その二
晋一は、振動が止むのをじっと待っていた。やがて、点滅がおさまり小さな電子音とともに時計は無機質にしゃべりはじめた。
「ゲンザイチョウサヲシテオリマスガ、カイフクスルミコミハアリマセン。」
「おい! じゃあ俺はどうするんだ? 」
晋一は、腕時計を睨みつけたまま、ひどく動揺して床をころげ回った。
「壊れた! 壊れた! 頭の中が! 」
何度も叫んでは、ころげ回る。
「頭だけじゃないぞ! 心も、俺自身もすべて壊れてしまうぞ! どうしてくれる宇宙人ども! 」
何度も何度も叫んでいるうちに笑いはじめた。子供の頃のように、腹を抱えて涙を流しながら大笑いしていた。
(天才科学者が、たった一夜にして凡人。いや凡人以下の馬鹿になってしまった……)
「あははは…… あははは……」
(なんて言えばいい? しかも今夜は、これまでの僕の功績を讃えるために設けられた講演会だというのに。ありのままを説明すべきか? 僕は、小学5年の夏に宇宙人から頭の中をいじられて天才になってましたなんて、だれが信じると思う? それこそ馬鹿の上に狂人扱いされるだけじゃないか…… )
晋一は、ひとしきり泣き、叫び、笑いつくしたあと天井を見つめていた。
腕時計をつまみ上げ文字盤の光に話かけた。
「お前は、どうするんだ? ずっと記録係みたいだったから、そのうちに宇宙に帰るんだろう? 」
「ソノヨウデス。マダシジガアリマセンノデ、イマハキロクスルダケデス。」
「そうだろうな。」
晋一は、感慨深げな表情で腕時計に向き直ると、今までの礼を述べていた。
あの日からずっとそばに居て真実を知っている唯一の物? いや友と呼んでもいいかもしれない。あの無機質な声は好きになれなかったが、そばにいてくれてどんなにか救われてきたものか。
あの日。宇宙人にさらわれた時は本当にビビったけど、気が付いたら何もなかったようだったから、すっかり夢だと思っていたよ。あの日以来、本当に楽しかったよ。この十年余。俺は、日本中の、いや世界中の最年少記録を次々と塗り替えた。神童とあがめられ、どこでもヒーローだった。テレビにもいっぱいでれたし。お金だって一生かかっても使えないほどたくさんあるんだ。車だって、家だって……。
晋一は、想い出話しをおもしろおかしく語ったあと、ふと思いつめた表情で窓の外を見た。
でも、あの日天才なんかにされなかったらどうだったろうか? 子供の頃は、勉強が嫌いだったから、遊んでばかりだった。だから普通に働いて暮らしているんじゃないかな。同じ年頃の友達と馬鹿言い合ってさ。それはそれで楽しいだろう。
時刻は、四時十分。助手の田村に起こされてから、かれこれ一時間近く独り言のような会話を、この時計にしていたようだった。時刻は少しづつ迫ってきてるけど、なんだか落ち着いてきた。
以前、自分なりにこういう事態を予測したことがあった。その時は、本当にこうなるとは思っていなかったが、今、まさにその時になってしまったからには、その時に考えたことをも参考にするべきだと当時のプランを思いだそうとした。
たとえ頭の中の何かが壊れたとしても、これまでの十年余の経験などはなんとなく身に付いている。人の前に出ることだって、堂々としたものである。
この時計が以前言ってたことを思い出した。
それは、数式や理論や記憶は、ある種の切り札であって、それだけでももちろん凄みはあるが、実はそれらを巧みに使いこなすことこそが大事であると。それらを駆使する人間力が重要だというのだ。晋一は、その助言に従い学び行動してきたつもりである。そして、自らが学んだことは忘れてはいないのである。
晋一は、ソファーから身を起こし受話器をとった。外線のボタンのあと、実家の番号を押した。数度の呼び出し音のあとに聞き慣れた声がした。
「母さん! 」
「もしもし。晋ちゃん。」
「うん。俺だよ。」
「どうしたの? 今夜は忙しいんじゃないの? 」
「うん。今はちょっと時間が空いたから…… 」
「どうかしたの? 」
「いや、なんでもないよ。」
「本当に? 何かあったんじゃないの? 」
さすがに母親の勘は鋭い。どことなく違う様子がわかるのだろう。
「大丈夫だよ。すぐに解決するから。」
晋一は、精一杯の嘘をついた。
「本当に大丈夫なの? ちょっと心配したけど。」
「うん。心配しないで。」
「あ! そうそう、昨日届いたわよプレゼント。素敵な物をありがとう。本当にうれしいわ! 」
晋一は、昨日の母の誕生日にプレゼントを送っていたことを思い出した。
「晋ちゃん。お母さんの歳。一つ間違えてたわよ。」
「え! そんなあことないよ。」
「いやだわ、お母さんは昨年から歳を取らないように決めてたのよ! あははは……。 」
くったくのない笑い声が受話器から聞こえてきた。
「母さん。」
「なに? 」
「親父も弟も元気? 」
「みんな、とても元気よ。本当にあなたのおかげだわ。ありがとう。」
「…… 」
「晋ちゃん。どうしたの? 本当に大丈夫? 」
「うん。大丈夫さ。心配しないでよ。」
「本当なのね。なら心配しないわよ。」
「じゃあ、そろそろ打ち合わせだから。切るよ。」
「ねえ、晋ちゃん。」
「うん? 」
母の優しい声に、込み上げる熱いものを感じ、泣き出しそうになるのを耐えながら、短く返事をするのがやっとだった。
「晋ちゃん、もう普通に戻っていいのよ。充分すぎるほど、あなたのおかげでみんな幸せなんだから。一人で、あなた一人で無理しなくていいのよ。」
「母さん。ありがとう、また電話するから。」
母の肩に優しく手をかけるように受話器を戻した。
母の声は優しかった。何も言わなくても、伝わってしまうのだろう。いくら強がってても息子だからかな。やっぱり甘えてしまうんだろう。優しい言葉が聞きたかっただけじゃないけど、帰る家があるんだと思うと、勇気が湧いてきた。
今夜、自分でケリをつけるんだと。




