戸惑いの中で
薄々「もしかして日本じゃないのかもしれない」とは思っていた。
だけど異世界ってどういうことだ?
比喩的に考えるなら「これまでの自分が生きてきた社会の常識が通用しない地域」。つまり地球上のどこぞの自分がよく知らない国に自分がいるということだ。
直接的に考えるなら(あまり考えたくは無いけど)、「完全に地球とは違う世界であり、21世紀の常識やルールどころか自分の持っている知識や常識が役に立たず、かつ生物体系や自然環境、地理すらまったく異なる」場合だ。
前者の場合ならまだ救いがある。ここが日本ではないにせよ世界のどこかならいつかは元の生活に戻れるだろう。
だが後者の場合なら。
あまり考えたくはない想像が脳裏を掠めた。
そんな僕の考えを知ってか知らずか金髪の青年はベッドの近くに置いてあった椅子に腰掛けて更に言葉を続けた。紫色の髪の女の子はその少し後ろに立ったままこちらを見ている。
「まず最初に言っておかなくてはいけないのは、君は既に死んでいる、ということだ」
のっけからショッキングなことを言ってくれるじゃないか、この兄さん。
「どういうことなのかさっぱり分からないんですが。ええ、僕は事故に巻き込まれたのは知っていますよ。それは覚えています。だけどここにこうして」
抗うような僕の言葉を遮って青年は右の掌を僕に向けた。端正な顔に似合わぬ鍛えこまれた分厚い掌に一瞬集中力が削がれる。
「正確に言おう。君がもといた世界で君は不慮の事故に巻き込まれて亡くなった。本来であれば君の魂はあの世に送り込まれるはずだったのだが、故あって私たちの住むこの世界、、私達が<竜の大地>と呼ぶこの世界に彷徨い出て再生したんだ」
<竜の大地>という聞きなれない言葉を聞いた瞬間、不意に心の奥底でざわ、と蠢くものがあった。
それが何なのかはまったく分からなかったがとりあえず無視して青年の顔を見返す。
もし嘘なら人間は余程訓練を受けた者ではない以外は多少は動揺する。そしてその動揺はまず眼に出る。
だが青年の透き通ったブルーアイはまっすぐに僕の視線を受け、小揺るぎもしていない。
「・・・いきなりそんなこと言われて信じる、というのも無理な話なのですが。僕が死んだという証拠は?そもそも貴方達は何者なんですか?」
嘘であってくれ、と心の中で願いながら僕は聞いた。聞くしかなかった。
「二番目の問いにまずはお答えしましょう。私はシャリー。シャリー・マクレーン。この城で第三位宮廷魔術師の職に就いております。こちらの青年はアッシュ・ウォルトン。見てのとおり近衛騎士です」
答えたのは今度は女の子の方だった。紫色の髪の下から金色がった茶色の大きな瞳でこちらを見ながら。
うん、とりあえず事実は、この人たちが話していることが本当だという前提ならではあるけど、分かったよ。だけどもし僕が異世界から飛び込んできたというのが分かっているなら「見てのとおり」は無いだろう。こんな鎧姿の人間生まれてこの方目の当たりにしたことは無いのだから。
僕こと、酒井海人、25歳、日本人、男子、中肉中背、職業サラリーマン、にとっては衝撃どころか事実を把握出来ていないので事の重大さがまるで分かっていなかった。
だけど一つだけ分かるのは自分に直接的な危険を及ぼそうとはこの二人は思ってはいないだろう、ということだ。もしそのつもりなら僕が目覚めるまでの間にそうすることは十分できたはずなのだから。
「・・・酒井海人。青い水が広がる海に人間の人と書いてカイトと読みます」
渋々ながら自己紹介する。それを聞いて女の子、、シャリーが頷く。
「ありがとう。ええと、カイトさん、で良いのかしら。貴方の呼び方は?もし不都合があるようなら変えるけれど」
「それで結構です。あの、これで二つ目の質問には答えてもらえましたが、一つ目の質問、僕が死んだという証拠は見せてもらえますか。正直、手も足もこうして動いて問答も出来るのに貴方は死にました、と言われても全く信じられないんですが」
「それについては少々君にとっては酷な話になるがいいのか?」
青年、アッシュが聞く。酷も何もあるか。何らかの理由でこちらを気遣ってくれているのは分かるが。
「構いませんよ。まったく何も分からず宙ぶらりんよりはね」
「分かった。シャリー、見せてあげてくれないか」「ええ」
シャリーが前に進み出る。何をするのか、と思いきや、彼女はその右手に持った杖をゆっくりと僕の額にかざし、何事か念じた。
「気分が悪くなるかもしれないけれど、こうでもしないと納得できないですよね」
シャリーの声が響く。聴覚ではなく直接脳内に。
そして僕は。すぐに(僕が死んだ)という事実を嫌というほど明確に知らされることになる。