竜争血戦 2
コバルトが俊敏に噛み付こうとするとそれを察知した黒竜があえて肩をぶつけるようにしてこちらの牙の勢いを殺す。
それでも構わず噛み切りにかかるコバルトの牙が相手の鱗を僅かに突き破った。
ドッと吹き出る血、怒りの唸り声をあげる黒竜。
戦っていたのは竜だけではない。その背に乗るドラグーン同士も騎乗しながらその武器を振るっていた。
灰色のフード付きマントで全身を覆う相手の顔は見えないが数合打ち合っただけでかなりの使い手なのは分かった。
緩やかに刃が沿った曲刀ーメルシーナさんが使っているのと同じシミターだーを振るう敵のドラグーンに対し、長剣と盾のオーソドックスな接近戦スタイルの僕。
飛翔しながら戦う竜の背に乗りながらの極めて不安定な状況なのに、緊張感と闘志が神経をおかしくしているのか別に恐怖を感じない。
ドラゴン同士の格闘戦がもつれにもつれ、今度は黒竜の爪がコバルトの脇腹を切り裂く一方、僕の一撃を防いだ敵が逆襲の横薙ぎを放つ。
考える暇は無い。今までの訓練と戦闘経験が学ばせた防御技術と反射神経が自動で反応する。
横に滑るようにして盾。堅い、痛烈な感触が盾に食い込む。
弾く。僅かに体勢が乱れた敵へ追撃。だがこの斬撃ではかわされた。
相手のカウンターをかわしきれず、左肩が切り裂かれ鋭い痛みが走った。だが深くは無い、、!
「これしき!」
右から強襲するような横薙ぎが相手のフードを切り裂き払う。
(女!?)
切り裂かれたフードから空にはためく白っぽい金色の髪。僅かにさっきの一撃で切り裂かれた頬から赤い血を垂らす白い顔。
若い女、自分よりは年下か。だがそれ以上は今は無用の情報だ。
ちょうどその時、二匹のドラゴンが互いを突き放すように動いた。
がっくんと反動でつんのめりそうになりながら、剣を握り直す。
地上から100メートル以上の高さで繰り広げられる格闘戦<ドッグファイト>。竜もその乗り手も今までに体験したことの無い激しい応酬だ。
コバルトの息が荒い。彼がここまで本気になったことなど見たことが無い。
だが相手の黒竜も平然としている訳ではなさそうだ。竜の表情は分からないが時折大きく口を開け威嚇するように息を吐く姿は呼吸を整えているようにも見える。
数秒ほど睨みあっていただろうか。
耳元を流れる風のヒュルヒュルという音と空の青がやけにこの殺伐とした戦いに不似合いだと場違いに感じた。
「あんたもドラグーン?あたし以外にもいたんだ。驚いたわ」
金色の髪をかきあげながら不意に相手が口を開いた。ちょっとハスキーな声だが耳障りでは無い。
「そうだ。驚いたのはこっちもだけどね」
いつでも相手に反応出来るようにしながら答える。
フン、と馬鹿にしたように笑った相手の視線が細まる。ガラスを連想させる水色の目だ。
「日本人<ジャパニーズ>ね。合衆国<ステイツ>から離れたこんなとこで東洋の島国の人間に会うなんてso funny!」
アメリカ人か。久しぶりに聞く英語だ。
「You had better think about battle with me,ok?」
ちょっと皮肉っぽく笑って返してやった。相手がチッと舌打ちしたような顔になる。
「ちょっとは手加減してあげようかと思ったけどね!」
「ノーサンキューだ!」
どんな原因で亡くなってここに飛ばされて来たのかは知らないが、今のこいつと黒竜は敵だ。それさえ分かれば用は無い。
ドン!と急加速したドラゴン二匹が再びぶつかり合う。目まぐるしく体の位置を変えながら相手の急所を容赦なく狙う更に激しさを増した接近戦にもう乗り手もしがみつくことしか出来ない。
二撃、三撃と互いの攻撃が鱗を削り合う間も風景はどんどん変わり、三半器官がおかしくなりそうだ。
(これがコバルトの本気の空中戦か!?)
胃がよじれそうな感覚を味わいながら驚愕していた。今までの動きはやはり僕を気遣かっていたらしい。
それ程までにスピードも方向転換の鋭さも違う。巨体に似合わない俊敏さはヘビー級ボクサーがフェザー級の速さで戦っている様を連想させた。
だがこの本気のコバルトの猛襲と互角に張り合う黒竜もまた恐ろしかった。幾分スピードではコバルトが勝るがパワーでは向こうか。
黒い鱗からところどころ血を流しながらもその黄色い目は獰猛に光り、頭部から二本の角を後方に伸ばした様は優美というより力強さを全面に押し出した迫力が強い。
(ブレスを撃つ余裕も無いか)
速さではこちらが上回ってはいるが、ブレスを放つとなると溜めがいる。逆にその隙を突かれてしまえば命取りになりかねない。
一進一退の竜同士の激戦が膠着状態に陥りかけた時、不意に黒竜が地上へと進路を変えた。翼を羽ばたかせて猛スピードで飛ぶ相手をこちらも背後から追う。
(あの方向、砂の部族の主力がいる!)
背中が冷たくなった。
目の前を飛ぶ黒竜がその顎を開くと口中にその体色と同じ炎が燃え盛っているのが見える。
あれを撃ち込まれれば大打撃は免れないだろう。
「させるかあ!」
僕が叫ぶと同時に背後からコバルトが追いつく。背中から四脚全てを絡みつかせるようにして黒竜に襲いかかると、それを待っていたかのように敵の女ドラグーンが攻撃呪文を唱えた。
ウィンドスプラッシュという単語だけが僅かに聞こえたがこちらを包みこむ風の乱刃から身を切り裂く衝撃に耐えるのに必死だった。
何とか黒いブレスが味方に降り注ぐのだけはコバルトの捨て身の攻撃で回避したが代償は大きかった。
「やってくれる・・・」
腕や肩が裂け血飛沫が空に舞う。激痛が全身に走るがコバルトですら無傷では無く、瞼の上辺りを切り裂かれて顔面を血に染めていた。
「くっ、、邪魔なんだよ!引っ込んでな!」
女ドラグーンが憎々しげに叫ぶのに呼応してブレスを邪魔された黒竜が吠えた。
だが一々構ってられるか。
片目を封じられながらもコバルトが横から思い切りかました気迫の体当たりが黒竜を叩き落とす。
地上へ近づいていたのが災いして黒竜はその横っ腹を砂漠に叩きつけた。危機を察知して女ドラグーンが素早くその背中から飛び降りたのはさすがだが、こちらもこの機は逃せない。
砂の上に落ちた相手を圧死させるかのように飛び降りたコバルトの後ろ脚が相手の腹をえぐる。
何やら口から液体を吐き出した黒竜がそれでも強靭な体力でこちらを弾き飛ばして砂の上でまたもや睨み合う。
(あの一撃でも大して効いてないのか)
ドゥドアの喉を蹴破ったコバルトの蹴りだ。それが人間で言えばみぞおちに入っているのに苦も無く返された。
(効いている、攻めきれないだけだ)
僕の懸念を読んだようにコバルトが囁いてきた。
まるで表情が分からないドラゴンだが竜同士なら何か通じるものがあるのだろう。
こちらは敵の風系攻撃呪文による裂傷。
向こうは体当たりと蹴りのダメージ。
形勢ほぼ互角というところか。
互いに無言。相手が既にドラゴンから降りているのを見て僕も覚悟を決めて砂の上に降り立つ。
竜とそのドラグーンに分かれての第二ラウンドが無言の了解の下で火蓋を切った。
******
完全に優勢を確信するようになるのに時間はかからなかった。
竜同士はほぼ互角、僕と敵の女ドラグーンもいい勝負。
その五分の流れをこちらに引き寄せたのは砂の部族の対ドラゴン用戦闘部隊のお陰だ。
こちらを遠巻きにしながら隙を見て長弓を放ち、しばしば攻撃呪文を撃ち込んで援護してくれる。
一発一発は大したことなくても相手の注意を逸らしてくれるだけでも効果は大きい。
風系呪文による傷も彼等が回復呪文を唱えて治してくれた。
そこに支援としてシャリーとランセルさんが加わっている。
ゆっくりとではあるがこちらの優勢が明らかになっていく。
「勝てる」
距離を取った時に自分を励ます為に呟く。
着実に相手を追い詰めている感覚がある。コバルトと黒竜の勝負も援護の甲斐あってコバルトが優勢にたっている。
僕の方も眼前に集中出来るだけ優位だ。数発だけだが相手の手足を剣で掠めている。
(なのに何故、相手の顔に余裕があるんだ?)
間合いを外しながらプラチナブロンドの髪を揺らしながら女が笑っていた。
美しさ以上に毒々しい敵意が染み出る笑いだ。
「はは、はははは。。!なかなかやる、アタシとダンケルスをここまで追い詰めるとは!」
ダンケルスというのは黒竜の名なのだろう。
「気でも触れたか。何がおかしい?」
「あんた、まさかアタシ達がこの程度だって本気で思ってるわけじゃないよね?そこそこ戦えたからっていい気になってんじゃないよ!」
まさかと思う暇も無かった。
女の発する殺気がいきなり消えた。蝋燭の火が風に吹き消されたように不意に。
そしてその殺気の無い状態でいきなり女が攻撃を仕掛けてくる。
(何っ!?)
動きを目で追えないわけじゃない。だけど目の前にいながら気配がしないため、どうしても違和感が生じてコンマ何秒か自分の反応が遅れる。
そして同時にコバルトも押され始めた。黒竜ダンケルスの攻撃への対応が遅くなり、逆に向こうへの攻撃が迷いが生じるのか鋭さを欠いていた。
(何だ、こいつら?いきなり気配が消えたぞ)
(何らかのスキルだろう。あの女、自分の気配だけでなく竜の気配すら絶つのか)
僕とコバルトが背中合わせになって互いを守る形になった。何と呼ぶのか知らないが気配を消すこの女のスキルがいきなり城門を破ってこちらにブレスで奇襲をかけることの出来た秘密のようだ。
相手の動きを追う時に目だけで追っているわけではない。
呼吸音や意識が体に先行して動く軌跡をざっくり総称して気配と呼ぶ。
よく「視線を感じる」というがあれも気配の一つだ。実際に視線に物理的な感触があるわけじゃないが、見る側の意識が届くのを察知している。
この気配が無いというのは案外厄介だ。元から意識の無いアンデッドならそういうものかと割り切っているので対処は出来るが、今さっきまで殺気を放っていた相手が急に気配を無くすのは目の前にいながら消えてしまったような奇妙な感覚がある。
それがこちらをどうしても戸惑わせた。
(しかも素のパワーやスピードまで上がってる。今までリミッターかけてたのか?)
間違いない。盾で受ける相手の攻撃が重くなっている。何とか防御を間に合わせても、その上から削られていく。
コバルトも黒竜に押されっぱなしになってきた。相手が上なのを察知して防御に徹し始めたのが効を奏して深手は負っていないが、崩されるのも時間の問題かもしれない。
この劣勢を凌げたのは味方の献身的な援護のお陰だろう。何十という矢が唸ればさすがに警戒せざるを得ず、こちらへの攻撃も緩まる。
「突撃<チャージ>!」
長い騎乗槍<ランス>を構えた砂の部族の騎馬隊が馬を走らせた。馬の突進力と体重をそのまま貫通力とするランスが迫ると、黒竜も身を捻りこれをかわす。
中には当たった攻撃もあったが角度が悪いのか切っ先が鱗を削っただけだ。その勇敢な騎馬兵が黒竜の怒りの反撃で胴を真っ二つに裂かれて散った。
だが黒竜も油断していたのだろう。
まるでぼろ雑巾のように引き裂かれた兵馬の陰からまさか次の攻撃が繰り出されるとは予想していなかったらしい。
「ダンケルス、避けろ!」
「遅いな、いただく!」
女ドラグーンの切羽詰まったような声を、二次攻撃を繰り出した褐色のくせ毛の騎士の声が掻き消す。
散った兵のかなり後方から猛スピードで詰めていたランセルさんが馬上から躍りかかった。
跳躍の勢いをプラスした斬撃が黒竜の喉をかき切るように走り、返す刀が右前足に食い込む。
(通じてる!)
致命傷では無い、だが確かに重い攻撃は黒竜にダメージを与えていた。
ここで詰めれば、と女ドラグーンを突き放した僕とコバルトが殺到仕掛けた時だった。
逃げれば余計に危ないと判断したのか三撃目を振るいかけたランセルさんの体が大きく宙に浮いた。
真下から黒竜の太い尾が絡み付くような打撃を繰り出したと分かった時には、竜の牙が空中で騎士の首筋を捕らえる。
その瞬間だけははっきりと視界に焼き付いた。
砂の上に落ちる剣。
力無く左手からこぼれる盾。
首の傷口が体重のせいか肩近くまで広がる。真っ赤な血液。
そして半分首がちぎれかけたランセルさんの遺体を顎に捕らえたまま、こちらを向く黒竜。
ランセルさんの鎧の隙間から一枚ひらりと舞った紙。
一度見せてくれたご家族の絵だと気づいた瞬間、視界が真っ赤に染まり体が勝手に動いた。
「ったなあっ!!」
叫んだ。傍らを駆けるコバルトにそのまま飛び乗る。
相手の女ドラグーンを一気に後方に置き去りにしてコバルトが青い閃光と化した。
ガアアアアッという絶叫をあげて黒竜の巨体がコバルトに押される。黒い光が砂を掠め、その上から青い光が覆い尽くす。
グキリという鈍い音は奴の骨の一本でもへし折ったのか。
技も何も無い。ただ怒り任せの突進を胸に喰らった黒竜を引きずり倒したコバルトの背から魔力全開のファイアボールをその顔面に叩きつけようとした時だった。
「動かないで。それを撃ったらあんたも死ぬよ?」
背後からかけられた声に呪文の詠唱を止める。
いつの間に追いついたのか、白金色の髪をなびかせた女ドラグーンが僕を呪文の射程内に捉えていた。
無視して撃つ誘惑に駆られる。
だがもし今、攻撃呪文の直撃を受ければ。
リターンとリスクを天秤にかけた結果、コバルトに黒竜を放させる。
グルル、、と不満そうな声をあげながら青い竜は敵を女ドラグーンの方へ突き飛ばした。
ランセルさんの敵を取る千載一遇のチャンスが手の平からこぼれ落ちた。
「ここまでにしない?こっちもあんたもいい加減疲れたしね。また今度遊んであげるわ」
黒竜の首を撫でてから身軽に飛び乗った女が不敵に笑った。こちらの包囲網はさっき相手を吹っ飛ばした時に崩れたままだ。
だがだからといってこのまま逃がすか?
「悪いがこちらも大事な仲間をやられてるんだ。逃がさないよ」
せめて一太刀浴びせないと気が済まない。血に染まったランセルさんの遺体の光景が正面の黒竜に被り、ギリと僕の歯を軋ませた。
フン、と鼻で笑った女が横を向いて顎をしゃくった。
「仲間をやられたのはこっちも同じさ。だいぶんあんたらの兵はデズモンドの兵をやってくれたみたいだしね。おあいこだろう?」
「仕掛けてきたのはそちらだろうが」
「戦争ってそんなもんじゃないの?真珠湾<パールハーバー>じゃ日本人がいきなり攻撃してきたらしいじゃん」
減らず口を叩く相手にイライラする。だが攻撃のきっかけを逃しつつあるのも事実だった。
デズモンド軍を数の力で追い散らした砂漠の民の兵が勝鬨を上げている。確かに戦自体はこちらの勝利だ。無理にこのドラゴンとドラグーンを損害覚悟で倒さなくてもいい。
だがそうはいかない事情がある。
(見てるよね、シャリー。狙ってくれ。頼む)
頼りになる紫髪の魔術師の姿を見てはいないがランセルさんが倒されたことに怒り心頭なのは僕だけではないはずだ。
超遠距離攻撃呪文を使えるシャリーがこのドラゴンを狙撃してくれるのを願う。こちらも少なからず傷を負った今、それを期待して信じる方が賢い。
こっちの返答が無いのを肯定と受け取ったのか黒竜が砂漠を蹴った。まだ力強さを十分感じる黒い巨体が大空に羽ばたこうとする。
ピン、と勘が働いた。コバルトもそれを感じたのか僕が右に倒れるよう指示するより先にそちらに動いた。
爪が砂を蹴りざっと音が鳴る。
それに一瞬遅れて、翼を羽ばたかせスピードに乗りかけていた黒竜目掛けて一条の光線のような光が砂丘の陰からほとばしった。
(やったか!?)
「なっ!?」
女ドラグーンが意外な攻撃に驚く。かわそうとした黒竜の尻尾と尾の付け根辺りの鱗を裂き、苦痛の咆哮をあげさせたがそこまでだった。
この隙に放ったコバルトの最後のブレスもかわされ、虚しく白い火炎が宙に消える。
アオオ、、と上空から黒竜の唸り声が降り注ぎ、「ガッデム!」という女ドラグーンの吐き捨てるような叫びが聞こえた。
だがもはや分が悪いと悟ったかどんどん黒竜は離れていく。
今になって激戦の傷が響いてきたコバルトの背を撫でる僕の手は震えていた。
初めて戦った敵のドラグーンの底しれなさと、ランセルさんの仇を討てなかった無念。
二つの感情が指先まで満ち、やがて拳を作らせる。
「ぐ、く、く、、くそおお!」
砂に思い切り拳を叩きつけた。ポタリと一滴、二滴、その手に僕の目から零れたものが小さな染みを作ったが熱砂がすぐに乾かしていく。
守りきれなかった。
倒せなかった。ランセルさんが家族の事を話す時の優しそうな表情がぼやけた視界に浮かんで砂の向こうに消えていく。
傍らに控えるコバルトの青い背中も心なしか落ち込んでいるように見えたのは錯覚だったろうか。
遠慮がちに近づいてきたシャリーが後ろに立つのを察しても、僕とコバルトはしばらくそうやって固まったまま初めて喫した敗北の苦い味を噛み締めていた。
ついに最初の犠牲者が出てしまいました。書いてて重い。




