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死の自覚と第二の人生

目の前にいた二人の姿が消える。

同時に僕の目の前に広がったのは十台程の車が折り重なるようにぶつかり、原形を留めぬ程に破損した惨状だった。

アスファルトに砕けた白く透明なガラス片、衝撃と熱で折れ曲がったドアやサイドミラー。

車体もひびが入りボンネットがめくれているときては大半の車はもう走行どころでは無いだろう。


「な、、!」思わず声が出ていた。

潰れた車の一つに見覚えがあった。

白い乗用車、そして微かに見えるナンバーは間違いなく僕の愛車だ。

そしてその割れた窓からぐったりと身を投げ出し、頭からどろりと流血しているのは。


認めるんだと理性が囁くその一方で感情が拒絶する。


この映像が何なのかと考えるまでも無く僕は理解してしまっていた。


次の瞬間、視界が切り替わった。

四角く切り取られた視界の中でスーツ姿の女性が緊迫した顔で話している。

「緊急ニュースです。今日午後5時20分、中央道xxインター付近で車十一台が玉突き事故を起こし炎上するという大惨事が発生しました。

事故の原因となったトラックは、、」

アナウンサーの伸びのある声が響き、事故の被害者を読み上げていく。

衝撃で呆然となった僕の目と耳に飛び込んで来たのは「死亡 酒井海人さん、25歳男性 会社員」という無慈悲な死亡通告のテロップだった。


また視界が切り替わった。

何処だろう。薄緑色ののっぺりした床と壁の狭い部屋。

その中央に広げられた白い布は少し盛り上がり、その周りに三人の男女が沈痛な顔で立ちすくんでいる。

つん、と線香の匂いが鼻を刺激した。

「大変お気の毒ですが、持ち物と車のナンバーからご子息と思われます。

ご確認をお願い出来ますか」

紺色の制服姿の男が言った。ああ、これは警察官なんだなと痺れかけた脳が理解する。

交通事故だから交通課の管轄なんだろうか、とどうでもいいことを考えていたら残り二人、、初老に差し掛かった男女のペア、がゆっくりと震える手で白い布の端っこをめくった。


僕の視点がその二人の表情を覗き込むような位置に移動する。

忘れるはずがない顔。


小さな頃からずっと傍にいてくれた優しい二人の顔。


この連休中の帰省を楽しみにしてくれていた二人の顔。

その二人が憔悴しきった顔でシーツをめくって呻き、泣き崩れた。

「か、か、海人、、!あああぁ、、ああ!」


「父さん、母さん・・・!」


からからに乾いた喉の奥から無理矢理に吐き出した自分の声を自覚した瞬間、視界が一瞬白くなり元に戻った。

僕の目の前には金髪の青年と紫色の髪の女の子という現実味を欠いた二人が確かな現実感を持って僕を見つめている。


ああ、そうだ。これが今の僕の現実だ。この二人もこの見慣れぬ部屋もこの窓から微かに入ってくる風も。


そしてどうやら僕が死んだという事実も。


「大丈夫ですか?」

シャリーが聞いてきた。眉を寄せて心配そうな顔で。

「大丈夫、、ではないです。僕がさっき見た映像は」

声が震えている。それを無理矢理意思の力で押し出した。

「本当のことなんですか」


それは疑問の形をとった確信だった。

シャリーが目を伏せるようにして頷き、アッシュが言葉を添える。

「そうだ。君が君の世界からこちらの世界に飛び越えた時に君の魂に刻まれた最後の記憶だ。残念ながらあの交通事故に巻き込まれ多くの人が亡くなった。君もその一人だ」

気絶していた時にシャリーの幻視の力で記憶を覗かせてもらった、とアッシュが付け加えた。


どうやら僕は本当に死んでしまい、この得体の知れない世界に転生してしまったらしい。

さきほどの映像にはあれが嘘や作り物ではないと言い切らせるだけのリアリティがある。

だがここが異世界なら何故さきほどアッシュは。


「交通事故なんて言葉、この世界にあるんですか?貴方達の格好を見る限り、この世界に自動車、あの事故を起こした乗り物です、があるなんて思えない。何故さらりと交通事故なんて単語が出てくるんです」

僕の問いは二人にとって意外だったようだ。シャリーは目を丸くしているし、アッシュの唇は感心したように軽くため息をついている。


「思っていたよりずっと鋭いんですね、カイトさん」

シャリーが杖を壁に立て掛けながら呟いた。

「答えになってませんよ」

シーツの上の両手の指が苛立ちからぴくりとなる。

「そうですね。でもどうせならまとめて説明したいと思います。

この世界のこと、貴方達の世界との関係、そしてカイトさんの魂が何故この世界に運ばれてきたのか」

シャリーの声の響きは真摯だ。少なくともこちらを引っ掛けようとか騙そうとは企んでいない、と思う。


そして彼女の言葉は僕の望むところでもあった。

逃げるにせよ、しばらく厄介になるにせよ、あるいはあまり考えたくは無いが戦うことになるにせよ現状この二人しか僕の情報源は無い。

聞き出せるだけ聞き出すのが最良かと考えた時、アッシュが不意に立ち上がった。

かなりの長身から見下ろされる格好となるが、彼の表情は柔らかい。

「とは言え、これ以上飲まず食わずは堪えられないだろう?

簡単な物だが食事を用意してある。食べながら我々の話を聞いてくれないか」

「多分カイトさんの食べてた物とそこまで変わらないと思いますよ」

シャリーの言葉に途端に自分の胃が空っぽに近いと初めて気づいた。


アッシュとシャリーの二人が先導してくれたのは食堂(だと思う)だった。

部屋から食堂まではアイボリーホワイトを基調とした落ち着いた内装の廊下だ。

それほど奇異じゃない。美術館や博物館めいていてあまり生活感が無いが一々理由は聞かなかった。


テーブルの上に並べられている料理からは湯気が立ち、分厚い硝子製のグラスには冷たい水が注がれている。

二人が僕の左右を挟むように座るのを確かめてから料理に手を出す。

一応「いただきます」とは言ったがその時にはもう木製の匙を手にしていた。


やや固めのパン、ジャガ芋とキャベツらしき野菜の入ったスープ、スパイスを効かせた鶏のから揚げなどの料理はなるほど、食に溢れた現代の日本でもまあまあ普通に食べられるレベルのもので、味もそこそこだ。

(塩味がもう少しあればな)とは思ったが、十分許容範囲。


僕が食べている最中、アッシュとシャリーは何も話さずお茶らしき赤みを帯びた茶色の液体を啜っている。

何も話さないのかな、とちらりと様子を伺ったが「お食事の後で」というシャリーの言葉にただ従った。


食べ終わり添えられていたナプキンで口元を拭うとようやく周りを見渡す余裕が出来た。

十畳程の広さの部屋の僕たちが入ってきたドアの反対側には瀟洒な作りの出窓がそびえ、そこから差し込む陽光が今は昼だと告げていた。


「もういいかな」

「ええ、ごちそうさまでした」

アッシュの問いに礼を返すと二人は目を合わせて僕の方に揃って顔を向けた。

自分が死んで初めての食事の次はいよいよ本格的な質疑応答の時間ということか。

暖かい物を食べて落ち着いたせいか、さっきよりは二人とまともに会話が出来そうだった。


シャリーが僕にお茶を勧めながらゆっくりと話し始める。アールグレイに似た燻したような茶葉の湯気の向こうで異世界の住人(何て奇妙な表現だろう!)の落ち着いた声が響く。

・・・

恐らく二時間程でシャリーの説明は終わった。

ところどころ僕が質問をしたり再度説明を求めたので、彼女にとってはもどかしい部分もあったかもしれないが少なくとも表面上は出さないだけの良識はあるらしい。

だけど、僕はこれからの第二の(嫌な表現だ)人生の選択肢を選ばなくてはいけないらしい。


この世界は竜の大地と呼ばれていること。

今は四ヶ国に分裂して勢力争いをしていること。

時折僕のように地球で事故死や病死した人間がこちらの世界に飛び込んでくること。

そして飛び込んできた人間は元々のこちらの人間(ちなみに人間以外の人型の種族もいるらしい)より能力値が高いこと。

僕の乏しい歴史の知識で言えば大体大航海時代くらいの文化レベルにあるということ(ただし火薬はまだ一般的では無いそうだ)。


これらの情報に加え、 三日前にここ、西方を支配するラトビア王国の敷地内に突如として現れた僕を発見してから王宮では僕を保護し、回復を待っていたということをシャリーは話の最後に告げた。


わざわざ身許不明の怪しい人間(僕のことだ)を保護した理由を聞くと、シャリーはあっさりとした口調で答えてくれた。

曰く、「高い能力を持った人物は国の宝だからです」と。


元々、異世界同士の狭間というのはそうそう超えられるものではないらしい。

それなりにこの竜の大地と呼ばれる世界に適した人物の魂だけが飛ばされるようなフィルタがかかっている、と考えれば分かりやすいかもしれない。

もっとも能力と言ってもあくまで資質の段階であり、この世界の知識を身につけなければ開花することは無いとのことだ。


それまで黙っていたアッシュが口を挟む。

「能力と言っても様々だ。商業、医学、薬学、建築などの知識吸収力が高い場合もあるし、剣術、攻撃魔法、回復魔法、格闘術、戦術構築力など戦いの時に役に立つスキルが高いこともある。

いずれにせよ君がここに飛ばされた以上、何らかの力を持っていると考えて間違いは無い」

さらりと言ってくれたが剣術や魔法なんてとんと縁の無い分野だ。

そしてラトビア王国が高い能力の人物を欲している、ということはどうやらこの国が戦時中と考えていいだろう。


良く考えて発言する必要があるな。

「その特性の見極めはどのように行われるか聞いてもいいですか」

「こちらで簡単な検査を行い、その結果により判断されますよ。

あ、怪我の心配や怪しい薬を飲んだりというようなことは無いから心配しないで下さい!」

検査と聞いて強張った僕の顔を見てシャリーが慌てて付け足した。


どうにも検査と聞くと被検体が連想され嫌なイメージしか浮かばなかったが、そこまで心配しなくても良さそうだ。

「えっと、ラトビア王国は高い能力の人物を必要としているのでしたね。

ということは本人の意欲に関わらず、その能力検査の後はこの王国で勤務することを強制されると?」

ここが重要だった。

僕にとっても青天の霹靂ではあるし未だに自分が死んだということを納得しきれてはいないが、この王国もまさか善意だけで僕を保護したわけじゃないだろう。


強制労働とまではいかないがどんな政治方針を持っているかも分からぬ国で危険な任務に従事させられるリスクもある、と考えると緊張感が増す。

だけどシャリーの答えは予想外だった。


「必ずしもそうではありません。勿論王国の組織、例えば騎士団や城塞建築などに従事していただきラトビアの為に尽くしていただければ我々としては嬉しいことです。

でもカイトさんのように異なる世界から飛ばされて来た人の中にはどうしても宮仕えは嫌だという方もいます。そうした方を無理矢理縛り付けておくのは双方にとって不幸せな事態です。

その場合は本人が希望するならば王都の中の適切な商会やギルドにその人を紹介し、そこで活躍を期待するということになりますね」


「結構柔軟なんですね」

「広い目で見れば民間の組織で存分に活躍してくれるのも我が国の為になりますから」

シャリーは微笑みながら答えた。結構かわいいと思う。

こんな得体の知れない場でなければ、だが。


テーブルの上で軽く握った手に視線を落とす。

能力。子供の頃から特に目立ったところも無かった僕に一体どんな能力があるというのだろうか。

いや、そもそも僕は今までの自分の生きてきた世界と全く違う異世界、この竜の大地で生きていきたいと願っているのだろうか。


せっかく転生したならば、せめて納得いくような人生の続きを送ってみたいとは思う。

だけどどんな生き物がいるのかすら分からない世界だ、と思うと身がすくんだ。


せめて聞けることは聞いておこう。

アッシュとシャリーを等分に見ながら問う。

「僕のように飛ばされてきた人がいる、とさっき言いましたよね」

「ああ、何人かいるよ」アッシュの答えは簡潔だ。

「その人達に話を聞くことは出来ますか」

「何を聞く気なのか聞いてもいいかな」

「・・・彼らが何を志して異世界で生きているのかを。親も友人も恋人もいなくなったこの世界で」


自分で予想していたより重くなった声の響きに二人の顔が曇る。

とりあえず人間的には酷い人達ではないようだ。いや、そう信じたい。


「分かった。君の懸念はもっともだ。一人お誂え向きにこの宮廷に医師として仕えている人物がいる。彼でよければすぐに話は聞けるよ」

「レーブ医師ね?私が呼んできます」

シャリーが軽やかに立ち上がり部屋を出ていく。

アッシュが沈黙を嫌うように言葉を継いだ。

「君が負担に思うのも無理は無いが、私達としては前向きに考えてほしいとは思っているんだ。

王国に直接仕えるにせよ、民間で活躍するにせよね。

無限大に支援するとは言えないができる限りの配慮はするよ」

「元々事故で死んだ身なのでこんなことを言う権利は無いのかもしれませんが。。もしアッシュさんが同じように異世界に飛ばされたならどうしますか?」


語調が少し尖った。金髪の青年の整った顔が痛みでも覚えたかのように強張る。

「思い出のかけらもない世界にいきなり転生して、それでも前向きに生きていけると自信を持って言えますか?」

意地悪な質問だと分かっていて投げつけた。困惑し答えを探すアッシュを見て自己嫌悪に駆られる。


彼にもシャリーにも責任があるわけじゃない。

事故で死んだ後、ここに飛ばされたのは偶然の産物なのだから。


「済まない」頭を下げたアッシュに僕の心が沈む。

「いえ、、こちらこそ八つ当たりしてしまいすいませんでした」

「いや、こちらの配慮が足りなかったかもしれない。とにかくゆっくり考えて欲しい。

これは公の仕事とは別に僕の本心だ」

仕事か。能力の高い人間をより適性のある任務につかせる。

確かに仕事には違いない。国の為にもなる。


「レーブ医師、でしたっけ。どんな方なんですか」

「それは直接会って聞いた方がいいだろうね。一つ言えるのは彼は今、私達に欠かせない重要な人物だということだよ」

異世界からの人間でも能力を発揮すれば活躍可能ということか。

沈んでいた気持ちが少し明るくなる。

何にせよ先輩の意見は聞いておくべきだろう。



僕は今、暗い天井を見上げてベッドに横たわっている。

僕が目を覚ました部屋だ。

部屋の明かり(植物油を使ったランプだ)は消えており、月明かりが窓から差し込む。


レーブ医師との会話を思い返した。


壮年を少し過ぎ、茶色の髪を丁寧に撫で付けたレーブ医師は二年前に病気で亡くなり、こちらの世界に転生したらしい。

ドイツ人の彼は母国で証券トレーダーをやっていたと自己紹介した後、僕の不安そうな顔を見てにこりと笑った。

「久しぶりに地球の人間と会えて嬉しいよ。ようこそ、ラトビアへ」


レーブ医師は能力を測定した結果、回復魔法と薬学に秀でていると判定されたという。

それを聞いて迷い無く医師を志したそうだ。


細い銀縁のフレームの眼鏡の向こうから理知的な瞳を光らせて彼はその時の決断をこう語った。

「証券トレーダーの仕事は好きだったよ。エコノミーのマクロの動向を個々の債券や株価や為替などのミクロの動きにブレイクダウンする。そしてその読みが当たれば巨額の利益を生み出せる。

そうだな、控えめに言っても充実していたよ。

でも数字と札束だけが飛び交う世界にいつの間にか私は飲まれきっていた。

心が倦んだんだ」


それを自覚した時には既に手遅れだった。

奥さんは二人の子供を連れて家を出て、そして激務に蝕まれた体はガンを発症していた、とレーブ医師は淡々と語った。


「今は人から感謝される仕事が出来ている。自分がガンで死んだせいもあるが、数字ではなく人と向き合いその人の人生を立て直す能力に恵まれたのは私にとって幸運だった。

病気でもう助かる見込みが無いと言われた患者さんが完治した時の笑顔と感謝の言葉は、向こうの世界にいた時にはけして得られ無かったものだからね」


月光の青が彩る闇の中、眠れないままに僕は自問自答する。


やり残した人生、か。


平凡なサラリーマンとして日々満員電車に揺られ、会社で心にもない笑顔を浮かべて仕事をこなし、疲れた体をまた電車に乗せて帰る日々。

そこに夢があったか、と言えば無かったと答えるしかない。


(だからって不幸せだったわけでもない、か)


そこそこ友人には恵まれ、彼女もいた。

平凡なりの幸せは、生活の為だと己を騙しながら働く報酬だと思えばそんなに悪く無かったはずだ。


何を目指せばいい。

僕は何をしたいんだろう。

考えることに疲れて目を閉じた。瞼の裏に僕の遺体にしがみつく両親の姿が浮かび、一筋だけ涙が流れた。


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