とトマスが切り返す。
「ラーク、無駄口叩かない。前見て」
ラークの隣を歩くパネッタが窘めた。きりりとした顔に後ろで束ねた赤茶の髪が似合う女の子だ。
こちらはメイスと呼ばれる鉄球がついたこん棒と軽い胸当てで武装している。
指南役のバーナム隊長を先頭にラークとパネッタを二列目、トマスと僕が三列目という布陣で僕達は進んでいる。
戦士のトマス、魔術師のラーク、僧侶のパネッタの三人パーティに僕が一時的に入り込みそれをバーナム隊長が指導する形である。
出立前にネイス上官から説明を受けた通り、このラトビア王国では都心部付近はともかく辺境に近づくにつれて怪物が出没する。
人里離れた山や渓谷に出没するならば問題無いが、小さな村を襲ったり街道を進む旅人らを攻撃するたちの悪い怪物も中にはいた。
もっともこれらのある意味馴染み深い怪物は大した強さでも無いため、レベルが低い駆け出しの冒険者や僕らのような新入りの兵士の格好の戦闘対象になる。
周辺村落の被害の未然の防止の為、そして実戦訓練の為に僕達は任務に就いたのだ。
王都から北へ向かい、北部地域の玄関口となるセルタの街にたどり着いたらそこで休息、来た道を引き返すというのがこの任務の予定コースだ。
当たり前だが怪物退治を主目的とするので積極的にその対象を探すのには面食らったし、少々怖かった。
事実、一日目の夕方に初実戦となる小鬼ーゴブリンと戦った時は足の震えを覚え、剣先が落ち着かずかなり苦戦した。
(訓練と実戦の違いか)とびびる心を叱咤し夢中で剣を振るってゴブリンの一匹を倒した時には全身に疲労を覚えていた。
それも無理は無いとは思う。覚悟を決めたからといって今までのほほんと平和を享受していた人間がいきなり勇敢な戦士になれるはずが無い。
それでも二度三度と戦闘を繰り返している内に徐々に僕の動きから固さが取れ、視野が広くなってきた。
慣れとは恐ろしいな。
パネッタが僕の方をちらりと振り返った。何だ、と思ったがそのまま何も言わずにまた前を向く。
トマスとラークは気さくに話しかけてくれるけど彼女からは壁を感じる。
必要最低限のことしか話さないためこちらも積極的に接しようという気にはなれない。
そしてそのまま僕達五人は歩きづらい森の木々の中をくぐり抜け、二時間後には森と森の間に無理矢理作ったような小さな村にたどり着いたのだった。
「よし、まずはお疲れ様と言っておく。この村からセルタまではあと二日だ。今日は野宿じゃなくベッドで眠れるぜ」
村長に挨拶をしてからバーナム隊長は武装を解いて適宜休息するように僕達に伝えた。
トマス達はやれやれ、といった顔で井戸水で顔を洗ったり村にいる行商人から果物を買ったりしている。
僕はというと休むより先に好奇心が先に立った。
このくらいの規模の村落は初めて見るからだ。
年季の入った板張りに茅のような草が屋根に敷いてあるような粗末な家が十数軒。村の中心にある村長の家だけが煉瓦造りで他の家より二回りほど大きいけど、それでも僕の目には機能性が低く映る。
(現代日本の感覚で考えちゃ駄目だ。偏見を捨てないと)
とにかく目の前にある生の情報が全てだ、と頭を振ってゆっくり村の様子を見学させてもらうことにした。
狭い土地に畑が作られ、そこで年老いた男性が馬に鋤を引かせて農作業をしている。その奥さんらしきやはり年老いた女性が曲がった腰を更に曲げて作物の種を蒔いていた。
あんな老人までもが農業をやっているのかと少々驚き、同時に心がチクリと痛む。
王宮では衣食住には不自由無かったので意識しなかったが(電気が無いというのを別にすればだけど)、この世界には年金も無ければ社会保障も無いという当たり前の事実。
知識では知っているつもりだったがこうして目の当たりにすると結構くるものがある。