青い竜
いつしか眠りに落ちていた僕は夢を見ていた。
夢の中で自分が大地に足をつけていないことに気づく。同時に顔に感じる強い風圧。
何だ、と思う暇も無く、僕の体は急に浮き上がった。いや、押し上げられた、という方が正確か。
結構な高速で飛行する巨大な物体に跨がっている。
手と足に伝わるゴツゴツした硬い感触からこれが生き物であることが分かる。
僕の目の前に広がるのは青く澄んだ空に白い雲。
そして僕を乗せて飛行する生き物はその空に負けないくらい濃い群青の体を力強く伸ばし、二枚の翼を羽ばたかせながら一声いなないた。
「ドラゴン、、」
夢の中で僕は呆然となりながら呟き、その生き物、、有翼の竜に跨がり青空を飛び続けていた。
ぱちり、と目が覚め視界に広がるのは板張りの天井だった。
先程の夢の中の竜の鱗の感触がまだ手に残っているような気がして、ベッドに寝転がったまま手を擦る。
窓から僅かに白い光が差し込んでいる。夜明けが近いようだ。
奇妙な夢は見たものの、ショッキングなことを聞かされ続けた割には良く眠れた方だろう。
眠りについた時に感じていた疲労感はかなりましになっている。
いやにリアルに感じた夢のことも気になるが今考えても仕方が無い、と切り替えて窓から外を覗いた。
三階にあたる僕が使わせてもらっている部屋はこのラトビア王国の王宮の一角にある。
窓から覗くと中庭を数人の人間がこんな早朝からせっせと掃き清めているのが見えた。
(王を頂点としてその脇を固める大臣らがおり、アッシュらの騎士、シャリーらの魔術師、レーブ医師らの専門職が仕えているという感じか。
あの庭を掃いているのは使用人なんだろう)
日本で育ち生活していた僕にはこちらの制度は分からない。
だけど組織というものは頂点に立つ者とそれを支える者で成り立つという基本はどこにいってもそうそう変わるわけじゃない。
細かい知識は後で補えばいいだろう。
今日は自分探しの取っ掛かりとなるであろう能力検査を行う、とシャリーが言っていたのを思い出した。
憂鬱な気分は晴れないが、多少楽しみでもある。
孤独と不安はこの世界に慣れていって解消するしかないだろうし。
昨日貸してもらった麻のTシャツのような着衣の上に、同じ素材の衿無しジャケットのような上着とパンツを身につけているとコンコンとドアがノックされた。
「おはようございます、カイトさん。シャリーです」
「あ、今開けます」
こうして僕の竜の大地二日目が始まった。
朝食の後、能力検査が始まった。
アッシュは用があるらしく席を外している。
能力検査自体はシャリーが言った通り、それほど難解な物では無かった。
現時点の能力では無く、あくまで素質を見ることが目的なので実技や知識を問う試験では無いからだろう。
その代わりにタロットカードに似た様々な絵がかかれたカードを無作為にめくったり、水晶球を覗きこんだり、という占いめいたことを何回も行う。
座ってだけの試験では退屈だろうから、と途中で本物の剣や槍を渡され巻き藁相手に型を作るということもしたが、幸い立ち会いなどは無くほっとした。
検査には他に二人の人間がシャリーの手伝いをするために付き添った。
第三位の宮廷魔術師という触れ込みは嘘では無いらしく、ちゃんと助手までいるようだ。
検査は順調に進み、午前中一杯で結果が出た。
空き部屋の一つを使い検査結果を書いた用紙をシャリーが机に広げる。
「お疲れ様でした、カイトさん。それではこれから能力検査の結果を読み上げます」
朗らかな表情で告げるとシャリーは上から下へゆっくりと用紙に指を滑らせる。
ところどころの文字が青く光り始めた。
この世界に飛ばされてから何故か言葉は通じるが、文字は読めない。
アラビア語に似た文字をシャリーが読み上げる。
青く光ったスキルがある程度レベルの高いスキルらしい。
結果、僕が特に秀でているスキルは三つ。
片手剣、火炎系の攻撃魔法、盾とのことだった。
「カイトさん、かなり攻撃的なスキルが高いですよ。ちゃんと訓練すれば相当強力な魔法騎士も夢ではないです」
ずいぶんシャリーは嬉しそうだが、僕は複雑だった。
戦いの役にしか立たないスキルしか無いということは、どうも平和な第二の人生は歩めそうも無い。
絵画や彫刻などのスキルがあれば芸術の道に進むことも出来たろうが、それは皆無では無いにせよ特に高くは無いようだ。
だが用紙の一番下の文字が一際青く輝いているのに僕は気がついた。
何故かシャリーはその文字を読もうとしない。
「シャリーさん、その一番下の文字、なんて書いてあるんです?もったいぶらないで教えて下さい」
「うふふふ」
口に手を当てて笑顔になったシャリーが目でにんまりと笑う。
嫌な予感がして僕は一歩後ずさった。
「これは本当に特別なスキルを持った人を検査した時にしか出てこない文字なんですよ。
本人が直接手を触れて初めて読めるんです」
「え。じゃ、シャリーさんはこの光ってる文字が何に見えているんですか」
「ただの青い光にしか見えないんですね。大丈夫です、カイトさんの天賦の才能の証拠なのですから文字自体が読めなくても理解できるはずですよ」
無茶なことを言うな、と思ったがここまできて後には退けない。
おずおずと自分の指を青い輝きに触れさせる。
指先からぴりぴりとした感触が全身を走り、僕は息を飲んだ。
用紙が突如爆発的に輝き始め、部屋全体を青く染める。
シャリーが息を呑んだのが分かった。
慌てて手を用紙から引きはがそうとしたが、まるで魅入られたように僕は青い光の中から浮かび上がった文字から目が離せない。
理解出来ない文字のはずなのに何故かその意味が分かる。
そして部屋を満たした青い光は渦を巻きながらやがて一つの形を取りはじめた。
全長50cmほどの大きさながらすんなり伸びた首と尻尾を四本の足と共に備えたある種の動物。
背中の真ん中あたりから力強く伸びた翼。
そして鰐の口を少し短くしたような頭部からは二本の角が生えている。
「竜のビジョン、、まさか!」
シャリーの驚愕に満ちた声と光の中に浮き出た文字を読んだ僕の声が重なった。
「ドラグーン」
その聞き慣れ無い言葉をまるで理解したかのように小さな竜の輝きはピョンと跳ね、凄い速度で僕の手の平に踊りかかった。
あっ、と声をあげかけた時には竜の姿は消え、用紙から噴き上げていた光もまるで嘘のように消えていた。
「何だったんだ、今のは」
まじまじと小さな竜が吸い込まれた右手を見る。
特に異常は無いけど何だか気持ちが悪い。
あの竜がドラグーンという言葉に関係しているのはほぼ間違いないだろう。
まじまじと僕を見つめるシャリーと目が合う。
「そうか、これがカイトさんの特別なスキル。。おめでとうございます、カイトさん!祝、新しいドラグーン!」
そう言って急に僕の両手を握った。
柔らかい感触にどきりとする。
「あ、ありがとうございます。ドラグーン、、竜を操る者、、」
奇妙なことにドラグーンという言葉の意味を僕は誰からも教えられないままに理解していた。
それはあの青い文字を読んだ瞬間、脳裏に自然に閃いた。
「やっぱり分かるんですね。天性のスキルだからかしら」
ようやく手を離してシャリーが頷いた。
彼女の説明によるとスキルには通常スキルと天性のスキルの二種類がある。
前者は素質のある無しの差はあるが、基本的には万人が努力次第で修得可能だ。
技能と言い換えることができる。
後者は努力次第ではどうにもならず、持っているかどうかは神の気まぐれ次第という能力だ。
いわゆる天性の物、天賦の素質と考えればいいらしい。
全く天性のスキルに恵まれない人間の方が普通のようだ。
アッシュもシャリーも特に持ち合わせていないらしい。
だけど幸運にも僕には神が微笑んだ、とシャリーは熱っぽく語った。
「カイトさんが悟ったようにドラグーンのスキルは竜を操るスキルです。
竜と言っても犬や馬のような常に傍にいる動物では無く、一種の精霊と言うべき存在です」
シャリーの説明を頭の中の僕の知識とすり合わせる。
日本にいた時にRPGはしたことはあるから何となくは推測可能だ。
「つまり、ドラゴンを召喚獣として扱える訳ですね。必要な時だけ呼び出して使役することが出来る」
自分で言っていて奇妙だけど、そういうものなのだと理解するしかない。
「そうです。私も現役のドラグーンに会ったことは無いので詳しくはありませんが、伝承によれば優れたドラグーンの呼び出す竜は一個師団にも匹敵する強大な力を持つと言われています。
この世界が竜の大地と呼ばれているのも、神竜と呼ばれる竜が崇拝の対象になり崇められている為です」
一旦言葉を切ったシャリーは僕の理解を確かめるように一呼吸置いた。
彼女の話と態度でドラグーンがどうやら別格の存在であることは容易に推測出来た。
それはそうだろう。竜を呼び出して使役出来るようなスキルの持ち主がごろごろしていたらあっという間に国が滅びてしまうに違いない。
そんな力が自分にある、と思うと急に怖くなりぶるりと背筋が震えた。
「仮に、の話ですけど、ドラグーンのスキルを使わないままでも問題無いですか」
「特に使用しなくても害は無いと思いますけど、でももったいないですよ?せっかくドラグーンになれる機会なのに」
シャリーには悪いとは思うけれども、剣や魔法までは受け入れられても得体の知れない竜という怪獣を使いこなせるなど容易に信じられなかった。
もし呼び出した竜が こちらの意図に反して暴れだしたりしたら、目もあてられない事態になるに違いない。
僕の懸念を説明するとシャリーも納得してくれた。
ただ、彼女の立場上、僕の能力検査の結果を秘密にする訳にはいかないので上官とアッシュにだけはドラグーンの件は伝え周囲には伏せておくと約束してくれた。
もし僕がドラグーンであることが公になればその能力の使用を避けられない事態になる、と配慮してのことだ。
ラトビア王国は戦時中であり、また時折出没するモンスターの襲撃に対処する必要があるため竜を使役するドラグーンの戦力は喉から手が出る程魅力的に映るらしい。
まあそれは分かる。150キロの速球を投げるエースがいるのにマウンドに立たせない監督はいない。
だからここは僕の懸念を配慮してくれたシャリーに感謝しておかねばならないだろう。
(だけどこの先どうしようか。ずっと隠しておくわけには、、いかないよな)
青い光に包まれた竜の姿を思い出しながら今後の身の振り方を考えることにする。
僕がドラグーンのスキルを持っていると聞き、アッシュが飛んできた。興奮している様子を隠そうともせず素晴らしい、おめでとうと連呼する。
「まさかこの目で本物のドラグーンを見る機会があるとは思わなかったよ。個人的には是非このままカイトにはドラグーンのスキルを伸ばしていって欲しいな!」
昨日見せた冷静さが嘘のような熱のこもった勧誘だ。
「そんなにドラグーンは珍しいのですか」
「ああ、ここ十年余りラトビアにはドラグーンのスキル保有者は現れていない。
ドラグーンは竜の加護を得るという。君にもきっと幸運が訪れるよ」
よほどのレアスキルのようだ。ますます断りづらくなってしまったではないか。
他国にもドラグーンはいないらしい。少なくともここ数年はその存在は感知されていない。
しかしこうまで囃されると人間核兵器にでもなった気がしてきた。
竜というからには炎を口から吐き出したりも出来るのだろうから、あながち間違いでもない。
能力検査も終わったし、僕の身の振り方についてはよく考えるとして午後には市街を案内してもらえることになった。
こちらの世界に慣れるためにも必要だろう。
「王宮を離れても問題ないのかな?」
僕が聞くと鎧を外し軽装となったアッシュが頷く。
「君の護衛を私達が行う分には大丈夫だ。それに騎士や宮廷魔術師と言っても常に王宮にいるわけでもないんだ」
「休日には街に出て息抜きすることは普通にしますよ。
カイトさんの世界でもそうでしょう?」
シャリーも黒い布をかぶったような服ーローブというらしいーを身軽な格好に着替え終わっている。
半袖のワンピースに近い感じでずいぶんと印象が変わる。
そういえば二人ともまだ若いようだが何歳なのだろう。
敬礼する衛兵に見送られ王宮の城門を出た。
アッシュとシャリーが横に並ぶ。
振り返ると白を基調とした王宮がその堅牢な壁を聳えさせていた。
外の空気が新鮮だ。
空を仰ぐと青空に白い雲が幾つか浮かんでいるのが見える。
「地球と空の色は変わらないか。。」
思わずぽつりと呟いた。
僕の感覚で言えば気候は春に当たる。
ポカポカとした日差しが心地よい。
「カイトの国はどんな国だったんだ。平和な国だよとレーブ医師は言っていたけど軍隊も無いのか?」
アッシュが興味深そうに聞いてくる。
そうか、ドイツ人のレーブ医師から見れば日本はかなり安全な国になるだろう。
「そうだね。戦争は長い間行っていないし平和な国だと思う。軍隊はあるけど自衛の為にしかその武力を使えない」
慣れてきたのか少し口調が打ち解けたものになった。
「自衛の為にしか、、?」
「他国が攻めてきた場合に限りその武力を使えるんだ。それも相手が攻撃して初めて反撃できる」
「ずいぶんのんびりとした国なんだな。竜の大地でそんなことをしていてはすぐに攻め滅ぼされてしまう」
理解しがたいというようなアッシュにシャリーが助け舟を出すように口を挟む。
「国家間の力関係というものは武力以外の力で決まる、、ということかしら」
「基本的にはね。経済、、わかりやすくいえばお金の力と複雑な制度の仕組みで決まるから」
ふーん、とシャリーは唸った。
「カイトさんの世界は平和だけど複雑なんですか。想像しづらいです」
「こっちの世界の人から見たらそうだろうけど、僕には普通だよ。生まれてから戦争なんか話に聞いたことがあるだけだし」
「ある意味羨ましいですよ。戦争があるたびに人も国家も傷ついていきます。譲れないものがあるから仕方ないんですが」
シャリーの言葉は暗くは無い。だがあっけらかんとしていてもその顔は真剣だ。
戦場。僕には縁遠い言葉だ。でも好き嫌いに関わらずそこに駆り出される羽目になるかもしれない。