慰労会の夜 2
この先どういう呪文を覚えていくかはよく考えなければいけないだろう。
習得スピードは速いとはいえ、今の僕は経験不足過ぎてあまり魔法が使えない。ファイアボールなら四発か、無理して五発。ファイアストームなら二発が限界だ。それで魔力が底をつく。
むやみに強力な呪文を覚えるよりはこつこつ経験を重ねて魔力の容量というか限界値を上昇させた方がバランスはいい。
「シャリーはファイアボールなら何回唱えられそう?」
んー、と首を傾げ少し考えてからシャリーが答えた。よく見れば今日はリップグロスをしているようだ。本人が言うようにお洒落に手は抜いていない。
「試したことは無いけれど、100回くらいは撃てるんじゃないかしら。初歩魔法だしね」
どうやら僕とはレベルの差がありすぎて比較になりそうも無い。
若干落ち込んだ僕を励ますようにシャリーの右手が僕の肩を叩いた。
「堅苦しい話はここまでにしましょ。ほら、そろそろウィルヘルム公とエジル将軍の挨拶が始まるわ」
そう言って視線を前方に送る。その先には鋼の如き強靭さを人間の形にしたような宮廷魔術師第一位と、穏やかな獰猛さをサングラスの陰に潜めた将軍の二人が一段高くなった壇上に並び立っていた。
それまで和やかに談笑していた全員がさっと居住まいを正す。給仕やメイドは邪魔にならないようにするためか、いつの間にか部屋からいなくなっていた。トマスら三人も出たらしい。
壇上で一歩進み出たのはエジル将軍だった。いつもの大鎌こそ持っていないものの白と黒のモノトーンの礼服に身を包んでいても威圧感が凄い。
「さて、、皆さん。この度の戦はお疲れさまでしたね。意外に敵が強力でしたが皆さんの奮戦のお陰で無事に反乱を鎮圧することが出来ました。私も歯ごたえ、いえ、手応えのある美味しい相手と戦えましたし個人的にも愉しめましたよ」
ククク、、と忍び笑いを漏らすエジル将軍に突っ込みを入れようとする勇者などいるはずもない。
「特に副長を勤めていただいたアッシュ・ウォルトン氏、シャリー・マクレーン氏、そして初陣ながら奮戦したドラグーンことカイト・サカイ氏の三名には特に謝辞を述べさせていただきます。では私からはこの辺で」
静かにエジル将軍が締めくくると言葉にこそ出さないが部屋の空気が穏やかになった。“死に神“と評されるエジル将軍の前で絶対粗相は出来ないと誰もが畏れているようだ。
次にウィルヘルム公が壇上に立つ。部屋の空気を染めたのはぴりっとした緊張感ではあっても咳一つ憚られるような恐怖感では無かった。
灰色の髪を綺麗に整えたウィルヘルム公がその場を睥睨する。規律正しさを旨とし、まっすぐに伸びた背筋に自然と皆が居住まいを正すだけの威厳があった。
「諸君」
その一言だけで場の空気が引き締まる。
「大儀だった。我等がラトビア王国を支える君達の力戦については大変評価し、感謝している。国民皆がそれを胸に抱き、君達に尊敬の念を抱いていること。それを忘れないでいただきたい。
そして今回の戦で散った117名の同士には哀悼の意を示し、死後の世界での幸せを祈ろう」
しん、と静まり返った部屋に厳粛な雰囲気が満ちる。ウィル公の「黙祷」という一声に目を閉じて頭を垂れた。
そうだ。勝ったとはいえ、こちらにも犠牲者が出たのだ。
そして当然負けた獣人や脱獄囚にはより多く出たに違いない。
目を閉じ暗くなった視界の奥底で僕がファイアストームで葬った男の姿と絶叫が蘇り、思わず唇を噛んだ。
(戦争とは戦争が終わってもそれで終わりじゃないんだ。生き残った者が死者のことを覚えて繋いでいく限りはそれは終わらないし、終わらせてはいけない)
中学校の歴史の授業で当時の先生が言っていた言葉が脳裏を掠めた。そうか、あの時はただ聞いていただけどこういうことなのか。実体験を経た今ならあの言葉の意味が分かる気がする。
黙祷の時間は長くなかった。30秒程度だっただろうか。だがその30秒は一つ一つの戦いの重みを刻む為に必要な儀式なのだろう。
「よろしい。さあ、ここからは無礼講だ。存分に楽しむことを私、ウィルヘルム・アトキンスの名において認める」
ウィル公の締めくくりの言葉に皆がワッと沸き上がる。それまでの神妙な顔つきを笑顔に変えて隣の者と改めてグラスをぶつけ高らかに「カンパーイ!」と大声を上げた。
エジル将軍とウィル公の挨拶前より数段盛り上がっている。
「え、え、何これ?」
いきなり変わった雰囲気に戸惑う僕の手にエールがなみなみと注がれたグラスが押し付けられた。
アッシュだ。左手には同じようにエールが満たされたグラスを持っている。
「カイトも覚えておくといいよ。慰労会ではこうして黙祷で戦場の記憶を改めて刻んだ後は、皆で盛大に騒ぐことになっている。生き残った者が亡くなった者の意志を継ぎ忘れないでおく為の景気づけと」
「明日の活力の為にね。辛気くさい顔していてもいいこと起きないし!」
シャリーがタイミングよく割って入った。二人の笑顔に釣られるように僕も思わず笑ってしまう。
そうだ。生きていることは素晴らしいことだ。死者を悼む心を忘れず今はそれを有り難く楽しむことにしよう!
「「「カンパーイ!!!」」」
三人の声が被る。それを境に周囲の人も僕達とグラスをぶつけ合い、次々に飲み干しお互いを讃え合う。
エールだけでは無く、ワインや蒸留酒の樽も開けられ男女分け隔てなく皆笑顔でそれを楽しんでいた。
見ればウィルヘルム公やエジル将軍も杯を干して兵士と談笑している。高みに立つ責任感だけでは無く同じ目線で今日を戦う仲間としての親しさも二人はきちんと持っているんだな、とアルコールの回りだした頭で思っていると背後から「カイト君、おめでとう。やっぱりよく似合っているわね、その服」と声をかけられた。
メルシーナさんだ。その後ろにいるランセルさんも「おめでとう!」と力強く言ってくれた。
「ありがとうございます。今日はどうもでした」
「あら、いいのよ。格好いい男の人に服を見繕ってあげるのは楽しいものですからね」
そうまっすぐに言われると照れる。濃い青紫色のワンショルダーのロングドレスを着こなしたメルシーナさんこそ大人の色香を振り撒いているし、薄い緑色のチュニックを着こなすランセルさんも爽やかだ。
「おお、ランセル、メルシーナ!どこにいたんだ、探したぞ!」
僕の背後からアッシュが声をかけてきた。二人の副隊長は「最初からいましたよ」と飽きれてはいるが、その目が笑っていた。
「おお、そうか。まあ、今日は無礼講だ、大いに楽しもうぜ!」
アッシュが破顔一笑しながら僕、メルシーナさん、ランセルさんの三人とまとめて肩を組んだ。
グラスとグラスがぶつかり、わっと小さな叫びと笑いが混じる。
僕の目の前にメルシーナさんの顔があった。思わぬ近さにドキッとしていると相手の顔がすっと近づきその唇が耳元を掠めながら囁いた。
「私はほんとに今のアッシュ隊長を尊敬しているから」
その言葉の意味を考える暇も無く、シャリーの「皆もこっちで飲みましょうよ、ほらー」という誘いと共に僕らの宴会は最高潮に達していき、夜半過ぎまでその盛大な宴は続いた。
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後から振り返ればこの時が僕が本当の意味でラトビア王国に溶け込み始めた瞬間だった。
それだけ意義深く、考えさせられながらも心から楽しめた慰労会だった。
この世界で生き抜くことを迷っても、つらいと弱音を吐いてもいい。でも異世界からいきなり飛ばされてきた僕を仲間として笑顔で認めてくれる人達がいることだけは忘れてはいけないと思う。
地球と同じようにこの世界でも人は人を認めて真剣に優しく生きて、共に笑えるのだから。
慰労会の翌日、そんな青臭いことを考えながら僕は遅い朝を迎えた。午後から王宮に出ればいいと昨日慰労会に出た者は皆言われている。
昨日着た服を壁に引っ掛けたのを限界に僕は昨夜はベッドに突っ伏した。そのまま意識を失い泥酔してしまったのだ。
(おい、マスター。そろそろ起きろ。いつまで寝ているんだ)
コバルトの声が頭の中で響く。慰労会直前に回線を切って以来忘れていたので痺れをきらしたらしい。自分から強制的に回線をつないで話しかけてきた。
(ごめん、ああ、よく寝た。。)
ふう、と溜め息をつく声が心の中でする。
(楽しかったようで何よりだが飲みすぎは体に毒だ。ほどほどにしろ)
うちのドラゴンは面倒見がいいらしい。分かったよ、と苦笑しながら壁にかかった服を見る。
メルシーナさんが「せっかく青竜を召喚出来るんだから青を基調にしましょうか」と見立ててくれた服は、黒地に銀で縁取りをしたシックなデザインのシャツの上に、コバルトと同じ群青色のすっきりした丈のジャケットと同色のパンツという派手さをぎりぎりで抑えた華やかな服だった。
コバルト、目覚まし時計ですね。




